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最後の物たちの国で
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最後の物たちの国での評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.21pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全29件 1~20 1/2ページ
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一見、軽いノリのSFっぽい小説に思えた。世紀末の荒廃した世界。"限りなくゼロに近づく、欠乏と崩壊に覆い尽くされた世界の飢え、疲れ、寒さ、それに恐怖"。流行りの近未来系サバイバルゲームと錯覚しそうになるが、読み進むうち、私達が身近に或いは過去に知ってる世界である事に気付かされる。昔の農村で見かけた"糞尿処理システム"、第二次大戦中レニングラードに実在した"人肉工場"、そして、急速に"第3世界化"するNYシティー。これはオースターが感じ取る、もう一つの危うくも脆い暗黒の現実なのだ。 暫くすると、等身大の恐怖に背筋が凍りそうな展開になるが、中盤から後半にかけ、追い詰められた人間が狂気に駆り立てられる生々しい描写は、実に見応えがある。最後の2チャプターでは圧巻のオースター劇場と化し、たっぷりと時間を掛けて読みほぐした。これは、ホラーでもサスペンスでもサバイバルでもSFでもない。"今そこにある恐怖"そのものにすっかりと魅入ってしまう。 絶望に貼り付けになった大衆の思考が狂気へと変貌し、その狂気が全てを支配するが故に、ある者は極限の無垢な境地に行き着いてしまう。自暴自棄になる感情をも捨て去り、無になる事で、自己の内面世界がより大きくなり、より堅固になり、狂気に陥るはずの自分を1つの物語として、客観的に眺めていられるのだ。"自分がもはや自分ではなくなる"事で絶望の淵から自らを開放する。 また、ある者は、自分以外の何者かに成り済まし、多種多様な人物を演じる事で狂気をコントロールする。極限の状態で生き延びる為に、他人を出し抜くのではなく、幻想と妄想で創り上げた雑多な自分を欺く術を身につける。つまり、多種多様に思考を広げる事で絶望を回避するのだ。 また、ある者は目を閉じ、闇に浸る事で洞察力を養い、強い意志と信念の元に思考を先に押し進め、絶望の波をかき分けていく。またある者は、絶望を達観する勇気を持つ為、自らの狂気をノートに記しながら、自らに与えられた過酷な運命を真正面から見据えようとする。 『最後の物たちの国』では、この"ある者"であるサム、ポリス、ヴィクトリア、アンナの4人が中核をなすが、彼らが生き残るか死ぬかは問題ではなく、この追い詰められ荒廃した無の世界で、彼ら彼女らに纏わる様々な物語が様々に入れ替わり、一つ一つがごく些細な状況に応じて、鈍重なある種の優美さを持って変貌していく様は、実に読みごたえがある。まさに、オースター・マジックの決定版である。 | ||||
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本作の内容はいたってシンプルなので、中身にはあまり触れないほうがいいだろう。〜ディストピア小説の成功するキーは、危機的状況の中での緊張感をいかに文体で演出できるかにかかっている。レビューのタイトルに記したように「いまいち」というのは、本作が物語の中心に入っていくにしたがって前述した緊張感がいくつかの場面を除いて、保たれていないところがあるためだ。〜書き出しはいい。しかし、物語に入っていくまでの前段がやや冗漫。かつ、物語にはいっていくにつれ--いくつかの場面を除き--「どうも引き付けられないな」という印象がぬぐえなかった。ポール・オースターの他の作品同様、文章は巧い。ディテールもしっかり書き込まれていて、稚拙なところもほとんどない。それなのになぜ面白くないのか。この原因は前述した、文体に危機的な状況を演出する筆力がかけているためと、主人公アンナの生活がディストピアの中において危機感を欠く、すこし強い言い方をすれば大部分が牧歌的なモチーフでストーリーが展開しているためだ。その点でいうと、コーマック・マッカーシーのディストピア小説の名作『ザ・ロード (ハヤカワepi文庫)』の足元にも及んでいない。文体に緊張が演出されていないのは英語ができない僕にとって、原書の要因なのか翻訳が要因なのかは判別がつかない。〜著者の大部分の作品を読んで思うのだが、オースターの才能はやはり奔放な展開をみせるリアリズムに準じたところにあるのではないか。そういう印象を持ったのが読後の感想だ。 | ||||
