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巷説百物語
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巷説百物語の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.54pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全69件 21~40 2/4ページ
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怖さもなくさらっと読みやすく 江戸言葉も軽快で、順調に読み進める。 ホラーは苦手だが、この作者の作品は 怖さは感じないので好き。 気になったのは一話毎に書かれる 事の背景に科学的にというのか現実的にというか 解釈されている部分が必要なのか、ということ。 こういった話は虚心に、読むのだから くどく感じられてうざい。 | ||||
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京極夏彦を読んだのは本当に久しぶりです。 ・姑獲鳥の夏 ・魍魎の匣 を読んだ時は 「これは凄い作家が出てきたなぁ」 と思いました。でも狂骨の夢はともかく鉄鼠の檻あたりでだんだん理解不可能になり、絡新婦の理で完全に理解不能、塗仏の宴は前編と後編で出版される時期が違ったため、後編を読むときには前編をすっかり忘れてしまい、途中で挫折しました。 それ以降は全く読んでいません。 凄い情報量があるのは分かりますけど、 ・シリーズの登場人物を全部覚えていないと理解できない小説とは如何な物か? ・謎解きを説明されても意味が分からない小説とは如何な物か? とかなり不愉快な気分になり、数年間京極夏彦は読んでいませんでした。 直木賞を取ったときも、はいそうですかと無視してました。 でもまぁ、昔の事だから許してやろうと言うことで(何様だ!)久しぶりに読んで見ました。 なるほどこの人は確かに面白いです。 謎解きのネタを随分たくさん持ってるんですねぇ(古典から引張ってきているのかもしれないですが)。 しかも文章も流れるようなところは見事です。 ただ、これシリーズ一作目なんですよね(笑)。 シリーズ三作目で直木賞とってますが、三作目だともう理解不能なのではないかと心配してます。 この作品に関しては文句無く星五つ。 二作目も一応買ってみました。 これで難解度が増していなければ良いのですがw | ||||
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京極夏彦氏の作品を初めて読みました。本屋店頭で六法全書の様な厚さの本に尻込みというか読まず嫌いしていましたが、こちらは短編とのなの事でKindlePaperWhiteにダウンロードしました。バラバラの話が収録されてるのかと思ったのですが、主人公とその仲間がいて悪人を色々な仕掛けを施して懲らしめるという作品です。グイグイ引き込まれる面白さでした。ドラマ必殺仕事人が好きな方にもおすすめかも知れません。 | ||||
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無論、評価は最高です。 個人的には京極堂シリーズも一段落したので、どおれ巷説シリーズにでも、と息抜きのつもりで読ませてもらいました。 ・・・してやられました。 これぞ京極ワールド全開ではないか! いやいや、京極堂こそ出てきませんが、それでも妖怪や憑き物といった十八番が凝縮されており、一歩踏み入れたが最後、摩訶不思議な世界に誘われ、まるで狐につつまれたような感覚に陥ってしまい、一体何がどうなっているんだ!といった混乱や苛立ちを募らせ、あれよあれよといった超展開、そして、最後に・・・してやらた!思わず唸りました。 | ||||
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ほかのシリーズとはちょっと趣を異にした 歴史小説です。 妖怪なんかがところどころ会話中に出てきて ホラーなのではないか?と思ってしまいますが ホラーではありません、あしからず。 この作品はいずれも 悪人が絡み、その悪人を始末する 「仕掛け人」が絡んできます。 前半の方に出てくるものたちは悪人ですが 後半のほうの作品に出てくるものたちは 悪人、と言うよりは「狂い人」といったほうが 適するかもしれません。 お勧めするのはそちらの ふとしたきっかけで狂った人が出てくる作品でしょう。 特に最後2つの作品の狂気は強烈で、 人間なんかいつ狂うかは予期できない、 と言うのが身にしみる作品となっています。 独特の雰囲気が漂う作品です。 若干エグい要素がありますので 読む際には気をつけてください。 | ||||
