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HHhH (プラハ、1942年)



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【この小説が収録されている参考書籍】
HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

HHhH (プラハ、1942年)の評価: 4.04/5点 レビュー 52件。 Dランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.04pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全38件 21~38 2/2ページ
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No.18:
(4pt)

「書き手登場」は常套的方法

良い作品ですが、翻訳家が解説で書いている「ノンフィクションや歴史的小説で、書き手が登場する作品は非常に希れ」というのは間違いだと思う。 書き手が登場したり、事実やその文学的手法について語るのは、常套的方法です。 ましてやそれがこの作品の最大の評価とは、間違いでしょう。 すくなくとも「ほかにもそうした作品はあるが」というような一文を、校正の段階でチェックでいれるべきだと思います。
HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)Amazon書評・レビュー:HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)より
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No.17:
(5pt)

なんと秀逸な、革命的な作品

小説の革命といえるこの作品に感動し、歴史の中に消滅していった人々に黙祷する。
今に生きているすべての人たちに推薦する。これほど感動した作品に出会った記憶はない。正に新しいジャンルの文学だ。
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No.16:
(5pt)

キンドルで読むのに向いた本

最初は、作者がしばしば現れる文体(これが文学として斬新だとは知らなかった)が鬱陶しく、読みにくいなあ、と思いながら読み始めたが、後半一気に速度が上がり、とても印象に残った1冊。ホロコースト関係の小説はよく読むし、東欧を舞台にした本も好きで、チェコの知らなかった歴史を知り、読み終わった後勢いで「チェコの歴史」を読んでいる(こちらも面白い)。
 この本はKindleで読んだが、Kindleだと資料(写真や地図、歴史年表など)に気になるたびにアクセスできるので、ハイドリヒや夫人の写真も、該当するだろうと思われるものを探してじっくり眺められて良かった(地図も、google mapで詳細を眺めた)そういう意味ではKindleに向いた本だと思う。
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No.15:
(5pt)

色々考えさせられた小説

図書館で随分待って借りた本です。
出だしは非常に読みにくかったですが、後半はあっという間に読み終わりました。
創作小説は限界が来てドキュメンタリーに取って代わる。と聞きますが
本書がその良い例でしょうか。
作者が随所に顔を出す新しい形式と言うが、太宰治は小説に中で作者として突然読者に語りかけていたしな。
そういえば日本放送協会が同じ手法で歴史ドラマを放映していたな。
作者は読者の記憶に留めるために小説の手法を選んだと書いています。
何を記憶させたいのかな。
ハイドリヒの異常性か。
二人の青年の英雄的働きか。
異常な人間と英雄によって歴史は変わるのだろうか。
しかしナチスドイツを叩く本が巷に溢れているな。
戦争に労働力は大切だ。
そして今はフォルクスワーゲンの車はチェコ製だ。
最後の襲撃シーンで思いだしました。
映画で見たことあるシーンだと。「暁の7人」
しかしなんと言っても本書の中でも数字でしか表現されない
訳も分からず銃殺された一人にはなりたくない。絶対に。
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No.14:
(5pt)

歴史の目撃者と化した著者/作者が描く、ナチ高官暗殺事件の全貌

ナチ高官としてユダヤ人問題の“最終的解決”計画の推進者であったラインハルト・ハリドリヒは、プラハ市内で1942年に暗殺されました。暗殺の実行犯はイギリスからパラシュート降下で送りこまれたチェコ人とスロバキア人の混成部隊です。冷酷無比なハイドリヒを指して親衛隊の間では当時<HHhH>(Himmlers Hirn heisst Heydrichヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる)という渾名が流布していました。(ssの部分は原文ではエスツェット)

 著者/作者であるローラン・ビネは彼の暗殺までの日々を描くにあたって独特の手法を取りました。それは、<ハイドリヒの人生をたどる物語を描く作家ビネ>を描くという手法です。
 ハイドリヒに関する膨大な過去資料や先行創作物を果てしなく渉猟し、それを隅から隅まで読みこむ。そしてハイドリヒ暗殺という厳然たる史実を文字にする途上で、<想像>によって<創造>することの可否を自らに飽くことなく問い続けるのです。歴史上の人物がこの場面、あの場面でこういう会話を交わしたといえるのかどうか。どこまで自らの予測に信憑性を持たせることができるのか。歴史物語における書き手の手法の妥当性とは一体いかなるものなのか。著者/作者の焦慮の念は尽きることがありません。

