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太陽を曳く馬



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【この小説が収録されている参考書籍】
太陽を曳く馬〈上〉
太陽を曳く馬〈下〉

太陽を曳く馬の評価: 3.72/5点 レビュー 47件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.72pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全30件 1~20 1/2ページ
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No.30:
(5pt)

観念の連なりにこそ意味を置く観念小説

読後感をうまくまとめることができない。この観念小説はどこまで構築的に設計されているのだろうか。ここで、観念小説と書いたのは、事実の連なりとしてのストーリーよりも、観念の連なりの方に圧倒的に比重が置かれているという意味だが、こんな観念小説を読む人が現代にも多いということにある種の驚きを覚えてもいる。それにしても、これは読後感を計算しつくした作家の戦略なのか、そうではないのか。この小説は、『晴子情話 上下』『新リア王 上下』に次ぐ第三部になる。『晴子情話』が1960年代から70年代を扱っているの対して、これは2001年を扱い、主人公は同じであるものの、この第三部のみ合田雄一郎の視点を通して描写されている。彼女の書く小説にも色々とあるが、『マークスの山』や『リヴィエラを撃て』などは事実の連なりとしてのストーリーに重きを置いていたのに対し、この小説はストーリーにはあまり意味がなく、観念の連なりにこそ意味があるような作品だ。また、小説は土台の上に厳密に設計された構築物が築かれるという意味で、レンガを積むというか建築に似ていると言われますが、この作品も該当している。もっとも、このような計算されつくした構成ではなく、成り行きで書いていって面白い野坂昭如のような小説家も以前はいたが、今はそんな小説家がいるのかどうか。
太陽を曳く馬〈上〉Amazon書評・レビュー:太陽を曳く馬〈上〉より
4103784067
No.29:
(5pt)

観念の連なりに重きを置く観念小説

読後感をうまくまとめることができない。この観念小説はどこまで構築的に設計されているのだろうか。ここで、観念小説と書いたのは、事実の連なりとしてのストーリーよりも、観念の連なりの方に圧倒的に比重が置かれているという意味だが、こんな観念小説を読む人が現代にも多いということにある種の驚きを覚えてもいる。それにしても、これは読後感を計算しつくした作家の戦略なのか、そうではないのか。この小説は、『晴子情話 上下』『新リア王 上下』に次ぐ第三部になる。『晴子情話』が1960年代から70年代を扱っているの対して、これは2001年を扱い、主人公は同じであるものの、この第三部のみ合田雄一郎の視点を通して描写されている。彼女の書く小説にも色々とあるが、『マークスの山』や『リヴィエラを撃て』などは事実の連なりとしてのストーリーに重きを置いていたのに対し、この小説はストーリーにはあまり意味がなく、観念の連なりにこそ意味があるような作品だ。また、小説は土台の上に厳密に設計された構築物が築かれるという意味で、レンガを積むというか建築に似ていると言われますが、この作品も該当している。もっとも、このような計算されつくした構成ではなく、成り行きで書いていって面白い野坂昭如のような小説家も以前はいたが、今はそんな小説家がいるのかどうか。
太陽を曳く馬〈下〉Amazon書評・レビュー:太陽を曳く馬〈下〉より
4103784075
No.28:
(5pt)

有りませんです。

気にいる、いらないは、別に有りませんです。
太陽を曳く馬〈下〉Amazon書評・レビュー:太陽を曳く馬〈下〉より
4103784075
No.27:
(4pt)

思い切って読んでみました。

「冷血」は出版と同時に読んでいましたが、こちらは未読でした。
合田雄一郎が好きだからというだけでは、読み切れないのではないかと思って
文庫化したら読もうかと手に取らずにいたわけですが、改稿される事を考えて
遅まきながら読みました。
危惧したほど難解ではなく、彰之の手紙の旧仮名遣いにもすぐに慣れ二日ほどで
読了しましたが、読んで良かったと感じています。
合田は年を重ねて若い時分の痛々しい印象が無くなり、むしろ安心して読み進められ
ました。以前の作品では、何をしているんだ雄一郎、考え直せ雄一郎、とか思いながら
読んでいたわけですが、この作品ではただただ雄一郎と一緒に考えるだけ。
久しぶりに深く物を考える機会を得ました。
太陽を曳く馬〈上〉Amazon書評・レビュー:太陽を曳く馬〈上〉より
4103784067
No.26:
(5pt)

