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双頭のバビロン
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双頭のバビロンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.64pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全12件 1~12 1/1ページ
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ここ数年、夏の読書用に皆川博子さんの本を何冊か購入する。この『双頭のバビロン』はちょうど2年前にKindleで購入した記録が残っている。ところがその夏、読み終わらず、その後細々と読み進めたり、戻ったり、放置したりして、去年の夏は上巻の最後までなんとかたどりついたが、その後また読み進まなかった。そしてついに読み終わったのが昨晩だ。なぜ読み終わったのかというとコロナの熱にうなされて、数日床を抜け出せず、夢ともうつつともつかない状態で、というか夢でもうつつでもこの本とようやく向き合いながら、一気に最初から読み終えた。 何しろ圧倒的に自分に素養が足りないのだ。読めない漢字はKindle上で辞書検索をしたり、読めても知らない語句が出てくるとGoogle検索で調べたりしながらだからだ。そしてこの2年間に私はこの時代についての本を何冊か読み、ドキュメンタリーを見たりした。記憶に新しいのはAmazon Prime Videoで見たドキュメンタリー映画『命の綱・上海』と、NHKの『ハイビジョン特集 シリーズ ハプスブルク帝国』だ。どちらも少し本作とは時代がわずかにずれるのだが、この本を読むための基礎知識を授けてくれた。一見関係なさそうなウィーンと上海は、ユダヤ人にとって極めて大切な国際都市だったのだ。 この本のタイトルの『双頭の〜』は癒着して生まれた双子の形状を直接表すのはもちろんだが、同時にハプスブルグ家の象徴でもある『双頭の鷲』を連想させる。また『バビロン』は英語で綴るとBABYLONだから、赤ちゃんを匂わせるとともに、ユダヤ人にとっては屈辱のバビロン捕囚が想起されてしまう。巧妙な仕掛けだ。 正直なところ、上巻を読み進むのがとてもしんどい。何しろ冒頭が1929年上海の濃密な描写。そして主人公らしい豪放快活な人物が誰かに語り出す。この辺から時間や場所があっちこっち行ったり来たりする。何とか苦労しながら下,巻を読み始めると、今まで散らかり放題だった頭の中がきれいに整理されて、ピースがはまり始める。その爽快感たるや!そして映画でも見ているかのように場面が頭の中に流れていく。上巻で置き去りにしてあった紛失物を見つけて大きな絵画か地図でも完成させるような感じと言ったらいいだろうか。 私がどうしてもイメージしてしまうのは萩尾望都の『ポーの一族』のエドガーとアランだ。だからどうしてもユリアンがひげをはやしていることをイメージすることができない。同じ課をしているはずのゲオルクはひげをはやしていてもイメージができるような気がするから不思議だ。 気になるのは物語のあと、いったいゲオルクはどこでどのように激動のナチスの時代と向き合うのだろうか。どうか早くアメリカに戻って、メイベルとも仲直りしてハリウッドで映画を作っていてほしい、、、。 | ||||
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世紀末ウィーンの貴族の家に生まれた双生児・ゲオルクとユリアンの壮大な運命譚。 ウィーン、ボヘミア、ハリウッド、上海を舞台に語られる物語は圧巻です。 裏表紙の「あらすじ」「紹介」ではとてもイメージできない迫力と吸引力に満ちた作品なので、 とにかく読んでみないと始まらないという感じです。 場面ごとの描写がこまやかで、まるで映画を観ているような感覚になりました。 とくに上海の場面は「退廃」「魔都」なんて曖昧な言葉ではおさまらない、臭ってきそうな生々しさで、 吸ったことないけど鴉片の夢を見ているかのようでした。 文字による表現だけでもサブリミナル効果ってあるものでしょうか。 個人的には陳凱歌監督の「さらば、わが愛・覇王別姫」が大好きなので、「ホア・ムーラン」と京劇の描写ではゲオルクやユリアンとともにイメージの洪水に酔いしれました。 …脳と心に快楽を与えてくれる名作です。 | ||||
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繊細な描写で、その場にいるかのような臨場感を感じられる、最高の小説です。多くの方に私と同じワクワクを体験してもらいたいです。 | ||||
