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好き好き大好き超愛してる。
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好き好き大好き超愛してる。の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.18pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全60件 21~40 2/3ページ
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恋愛を巡る短編が集まった表題作と、殺人鬼にドライバで頭を刺されてメタ世界に飛んでいった話。 小説の中で小説を書く意義について語る「好き好き・・・」の話は、一般人と著者の対話を模しているのかな。 冷徹さとおぞましさの表現による純愛論なのかもしれない。 重層的な構造になっているとしても、自分は理解できていない。 恋人を病気で失う話が3つのパートに分かれて入っていて、結構好きだ。 小説を書く意義と恋愛を相手の死で終わらせることへの葛藤を絡めて書いていて、非常に挑戦的だと思う。 アダムとイブの話はSF好きにはすんなり入っていける部類の話だと思う。 | ||||
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「真面目な顔してりゃ 真面目なんじゃねーんだぞ」 「宇宙人とか魔法とか、そういうもんが 表す何かが重要なんだよ」 主人公が亡き恋人の弟に言った台詞です。 この作品も正にそのように 書かれていると思います。 あえて、普遍性を外す表題、文の構成。 適当にわかりやすく、 「亡き君へ贈る物語り」とか 普通だと、付けたらいいものを、 この表題です。 こんな一発目で初めて舞城作品を 読む読者が、本作のプロットが わかるわけがない。 宇宙人とか魔法とか、 そういうもんが表す何か。 3つの短編を読んで どんな気持ちになりましたか。 それが恋人を失なった主人公が 伝えたい、そういうもんが表す何か、です。 俗に言う、メタファーてやつです。 間に挟まれる小説は、小説家である 主人公の作品であり、そこには、 恋人への想いが綴られています。 でも、微妙にわかりにくくしたり、 迫力を出すため、台詞を何も挟まず 連続で並べたりと、 なんか、ジャンルは違うんだけど、 この堂々とした、自由っぷりは ロックだなぁ、と思います。 絶妙な外し方、筆力、構成。 よくよく読めば、 とても良い作品だと思います。 ドリルホールインマイブレインは、 正直、わからん。 | ||||
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二つのお話が収録されていますが、どちらも軽快な語り口でテンポが良いですね。 表題作の「好き好き大好き超あいしてる」では話と話の間に全く別の短編が入るという謎構成になっていますが、 どれもユニークなものばかりで、題材的には重い話を必要以上に暗く感じさせないところも良かった。 「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」は個人的には癖が強すぎました。 | ||||
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読後感の余韻は素晴らしいですね。まだ残ってますよ(笑)。彼女が死んだ経験がないのに共感してしまう強烈な磁場を持った作品です。 他者がどう見ていようが自己満足のために彼女を愛し続けるというある種開き直りのような悟りの境地は誰しもが一度は経験した事があるのではないでしょうか? 技術的に歪な所はありますが(勿論狙ってやっている事は百も承知です)だからこそメッセージがストレートで生々しく、人の心を突き動かすのだと思います。一見変化球に見えますが、これは超ド級のストレートですよ。本当に、小難しい事を書いて「女ってこうなのよ」みたいなメッセージがドヤ顔とともに浮かぶ女流作家に見習ってもらいたいです(笑)。 | ||||
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舞城さんの作品はじめてです。 表題作はすごくよかった! お、これは!と思わされる文章や表現が多々あり、思わず書き写してしまいました。 柿緒1、2、3の間の明らかにフィクションぽい文章の必要性とか意味は謎。 いいアクセントになっているとは思いますが、これは何のためにあるんだ?とか順番に意味はあるのか?とか読み終えて考え込んでしまいました。 それがまたいい! でもドリル〜の方は、わたしにはついていけない世界観。 他の方のレビューを読むと、舞城さんはこっちのが本領みたいなので、わたしには舞城作品やっぱり向いてないのかも…。 ということで★4で。 | ||||