 ですから物語のそこかしこにビネは姿を現すのです。大戦中のプラハの街のあちらこちらに、そしてナチのくびきに恐れおののく人々の雑踏の中に紛れて、歴史の目撃者然として佇み続けます。果ては登場人物に憑依したかのように歴史を生きるのです。自作の歴史小説に顔を出すことで広く知られる司馬遼太郎先生もかくや、と思うほど。

 耳慣れぬ姓名を持つ異国の人々のが陸続と登場するため、時として人物相関図を見失いそうになります。それゆえに大いなる疲労感を覚えるかもしれません。暗殺実行犯を裏切るカレル・チュルダは184章に「1942年3月27日から28日の夜に落下傘降下している」(260頁)と明記されているにもかかわらず、彼のことを落下傘部隊員ではないと勘違いする読者もいるそうで、それも無理からぬことです。
 ですが、小説の後段に実行されるハイドリヒの暗殺、そしてその直後から始まる苛烈な実行犯追求劇は、“目撃者”ビネの筆によって緊迫感を伴って進行し、読者をぐいぐいと牽引していきます。翻訳文の読みやすさはひとえに訳者・高橋啓氏の力によるものです。

 ビネは兵役のためフランス語講師としてスロバキアに赴任した経験からこの戦時下の事件に興味をもったのでしょう。果たして次はどんな史実のもとへ彼は自ら赴き、そして読者を導くのでしょうか。

*156頁に「第二回目」とありますが、「第二回」もしくは「二回目」とするのが正しい表記です。

*165頁「総督の職務に中断があってはならないことを鑑み」とありますが、「〜ことに鑑み」とするのが正しい日本語です。「鑑みる」という使い慣れない言葉を使うよりも、「〜を考慮し」としておけばよかったかもしれません。

*228頁「ロバート・ハリスの『ファザーランド』を脚色したもの」とありますが、ここで言及されているロバート・ハリスの小説『Fatherland』の邦題は『ファーザーランド』(文春文庫/絶版)です。またこのテレビ映画化作品の邦題は『ファーザーランド〜生きていたヒトラー〜』(廃盤)です。英語のfatherlandの最初の母音は短母音ではなく長母音です。
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No.13:
(5pt)

屋上に屋を架すわけではないけれど……

なみいる優れたレヴューに言を重ねても仕方がないのだけれど、この小説がもう一つおまけに素晴らしい点は、文体=人称の設定の妙にあります。
なんと、「作者視点の一人称」!

文体がストーリー、ひいては結末を決めてしまう、といわれますが、この文体(人称)なくしてこの小説は成り立たなかったでしょう。
作者がこの小説を書くまでの前日譚や、執筆の苦悩は一人称で。
そして歴史上の人々は、当然執筆者の視点から見た三人称で書かれる。
そしてそして最後には登場人物に寄り添いすぎた作者は紙上で登場人物の隣に佇むことになる……。
そんなアクロバットな表現もこの文体があったればこそ!

史実を正面から扱うため、21世紀の執筆時点から見たノンフィクションとしての記述となれば冷めた文体に陥りそうだし、当時そこにいた人物の視点を借りた表現だと熱気を帯びすぎたり、見てないものも見たことにして書くという矛盾も出てくるものだけど、アクロバットな文体故のなんとアクロバットな解決方法!!
この文体と構成を思いついた時点で、成功は約束されたものでしょうね。本当にもう空前絶後!

もう文学、小説に新しいスタイルなんてないのかと思っていたけれど……、うーむ、唸らされるばかり。

作中に作者が堂々と出てきてしまうのは、ミシェル・ウェルベックもよくするように、最近の仏文学の流行りなのでしょうか。
一種のリアリティの獲得なのか、時間的距離感の超越なのか、それとも歴史の一事件に近親感を持たせる手法なのか……。

……おっと、空前絶後とか言いましたが、ありましたね、日本に、「作者の一人称」ってやつ。
司馬遼太郎。
しばしば作中に登場して、私見を語るくだりがありました。ありましたよね。
歴史が好きすぎると、外野でのほほんと見てられない、もうおれが出て行かねえと収まらねえや、ってかんじなんでしょうかね。
決してでしゃばることのないクールな歴史家ではなく、小説家ってのはこう熱くないと、足らないところは切った張ったしてでも、ってかんじでないと名作は書けないんでしょうかねえ。
とすれば、こういった文体も歴史的必然ってやつなんでしょうか。
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No.12:
(4pt)