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本作の内容はいたってシンプルなので、中身にはあまり触れないほうがいいだろう。〜ディストピア小説の成功するキーは、危機的状況の中での緊張感をいかに文体で演出できるかにかかっている。レビューのタイトルに記したように「いまいち」というのは、本作が物語の中心に入っていくにしたがって前述した緊張感がいくつかの場面を除いて、保たれていないところがあるためだ。〜書き出しはいい。しかし、物語に入っていくまでの前段がやや冗漫。かつ、物語にはいっていくにつれ--いくつかの場面を除き--「どうも引き付けられないな」という印象がぬぐえなかった。ポール・オースターの他の作品同様、文章は巧い。ディテールもしっかり書き込まれていて、稚拙なところもほとんどない。それなのになぜ面白くないのか。この原因は前述した、文体に危機的な状況を演出する筆力がかけているためと、主人公アンナの生活がディストピアの中において危機感を欠く、すこし強い言い方をすれば大部分が牧歌的なモチーフでストーリーが展開しているためだ。その点でいうと、コーマック・マッカーシーのディストピア小説の名作『ザ・ロード (ハヤカワepi文庫)』の足元にも及んでいない。文体に緊張が演出されていないのは英語ができない僕にとって、原書の要因なのか翻訳が要因なのかは判別がつかない。〜著者の大部分の作品を読んで思うのだが、オースターの才能はやはり奔放な展開をみせるリアリズムに準じたところにあるのではないか。そういう印象を持ったのが読後の感想だ。 | ||||
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こちらのレビューが評価が高かったのと、ネットでの紹介を見て この本を読みました。 あらゆる本を年中読んでいますが、期待していたほど面白くありませんでした。 最後のものたちの国で、というタイトルのまま物語は進みます。 ある先進国のお嬢様が行方不明の兄弟を探すために、架空の国(無政府状態のあの国?」に 入国し、その国のひどい現状の中生き抜いていくという物語。 ストーリーが、まず無理がある。 まずその主人公の女性があるオバ様と仲良くなり、家に居候させてもらったり、図書館に住処を見つけたり 挙句の果てには医者のハウスにお手伝いをしながら居候したりなど 運がよくとんとん拍子に生き抜いている気がします。 街中では飢えてみんながみんな家がない状態なのに主人公は偉く得をしています。 この時点でリアリティがないし、極限状態とまではいかず あまりスリルを感じませんでした。 五体不満足で食べ物もある(もちろんジリ貧ですが) 仲間もいて愛する人もいる そんな状況下でのお話なので、あまり伝わるものがない気がしました。 しかもそんな国に自ら飛び込んだのも自分自身なので、 まったく共感できません。 おまけに国外脱出も「国が出国禁止している」ということで ふるさとに帰ることも簡単にあきらめてしまう主役にもげんなりしました。 もっと激しい後悔と、母国への懐かしさで壊れてしまうのが普通だと思いますが。 最初から最後まで一気読みしましたが何か物足りない。 少し薄いと思いました。 残酷な物語ならたくさん読んできているので、 耐性ができてきてしまっている私には 全然響きませんでした。 | ||||
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アンナ・ブルームは行方不明の兄を探して「最後の物たちの国」にやってくる。 そこからアンナ・ブルームの手紙が届く。その手紙を読む形で物語は進行していく。 「これらは最後の物たちです」 手紙はこのように始まる。 「一つまた一つとそれらは消えていき、二度と戻ってきません。私が見た物たち、いまはない物たちのことを、あなたに伝えることはできます・・・」 「あなたにわかってもらえるとは思っていません。あなたはこのいっさいを見たことがないのだし、想像のしようもないでしょう・・・ある日そこにあった家が、翌日にはなくなっています。昨日歩いた道が今日はもうありません・・・」 アンナ・ブルームが描写するめくるめく悪夢のような世界。暴力がはびこり、飢えや寒さにさいなまれ、感じるのは恐怖、疲労、喪失、絶望。しかし、著者のポール・オースター曰く、「最後の物たちの国」は想像の産物ではなく、20世紀のどこかで実際に起きた出来事を下敷きにしている。「アンナ・ブルーム20 世紀を歩く―この本に取り組みながら僕はずっとこのフレーズを頭のなかに持ち歩いていた」 東日本大震災、続く福島第一原発の事故を目の当たりにした時、ふとこの本のことを思い出した。 あったはずの家が流され、なかったはずの瓦礫の山が道を遮り、見えない放射能の恐怖にさいなまれ、無人と化した町では音なき音があたりを包み、放たれた動物だけが行くあてもなく彷徨い歩く・・・我々は最後の物たちの国に住んでいるのだろうか? 手紙の終わりの方でアンナ・ブルームは「最後の物たちの国」から脱出する計画を告げる。成功するかどうかは分からない。しかし、少なくともそこには悪夢のような世界から抜け出せるかも知れない可能性がある。それだけで、彼女の胸の内には希望の光が灯る。 どのような形であれ、最終的に自分を救うのは自分自身なのだ。 | ||||
