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好き好き大好き超愛してる。
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好き好き大好き超愛してる。の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.18pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全60件 41~60 3/3ページ
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舞城氏の作品は全て読んでます。ぶっ飛んだ世界の中で放たれるコトバの数々、メチャクチャな暴力、性ばかりのストーリー支離滅裂な小説を書いている様で実はこの人が描いているのはもの凄くオーソドックスな愛を持つ世界。それがこの本の表題作、「好き好き〜」を読むとよく分かる。冒頭でイキナリ「愛は祈りだ。僕は祈る」なんて文で始まるのだけれど、これは舞城氏の本音ではないのだろうか。作中で、病気で死んでしまった彼女を想い小説家の主人公が「死」を小説の中で書くということについて自身に言及している場面がある。ここでも、安易に死を扱った小説(*セカチュウ)を意識しているであろう舞城氏自身の本音であるかのようなコトバが幾つもある。恋人が死んで嗚呼忘れられないなんてオキレイな純愛きどりの本がベストセラーになってしまう世の中に、自分なりのメッセージを送ったのだろうか、と思いました。まぁ物語としては少し物足りない感はあった。オムニバス形式で書かれていて、おもしろい話もあったけど、奈津川家サーガなどの作者の持味である勢いがなく、物語としては収録作「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」の方が完成されていたと思う。ただ、文壇も黙殺していたセカチュウのような純愛B級小説に対するアンチテーゼ、自分なりのメッセージを込めた舞城氏の意気込みは認めたいですね。※恋愛小説として読みたいのなら、短篇の「ピコーン!」(別本ですが…)のが私的にお薦め☆ | ||||
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『世界の中心で愛を叫ぶ』は感動したし、映画も見た。泣いた。 隣の席に座ってるおねえちゃんにドン引きされた。 結局のところ、作者は何を書きたかったのだろうか? 『世界の中心で愛を叫ぶ』の逆サイド作だとも取れるし、 けれど、『世界の中心で愛を叫ぶ』の小説中で“はしょられた” 「恋人の死」から「大人となってそれを乗り越えたあと」 その中間部分を繋ぐような作品にも思える。 ただ、『世界の中心で愛を叫ぶ』が「愛と喪失による悲しみ」を描いていたことを考えると、 当書が、その「愛と喪失」だけをテーマにしているようには少し思えなかった。 愛をテーマとしている割には、現実的な物語でありすぎるし、 もう一歩踏み込んだ、ある意味、問題提議的な作品に思えてならない。 ここで書かれているのは、どう生きるか、じゃないのか。 死の果てにあるのは喪失による悲しみだけじゃない。 残された人たちは、残されただけのリアルな時間を、それでも生きるべきなのだ。 歩み、進み続けるべきなのだ。 不器用だって良い。後悔だらけだって良い。 なぜって、“生きていることこそが素晴らしい”のだから。 | ||||
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世界の中心で愛を叫ぶのアンチテーゼだと聞いて読んだ。 私が思うに、世界の中心〜は病気で死んでしまう悲しさとか 恋人を失う悲しさだとか、そういうのが前面に押し出されていると思うが この本が伝えたいことは、ただただ愛してるということで それは、病気だからだとか、死によって離されてしまうから 時間が惜しい、一緒にいたい愛してると思うそういうことじゃなく それはつらいとか寂しくて悲しいとか、独りよがりな感情じゃなくて ただ、今言葉では言い尽くせないほど愛していて 好きで好きで大好きで 愛しているから傍にいる。 環境とか、状況とかそういうんじゃないんだと強く訴えかける 愛にはいろいろな形があるだろうし、たとえ独りよがりだろうと愛は愛なんだろう でもこんなふうな愛が本物であり、またあってほしいと思う。 | ||||
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感情的な題名に惹かれて読んでみると、いがいと淡々としてて面白かった。 世界観が章ごとに急に変わったりするところもあり、 主人公の分析的な感情描写に共感できない人は混乱するかもしれないが、 言いたいことは一貫してるので、サクサク読んでいけば感覚でわかってくると思う。 世界の〜よりもっとサッパリしてて、感傷的じゃない。 冷静に客観視しつつも、ずっと深く愛し過ぎてる。そんな感じ。 | ||||