資料の方が読みたくなった。

作者はいろんな資料や、特に写真を見ながらこれを書いたようで、
「ハイドリッヒがこれこれした時の写真が手元にあるが、
 この時の彼はこんな様子に見えるが、もしかしたらこれこれだったかもしれない」
といった描写がたくさん出てくる。

いっそ、手元資料を見せてくれ!と言いたくなった。
普通、歴史小説を読んでいて資料を見たくなることはほとんどないと思うが
この小説?に限っては、
ディアゴスティー二のムック本「類人猿作戦」にまとめてくれんかなあと真剣に思ってしまった。
(できれば関連映画のDVDも付けて)
ヒムラーやらハイドリッヒやら現場の教会やらの写真をググりながら読んだ。

これは、小説としてどうなの?
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No.11:
(5pt)

400頁弱を苦も無く読ませる勢い

若書きだからこそ成功する小説がある。

『HHhH』は歴史小説を書く作家の物語だ。作家の物語のなかに、暗殺者であるガブツィクとクビシュの物語、標的であるハイドリヒの物語が交錯し、やがて1942年5月27日の”運命の日”へと物語は収斂してゆく。あたかもポストモダン小説のような道具立てであるが、にもかかわらず、『HHhH』は若書きゆえの青臭い勢いを失っていない。いやむしろ、恥ずかしげもなくき出しにしている。

ディテールにこだわりぬくために、史料を執拗に追い求める主人公の作家。なぜそこまでディテールにこだわるかといえば、それは究極的には「自分がガブツィクとクビシュの物語のその場に居合わせたい」という夢を追い求めているからだ。歴史上の英雄譚の一部になりたいという、作家の叶わぬ夢は、代わりに、異常な緊迫感をもってハイドリヒ暗殺事件(”エンスラポイド作戦”)の顛末を伝える。歴史小説であるがゆえに粗筋を変えることはできないという、著者の悶えは、やがて、ガブツィクとクビシュの無念の思いにシンクロしてゆく。

しかしこのノリって、日本の幕末英雄譚とか、そういう日本人好みの物語とそっくりじゃないか! というわけで、400頁弱を苦も無く読ませる勢いのある物語。
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No.10:
(4pt)

面白いが・・・読みにくい

私は大学生であり、日ごろからナチ関連の書物は、自身の研究に直結するため、集めている。この本もナチといったら誰もが想像するヒトラーに関してではなく、彼を支持し、同じようにユダヤ人を憎んだハイドリヒを中心として書かれている。なかなか面白い本である。
しかし、わつぃは読み進めていくうちに、あることに気が付いた。それはこの本が話を進めていくと同時に、または話の合間に筆者の感想、調査などといったようなものが入っており、読みにくいという点である。本編の話と筆者の話のどちらかなのかが、読んでいてたまに分からなくなることがしばしばあった。私が単に読解力が足らないとか、そういう理由ではないと思う。他のレビューを書いている方にも、同じようなことを述べている方がいたし、実際、私の友人でこの本を読んだ人は、「なんか読みにくいな」と言っていた。
これから購入しようとする人は、若干読みにくいということを考慮して購入した方が良い。ただ、内容はつまらないものではないので、安心してほしい。
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No.9:
(5pt)

歴史の本来持つ面白さを最大限に活かした小説

最近「ローマ人の物語」という本を読んでいる。
この本と比べれば、小説というよりは歴史である。だが、面白さという点ではどこか共通する部分がある気がする。
歴史を一つのドラマとして描きつつ、事実に忠実であろうとするところが似ているのかもしれない。

資料が少ないとか、小説(フィクション)だから瑣末なことはいいんだよとか、そんな細かいことを気にしていたらエンターテイメント性が崩れるよとか、僕らは普通に思いがちではある。
だが、実は逆なのかもしれない。
瑣末なことに全勢力を傾け、歴史に忠実であろうとすることは、決して面白さに反しないのではないだろうか。
歴史とは本来人間の想像以上の出来事である。それを見ることはどんなことよりも面白いはずである(と僕は確信している)。
ただそれが出来ないのは、それを描くためには膨大な事実を知る必要があるし、細部までそれを把握しなければならないという人間業ではない技量がいるからに他ならないのではないか。

この本は、それをやってのけた数少ない小説の一つであると、僕は思う。
だから、面白い。
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No.8:
(4pt)

面白かったけれど受賞するほどか?