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こういったどことなく終末っぽい雰囲気は、この作品とは全然違うのだけれども、村上春樹の「世界の終わり〜」やマッカーシーの「ザ・ロード」、カズオイシグロの「わたしを離さないで」なんかを彷彿させて、それだけでなんだが興奮してしまう。 何ものも続きはしません。心の中の思いさえも。いったんなくなったものは、もうそれでおしまいなのです。 希望と喪失感。 上記に記した作品が好きな人なら、この本をお薦めします。 ポール・オースターの他の作品とは一風違う風味であるが、オースター作品の中では、個人的に一番好きです。 | ||||
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ポール・オースターの本は、エッセイなどを除き全て愛読していますが、中でも本書が一番「ああ、あれをもう一回読もう」という気にさせられます。 設定自体は多少変わっていると言えなくはないですが(悪く言えばロールプレイングゲーム的)、基本的にはシンプルな作品。 またオースターものにしては、薄いのでアッサリ読めます。 それでいて、この力強さは何なのでしょうか。 じわじわと生きる力がわいてきます。心に突き刺さるような、大好きな一冊です。 | ||||
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最初の数ページは意味がわからず、何度も挫折しかけた。 けれども物語の語り手が、その国にいる理由がわかってからは、読んでいる手を止めることができなかった。 「なぜ」という疑問が解き明かされることはない。 「最後の物たち」に囲まれながら、希望を持って、時には人を愛してしまう人々の姿がとても悲しい。でもきっと、この状況になったら誰かを一生懸命好きにならないと、生きてはいけないのだろうなと思えた。そんな相手も、「最後の物」として消えてゆくのだと知りながら。 | ||||
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人々が絶望と極貧の中に暮らすその「街」では、物質も希望も、記憶や言葉ですらも失われていく。そういった際限の無い極限状況と喪失の中で、主人公のアナベルは「書くこと」を支えに生きていく・・・。 オースター自身は、この小説に描かれたのは未来のディストピアではなく、現在と少し前の過去だと強調しているらしいが、確かにそのような読後感を僕も持った。実は、訳者や他のレビュアーが指摘しているようにこのラストに救いがあるのかどうかは、僕には分からない。(だって手紙=物語は完結しておらず、現在進行形のまま閉じられているからだ。)が、圧倒的な喪失と失望を描いた先で、それでも「書くこと」にこだわろうとする作者の態度表明は伝わってくる。 ディストピア小説というとオーウェルを思い出す人も多いと思うが、むしろガリバー旅行記とカフカの世界をかけあわせたような世紀末的な世界を背景に、「書くこと」について真摯に語った作品なのだと思う。そして、それはこのキツイ現代社会の中で「物語を書くということ」を突き詰めて作者が語っているということでもあるだろう。その心意気に僕は4点を点けました。 できればそんなキツイ世界をバックに「何を書くのか」ということがもっとポジティブに伝わってきてほしいと思ったのと、他のオースター作品にはそういう作品もあるにはあるので、相対評価で星1つ減点してます。が、基本的にオースター・ファンは読んで損の無い良い作品だと思います。 | ||||
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治安はめちゃくちゃ、明日生きていられるかどうかもわからない程苦しい生活の中で生きる主人公が誰かに宛てた手紙という形で書かれています。第三者の視点から語るのと違い、とても感情移入しやすく、途中で涙が出そうになったシーンもありました。その国での生活を分析的ではなく、主人公のアンナが感じたままが描かれています。文体も非常に読みやすいです。稚拙ではないのに、わかりやすく、比喩などの表現技法もほんとにすごいです。全てが絶望的な生活で出会った人々とのドラマも素晴らしいです。ラストのその後のアンナ達がどうなるかはまだわかりません。行動を起こす前で手紙が終わってしまっているので。ラストあたりではウォーバンハウスが一気に絶望的になっていくのに、何故かその後はきっと何かがうまくいくのかもしれない…という希望を感じました。 一生モノの本になりました!この本に出会えて良かったと心から思えます。 | ||||
