(アンソロジー)
GOAT
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背表紙に大きくひび割れがありました!読むのに支障はありませんが、とても残念な気持ちになりました。 | ||||
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楽しく読めました。 | ||||
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文芸誌久しぶりの創刊。 力はいってます。 | ||||
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大切に読んで行きたいと思います | ||||
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文藝が売れないといわれつづけている時代に、時代錯誤もおそれずに誕生した、新文藝誌である。 その点をまず評価させていただきたい。 ―― 本誌では、短編小説を中心に、現代詩や短歌(厳密には歌会記録)などが臚列されている。 そのうえで、創刊号の主題は『愛』なのだが、これが聊か上滑りしている。 小説にかんしては、ひとまず、目次に大文字で記載されている西加奈子氏「ディヴァイン」、市川沙央氏「音の心中」、小川哲氏「嘔吐」、尾崎世界観氏「【ア】【イ】」を拝読させていただいた。 が、本号の主題である『愛』というものがかんじられる作品はなかった。 西加奈子氏「ディヴァイン」では、マインドフルネスやハイヤーセルフ(なのか?)といった、現代小説でも稀有なるスピリチュアル界隈を主題としているのだが、駄目人間である家族にたいする主人公の咆吼に、弱者にたいする愛をかんじられないどころか、弱者にたいする憎悪しかかんじられなかった。 市川沙央氏「音の心中」では、主人公の恋人が熱中している反戦運動にたいして、『反戦運動が戦争を惹起する』というような、あまりにも陳腐な『反『反戦論』』が物語られて、辟易する(ミシェル・フーコーの爬羅剔抉したように、第二次世界大戦の濫觴は、ナチスの禁煙政策をはじめとする、『健康運動』である。そこから障碍者虐殺、ホロコーストへとつながった。この事実を障碍者でいらっしゃる市川氏が無視することは出来ないであろう)。 小川哲氏「嘔吐」は斜め読みしただけだが、プロ小説家にかんするストーカー的な熱狂的ファンを、たんなる悪役としてえがいており、これもあまりにも陳腐なストーカー像が描出されており、辟易した。 尾崎世界観氏「【ア】【イ】」にかんしては、文章が杜撰すぎてなにが書かれているのかわからず、読了できなかった。 ほか、大量の短編群も順次拝読しているが、なかなか、『愛』のかんじられる小説に逢着しない。 ―― 現代詩にかんしては、たしかに愛をかんじられるが、最果タヒ氏の作品などは、曩時にテオドール・アドルノが『アウシュヴィッツ以後、詩は不可能である』というようにいったときの『詩』になっていないか、と怵惕惻隠させられた。 そのほかは、《現代詩手帖》レベルといってよいのかわからないが、面白い作品がおおく愉しめた。 ―― 短歌にかんしては、プロの歌人の作品群ではなく、プロの歌人とプロの小説家とによる歌会の記録となっていて、残念であった。 余談だが、最近、《文學界》や《新潮》など、大手文藝誌のなかでも、プロの歌人による短歌が掲載されるなど、まことに短歌ブームである。 たしかに、短歌がブームであることは理解できるが、本誌のように総合文藝誌を目指すのならば、『なぜ俳句のコーナーもつくらない』のか。 装幀などからして、本誌のターゲット層は、わりと若年層かとおもわれ、俳句の愛好者層と乖離するのかもしれないが、高山れおな氏や外山一機氏など、現代俳句でも、若いかたがたにうける俳人はすくなくないとおもう。 現代の文壇における俳句差別にはどうも納得いかない。 ―― 閑話休題。 上述のとおり、本誌は『愛』を金科玉条としながらも、『愛』のかんじられない小説ばかりでこまったのだが、最後に、特集「読書バリアフリーをめぐる旅」を拝読して、『これこそまさに愛だ』と感動せしめられた。 基本的に、視覚障碍者や読字障碍者における読書の形態を穿鑿している記事なのだが、なかんずく、後半の、滝口悠生氏の随筆が素晴らしい。 滝口悠生氏は母方に六親眷族がおおく、みな、滝口氏の執筆活動を認識しているのだが、そのなかでも、一番熱心に滝口文學を『読んで』くれるのは、後天性の視覚障碍者の叔母であるという。 その叔母様がどのように『読書』するかというと、基本的に録音された朗読ソフトをもってしてであり、『朗読者によって当たり外れがある』のだという。 しかも、《文學界》や《群像》といった純文學雑誌に掲載された短編までをも、まっさきに『読んで』感想をくださるというのだからおどろいた。 無論、輓近は、PCやスマホのアプリで、テキストデータを自動音読してくれる機能もあるのだが、それはなぜかあまり普及していないそうだ。 いずれにせよ、さまざまな意味で、滝口氏の最高の読者が、視覚障碍者である叔母様だという随筆に、愚生は感動した。 この随筆を読めただけでも、おつりがくるくらいに素晴らしい雑誌だとおもった。 ―― 総括だが、まず、先発の一般文藝誌のように、だれが最後まで瀏覧するのかわからないような連載長編を皆無にして、一号購入すれば最後まで読める短編小説を中心にしてくれたのは、非常にうれしい。 『各作品は雑誌一冊で完結させる』という路線は、最早、老舗の文藝誌のほうが、本誌を見習うべきだと存ずる。 また、『総合文藝誌』という形式でいうと、前述のように、俳句のコーナーがないのはさびしいが、一冊の文藝誌で、小説とともに、現代詩や短歌も愉しめるのはたいへんにうれしい。 が、その方向性で『Greatest Of All Time(=史上最高の)』あたらしい文藝誌をつくるのならば、一般文藝誌に思潮社《現代詩手帖》、角川《短歌》、角川《俳句》、書肆侃侃房《ねむらない樹》までをも合体させたような、『完全なる総合文藝誌』くらいは目指してほしい。 それくらい出来たら、愚生のみならず、おおくの読者諸賢にとっては、夢のような雑誌となるかとおもわれる。 とにかく、『短編小説中心』『詩歌のコーナーももうける』『とにかく破格のやすさ』という『形式』において、本誌は百点、否、二百点満点である。 のだが、上述のように、掲載小説の品質に若干の擬弐をはさまざるをえないのが残念である。 愚生は基本的に、他者の作品に悪口はいわないという主義をつらぬいているので、本誌のなかでも、冠絶した作品があれば、それを中心に論じて、絶讃したかった。 だが、誠に恐縮ながら、今回の掲載作群には、いずれも、おおきな瑕疵があり、無邪気に鑽仰できない次第であった。 ―― 重箱の隅をつつくようで恐縮だが、Kindle版は、小説全般がリフロー形式で難儀することなく読めるのにたいし、現代詩のコーナーや、歌会のコーナーのなかの短歌そのものなどが、画像形式になっていて、(とくに歌会では短歌の掲載されている位置がおかしく)非常に読みにくくなっている。 とくに、現代詩は、タイポグラフィー的側面のある作品もおおく、電子書籍化する爾時に問題となるのは詮無いことかもしれないが、これは、電子書籍リーダーの開発側様ともども、今後、熟慮していただきたい。 ―― ともかく、全体的に、短編小説群の品質は、老舗の文藝誌にはかなわないとおもわれたが、ここまで縷縷と物語ってきたように、雑誌の方向性としては、けっして間違っていないとおもう。 あとは、小説、現代詩、短歌、できれば俳句における、作者の品隲、および任免黜陟と、内容の精査が問題になってゆくかとおもわれる。 斯様に、未来のあるこころみなので、僭越ながら、今後の活動を応援させていただく意味で、星五つをさしあげたいとおもう。 | ||||
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