不勉強でこの事件を余り詳しく知りませんでしたが。 書評でも褒めていましたが少々疑問。
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No.7:
(5pt)

“事実”の核心に迫る歴史小説の傑作

本書を読み始めたら、とにかく緊張感にあふれた展開が続き、息もつかせない。一気呵成に読み上げて今もってその余韻に浸っている。

話の中心はドイツに併合されたチェコのプラハで1942年に起きたハイドリヒ総督暗殺事件。小説的にいえば主人公は親衛隊を通じてナチスの出世階段を駆けあがり“金髪の野獣”といわれたラインハルト・ハイドリヒと、ロンドンの亡命政府からその暗殺の指示を受け、パラシュートで祖国に舞い戻ったチェコスロバキアの若者2名、ガブチークとクビシュとなる。

まるでエンターテインメントとしてのアクション小説/映画のような設定だとみえるかもしれない。しかし著者の好奇心・熱意は興味ある題材を面白く描くというレベルでとどまってはいない。膨大な関連文献・資料を収集し・読み込み、関連現場に何度も足を運び、徹底的な事実究明を試みている。

その結果として、本書は“歴史小説”ということになっているようだが、ナチスの勃興、ハイドリヒの立身出世とその冷徹・冷酷な行動、当時の国際情勢、後に祖国の英雄となった2名の若者の足取り、彼らを支えたレジスタンスの人達の有様から、暗殺のシーンにいたるまで正確な事実の積み重ねとなっている。

一方本書の特徴として、小説にもかかわらず、本書を著述する過程での著者の“生の声・悩み”が頻繁に出てくるのだが、不思議と違和感がない。

結局ノンフィクションと言っても、創作・想像がまったく入らない形での文章化は難しいということなのだろうし、小説と言っても、興味ある真実・事実追求を極めれば一個の作品となりうるということなのだろう。

いずれにしても著者の筆力は目を見張るものがあり、とくに暗殺のシーンから、若者2名の結末に至るまで、まるで自分が現場にいて目の当たりにしているような、あるいは若者2名の鼓動を自ら感じるような錯覚に陥った。そしてナチスドイツがやったことの由々しさにあらためて心を暗くし、プラハのどことなく陰りがある街並みに想いをはせた。
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No.6:
(5pt)

同時進行の面白さに釘付け

迷いながら書く。いま突き進んでいる方向は果たしてあっているのか、
そもそも進もうとしている道そのものに意味はあるのか。
何かを書くことを仕事にしている人なら、心当たりがあるかもしれない。
生みの苦しみ。ましてやその題材がナチス・ドイツのひとりである、
ハイドリヒという実在の人物のことであるならば,もしかすると余計に。
作者のローラン・ビネ(と思われる人物)の、
この本を仕上げる作業という時間軸と、
ナチス・ドイツのなかでも「金髪の野獣」と恐れられた
ラインハルト・ハイドリヒの暗殺計画という時間軸。
現在と過去とが同時進行のように進んで行くこの小説は、
今までもこういった形式で書かれたものがあるとはいえ、
作者による取捨選択の過程、取捨選択してもなお残る歴史という事実、
真実が読み進む眼前に迫ってくる具合が非常にスリリングで、
まったくあきることなくページを繰ることができた。

そして最後、数ページに渡る、
罪なく亡くなっていかざるをえなかった
ナチス・ドイツによる多くの犠牲者の列挙が、胸を突いた
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No.5:
(5pt)

戦争を体験した者として。

第二次世界大戦(日本史的にいえば『大東亜戦争または太平洋戦争』)中、枢軸国が犯した数々の戦争犯罪については、知られない部分が多い。戦争の悲惨さが次第に風化されていく今、悲惨な事実を免罪することなく語り継がなければならないと、この偶然手にした文学書が改めて小生に認識させてくれた。敗戦時、サハリン(旧名樺太)から日本国民が避難する際、コルサコフ港(大泊港)から出航した三船が留萌・増毛の沖で攻撃された。その中で多くの級友を失った体験を小生は持つ。ドイツでは現在もナチスの戦争犯罪を風化させることなく戦争犯罪者を追い続けている。だが日本人は戦争犯罪者たちを極めて寛大に遇している。二度と戦争を引き起こさないためにも、戦争体験者は生きている限り事実を語り継ぐべきだと考える。「HHhH」は是非多くの皆さんに読んでいただきたい書物である。
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No.4:
(5pt)