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次がない。これでおしまい。 「最後のもの」というのは、「最後のものたちの国」とは、つまりはそういうことだと思う。 さっくりと言ってしまえば、絶望である。 主人公アンナ・ブルームが置かれている立場はまさにそれで、四面楚歌、360度矢面という情景描写がぴったり来るような地獄の中にいる。 それでも、訳者が言うように、この作品の根幹に流れているのは「希望」である。 社会の中にあるさまざまな価値観を、削ってけずって、極限までそぎ落としてシンプルにしたからこそ見える人間像が、ここには描き出されている。 物語はえんえんと続く静謐な悪夢のようだが、最後に一気に収束する。 最後の数行がとにかく秀逸。 この本が出版されたということは、つまりは一通目の手紙は届いたということなのだ。 アンナ・ブルームの約束が果たされることを、願ってやまない。 | ||||
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オースターのニュヨーク三部作あたりと続けて読むとなんじゃこりゃ?と思うでしょう。SF? と。 解説に書いてあるが、一見SFっぽいんだけれど、モチーフは完璧に現代らしいんです。未来の話じゃない、いまどこかの国で確実に起こりえること、としてオースターは書いてある。 崩壊(しかかっている)国に迷い込んだひとりの女性からの手紙。ですます調の文体と、濃い心理描写と突き詰められた設定。それは現代の寓話にどうしても見えてしまうけれど、だからこそ、「現実」として突き刺さってくる。 生きるのに油断できない生活。意味がない、身を削ってまで、しかもそれが自己保身にしか繋がらない倒錯的な慈善活動。ひとつひとつ現代に還元していくのもおもしろい読み方かもしれないけれど、そのまま読んでみたらどうだろう? ストーリーテラーとしての才能が怖いくらいに魅せられる傑作。 | ||||
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ポールオースターの作品だと思って読み始めると、何、これ? と思われることでしょう。SF的にある世界、それも「終末論」的な都市を設定して物語が形作られています。オースターの作品にあるアメリカ的なものは何もなくて、後半出て来る図書館はナチに壊された建物のようで欧州的ですらあります。でも私、この作品嫌いじゃないんですよね。オースターの作品は理屈をこねて見ても分からないものばかりで、個人的に「読後感」をその評価の出発点にしてるんですけど、その読後感的には読んでいる時の違和感からすると驚くほど悪くないのです。真面目な作家さんで、本当に色々なタイプの作品に挑戦していて、これもその中の極端な例の一つなんでしょうけど、一体、これ何なんでしょう? だから、読み始めてちょっとひっかかったとしても、止めないで読み進んで下さい。最終的にはそんなに期待を裏切らない作品ですよ。 | ||||
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オースターの作品の中ではいちばん好きです。なぜならアンナがかわいいから。複雑な生命力に満ちているから。物語世界は明るくはないですが、読後感は奇妙に明るいです。破滅に向かっていくこの物語の中の世界は、明白に、現実の映し絵ですが、そんな中で、生き抜くってどういうことなのかを、アンナからの手紙が語ってくれます。 | ||||
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ポール・オースターはジェイ・マキナニーと同様に80年世代を代表する作家だと思う。ある意味で、サリンジャーのような「作られた」「実験的な」作品を次々と出してきた。この「最後のものの国で」という作品は、少々状況の説明が長ったらしくって、まるでハリウッド映画のパニックもののように辟易するのだが、その長ったらしい状況こそがオースターの語りたかった「もの」であることに、ずーっと後で気が付いた。「生きる」「死ぬ」が自分の手の内にあると錯覚している驕った現代人には必読である。しかし、多分にオースターは賢すぎて、実体験よりも「脳内体験」により作品を生み出している。そこが80年代、90年代の若手の作家の欠点か!サリンジャーもしかり、、、やっぱ作家もこもっていてばかりでは「ほじなし」ですな。書を捨てて町に出よう!! | ||||