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どうせ「昔話の怪談を、京極夏彦が今風に書き直しただけだろう」と思い込み、買ったまま長らく放置していました。 読んでみたら、全く違いました。 面白い。 さしずめ「京極堂(中禅寺)シリーズの江戸版短編ミステリー」といった所でしょうか。 冒頭に提示されている怪談(の題名)はあくまでモチーフ。物語展開されるのは、あくまで京極オリジナル。 事件あり、キャラクターあり、ひねりあり、解決あり、そして講談落語のようなサゲあり。 京極ファンも初心者も、楽しんで読めることができる作品です。 すでに京極堂シリーズを既読の人には、その対比が面白い。 「憑き物を落とす」ことで事件を解決する中禅寺に対し、「妖怪のしわざ」のせいにして事件を収める又一。 黒衣と白衣の見事な対比に、思わずニヤリ。 多層構造の大楼閣のような長編作品とは違い、本書は短編でもあるので、その骨格が幾分掴みやすくなっています。 京極作品の「魅力・構成」を分析するにも最適な作品かもしれません。 喰わず嫌いは勿体ない、ミステリーファンは必読の一冊です。 | ||||
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本書は短編集である。著者の長編はとにかく長い。錯綜していて、なかなかメインストーリーにたどり着かない。しかし、短編は違う。きりっ、とした鋭い切れ味である。 本シリーズが京極堂シリーズの裏設定というのは良く言われることだが、その通りである。おなじみのシリーズキャラクターが活躍するのは共通しており、シリーズを読み進めていくと、キャラクターに親近感が湧いてくる。つまり、主人公達に感情移入して読むことができる。特に百介に。 本シリーズは、確かに百介の物語であり、彼の消失とともに物語が終わるのは必然ともいえる。しかし、非常に惜しい。「後巷説〜」まで読み進めてきた読者は、もっともっと続けて欲しいと思うことだろう。しかも最後は、恥ずかしながら、涙が浮かんでしまった。シリーズの終わりにではなく、百介の人生にである。それだけ感情移入していた、ということだろうか。こんなことはほとんどない。 シリーズの中には、多少冗漫なものや、説明不足気味のものもある。しかし、本書、「続巷説〜」、「後巷説〜」の三部作はぜひ順番に読んでほしい。本シリーズがまぎれもなく百介のものであることが分かるだろう。そして本シリーズに著者が仕掛けたものも、最後に分かるはずである。 どちらかというと長編好きの私であるが、本シリーズは非常に愛すべき短編である。 | ||||
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1つ1つの話のテンポが速いのと、又一、おぎん、治平、百介等のやり取りに噴き出して仕舞うのとで忘れそうになりますが、扱っている題材がかなり重いし、イタイです。それなのにページをめくる手が止まりません。 | ||||
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小股潜りの又市による、化け物語を作り上げ人々を騙す物語です。今となっては、「騙す」との表現になってしまうが、この時代では信じれる物語であり人々は信じて、何ともできない無常観を納得できる物語として精神の安定を図ります。その助けをするのが又市の仕事です。又市の信念は金と言ってますが、人間らしい心に惹かれます。 | ||||
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短編が七本収録されていてサクサク読めます。私は読むのが遅いですが、それでも最後まで疲れずに読めました。七本が完全に繋がっているという訳ではなく前の話の何日後のような繋がり方です(これ以降に発表された小説で話と話の間が埋まるというものもあります)。最初は妖怪ものの小説かと思って購入したのですが、読んでみると半分正解半分間違いという感じでした。内容については是非読んで確認してみてください!ここからは個人的な意見ですが私はこのシリーズの本は必ず文庫版ではなく単行本で買うようにしています。理由はカバーをめくった裏側です!私は毎回それも含めて期待しながら新作を待っています!! | ||||