残虐ナチスの実態理解。今日的問題でもある。

冷酷な残忍さ故に若くして侵略地チェコの総督となった人物像と業績を本書で読むと、
民族浄化の恐ろしさが良く判る。強制収容所の書物や映像などよりもその残虐さが一層具体的に理解できる。
ユダヤ系アメリカ人の秘書が度々欧州旅行をしていたがドイツへは絶対行かなかった気持ちがわかる。
町を見物していると、いきなり首っ玉を掴まれて収容所送りとなるようなトラウマの襲われそうなところは避けたわけだ。

決死隊としてチェコに降下したメンバーの一人が賞金に目が眩んで同志を売り渡したとは驚きである。この人物は愛国心というよりは、冒険に憧れて降下メンバーとなったような人物と著者は記述しているが心理学的に興味ある行動である。「冒険家」の行動には要注意。

異常政治家に支配された異常国家の実態が良く判る。今後の参考にもなる
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No.3:
(5pt)

悩みながら書き進める作者の姿。ドキュメンタリー

ナチス・ドイツの侵略を受けた、チェコスロバキアが舞台。保護領にされたチェコスロバキアには、親衛隊のハイドリヒが副総督として君臨する。
イギリスに亡命したチェコスロバキア政府と英軍から、特命を受けた若者二人が、ハイドリヒを暗殺するまでの物語。
”物語”と言っても、作者はなるべく虚構を避けるための工夫がされている。文中では、執筆に当たっての苦悩や、恋人との日々、資料収集にかかるコストや、取材、インタビューなどが、そのまま書かれている。

つまり。ナチス占領下のチェコスロバキアと、本作品を執筆中の作者が過ごしている”今”との間を行き来しながら、作者と一緒に、ハイドリヒ暗殺の瞬間へと突き進んでいく感覚である。作者にあおられるような感じで、ドキドキしてくる。

この時代を詳細に描いた小説で、リテルの『慈しみの女神たち』を読んだ。『慈しみの女神たち』は、あたかも主人公と一緒に、どっぷりと浸ることができた。(この作品でも、ハイドリヒ像を記述するにあたり言及されている。)
人物描写に於いて、かなり抑制されており、ドキュメンタリーのような冷めた視線で、暗殺の瞬間を迎えることになる。
暗殺ののち、レジスタンスが追い詰められていくまでと、冤罪で消滅した村の悲劇(悲惨である!)のほか、作者のその後が書かれている。
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4488016553
No.2:
(5pt)