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アメリカを代表する前衛作家という評価が一般的なオースターの作品中にあって、ちょっと異色な作品です。 オースターの他の作品は、どちらかと言うとストーリーより、登場人物の内面を描くことに重きをおき、ややもすると話しの展開はそれに付随するオマケに過ぎない嫌いがありましたが、この作品に対してはストーリーテラーとしての役割に徹してるように思えます。 例によって明るい話しではないのですが、読んでいると物語にぐいぐい引き込まれていきます。 現代を代表する前衛作家としての顔、優れたストーリテラーとしての顔、二つの顔を同時に持ち、どちらも選ぶことができる点において、やはりオースターは偉大な作家なのでしょうね。 風刺ではないので語弊があるかもしれませんが、私の中ではオーウェルの”動物農場”と並ぶ名著です。 | ||||
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アンナが綴る、届くはずもない、読まれるはずもない手紙に描かれる絶望的な世界、というのはキングの「刑務所のリタ・ヘイワース」を思い出す。かの小説の主人公たちが刑務所の中で出会う悪夢的状況は、アンナが遭遇する悪夢と似通ったものがある。でも決定的に違うことは「刑務所...」のアンディとレッドは「外は違う」ことを知っている点。 アンナの置かれた状況はさらに容赦ない。あまりにアンナにとって不利で、勝負ははじめから分かっている。「刑務所...」のアンディが希望を持ち続け最後に偉大な勝利を収めるのに対し、アンナはどうだろう。アンディは、きっとまだどこかで生きているだろう、と思われるのに対し、アンナは読み終わった直後にもうこの世にはいないだろうと、思われてしまう。でもそんなアンナもささやかながらしぶとく希望を持ち続けている。超人的なアンディより親しみやすいアンナが持ち続ける希望、それは私にとって、より人間の持つ希望の価値を訴えるものであった。 すごい悲しい話なんですが、いい話です。しみじみしたいときにお読みください | ||||
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舞台は未来のアメリカのどこかの都市だ。そこではすべてが崩壊に向かっており、何も生産されていないし、子供も生まれない。人々は資産を切り売りするか、ゴミを漁って使えそうなものを探して売るぐらいしか生きるすべがない。その都市に入ることはできるが出ることは極めて困難だ。 主人公はその都市に行ったきり音信不通になった兄を探すために、自分もその都市へ入った若い女性の物語である。必死で日々の糧を稼いで、絶望的な中でも愛をみつけて、そしてある慈善事業に参加するのだが、常にやすらぎは一時的で否応なしに終末が迫ってくる。 この異常な舞台を描く作者の描写は見事で一気に読ませるが、読後感は余り良いものではなかった。 | ||||
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すごく好き。オースターの中で一番好きな作品。時代設定が侍女の物語(これオースターじゃないが)みたいに、いつだか何処だかわかんない近未来って感じ(オースターは現代と言ってるらしい)。 ある状況に立たされた主人公の女性が、届くかさえわからない知り合い(元彼?女友達?)に向けて書いた手紙の数々。最初の書き出しから、共鳴するかの様に、この空間へ引き込まれ、廃墟を彷徨うアンナの目の前に広がる空虚な世界へ。 とても薄い本なのに、厚い本をぎゅっと凝縮したかのような濃ゆさ。他人の書評を読むと、愛は、とか人生は、生と死とは、とか哲学的な側面について視点が置かれてるけど、私は読後ぼんやりと、彼女の次に書いた手紙が旧友の手元に、ある日届くといいな、とだけ思った。 ちなみに邦訳は「最後の物たちの国で」白水 Uブックス刊。この翻訳(柴田元幸)すごい。うまい!そのまま。英語の雰囲気のまんま。 | ||||
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ストーリーは、語り手であり主人公であるアンナが絶望的な状況においていかに生きたか、というもの。 私が思ったのは、たとえ最後の最後と思われる絶望でも、それは最後ではなく通過点なのであり、命が残っている限りは、その人生を味わい尽くすべきなのだ、ということ。 聡明なアンナは、常に思考し、感受し、拒否し、吸収しながらたくましく前へ進んでゆくものの、再び翻弄され、新たな困難の前に投げ出されてしまう。 これは常に繰り返される拷問のような悲劇なのだが、それでもアンナは負けなかった。 そして、これが希望を持つということなのだと思った。ストーリー展開のテンポ、予測不能の事件、時に立ち止まって行う熟考など、オースターらしさも満載です。 | ||||
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