レオ

裁判制度の無残。精神障害者を死刑にする制度の無意味さ。死刑にされた、この少年の父親の苦しみ、如何に信仰修行を重ねても拭えない。この人間の苦しみを、この作者は見事に描いた。
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4103784075
No.25:
(4pt)

難解だが深いテーマ

ヨガや座禅、瞑想などに全く興味のない方には全く面白くないと思いますが、一方でそうしたことに惹かれたり、学んだ経験のある人には面白い書籍です。
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4103784075
No.24:
(5pt)

太陽を曳く馬(上) 高村薫

余り安いので届くまで心配でした。 帯はなかったのですがすごくきれいだったので満足です。 ありがとうございました。
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4103784067
No.23:
(5pt)

いいお

母がほしいというので購入。
中古品が激安で手に入り、母もびっくりしていました。
僕は読んではいません。
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4103784075
No.22:
(5pt)

有難うございました。

スピード、状態、対応全て完璧です。
またお願いしたいと思います。
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4103784067
No.21:
(5pt)

ありがとう

ひょうかはんたいしますよけいなことですではさようならよいほんありがとう
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4103784067
No.20:
(4pt)

ありがとう

ああああああああああああああああああああああああああああああ
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4103784075
No.19:
(5pt)

現代絵画の解釈が必要

現代絵画に対する作者の見方がとても参考になります。
小説としては難解で読むのに力が要ります。状態はとても綺麗です。
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4103784067
No.18:
(5pt)

難解です。

高村薫さんの小説を読むにはとても体力が要ります。
今回も格闘しています。
太陽を曳く馬〈下〉Amazon書評・レビュー:太陽を曳く馬〈下〉より
4103784075
No.17:
(4pt)

時間をください3

薫様のストーカー?です・・。 期待値はパンパン。 いつも裏切らない貴方は、なた豆歯磨きの様に癖になります。

しかし、いつもの合田氏とは違うのです。 そして私のジャンルであるアートの世界が背景にあるので、ちびりそうです。
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4103784067
No.16:
(5pt)

下巻のみ購入

上下巻を図書館から借にて読み、熟慮の結果、上巻は不用、下巻のみ購入した。
上下とも、動機不明の殺人では共通しているが、下巻は内容が、オーム真理教と曹洞宗の違いを主人公の口を借りて詳細に記述している。筆者に消化不良なところがあると見えて、尻切れトンボに終わった感もあるが、難解なオームの教義と禅の奥義に取り組んだ姿勢には敬意を表する。上巻は必要ない。
太陽を曳く馬〈下〉Amazon書評・レビュー:太陽を曳く馬〈下〉より
4103784075
No.15:
(4pt)

難解すぎる。

一言で言って密教と顕教の違い、主に身体性についての比較論はかなり難解で、私はその1/3も理解できなかった。オウムは宗教か?という点、「空」の捉え方など、まあよくもこんだけ論じることができたなと思った。これが読売文学賞を受賞したということは、この内容をすっかり理解される方々がいるのだなあと感心しました。ただ、「秋道君へ」と書かれた手紙に中でこれまた延々と語られる「円」に対するイメージと美術論は妙に魅力的で、それこそ頭の中にすっかり暗くて複雑な赤をバックにした歪な黒い円が描かれた抽象画が出来上がり、しばらくはこのイメージに合った、抽象画を見てみたいとネットで探しました。
 「言葉」というのは人間の栄光でもあり、呪詛でもあると思う。理性がそうであるように。頭の中に氾濫する言葉をどこまで突き詰めれば、どこまでつなぎ合わせれば自分の感じているリアリティに届くか、決して届くわけではない、そのギリギリまでを追い詰めようとした、そんな本だと思いました。そんなわけで、「気に入った」わけではないが☆4つ。
太陽を曳く馬〈下〉Amazon書評・レビュー:太陽を曳く馬〈下〉より
4103784075
No.14:
(5pt)

