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TOKYO YEAR ZERO
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TOKYO YEAR ZEROの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点2.75pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全16件 1~16 1/1ページ
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エルロイを読み続けてる私にも 読みづらい、面白くない、、、、 サスペンス的なトリックも、、、 読まない方が良い | ||||
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日本人なのに終戦直後(YEAR ZERO)について知らなさすぎた。イギリス人に教えられたのは恥ずかしいことなのか、それともGHQと日本政府のもみ消しのなせる業なのか、教育なのか。これはの日本の恥部なのであろうか。自分の父親世代の人間がなんで朝鮮人を嫌うのか垣間見えた。読んで、調べて、考えて、今の本を知ることができるのであろうか。エルロイよりも好きかも(日本の事なので)。 | ||||
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終戦後の日本、とりわけ警察ものと聞いて読んでみましたが 終始ラリった主人公が実在の事件を追うだけで残念。 GHQ管轄下で右往左往する警察や一般市民の姿はほとんどなく、 中国や台湾、朝鮮といったマフィアが登場するも、抗争の背景が書かれていないので 悲惨さや混沌を演出するために出しただけといった印象を受ける。 結局著者がなにを書きたかったのかが分からずじまいこの本を読み終えた。 戦後日本・警察小説・巻末補足いずれも描写不足 それに加え突如訪れる言葉の繰り返しが非常に苦痛で辟易した。 3部作のようだが、この1作でお腹いっぱいです | ||||
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東京3部作とのことではりきって読んだが、なんか、やっぱり著者の作品はとっつきにくかった。また、読みたいか?と聞かれたらNOだ。途中、何度も中弛みで本を投げ出そうとしたことか。この人って英国のエルロイ的な立ち位置なのか?だとしたら、ファンから非難凄そうだな。。。 | ||||
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英語版へのレヴューのコピーです。 Cambodia: Year Zero「カンボジアゼロ年」にならった作品なのでしょうか。不思議な作品です。歴史的な事件を題材としたミステリーでありながら。ここに描かれる世界は異様なまでの緊迫感を持っています。さて今回の舞台は昭和20年の8月15日とその一年後の夏の10日間の東京です。筋は当時有名だった連続殺人事件をモデルとしているようです。しかしながらここには犯人探しのミステリーはありません。むしろミステリーは過去を背負って仮面をかぶりながら戦後の東京をさまようさまざまな人間像の交錯ということになるのでしょうか。軍歌(勝ってくるぞと勇ましく??)や戦後の流行歌(林檎の歌)の歌詞のリフレーンを英語で見るのはなかなか不可思議な感覚です。登場人物は価値が転回してしまった当時の日本で秩序維持の任務を負った警察とそしてやくざです。そして秩序を代表する警察自身が占領軍による絶え間ない公職追放という超権力の脅威の下にあるという奇妙な構図です。そして警察権力が不安定な下で、戦後の混乱の下で「第三国人」の非合法暴力に対抗せざるを得ないというこの構図自体は、「仁義なき戦い」などで描かれてもおり、必ずしも目新しいものではありません。ここには戦後教育で強調される「新しい出発」という明は描かれません。描かれる女性たちのリアルな姿も含めて、ここに登場するのは生の現実と偽装です。最後にはたしかに謎解きはなされますが、わかりにくいですね。ところでこの著者の作品はdamned unitedも含めていつも文字が異様に小さいのですが、これは著者の要望なのでしょうか?たしかに繰り返しとイタリックの多用はこの文字の小ささとは奇妙なフィットを示しています。 | ||||
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小平事件のことは歴史の本で読んで知っていたので、特に驚きませんでした。 細部に関しては作者の創作も含まれているとは思いますが、ここまで丹念に細かくディテールを積み重ねてゆくと、これはこれで結構面白いものになるんだなあ、というのが読後の印象です。作者のイギリス人(といっても、日本在住歴はかなり長いらしいです)は、この本の調査に3年の月日を費やしたそうで(ご苦労様です)、確かに外国人の作家が書いたとは思えないほど(失礼!)、当時の世相や風俗などは上手に描けているように思います。ただやはり・・・といっては何ですが、日本人の作家が書いたものに見えないのも事実です。登場人物のリアクションが変だとか、そういうことは置いておくくにしても、どう言ったら良いのか迷うところですけれども、言葉と言葉の間にある日本的な何かが、欠けているのです。これはもう理屈とか何かではないのでしょう。かなり上手に翻訳されているとはいえ、これが民族の壁、言葉の壁なのかも知れません。舞台を日本にするにしても、主人公はイギリス人にするとかした方が無理もないでしょうし、作者本人の体験も創作に活かせるように思いますが・・・。この時代の物語を書くなら、いっそのこと、GHQの視点から描いた方がより自然なものになるような気がします。 後問題なのは、この奇妙な文体です(笑)。 ジェイムス・ジョイスがどうしたとか、意識の流れとか、そういう専門的な話はさて置くにしても、普通に日本人の読者が書店で本書を開いて、ぱらぱら・・・と斜め読みをした時に、「読んでみよう」という気になるかどうか・・・。 ミステリーといっても、西村京太郎とか内田康夫を読むような読者がこの本を読むかどうか・・・。 かくいう私自身、読みながら太字の文字が出て来ると、「あ、ここは読まなくていいや」という感じで飛ばし読みしていましたから(笑)。