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阿部和重に匹敵するかなりの作家。 とりあえず日本作家(小説家、漫画家、映画監督、アニメ監督等)としては、最高クラスに属する作家であることは間違いない。 「好き好き大好き超愛してる」って素晴らしい題名からはじまる短編集はその題名に負けないポップでキュートでディープな作品郡だ。 人は人を愛する、人は死ぬ、そして人は生きる。その単純で根本的なことをあふれる才能で書き切った珠玉な作品郡。 私は面白い、しかしこれを面白いといわない人もいるだろう。だが、これだけの作品を現在書ける作家はそうはいないだろう。 日本人は必読の作家、作品である。 | ||||
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表題作は、恋人への愛と死を描いた作品。 非常に現実的な描写からSFまであり、 所謂、恋愛小説とは全く異なるテイストに新鮮さを感じさせます。 次世代恋愛小説とでも言うのでしょうか、さすが舞城王太郎ですね。 「ドリルホール」は沢山の人が死ぬ描写や 頭にドライバーが刺さる描写が痛々しいですが、 やはりテーマは愛。 「好き好き」よりもぶっ飛び具合は上をいっています。 飛んでる内容の中にある普通の愛は際立って見えるのか、 私には心に響く物がありました。 相変わらず挿絵(今回はカラー!)がうまい。 文章を読んでからイラストを見ると、グッときます。 舞城作品のイラスト集とかあったら見てみたいものです。 | ||||
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タイトル作と、中篇「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」が収められている。 「好き好き」は、『世界の中心で、愛をさけぶ』を換骨奪胎している、というか、ぶつ切りにして、煮て焼いてゆでて蒸して、舞城風に味付けをしている訳だけれども、古典的ラブストーリーを21世紀的文体、テンションで書き直すとこうなるんだろうな、と思う。政治・経済をめぐる言論では、もはや「創造的破壊」というと用語は眉に唾をつけずに聞くことは出来ないだろうが、文学−言葉の芸術−においては、破壊するところから始める、という方法はまだ有効だと思うし、それでおもしろいものがたくさん作られている。音楽もそうだ。視覚芸術はよく分からない。 「ドリルホール」の方は、殺人鬼にドライバーを頭に突っ込まれた富山の主人公が、調布の中学生となぜか一心同体となって世界を救う全能のヒーローになる、という話。意味も無く人がばたばた傷つけられる・死ぬというのが舞城王太郎の小説では多かったが、この新しい作品集では、そういった傷・死に対し、ちょっとずつ意味が付与されているのが興味深いところである。 カバーが派手で電車とかで目立つのも、(好き嫌いがあると思うけど)よいと思う。 | ||||
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上手いな!! イキオイいいな!! アンタすげえな!! そういう感じです。 『世界の中心で愛を叫ぶ』へのアンチテーゼらしいですが、 他と比べるまでもなく、これ一本で成立しています。 独特な文体にビックリする人もたくさんいるでしょうし、 その突拍子もない世界観にくらくらする人もいるでしょう。 (まぁ、大概の人はくらくらすると思います…) それでもその突拍子のなさをものともせず、 読者をひっぱり、ひっぱりまわし、頭をぶん殴るような衝撃を与えてくれます。 強烈で印象的なこの作品に相応しい、作者自身の挿絵にも注目です。 ともに収録されているのは、 『ザ・ドリルホール・インマイブレイン』 | ||||
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第131回芥川賞候補になり評価が真っ二つに割れた「愛は祈りだ。僕は祈る。」から始まる文学界の問題児・舞城王太郎渾身の(SF要素入りまくりな)純愛小説。饒舌な文体で正面から愛を語る。文句無しの5つ星。買うのちょっと恥ずかしかったけど買ってよかった。 セカチュー批判(批判というよりはパロディ?)も籠み。僕らは大切な人の死というメタ化された設定によってつい泣かされがちですが、本作はそんなメタ化された設定を超えて紡がれる物語。いや、これは文学だ。さらりとフラットに書かれているせいで涙は出ず。けどそれよりも深いところを衝いてくる何かがある。是非一読下さい。 | ||||
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突然変異種のような扱いをされることが多いような気がする舞城王太郎ですが、まっとうに文学の本流を受け継いでいるように思います。言葉遣いの面白さは確かに個性的ですが、考えてみれば優れた作家の言葉遣いというのは皆個性的なものです。 いくつかのエピソードを並列させるこの作品の手法は、それぞれの繋がりが希薄な感はありますが、別に密接に関わっている方が良い、という理由もないわけで、非常に面白い試み。特に、神との戦いという荘厳なテーマを、ライトノヴェル的な道具立てで表現した、SF仕立ての章は、それだけで短編として成立し得るほどの密度を持っています。 ただ『世界の中心で~』のパロディと言われるこの作品、「愛」をテーマにしているのか、それとも「愛」を口実に、何か他のものを描こうとしているのかが分からず、どこかはぐらかされているような印象があったのも事実。しかし、村上春樹や高橋源一郎の跡を継ぎ得る、日本文学の大きな可能性であることは間違いない。 余分なことですが、この作品を受賞作に選べなかった芥川賞はその価値を一段下げたと思います。 | ||||