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本屋で偶然出会っていたら絶対に読む気にならなかった一冊。でも最初から最後までとことん楽しませていただきました。 とはいえブックカバーがないとちょっと公共の場で読みにくい・・・ | ||||
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この本をほとんど読み終えそうになりながら、私は友人の舞台を観る為に電車に乗っていた。 読み始めてからずっと「すごいすごいホントにそう」と思いっぱなしで、この小説家を薦めてくれたメル友に感謝しっぱなしだった。 そして臨んだ演劇観覧。 演目はなんとこの「好き好き大好き超愛してる」だったのだ。タイトルが全く違ったので、受付でパンフレットを貰うまで知らずにいたのだ。 なんという偶然。 彼女もこの本に色々と思わされるところがあってどうしても舞台化したくて、いっぱい人を集めて実現させたんだそうだ。 この本を読む前から、自分の大事な人には出来るだけ自分の「好きだ」という気持ちを伝えるようにしてきた。自分が突然事故に遭ってしまうかもしれないし、逆の可能性だってあるから。そんなときにケンカしていたり、自分が相手をどれだけ好きかを伝えられていないなんて悲しすぎる。 この本を読んでより一層その気持ちが強まった。これからも、しつこいくらい相手に気持ちを伝えていこうと思う。 | ||||
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彼女、(病人)に対する優しい眼差しがあった恋愛小説だと思いました。 アダムとイヴの話も今、思い返したら面白かった。 祈る 愛は祈り ストレートに表すこと、胸に、来た | ||||
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上の舞城王太郎にしては…の人の補足をします。 この小説は、小説の中に出てくる小説家がこの小説の中に短編小説的に収められている“小説”を書いている、という設定になっているのです。メタメタしてますが、これは【暗闇の中で子ども】でも使われていた手法ですね。舞城史的には特に新しい表現方法ではありません。 この小説はわたしはけっこう楽しめたのですが、やはり一般ウケはなかなかしにくい内容なのだと思います。あまりにも純文学的過ぎるというか…。 セカチューなんかがツボだった人にはこの小説は理解不能なことでしょう。 基本的に舞城の小説は人を激しく選びますからね。セカチューファンやケータイ小説好きを舞城は完全無視しています。それはまあ、それだけ舞城が小説に対して真剣に誠実に取り組んでいるということなのでしょうが。舞城は安易なセルアウトは絶対にやらない作家なのです。素晴らしいですね。 でも、作中に出てきたドイタカコの部分は完全に舞城の咄嗟の思い付きの描写にすぎず、はっきり言って純文学的にもミステリ的にも何の意味もないことでしょう。 こういうはちゃめちゃさかげんが舞城の魅力でもあったりするわけです。舞城はパンクな人ですからね。 | ||||
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装丁がなんだかなあって思ったんだけど、それは評価には入れてないです。 えっと、舞城作品によくあることなのかも知れないけど、最初はよくわかんなかった!なんか短編集っぽいんだけど、その話のひとつひとつにどこか似てるなあって部分があって、けど全然違うくて。登場人物も舞台もめちゃくちゃで頭がごちゃごちゃになろうとしたとき、やっと僕は理解できた。 裏表紙のストーリー紹介の文のとこで、"「恋愛」と「小説」をめぐる恋愛小説。″と書かれていた意味がやっと理解できた。 これ話すとたぶんネタバレだから言わないんですけど、最初、ちょっとわけわかんなくて、なんか読みにくいなあって人も、少なからずいるかも知れないんですけど、ちょっと我慢してみて。 後からちゃんと、分かります。 おもしろい、やっぱ舞城王太郎でした。 | ||||