不思量底如何思量

最高傑作になりそびれた作品といえる。欠陥がある、といえばそうなのだ。だが、その欠落部分=亀裂は作品の主題が必然的に要請したもの(対象aのごとき)ともいえる。どっちつかず、どっちでもいい、といいたいのではない。テーゼとジン・テーゼが共犯したような、抜き差しならない関係性がたしかにあるのだ。たとえば運命という物語を圧倒的な持続感で照柿に染めあげた最高傑作『照柿』には、かような生きられた隘路はない。だから『太陽を曳く馬』を新たな最高傑作といっていい。なりそびれた、というのが賛辞であるならば。とまれ、最新作『冷血』を読みおえたいまとなっては、ひとまずあえてこの作品を最高傑作とよばねばならない、そうおもう。
 それは、かの時点の最高傑作『マークスの山』での、宿命の連続殺人犯マークスではなく、狡知なる教唆の弁護士林原に孕まれていたものだ。またあの時の最高傑作『照柿』における、合田の幼馴染の殺人者野田ではなく、殺人容疑者にとどまる博奕狂いの労務者土井がはなっていた謎と通じている。解明不可能な、了解不可能な、さらにいえば思念も知覚も頓挫する、そんな臨界への誘いである。それをどう描けばよいのか、描いてしまっては嘘になるそれを。
 不思量底如何思量。『太陽を曳く馬』でこの問答が引かれている。坐禅においてなにを思念するのか。思念しないことだ。思念しないことを(認識に歪まぬあるがまま)をこの身でどう思念したかは、思量=不思量がどう可能かは、只管打坐の坐相(如何)にしかない。正しき坐禅にただただうちこむのみ。
 てんかんの発作をもち元オウム信者であった末永は、その坐禅にうちこんだ。正確にいえば、それを越えようとした。坐禅が如何思量という往還を約したものであったのを、ひたすら不思量底をめざした。歩くアラヤ識と自称し、意識の奈落を、身をもって見ようとした。
 そのトラックとの衝突死の真相を、捜査一課第二特殊犯捜査第4係長合田は命じられる。捜査は末永が属した、政界や財界とつながって赤坂の一等地を占める宗教法人永劫寺の、別院僧堂の錯綜とした人間関係を解き、宗旨の坐禅の精神と、さらにオウム真理教の思想と、末永一個のそれとの差異、深浅を詳らかにし、かつ末永の精神状態を探るものとなる。それらを総合して法的にどう判断するか。だが尋問(言語化)してゆくなかで、言語化しえないものにどうむきあうのかという難問につきあたる。そのとき物理的な衝突死は、どうじに意識の奈落への墜落死のごときものと変じる。
 かように職務を越えた行為になぜ合田は踏みだしたのか。なぜかれは「否!」「如何」と問いつづけたのか。
 冒頭から合田は宙づりの実存的感覚、正確にいえば墜落途上の感覚にとらえられている。たえず虚空を仰ぎ、足下を見る。冒頭が高層ビルの場面であるのが象徴していよう。落下する雨粒になぶられるのが、さらに何度も傘をなくすのが示唆していよう。その冒頭で伝えられるのが、福澤秋道の絞首刑という二・四メートルの墜落死であった。さらにその想起のむこうにあるのが、想像を絶して了解不可能な、了解することを意志もち拒絶しているような、アモラルな、もうひとつの四百メートルの墜落死。
 「如何」は刑事合田を貫き、「おまえ」への実存的問いとなって迫るのだ。(下巻レビューへ)
太陽を曳く馬〈上〉Amazon書評・レビュー:太陽を曳く馬〈上〉より
4103784067
No.13:
(5pt)