暴力国家に睨まれた小国の哀れな姿、それでも反骨の士が、青年達がいるのだ。

この奇妙な題名はドイツ語のHimmlers Hirn heisst Heydrich ( ヒムラーの頭脳はハイドリヒとよばれる) で原書はフランス語の小説である。副題のプラハと1942とハイドリヒから、あの史上最悪の殺戮と拷問の元締めのナチ高官の暗殺とそれに続く二人の青年実行者の死、多数の協力者の逮捕、拷問、死刑と報復そして無関係の数百人の村人の虐殺とその村の根絶が脳裏に浮かび暗い気持ちでページを捲る事になろうと覚悟した。然しこの1972年生まれのフランス人作家は並のノンフィクションやナチもの小説の概念を吹っ飛ばしてしまった。「虎は死して皮を残し、ヒトラーは死して数兆円のナチ物ビジネスを残した」と、したり顔で言う事を憚れるナチ物小説の金字塔である。
この作家がパリ大学の後兵役でスロバキアへ語学教師として赴任した事が大きく影響している。チェコとスロバキアに心底惚れたのであろうし、それだけに母国フランスのヴィーシー政権へのフランス人だからこその怒髪天をつく怒りが有ったのであろう。この人のこの本でフランスも勿論チェコとスロバキアの無数の死者(殺されたと言うべき人達)も浮かばれる事だろう。
それにしても奇妙な小説である、ノンフィクションをベースにして、作家の想像力、推理力を縦横無尽に振り回し、フィクションをちりばめる。感情移入が頂点に達すると作家自身が出しゃばってくるのだ。読む方はこれで引くかと思うとさに有らず、作家よりも数歩前に立ってしまうのだ。史実小説のこんな書き方が有ったのか、と眼に鱗だった。これなら史実や些細な点にいちゃもんをつける学者や評論家のジャブを軽くかわす事だろう。著者に個人的に質問したいのは2点:1)密告者の心の闇、パルチザンに死刑にされるまでの経緯。これで一冊書けるはずと思うのだが。唾棄すべき人物として歯牙にもかける価値もないとして著者の激怒する心の安定を保っているのか、それなら遠慮しよう。この種の人間にはそれがふさわしいのかも。2)ハイドリヒの暗殺をナチエリート達はほっとして心に納めたのではないか。ヒトラーは追い抜かれない、寝首をかかれない自信が有ったのであろうがその他の者は彼の更なる台頭と自分にも何時かは襲いかかるであろう残虐さを心底怖れていたのではないか、ヒムラーすら。本書にこの記述はあるが、何故ベルリンから近いと言えるプラハの病院にドイツから医者団を送らずぐずぐずと死ぬのを待つように時間を浪費したのか。意図的か?それにしてもハイドリヒの死因への自分の治療の正当性を作る為にその後収容所で生体実験をしたドイツ人教授の話が出てくる。つらい史実だ。確かにこの話には終わりがないのだ。巻末の訳者によるあとがきは秀逸である。
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No.1:
(5pt)

歴史の陰で倒れた人々への敬意が胸を打つ

これはすごい作品です。何度も戦慄を覚え、興奮し、深い感銘の中で読み終えました。新しい形式で書かれたノンフィクション・ノベル、あるいは歴史小説です。いや、そうした枠では収まらない途方もなく独創的な作品です。2010年ゴンクール最優秀新人賞受賞作。いま欧米各紙で絶賛を浴びているそうです。

HHhHとはHimmlers Hirn hei't Heydrich「ヒムラーの頭脳はハイドリッヒと呼ばれる」の略。ナチスの高官でその残忍さから「金髪の野獣」と恐れられたラインハルト・ハイドリッヒの暗殺計画がロンドンのチェコ亡命政府によって企てられ、実行役としてチェコ人とスロヴァキア人が選ばれます。1942年、プラハ郊外にパラシュートで降下した二人は幾多の障害に遭遇しながらもレジスタンスの協力を得てハイドリッヒに接近していきます。

この有名な史実をローラン・ビネは小説として再現しようと試みます。しかし「死者を操り人形のように動かすことはしまい」との彼の信念により徹底的に資料を読み込み、同じテーマの他の作品を渉猟して信憑性の高い事実のみを記述する手法を採用することで多角的な視点で事実を照らし出し、精緻な記述を可能にします。その結果、ナチス・ドイツと各国のせめぎあいやハイドリッヒを含むナチス内部の権力争い、亡命チェコ政府の思惑、ユダヤ人抹殺計画の進捗など当時の状況が克明に描き出されます。また、まるで現場に立ち会っているように人物も場面もリアルに迫真感に満ちて再現されます。それだけにハイドリッヒによるユダヤ人や反対者に対する殺戮の描写は読むのが辛く、ページを閉じたくなるほどでした。

驚いたことに、ローラン・ビネは自身の思索の過程をそのまま公開しています。つまり、彼が抱く表現上の逡巡や試行錯誤や登場人物への評価や心情までも書きこむのです。彼にとってはこの暗殺事件が自分に与えた影響に興味を抱き、自己の内面の変化を記録に残そうと考えたのでしょう。そのために読者は、ハイドリッヒ暗殺計画の一部始終とローラン・ビネの創作活動を同時進行で読むことになりますが、終盤にさしかかるとこの2つの流れが合流し、手に汗握る緊迫感に包まれます。

そして、暗殺計画は実行に移されクライマックスを迎えますが、もはや否定しようもない史実の前に小説家は悲嘆に暮れて、打ちひしがれてしまいます。ハイドリッヒ、およびナチスによって生命を断たれた人、犠牲的な精神で抵抗した名も無き人へのローラン・ビネの敬意がほとばしります。事件を追体験する中で歴史の陰で倒れていった人々への作者の深い思いに私は心を揺さぶられました。
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