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上手いなぁ。こんな当たり前のことをストレートにぽんぽんぽんぽん描かれたら嫌でも心に響きます。それを書ける。というのがひとつの才能だろ。 相変わらず文体が非常に素晴らしい。多感な擬音、比喩。これからの時代を代表する作家だ。 世界の中心で愛を叫ぶのパロディ、というか、まっとうに向かっていった作品。作中、主人公は恋人の死をダイレクトに小説に書いて、恋人の弟にキレられる。 ここで、メタ化、というキーワードが出てくる。弟は「学校の友達がメタ化されていて俺のことを救えない」と言う。メタ化は一概に言えないが、ある一定の範囲内の共通理解、つまり、無意識にこうすればこうなってくれるという暗黙の了解、作中ではそんなふうに定義されている。世界の中心〜では、恋人が死ねば悲しい、泣く、その死をひきずる、という極めてありふれた共通理解の中で語られ(メタ化され)、リアリティの欠片もなく、文学的センスは著しく低い(だからヒットするわけかもしれないけど)。 この作品は、それを真っ向から批判した上で、じゃあ恋人が死んで何が悲しいの、ということを極めて直接的なメッセージの羅列でわかりやすく書いてくれている。だから、DEEP LOVEとか世界の中心〜を読んで泣いている人に本当に読んでもらいたい作品。ただし、構成に懲りすぎてせっかくのメッセージが拡散してしまったのが難か。ただ、この作品に芥川賞をやらなかったことで文壇の罪がまたひとつ増えたのは言うまでもない。 | ||||
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この本には小説が2作品収められている。 表題と同名の小説はまあシリアスな恋愛ものという感じ。 題名からしてもっとぶっとんでるかなあと期待が大きかったのでちょっとだけ期待はずれ。 短い断章の集まりで、そこに作者の小説観が盛り込まれているという印象。 愛を描くのにヒロインがいっぷう変わった不治の病で死ぬというのが陳腐な感じだが、類型的に書くというのが作者の狙いなのかもしれない。 もうひとつ掲載されている、「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」こちらのほうはすごかった。ぶっとびかげんが、である。 ヒーローもの+恋愛小説+官能小説(?)これがパロディというか、メタになっている。テンション高いままラストに突入。 文芸雑誌「ファウスト」創刊号のトップを飾った作品ということで、力がはいっているし、さすがという感想を持った。才能を感じます。 | ||||
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「愛は祈りだ。僕は祈る。僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい。それぞれの願いを叶えてほしい。」この書き出しで持ってかれてしまいました。最高。惜しみない愛、別れ、それからの出来事を描いた断片的なストーリー。イイです、舞城王太郎氏。絵も好きだし。 何処が良いのか分からないし、何が良いとも説明できませんが、ただ良いと、好きであるという一番純粋な感覚が持てる作品でした。「煙か土」でハマり、「暗闇」、「世界は密室」などを楽しく読み、「山ん中」や「阿修羅ガール」をちょっと気に入らなかった自分ですが、コレや「みんな元気」の方がさらに楽しめました。テーマは基本的に「愛」です。「これからいろいろあるだろうし、あるけれど、愛されて起こるいろいろだから、きっと大丈夫。」(「みんな元気」より) 町田康氏と比較する向きがあるようですが、自分は町田氏の作品を殆ど受け付けないので、ちょっと違うような気もしました。 「ドリルホールインマイブレイン」は、「好き好き大好き超愛してる」よりも落ちます。まずまずといったところでした。 | ||||
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愛とか自由とかそんなこっ恥ずかしいコトバを小説の中で見つけたときにはにそのすばらしさに共感しながらもいつもどっかちょっとだけ引いてしまうのが普通な僕なんだけど、マイジョー氏の語る「愛」については何でこんなにも「ああそうそう、そうだよねそのとおり、いいこというよマイジョー大好き」って無条件降伏になっちゃうのかなあ。と思った矢先、記憶のそこから浮かび上がるのはマイジョー氏のほかの作品であって、そこではマイジョー氏は「家族愛(それは近親憎悪をも含めた愛なのだ)」とか「友情(マジに阿呆だコイツ、とあきれながらも、なんかほっとけないんだよね)」とか「見知らぬ人との一瞬の親密な交流(ああ、コイツのこと何もしらんけど、今のコイツの気持ちはすげえわかるし、イイと思うなあ)」とか、さまざまな形の「愛」と「祈り」を語り・讃えてきたのであって、そんなマイジョー氏の「愛」の捉え方に、僕の頭蓋内会議はもう満場一致で賛成なのだった。 