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七つの江戸時代の怪談短編集。 語りかけるスタイルが特徴で読みやすい。 最も印象に残ったのは、 最後の「帷子辻」。 生と死というものへの著者の 想いが込められている。 | ||||
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時代は江戸、妖怪、物の怪、幽霊話をもちいて、極悪人を罠にはめる、小股探りの又市、山猫まわしのおぎんらの活躍を描く時代小説です。江戸という時代背景に妖怪はマッチするとはいえ、これでは「必殺仕事人」とかわらない気がします。いや。江戸版「クロサギ」ですか。戯曲師の百介が妖怪譚や百物語の解説をしますが、京極堂シリーズのような重厚さがありません。京極堂シリーズに比べると、だいぶレベルの落ちる作品だと思います。 | ||||
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◆「小豆洗い」 越後の難所・枝折峠。 旅の僧・円海は、雨宿りの小屋で奇妙な一行と出会う。 その中のおぎんという女が百物語として語った、 山猫に化かされる哀れな花嫁の話に、 なぜか平静ではいられない円海は…。 〈京極堂〉シリーズが、謎を妖怪と名付けて祓い落とす、という趣向 であるのに対し、本シリーズは、その完全な裏返しとなっています。 真っ当な手段では対抗できない世の悪に対し、妖怪という神秘を 演出することで裁きを与え「怪異(≒完全犯罪)」を創造していきます。 ◆「白蔵主」 甲斐の国、夢山。 狐釣りの弥作は、普賢和尚という僧に殺生の罪を 戒められ、猟師を辞めたことをおぎんに告白する。 しかし本当は、人には言えない、 忌まわしい事情を抱えていた…。 狐の妖かし「白蔵主」に重ねられていく人々の思惑と欲望―。 「弥勒三千」と嘯く又市が、結末で思わず漏らす倫理観にも注目です。 | ||||
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人の心が生み出すこの世の嫉妬・妬み・嫉み・欲望…それらを妖しになぞらえて、仕置き人よろしく罪人を裁き・恨みを晴す者たち。 その仕掛けの巧みさよりも、なぞらえられる妖怪奇憚に惹かれる自分がいる。 人の心に妖しぞ棲む。 それは京極堂の妖怪シリーズにも通じる視点でもある。 京極堂の活躍するシリーズに出会った時、その薀蓄の膨大さ怪奇と現実との境界線の朧な世界に惹かれたものだが、百物語シリーズを読んで初めて自分の読みたかったのはコレなのだと感じた。 | ||||
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文庫といってもかなりの厚さで、その上それぞれ話によって雰囲気の明るさ、暗さがはっきりと分かれているため、暗い話が苦手な方は途中まで読んでもういいや、と諦めてしまうかもしれない。私はそうだった。 だが後半の話になるに連れて徐々に面白さが増していく。初めのほうの話ではほとんど「役」としてしか描かれなかった登場人物たちの背景やキャラクターにどんどん深みが出てくる。次も読みたい、と思われること間違いなしだ。 お勧めの話は「芝右衛門狸」「塩の長司」「柳女」「帷子辻」。 | ||||
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1999年8月リリース。『嗤う伊右衛門』に登場した御行の又市を中心に据えた『怪』シリーズ。御行の又市以外にも傀儡師、山猫廻しのおぎんやら、事触れの治平、四玉の徳次郎、御燈の小右衛門などなかなか濃い面子を揃えていてひきつけられる。巷説百物語→続巷説百物語→後巷説百物語と続き前巷説百物語(さきのこうせつひゃくものがたり)を最近リリース。出てくる順番が不規則でまるでスターウォーズみたいでもある。連載ものに1つの書き下ろしを加えるというスタイルもなかなかだ。 語りに実に味がある。こういう文体は京極の真骨頂だ。この『るび』が付いたり付かなかったりするところが微妙にイイ。書き出しのフレーズを整えてくるやり方も面白い。だからどうしても面白くなってしまう。変な言い回しだが昔の文人達は和綴古文を読んでこんな風に楽しかったのかな、ということを疑似体験しているような気分になってくる。 しょき。 さ。 ささ。 さささ。 さ。 旨いよなぁ。ホント。本作では特に最後の『帷子辻』が響いた。傑作である。 | ||||
