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太陽を曳く馬
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太陽を曳く馬の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.72pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
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マークス、照柿、レディジョーカーの次に読んだが…久々に大変な小説というか、ミステリーじゃ無いんかい!みたいな(ま、ミステリーなんだろうが)。文学系の本をなかなか読めない私みたいな読書弱者にはつまらない本です。 | ||||
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黄金を抱いて翔べ 神の火 照柿 マークスの山 レディジョーカー 地を這う蟲 … この路線を期待するととんでもない返り討ちにあいます。 上巻の大半を占める、美術を基にした父から子へ向けた手紙まではよかったのですが(しかしこれも、旧仮名遣いなので読みにくい)、 下巻の一部を占める宗教論…もうサスペンスではないです。 不可解な事件を捜査する刑事の描写なら、 寺に行き、僧侶たちに聞き取りをしたがこれといった手応えはなかった。で終わりにしてもストーリーは成り立つと思うんですが(笑)僧侶たちに代弁でもさせているかのような、取材を通じて得た、もしくはオウム事件に対する感想を基にした、作者自身の感想 備忘録のような記録が延々、文字を連ねる。しかも「朝まで生テレビ」ばりの結論の出ない(もしくは、結論を求めない、かも)堂々巡りにもう耐えきれなくなって途中飛ばしてしまいました。殺人事件、事故などの捜査を文字で表現しているものを読むことで、頭にサスペンスドラマを思い浮かべるような人には、宗教論、不要です。まったく入ってこないどころか、遅々として進まないので何日もかかり、それまで読んだ内容を忘れてしまいました。僧侶たち(の章) の必要な部分って後半部分の末永が失踪する時のエピソードを居合わせた僧侶が合田に語るシーンぐらいじゃないかと思います。ここは捜査のシーンですから。下巻中盤の 僧侶たち で繰り広げられる、僧侶三人による回想を含む宗教論は、いくら頑張って読んだところで、所詮サスペンスドラマを期待する、自分のような浅い読者には残念ながら理解できませんし、事件の解決に結び付く要素はそこから見つけることはできませんでした。 他の方のレビューやネット上にある、ブログの中の感想文から得た、 人は生きるために殺人を犯すかもしれない云々の一行さえおさえておけば良いのでは。 なんて言ったら乱暴ですかね。怒られますかね…。 とにかく朦朧としながら読み続け、 次の章でホッとしました。 代議士や元主治医とのやりとりが、まさしく自分が求めているもので…起きた事件事故を何かしらの神秘的なものを取り入れることで、理解しようとする反面、ややこしくなってしまった捜査とはうって変わって、 現実の捜査のシーンが続きます。 特に元主治医の「元オウム信者だったからどうだというんですか?」この一言に限ります。 ラスト…死刑囚となった息子に向けた父からの手紙の束を合田と共に読み進めていく形でこの物語は終わる。犯した2つの殺人を美化とまでは言わないが、直視を避け、雑談のような内容の手紙ばかりだが、それが逆に生々しくて…別れを前に伝えたいことがまとまらないけど、とにかく書こう、というのが、居ても立ってもいられない心境の現れなのかと思うと、こちらも辛くなる。君を愛している、君を失いたくない、何でこんなことになってしまったんだ…と思っているかどうかは知らないが、そういう思いを秘めたまま、言っても仕方ないことは敢えて言わず、別の話題で繋がりを伝えようとしている手紙なんだろうと解釈した。辛い別れの時って本心は伝えられないもんですよね。 この何通かの手紙は没頭して読み進めることができた。そして切ないエンディング。この人の本はいつも、溜め息混じりで読み終わる。 作者の各業界に対する取材、掘り下げる姿勢には本当に感服するし、そこがこの作者が執筆する作品の魅力ではあります。でも今回ばかりは、やり過ぎたのではないか…宗教に関心の無い読み手にとって興味深い作品ではないです。ただただ辛い。 一つ残念だったのは、「確信犯」という言葉の使い方が間違っていたこと。作家なのに…そして宗教がらみの作品なのに、その言葉を間違える? | ||||
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合田雄一郎シリーズスピンオフ 芸術論&精神分析論 ということでございました。 | ||||
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合田雄一郎シリーズスピンオフ 宗教論&オウム論 ということでございました。 | ||||
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他者が読む為のもととして成立しているか?と言われると、正直?です。 読み手を選ぶ本であるのは確か。仏教に関する素養が無いとまず苦しい。 オウム、911、90年代から00年代にかけての総括を作家という生き物に託したい人にはもしかしたら応えうる何かを持っている作品かもしれませんが、そういう読み手を選ぶという事態に最初からあぐらをかいているような手抜かりも感じます。 合田という本作における一応事件と呼べる出来事を追ってる人物が、聞き手としては驚く程理解力があり、話者の言葉を読み手のために 咀嚼する役割を担わせていないのも、お話の作り手である作家の為の本という印象を拭えない。 ルビも不満足。登場人物一覧すらない。 おかげで、こちらとしては、圧倒的な言葉の渦のなかで煙に巻かれたような感じが続きます。 幻惑的です。それが意図してやられているんでしょうが、ただの不親切と断罪も出来てしまう様な感じ。 