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第131回(2004年下半期)の芥川龍之介賞候補作となったんだけども、石原慎太郎に「タイトルを見ただけでうんざりした」と批判された作品。 ちなみに池澤夏樹・山田詠美などは強く推したらしい。 やるね、この二人。 さらにちなみに、この時芥川賞受賞したのが阿部和重『グランドフィナーレ』。 石原慎太郎が『好き好き大好き超愛してる。』を「タイトル見ただけでうんざりした」とか言うなら、『グランドフィナーレ』は、「ストーリーにうんざりした」って言えよとか思いながらも、今回は舞城のレビューなのでこの辺でやめとく。 芥川賞取ったら芥川賞を見直していたかもしれないけど、芥川賞とるタイプの作品じゃないって感じ。 セカチューに対するアンチテーゼ的な作品であって、タイトルにもあるように、とにかく「愛する」ということを真っ直ぐに描く。 「愛する」ってどういう事なんだろう。 昨今小説で表現される愛って言うのはどうも、「死」と結び付けなきゃ気がすまないみたいだ。 そんな表現以外にも、もちろん「愛」はあるんだぜ! と舞城は叫ぶ。石原には届かないが。 | ||||
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『好き好き大好き超愛してる。』です。 内容は、セカチューへのオマージュであると同時にアンチテーゼでもあり、小説を書くことに対する作者自身のスタンスの代弁、ともいえます。 「タイトルが気に入らない」みたいに言われて芥川賞落ちたらしいですが、確かにタイトルはもっとマジメっぽいのでもよかったかと思います。 舞城らしい勢いとスピード感のある文体。ページの文字組が独特で、本としては読みやすいとは言い難いのですが、文章はタイトル同様に超口語で読み易いです。 愛は祈りだ、というフレーズから始まる、病気だとか何とかいうのをぶっちぎった愛。ただ愛だけを書いたなら、セカチューに対する一部の批判や反発と同じものを感じたかもしれませんが、愛していることについて、作中人物が小説として描く、ということを通じて上手くフィルターをかけて客観化できたのかな、と思いました。 | ||||
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舞城王太郎の本で泣くとは思わなかった。 これ程、内容とタイトルが沿った本もないだろ。 | ||||
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なんといっていいか、分からないけれど、宇宙の果てくらい、ぶっとんだ感じの小説。 この星の、日本という国の言葉で書かれているけれど、実際はどの具体的な場所の物語でもなく、何かに属す言葉で書かれてもいない。だからって、ファンタジー要素たっぷりでSFばりばりの近未来って感じでもない。確かにその物語は、私たちの近くにあって、私たち(おそらく特に若者)の心に通じて、きちんと響く。細かい状況描写なんてされなくても、改行が少なく流れる言葉がダダ流しでも、全く想像もつかない未知の生物がでてきても、神との戦いなんていうぶっとんだ設定がでてきても、なぜか、物語は私たちの心に、決して離れない。 最初はなんじゃこりゃ、と思った。ページを閉じようかと思った。読み進めるのがしんどい、とも思った。正直、今でも少しそういう気持ちはあるけれど、ぶっとんだ世界に繰り広げられた、死と隣り合わせの、刹那的な恋愛が、きれいで、惹かれて、結局何度も読んでしまう。気が狂いそうになる小説だけれど、同時に私の中の本能的ななにかがこの小説の言葉を欲する。 すごいなあ。 一番目の話とニオモの話が特に好きです。なんて美しい。 | ||||
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芥川賞候補作品だったことをレビューを見て知ったが 別にこれは芥川賞とらなくてよかったと思う。 そもそもあの賞は最近、何だこれは?という問いかけじみたものが多いし 受賞者に若い人が話が多いのも特徴的だけれど(話題性? 当てはまっているようで、なんか違う。なんとなくだけれど、 舞城は、こういう賞をとるような作家ではない気がする。 この人の話しは、一応文章としては最後に「?」をつける、問いかけ型だけど こちら側の思考能力を突破してるところがある上に、その問いかけには8割くらい舞城の答えができあがっていて 読者が考える余地がかなり少ない。 だけれど舞城の作る世界は堅牢にして柔軟。みっちりしているクセに外見スカスカに見える。軽い文体に読んで見てダマサレター と思いつつ楽しめる。 そんな魅力。舞城の世界に入り込みたい人が読む話だから 大衆向けの名前の大きい賞は似合わないと思う。というか、つりあわない。 だけれどこの本、愛をくどいくらいうたっているタイトルに負けず劣らず。 愛ってなんだ?と思った時、読んで見ると面白いと思う。 | ||||