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このお話はシャム双子だったゲオルクとユリアン、そしてパウルという3人の視点で交互に進んでいくのだけど、ユリアンと一緒に育った謎の少年ツヴェンゲルはもう一人の主人公ともいえる存在。 小さい時に分離手術を受けて、貴族の嫡男として育てられたゲオルクと、訳ありの人々が入る施設に幽閉されて育ったユリアン。時々起きるテレパシーのような現象。やがて交錯するそれぞれの運命。 普通に考えたら貴族のお坊ちゃまでプライドが高くて強気で士官学校行って決闘して映画監督になったゲオルクだってすごくドラマチックな人生を送っててかっこいいんだけど、なんかツヴェンゲルの超人ぶりとか謎めいた存在感とかユリアンとの関係とかがあまりにあやしい魅力を放っているので、ゲオルクですら普通っぽく見えてしまうのだ。 ツヴェンゲルは双子の結合部分にあたるという解釈を読んだのだけど(二人の運命をつなぐ要素ということですね)、ユリアンとゲオルクにとってツヴェンゲルがどういう存在かはしっかり描かれているのに対し、ツヴェンゲル側の心理描写は一切ないので気になる。 ゲオルクにどんな気持ちで仕えてたんだろう?戦場でなんであんなに肝が据わっていたのか?顔を見なくても後ろから触れられただけでユリアンを認識できるってどんだけなの、とか色々… ゲオルクと双子の片割れユリアンよりも、ユリアンとツヴェンゲルの方が二人で一つのものっていう感じがする。皆川さんの西洋ものの小説にはよく同性愛要素が描かれるけど、この二人はなんか恋とか友情とか家族愛とかを超越した「魂の半身」という言葉がふさわしい。 生まれたときはゲオルクとひとつだったユリアン、切り離されて日陰の道を歩んできて、居場所を得るためにがんばったけど…最後は望む相手とひとつになれて満足な生だったのかなと思った。 | ||||
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舞台であり主役でもあるのは、1920年代の上海とウィーン。 いずれも、世紀末の名残も濃厚な魔都であり、繁栄と混沌、退廃と耽美の世界が広がる。 これらは、皆川作品の読者が期待するところだろう。 本書ではこれに、ハリウッドが加わり、意外性を添える。 主人公のひとり、ゲオルクの語りは、まるで活劇のヒーローのように明朗快活で、ハリウッドの一面を体現している。 そうではあっても、圧倒的に過酷な現実に、踏みつけにされる登場人物たち。 誇りはなくとも、たとえ殺されようとも、意地がある。 といって、重いばかりではなく、皆川さんの長編作品では、遊び心も大切な要素だ。 著者が思うさま遊ぶ世界に参加することが、読者としての醍醐味である。 最後の謎解きでは、ある一節に感動する。本書中の白眉。 余談ながら、今から30年ほど前は、映画雑誌のネタとして、時々ハリウッドの歴史が載っていたものだ。 正確には思い出せないが、グリフィスの名前だとか、「イントレランス」だったか、莫大な資金を投じ、云々。 自分の世代にとっては、そういったレトロ感もある。 文庫版はカバーデザイン、イラストともに素晴らしい。 | ||||
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単行本は小さな活字で二段組みだったので読むのを我慢していた甲斐あって、この度 待望の文庫化(上下巻同時発売)。創元推理文庫に収録されているが、ミステリはあく まで本作のひとつの側面でしかない。 19世紀末から20世紀初頭にかけてウィーン、ハリウッド、上海を舞台に、結合双生児 のゲオルクとユリアンを中心とする運命的な物語が交互に紡がれる。 フロイトに想を得たシュルレアリスム的な自動書記を通して発揮される双子の感応、 家庭教師とユリアンの同性愛的な官能など魅惑的な要素が、映画黎明期の熱気 あふれるハリウッド、日本や欧米の租界のある魔都上海、退廃的なウィーンを舞台 とすることで、いっそう妖しく輝きだす。 文庫でも上下巻に及ぶ長大な物語だが、まさに巻を措くあたわず、大陸を行き来しな がら展開する群像劇に酔いしれた。最近の日本の小説は、どうもこぢんまりとまとまっ ている印象が強く、こうした波乱万丈の、該博な知識に裏打ちされた、それでいて現実 と非現実のあわいを漂う物語の喜びを味あわせてくれるものにはなかなか出会えない。 1929年生まれながらなお意気軒高、大河小説をもたらしてくれる著者にひたすら感謝 するばかり。 | ||||
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人物それぞれの魅力が印象に残った。 モデルが存在する人物も居り、調べて出てくる史実と創作された部分が入り混じって 独特の世界が創り上げられている。 登場人物視点で”良くない”展開が多々暗示され何度もハラハラさせられつつ、 終盤まで”暗示”のまま続くので解が気になってどんどん読み進めてしまった。 細部の展開、設定や描写は好き嫌いが分かれるかもしれない。 長さも読み応えがあり、普段感じる”読み足りなさ”が無い。 | ||||