「そうだよね、クソみたいなこといろいろあるし俺たちはみんな弱いしみんなどっか馬鹿で、まったくこの世は地獄そのものだけど、でも一人ひとり愛だけは持てるし、それはきっとすごくいいことだよね、そのおかげで少しハッピーなこともたまにあるんだからなあ」みたいな、でもちょっとジジくさい?けどいいじゃん、それがマジに真剣100パーな実感なんだからさ。 で、ふと気づけばこの投げやりであけすけな文章の雰囲気がもうマイジョーの粗悪な物まねみたいになってておわっなんだこりゃって遅まきにおどろいたりするのだけどそれがまた感動したってことの証左なのかなあそうだろうねきっと、などと考えているのもまた面白かったりするのでした。ピース。 | ||||
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少し陳腐というか、ありていにいえば「こんな愛ありえない!」といいたくなってしまう、 でも、それでも好ましく思わざるをえない「愛」が随所にあふれています。本編の間にサブストーリーが挟まれ、それらすべていきなりはじまっていきなり終わる感を受けるので読み手を選ぶタイプではありますが ストーリーがSFだったとしても現代モノだったとしても関係のない単なる「言葉」が、ストンと落ちてくるのでいろいろな人によんでもらいたい一冊です。 私はタイトルと、オビの「愛は祈りだ。僕は祈る。僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい。」という言葉でこの本を買いました。 陳腐でありえない「愛の言葉」にストンと落とされるのも、たまにはいいのでは。 | ||||
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スピードとパワーの溢れた独自の文体で突っ走っている恋愛小説です!!中篇で読みやすく、主人公である小説家の、小説内小説も面白い!著者の一文一語一句の表現をぜひ堪能してもらいたいです。巷に溢れたよくある恋愛小説に飽きている人も飽きていない人も、恋愛小説が好きな人もそうでない人も、もうほんと読んでみてください | ||||
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「日本近代文学の終わり」と巷間囁かれている。 「近代文学」なるものは終わった(かもしれない)。しかし、終わったからこそ、その廃墟から、新たな言葉を求めて、あるいは新たな文学を求めて模索している作家は、それほど多くはないけれど、存在する。 そのひとりが、舞城王太郎である。 近代文学が終わったあとで、「小説とはなにか?」を問い、そして現在の小説の状況(たとえば某ベストセラー作品およびその消費のされかた)に対する彼なりの解答を提出したのが、本作品である。 タイトルにひかれて読んでみるもよし、装丁にひかれるもよし、とにかく読んでみてほしい。 きっと、なにかを見つけるから。 | ||||
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デビュー時から読者の顔色を伺う事無く、独自の疾走を続けている舞城王太郎だが、その作品の根底には常に様々な形の「愛」が書かれている。 タイトルからして直球勝負な今作は、愛ゆえの喜び苦しみをさらけ出していて、世界の縮図を、恋人たちの世界を覗き込んだ気持ちになる。また、舞城自身の描いたカラーイラストも掲載されていて、より深く内容に引き込まれる気がした。 | ||||
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愛とは何か。物語とは何か。小説とは何か。批評とは何か。 今やその意味さえもが薄れてきてしまっているそれらの問いに対して、世界の中心で愛をさけぶを皮肉る形で、あるいは東浩紀の評論に応える形で、あるいは自身の小説に言及する形で、舞城王太郎なりの回答を示している。 どれかにでも興味がある人は読んでみてください。 | ||||
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有名な本の帯に有名な人の手によって書かれた「泣きながら一気に読みました」。 この本(正確には二編のうちの表題作)はそんな感じで読みました。 号泣はしていません。実際の涙は流してさえいません。 だから安易に泣ける作品だなんて言えません。それでも実際の涙と同質か類似のものが心ん中で流れたのです。祈ること、愛すること、小説を書くということ。簡単に消化して理解したくないとなぜか思いました。 作品そのまま、あまり考えず飲み込んで、あとは読後、ふとした時なんかに 勝手に消化したり、でかいまま飲み込んだせいでのどにつまりそうになったのが 気になってもう1回じっくり読んだりしてみたいんです。読み終えましたが、まだ作品世界の外に出ることができていません。 | ||||
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