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愛なんて幻想よ。たしかにそれは受動的な立場にたってみたら、夢に終わるだけかもしれない。だからあえて手をあわせる。形のないものへ手を合わせる。アグレッシブに叫んでみてもかまわない。「愛は祈りだ。僕は祈る。」の冒頭部を声にだして何度も反芻している。 | ||||
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物語序盤で、中学生の慶喜くんがいう「メタ化された友達」という言葉が印象的だ。メタ化された関係は、実質ではなく、形式を重視する。 その関係においては、振る舞い、ポーズが優先され、気持ちは後回しにされる。本来、気持ちが生じて、結果行為へと続いていくはずなのに。 そんなふうに感情と行為の順番が逆転してしまった世界を、もう一度反転させようというのがこの小説のねらいだろうか。 けれども相手に対する気持ちは、どうやったら真っ直ぐに届くのだろうか? 行為の形式へ当てはめなければそれは不可能ではないのか? 感情から行為への連結は、思う以上に難しい。 自分で自分の感情を偽ることもあるからだ。 関係のメタ化を突き抜けて、愛する人を愛することは困難を極めている。 | ||||
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第131回(2004年下半期)の芥川龍之介賞候補作となったんだけども、石原慎太郎に「タイトルを見ただけでうんざりした」と批判された作品。 ちなみに池澤夏樹・山田詠美などは強く推したらしい。 やるね、この二人。 さらにちなみに、この時芥川賞受賞したのが阿部和重『グランドフィナーレ』。 石原慎太郎が『好き好き大好き超愛してる。』を「タイトル見ただけでうんざりした」とか言うなら、『グランドフィナーレ』は、「ストーリーにうんざりした」って言えよとか思いながらも、今回は舞城のレビューなのでこの辺でやめとく。 芥川賞取ったら芥川賞を見直していたかもしれないけど、芥川賞とるタイプの作品じゃないって感じ。 セカチューに対するアンチテーゼ的な作品であって、タイトルにもあるように、とにかく「愛する」ということを真っ直ぐに描く。 「愛する」ってどういう事なんだろう。 昨今小説で表現される愛って言うのはどうも、「死」と結び付けなきゃ気がすまないみたいだ。 そんな表現以外にも、もちろん「愛」はあるんだぜ! と舞城は叫ぶ。石原には届かないが。 僕は単純にこの小説を評価する。 恋愛小説大嫌いだけど、この小説を評価する。 | ||||
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死にそうな彼女、死んでしまった彼女、死んだばかりの彼女。ボクが彼女を失うストーリーが少しづつ転調しながら展開されていく。 「世界の中心で、愛をさけぶ」に対抗して書かれたというのは有名らしい。愛する人を失う物語は本来このように美しく書けるのだということを見せつけているようだ。 特にイブの肋骨を操縦して神と戦う、ニオモとボクの話はとてつもなく美しい。少女イブが神と戦うというのはエヴァンゲリオンをバックグラウンドにしているのだろう。 この話のイブ「ニオモ」は「超無駄だよ返してよ私の胸の骨」という風に喋る。形而上的な物語を世俗的な会話スタイルで見事に造形してしまう、そのテクニックは超絶的です。 | ||||
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石原慎太郎の読めなさには愕然。 若い人の感性がわからないんだったら選考委員やめればいいし、それは石原だけでなく、宮本輝や高樹のぶ子にもいえる。新しい文学をそんなに否定したいの? 中原昌也にしてもそうだが。 『世界の中心で、愛をさけぶ』のアンチテーゼであるこの作品は、恋人が死ぬという現実を、ただ「悲しい」だけで片付けない。 なぜ、自分は恋人に死んでほしくないのか、どうして悲しいのか。 それを問うて、かつ小説について問うた作品。 合間あいまに挿まれる短編も素晴らしい。 泣けはしない。 しかし、感銘をうけた。そして感動した。 紛れもない「新しい文学」です。 芥川賞は選考委員を全員変えてください。山田詠美と池澤夏樹以外は。 | ||||
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