渾身口に似て虚空に掛れり

(上巻レビューの続き)
 作品はこの合田の行動に従い、想念に寄り添いつつすすむのだが、ふたつの過去が想起されている。そのひとつが第四強行犯捜査9係長とうじに専従した、二者殺人と生産児死体遺棄致死事件の顛末である。その犯人が吊るされた福澤秋道、かれはとめどなく感受されるものを描きつくそうとした、その衝動のみに誠実な素人画家であった。それは光という描きえぬものを描くかのような錯乱であった。心神耗弱を危惧さる容疑者に、合田は動機の解明を諦めた。動機を付与しては嘘になる。その解明不可能さに誠実であろうとした。検察がもとめる法的な辻褄合わせには与せなかった。いま、その男の刑死をもって閉ざされた不可解さが、末永の衝突死の謎の解明を課せられた「おまえ」に反復強迫してくることになる。
 末永の衝突死とはなんだったのか。てんかん発作による不慮の事故死か。だれかの誘導と自殺念慮の果ての死か。あるいは意志ある自殺、いやその自由意志とは、意識の奈落をのぞきこもうとする男において、いかなるものだというのか。生まれ落ちた赤ん坊の自発した声のごとき、自律神経のいち反応の音のごときものと、どうちがうというのか。
 合田と永劫寺住職明円との問答対決は、追突死の深層をこれ以上なく明かす。というより、これ以上明かしえないという臨界を明かす。自発的に意識の奈落をめざして、てんかんの処方薬の服用をみずからやめた末永がおり、寺院から外へ自由にでるために、合鍵を確信(思想)してあたえた明円がいた。その脈絡の果てにあるひとつの死であった。それは明滅するような、じゆういしのじゆうなしと記すほかない事態であった。自由無し=自由な死。
 乱歩はかつて谷崎の初期短編『途上』の不可能犯罪譚を、蓋然性のトリックとして世界に類例ないと絶賛した。不可能犯罪という様相において、高村はこれを(無名)不作為の犯罪として形而上学的に解いたのだといえる。類例ないという語の強度は、この謎の構成と(不)解明ぶりにもふさわしいとおもう。
 だが疑義がひとつあるのだ。どういう意識状態であったかはべつにして、末永は合鍵をもって門扉をで(その直前に非常階段のべつな施錠で拒まれている)、トラックとの衝突をむかえた。だがその鍵はいったいどこへいったのか。死体は所持していなかったのか。現場に遺留していなかったのか。あるいは末永がみずからどこかへ捨てたのか(それにより事件の様が変わる)。過去の事件とはいえ、その物証にたいする検証のなさ、物にたいするこの不感症は、刑事合田のなにがしかを語っている。
 それはまた、合田が捜査の現場指揮した秋道の事件での、「耳栓」の不在に直結する。秋道の供述にそっていえば、耳栓がなかったことが、三つの死を引き起こしたことになる。耳栓があれば、かれは描きえぬことを描きつづける身にひきこもることができたのだ。
 だが、みずから買ったと述べた耳栓はいったいどこへいったのか。室内に遺留していなかった。だとしたら、殺された女が隠した、捨てたのか。だが、なぜ代替のものを使おうとしなかったのか。以前そうしていたように、なぜ部屋をでて出産の耳障りな音を避けなかったのか(以前はそうした)。いやそもそも耳栓は存在したのか(よくなくなった、ともいっている)。それはどんな様態、メーカーのものであったのか。その行動範囲からして近隣コンビニであろうが、どこで買ったのか。なぜふたたび、買いにいかなかったのか。こんな問いが、刑事合田に欠落しているのだ。
 とまれ、耳栓の不在は秋道を出産の場へ導いた。女の頭を玄翁で一撃した。産道をでた直後であろう生産児を、秋道は目撃しなかったという。嬰児は自発呼吸をしたのち、心不全で死亡した。その弱々しい世界への第一声を聴いたのか否か、それもわからない。その産声こそが、かれを出生の場へと赴かせたのかもしれないではないか。
 つまり、耳栓の不在を補償するかのように、嬰児が出現したのだ(嬰児の父は不明)。耳に対する耳栓は、産道に対する嬰児と類比できる。この生誕死の現場でかれは新たな着想をえ、かつて専心した描線を、殺害でみた血に煽られたごとく、バーミリオンで塗りこめるという作業に没入(ひきこもり)することになる。
 嬰児は世界の耳栓。耳栓が泣き叫ぶ。下手なダダ詩人の詩句をまねてそういってみる。「しわの寄った時間」「鋭角ピラミッド状に高速度で立ち昇る煙が叫ぶレコード」そんなでたらめな修辞(因果律)が秋道の頭(言語機能)を支配していた。それに従ったといえば、秋道の行為には道理を越えた「じゆうないし」があったのだ。ダダイズムは芸術のレベルで虚無を根底にあらゆる規範の破壊を意志したのだ。なにより末永の死に、死に裏打ちされた自由の、「光しずまる」かのような照射をうけた合田においては、秋道の犯罪行為に「じゆうないし」をみることができただろう。絞首刑とはしたがって「じゆうなし」(自由無し=自由な死)でもありえただろう。
 そして「否!」「如何」と問いつづけた合田がゆきついたのも、ナンセンスな嗚咽であった。末永の死を明円による傷害致死とでっちあげようとする検察、政治権力のあからさまな思惑への違和、抗議、嘲笑、自嘲をもこめたそれは、「か、か、か」という表出となる。「呵、呵、呵」呵責を呼ぶと同時に、それを呵々大笑する表明だ。呵、呵、呵、喝! 自由はある。厳然とある。渾身口に似て虚空に掛れり、と。
 そうしてそんな「呵」はもうひとつの過去を突きさすことになろう。ジェット機の激突をうけた貿易センタービルが煙をあげ、破砕物とともに無数の人の粒が降りそそぐ、とまるでダダの詩篇を実現したかのようなアモラルな世界を、かつて合田はテレビ画面で茫然とみるしかなかった。妻だった女もそんなふうに墜落していっただろう。それはわが身の崩壊感覚となり、合田に時折おとずれることになったのだ。であるがゆえにいまだに落下しつづけているかのような、了解不能な不慮の、無残、偶発的な一個の死に、末永、秋道の墜落死をとおして感受された、ひととしてあるかぎり付与されてあろう「じゆう」の、なにか恩寵のごときものとして光り輝く、いや光しずまるものを、人間合田は見たであろうか、か、か、か、可。
太陽を曳く馬〈下〉Amazon書評・レビュー:太陽を曳く馬〈下〉より
4103784075
No.12:
(4pt)