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京極氏は一つ一つの作品を短編としても読ませるし、長編の中の一部としての役割をもたせたりもする。その技法が秀逸。このシリーズもそうだ。小編がそれぞれに面白くて引き込まれるのだが、次作の「続巷説百物語」に向かってすべて伏線となって流れていく。 読者は普通には狂言回しの役割を与えられた百介に感情移入せざるを得ないのだが、現在を生きる私達の道徳観に基づいた「善」「悪」は用を成さない。百介もどうやら少し逸脱したい常識人なため、後ろ暗い世界にあこがれ、こちら側に安寧とした自分の居場所を持ちつつ、あちら側に首を突っ込もうとする。本作ではまだ、かかわりが始まって、浸かり始めて、それでもまだ本質的な「覚悟」を求められるわけでもなく、読者もかなりはらはらしながらも安心して事件にかかわれる。 次作を読むなら順番は間違えない方が良い。 | ||||
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江戸の町を中心に、妖怪話や伝説を利用して悪人を燻りだしていく仕事人の話です。 語り手になるのは江戸の大店の若旦那。 道楽者ですでに隠居状態で、各地の伝説を収集している変わり者です。 それが裏家業ではあるけれど、悪人を時にはおおがかりな仕掛けで追い詰めていく御行の又市を中心にしたグループと接触して小役をこなすようになってしまう話だった。 あえて妖怪にこだわるのは趣味なのでしょうが、まあそれぞれ短編でもあるし楽しめた。 特に面白かったのは狸の話でしたね。 大法螺を罷り通るようにするまでの仕掛けが見所です。 江戸という時代設定にしたのなら、もう少し江戸らしさを出せばいいのではないかとも思うけれどね。 又市とおぎんの口調と性格が江戸っ子っていうくらいでした。 特に時代劇が好きな人なら映像も浮かびやすくて楽しめるのではないでしょうか。 | ||||
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最初の「小豆洗い」からグイグイ引き込まれました。 巧妙な作戦によって相手を嵌めていくという筋書きが、私の心にはまりました。 その作戦の中心となるのは、心の中に潜む「死者に対する恐怖心」であり、「良心の呵責」です。 大昔のテレビドラマ「スパイ大作戦」に似たような話があったのを思い出しました。(w | ||||
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「百物語」シリーズの第1作。3作目の「後巷説百物語」は直木賞を受賞した。シリーズの一応の主人公(観察者)は山岡百介という戯作者志望の青年。百介は怪異談を百物語の形にしてまとめようと全国を行脚している。実際、江戸時代に「絵本百物語」という絵本が存在し、桃山人という人が文章を書いている。百介はこの桃山人を模したものか。 収録作品は次の通り。「小豆洗い」、「白蔵主」、「舞首」、「芝右衛門狸」、「塩の長司」、「柳女」、「帷子辻」。 百介は「小豆洗い」で初めてシリーズの仲間、小股潜りの又吉、山猫廻しのおぎん、事触れの治平と出会う(出会った当初、彼らは扮装している)。篠降る雨の中、川の近くの小屋に閉じ込められたのは4人と、怪しげな商人、顔色の悪い僧等。その晩、百物語が語られ、その怪異談を聞いた僧は小屋を飛び出し、足を滑らせ川の中に身を落とし絶命する。川のそばでは、小豆を洗うような音が...。全ては治平達の罠だった。百物語で語られた怪異談は僧の犯した罪を巧みにアレンジしたもので、それにより僧の罪を暴く計画だったのだ。治平達は金で事件解決を請け負う「必殺仕事人」のような存在だった。このメンバーの個性あるキャラクターもシリーズの魅力の一つ。 上の僧は、自分の犯した罪が百物語で語られることによって狂おしくも妖しい恐怖を感じるのだが、妖怪談が実は人間の心の襞から産まれることを強く示唆する。読者も登場人物に感情移入すると、現実と妖怪談の区別がつかなくなり、妖しの世界へ引きずり込まれる。京極氏自身の「本シリーズは京極堂の憑き物落しの逆を狙ったもの」という言葉が明快な説明だ。このような作品が7つもあるのだから妖しの世界を好む人には堪らない。 桃山人が「百物語」を書いたように、本シリーズも100の物語まで続くのであろうか。 | ||||
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