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ハプスブルグ王朝末期のウィーンの貴族の家に癒着双生児(=DoppelBaby)として産まれたゲオルクとユリアンの数奇な運命を描いた壮大なスケールの作品。題名(=DoppelBabylon)は勿論DoppelBabyに由来しているが、それだけではなく、物語の舞台となる往時(1920年代)の二大魔都(悪徳と捕囚=Babylon)のハリウッドと上海、映画監督として日の当たる道を歩くゲオルクと非在の道を歩くユリアンという太陽と月、ユリアンが常にその影に怯えるドッペルゲンガー(=DoppelGanger)と幾重もの双対性を象徴している。 ゲオルクの口述自伝という体裁で物語が始まるのだが、ゲオルクとユリアンの運命がどのような形で交差するかが焦点の本作において、この構成が非常に巧みである事が後で良く分かる。ミステリ的仕掛けも見事に織り込まれているのだ。また、作者の趣味が横溢しているのがゲオルクとユリアンとの間の"精神感応"。これが作品全体に禍々しさ・幻想性とある種の悲哀を与えている。ユリアンの育ての親の医師が、愛情だけではなく、"精神感応"能力の開発を意図していたという設定も作者一流の毒を感じさせる。 一方、本作は愛の物語でもある。ゲオルクの映画のエキストラ役の若い男女の愛も一つの重要な要素であるが、全編を貫くある無私の愛が読む者の胸を打つ。個人的にはゲオルクとユリアンの関係よりも、こちらの2人の絆の強さに惹かれた。まさに、純粋かつ崇高な愛の姿と映った。ミステリ的技巧を踏まえた作者の物語構成力を十二分に堪能出来る秀作と言って良いのではないか。 | ||||
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楽しく読みました。皆川博子さんが、1920年代のハリウッドと上海を舞台に、映画作りと、分離されたシャム双生児の運命をテーマにした作品を書いたのですから、読む前から傑作であることはわかっているようなものですが、読んでみたらやはり傑作で、ずっと読み続けていたくて、終わってしまうのがとても残念でした。双生児の運命を語るうえで、第一次大戦がうまく使われていると思います。読み終えてから、本棚の奥に眠っていた写真満載、スキャンダル満載の「ハリウッド・バビロン」二冊を久々に読んで、楽しい時を過ごしました。 | ||||
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皆川さんの文章の巧みさと全体の構成力にはいつも感嘆しています。 さらに時代背景も念入りに調べてあるので、歴史の勉強にもなります。 この本を読み始めたら止められなくなり、2・3日で一気に読みました。 ゲオルクとユリアンという双子が別々に育てられますが、ユリアンが成長するたびに少しずつ真実が見えてきます。 ヴァルター(ユリアンを引き取った男性)の部屋にユリアンがこっそり入って行った時、本棚に ルドルフ・シュタイナーの本が並んでいることが何気なく書かれていました。 ルドルフ・シュタイナーは、神秘思想や神秘哲学に興味のある人たちには日本でもよく知られています。 皆川さんも恐らくはシュタイナー系列の思想(神秘思想)に興味がおありになると思いました。 この本の最後は、いかにも皆川さんらしい終わり方でした。 | ||||
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この物語自体はフィクションですが、「散りゆく花」、「花木蓮」、メイ・ランファンなど実在する作品や俳優も登場します。 分離された結合双生児の生涯に、実在のエッセンスが加わって、この物語をうまく引き立てています。 ハリウッド映画黎明期の白熱した空気や、阿片で退廃した上海の妖しさ。そのなかで翻弄される青年たちの数奇な運命。500ページ以上の大作ですが、最後まで目がはなせなくなります。 | ||||
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ほぼ寝食忘れて一気読み。傑作です。村上春樹氏の世界の終わりとハードボイルドワンダーランド風。ですが、セックスしてても無菌室というあの雰囲気ではなく、糞と尿と痰と池にあふれています。しかし文章からは薔薇の香りが漂ってきます。ジャンル小説でくくられるべき作品ではなく、今年の文学の収穫。 | ||||
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