読むのに著しい疲労を覚える作品。

こんなに1冊の本を読むのに疲労感を覚えた作品はございません。
内容が濃い、文章を読み砕くのに時間がかかる
そして狂気に満ち満ちている…
読みづらさを覚えるあらゆる要素がこの本には詰まっております。
これはうかつに手を出していい作品ではありません。

ただし、この本を今読むと
非常にタイムリーなネタを読んでいる気がします。
そう、最近逮捕された人の所属していた教団が
そこらこちらで表現として出てくるので…

宗教という要素が絡む異色作。
そこでの事故で死んだ一人の青年。
そしてその前に起きた住職の男の息子が起こした
まさに狂気としか言えない事件。

まだ点と線ではつながりません。
が、なにかがあるのでしょう。

旧字体が頻出するので
苦手な人は絶対に読んではいけません。
太陽を曳く馬〈上〉Amazon書評・レビュー:太陽を曳く馬〈上〉より
4103784067
No.11:
(4pt)

難解だけど途中で投げ出せない

1ページに1語や2語、下手をすると10語近く、読めない又は意味が解らない単語が出てくる。
特にアートと仏教を延々語る章は本当に読み進めるのに時間がかかり、雄一郎さんに鼻で笑われそうだけど、手元にスマホを用意していちいち漢字や人名、絵も調べたりしてなんとかかんとか読了しました。おまけに3部作と知らず、まだ晴子情歌もリア王も読んでいなかったので最後は、嗚呼失敗したと思いながら、それでもページを捲りました。

もー、難しい!
でも途中で投げ出すのは嫌だ!
それの繰り返し。

きっと半分も理解できていなくて、でも読んだことで自分の中に何か溜っていけばいいな、というかきっと何か溜ったな。と思える本でありました。
検事の台詞がいちいち面白くて、そこだけはゲラゲラと笑える。
良い人も悪い人も出てこない。時折胸が熱くなる。よくわからない涙がちょろっと流れたりもする。
・・・感想を書くのも難しい。
太陽を曳く馬〈下〉Amazon書評・レビュー:太陽を曳く馬〈下〉より
4103784075

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