狙いというには、稚拙な感じにも同時に思えてしまう。 登場人物全てが、見事に責任を取らない人物、見事なまでにエゴイスティックではありますし、 それを包んでいる作品が外箱としてそういう体裁を取っているのは、やはり狙いなのでしょうが・・・。 一番しっくりきたのは、作家自身による作家自身のための総括、備忘録といったところでしょうか? 手に余る部分に切り込み、言葉でもって整理するのに、いくつかの登場人物にそれぞれの見立てとして言葉を割り振り整理した。 興味深く読み進んだものの、まあ、お話としてはそもそも成立するような話でもありませんし、無駄に長い。面白くはありません。 ですが、この言葉の応酬は決して他では味わえない者です。密にして空虚、読み手を不安定な場所において試し続けるような怖さ、それでいてあっけらかんと突き放す様な作風は、一度味わう価値はあるとは思います。 | ||||
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本、または読書に何を求めるかは人によって違うと思うのでなんともいえないが、マークスの山やレディジョーカーを 自分の読書スピードの最速記録で読み終わったことを考えると、とてもではないが面白いとは言えなかった。 元々工場の作業工程や情景を、執拗とも言っていいほど細かく描写する傾向のある文章ではあったが、 ちょっと頭がおかしいんじゃないかと思う登場人物の、芸術に関する見解を三ページ以上に渡って読む苦痛を 最初に何回も味わい、読み続けるかやめるかを逡巡した。 まあそれはともかく、もっと根本的な部分で腑に落ちなかったのが、合田の性格が「この人誰?」ってくらい地味になっていたところだ。 40過ぎて上に反抗もないかもしれないけど、私は合田の鋭く不器用で、曲げられない部分を持っている性格に魅力を感じていたので、この変化に対して「ああ年取ったんだね」と苦笑して納得することはできなかった。 全然関西弁も出てこないし、加納との関係も元妻の兄で遠方にいる友人、それ以上でもそれ以下でもない感じ。 これは全く違う話として読もうと自分に言い聞かせる必要があった。 あと、普通に考えて「男は」「合田は」とするはずの文章で「おまえは」となっていたのがちょっと読みにくかった。 何かの効果を考えてのことだとは思うが、正直何を意図していたのか分からなかった。 下巻を読む気力が今の時点で起きていないし、冷血も読もうと思っていたがそんな気はすっかりなくなりました。 ちょっと残念です。 | ||||
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装飾過多な文章が続きます。例えば、「おまえはまだ二十八で、私生活の失敗を失敗と認めるにも若すぎ、自信喪失する代わりにひたすら仏頂面に磨きをかけていた、あの八十七年の十二月初め、当時勤務していた北沢署管内の、世田谷区羽根木の立て込んだ住宅地の木造アパートで、餓死した中年女性の腐乱死体が見つかったのがきっかけだった、と。」 また、「一回り以上下の世代には、木造アパートのすえた四畳半の畳や、ATGやマンガ雑誌のじめじめした性の匂いと、反時代や若者文化を語る饒舌と安っぽさの印象しかない、ある時代のある空気へおまえの頭は一瞬飛んでいったが、しかし眼前の男の印象とはやはり重なるものはなく、布団から起き上がるのを忘れて餓死したというのも、なんだか滝田ゆうの世界をもう一段薄ぐらくしたような話だと感じただけだった。否…」などなどです。 そうして話は進んで行く感じが私にはせず、「これは何かの文章の遊びか?」と思ってしまいます。 衣が大き過ぎてちょっとだけエビが入っている天ぷらとか、小麦粉で延ばしに延ばして、そば粉は1割くらいしか入ってないそばみたいないたずらの様です。 ビクトル・ユゴー原作の「レ・ミゼラブル」も最初1200ページあり、その装飾の多さに当初敬遠されたらしいですが、この高村作品でそんな事を連想しました。 少なくとも今の私には、この様な心象風景(?)の連続よりも、物語が進行してくれる方がいいです。読売文学賞を取った作品ですが、私にはよく分かりません。 | ||||
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重厚な社会派小説を描くのが高村薫だと思っていましたが、本作ではオウム真理教などのカオスな要素を中途半端に取り入れてしまい、合田雄一郎はより寡黙になり(?)観念的な思考のみを重ねてしまう。坊さんの旧かな使いの長い手紙の部分などは、しんどくてナナメ読みで飛ばしてしまった。マークスの山のような迫力もないし、現在的なアイテムを使って書こうとしているメッセージも解らない。低いモチベーションで書かれてるのを感じる。著者に期待しているので、あえて辛口。 | ||||
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作者の美術論、宗教論、精神論がこれでもかと披露されていてもうおなか一杯。 その割には2つの事件のありようが不鮮明でよく分からなかった。 むしろ、「オウム考」とかの論文にしたほうがよかったのでは?そしたら絶対買わなかったのに。 当分高村薫はもういいやってかんじ | ||||
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「マークスの山」「照柿」「レディ・ジョーカー」に続く合田雄一郎刑事シリーズを期待していましたが、想像していた警察小説ではありませんでした。高村薫さんの小説は単なる警察小説ではなく、文学作品というべきかもしれません。「太陽を曳く馬(上)」はそれなりについていけたのですが、「太陽を曳く馬(下)」は非常に難解すぎて、犯人がどうとかいう警察小説ではありませんでした。適切な言い方ではありませんが「仏教」の思想に興味を持たれている方には面白い内容とも思われますが、自分の理解能力が低いために低い評価になったとご理解ください。 | ||||
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