はっきり言って、読者を選ぶ種類の本です。 お話の構成上、この箇所が伏線になっていると言われても、同じ台詞や文句がしつこく100回も200回も出て来ますからね(笑)。 正直、「普通に書いても、いいんじゃないの?」と思ったのは私一人でしょうか? それから、他のレビュアーの方でジェームス・エルロイからの影響を指摘をされている方がいらっしゃいましたが、私はウィリアム・ヒョーツバークの「堕ちる天使」の影響も感じました(主人公が自分の顔を鏡で見て、激昂する下りなど)。 何でも解説によると、この作品は3部作で、続きでは有名な「帝銀事件」や「下山事件」を扱うとか。ただ「帝銀」と「下山」は「小平」よりはるかに有名な事件であり、様々な作家、ジャーナリストが本を出しているだけに、よほどのことでなければ、読者をあっと言わせるのは難しいのではないかと思います。 色々難癖をつけてしまいましたけれども、作品としてはかなり読み応えがありますので、星4つは固いかな、とは思います。 ただし、上記のような様々な難点と同時に「なぜ、こんな話を外国の小説家が書くの?」という疑問がありましたし、戦前の様々な問題は日本人の小説家にこそ書いてほしい(この作品で取り上げられたテーマは我々日本人の問題です!デイヴィットさん。あなた達戦勝国民の問題ではありません!)、ということで星一つ減点と致しました。 あの時代、多くの日本人(つまり我々の祖父母)が苦しみ、傷つきました。でもそれを文学と称して、ぺダンティックな趣味で玩具にするのだけはやめてほしい・・・真剣にそう思います。 お願いします。 | ||||
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タイトルと評判でかなり期待を持って読みましたが、私にはいまいちでした。 解説であんなに補足せざるを得なかった点、しかも本編では一切触れられていない設定を解説で明かすというのがかなり疑問です。 | ||||
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1945年8月15日終戦の玉音放送が鳴り響く中,主人公三波は海軍衣料厰女子寮で発見された全裸死体の捜査をしていた。1年後,米軍占領下で混乱期の中,再び港区芝公園で女性の腐乱死体が2体発見され,三波は再びその捜査に就くことになる・・・ 08年度版このミス海外編3位の作品。事実の中に巧みにフィクションを織り込んだ作品であるが,独特な文体が好みが分かれる作品であると思う。私にとっては正直,読むのが大変しんどいし,苦痛な作品であったと感じる。ただし,その表現から混沌とした世の中や人々の混迷がリアルに伝わってくる。そういう意味で戦後のその混迷期の状況をここまで表現したのが外国人の作家であるというのは正直驚いた。この作品3部作であるらしいが,今のところ残りの作品に食指が動くことはないように感じている。 | ||||
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ナチスドイツの親衛隊員は敗戦時に幹部は南米に逃げ、下っ端は名前を変えて生延びようとしたらしい。日本における憲兵隊もそうなんだろうな。ということは、自分たちが非道なことをしていたと言う意識だけはあるんだな。ストーリーやデティルは結構面白いんだが、文体がまるで妄想狂の頭の中みたいで、悪く言えばページ数稼ぎ? ここんとこをどう評価するかだな。斜めに構えたプロ?の読み手は評価するのかなー。 | ||||
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’07年、「このミステリーがすごい!」海外編第3位、「週刊文春ミステリーベスト10」海外部門第5位にランクインした、日英米同時刊行の話題作。 1945年8月15日、警視庁捜査一課の三波警部補は殺人事件の報せを受ける。時はまさに敗戦で、天皇陛下の玉音放送が流れようとしていた。憲兵隊の管轄でもあり、容疑者と決めつけられた朝鮮人が三波の目の前で処刑される。しかしそれは事件の解決ではなかった。 翌年、あらたに2体の死体が発見され、犯行の手口から同一犯の疑いが濃厚になる。三波たちの地を這うような捜査が続くが、1体の身元はようとして判明しなかった。やがて三波の周囲に暗雲が渦巻きはじめる・・・。 闇市を取り仕切るヤクザ組織の暗躍と、彼らとアジア系外国人との抗争、日本政府とGHQが繰り広げるパワーゲーム、焼け跡に潜む連続婦女強姦殺人鬼、敗戦直後の東京を舞台に、デイヴィッド・ピースの独特な文体で、異様な小説世界が描かれてゆく。 ともあれ、イギリス文学の新鋭として評価されるピースが描く占領下の東京の姿は圧巻、ミステリと文学の垣根を蹴破り、占領と日本現代史という問題に見事に切り込んでいる。 そして、このノワールと称される暗黒小説には驚くべき叙述トリックが、見事な伏線とともに仕掛けられていた・・・。 本書はこのあと「帝銀事件」、「下山事件」と続く三部作の第1作とのことだが、三波の運命も含めて、どのように物語が完結してゆくのか目が離せない。 | ||||
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けして日本人には書けない小説だ。日本がアメリカに占領されていた時代の、暗い事件。 ここに関わってくるのは日本人だけではなく、中国人や朝鮮人もいる。米軍もいる。著者はイギリス人だから、堂々と当時の日本人ならこうだったはずだ、と中国人や朝鮮人を罵倒し、侮蔑の言葉を飛ばす。 京極夏彦が戦争前後の話を書くのとはまったく違う自由さがそこにあって、その上で史実と、フィクションを組み合わせて、当時の日本を描いている。 文体は私にはとても愛せるものではなかったけれど、この本は読ませた。力があった。何よりも、私たちはタブーをいろいろ持っていることがよくわかった。続編も期待している。 | ||||
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ノンフィクションや綿密な取材に基づく史実にフィクションを組み込み、 その時代に擬似的に身をおけるような作品を好んで読んでいます。 そんな予断と本作の予備知識ゼロで読んでしまいました。読了後、 巻末の解説を読んで、感じていた違和感の意味が分かりました。 本作は確かに史実にフィクションを組み込んで構成しているのですが、 それ以上に幻想小説としての色合いが強く出ています。 上田秋成、泉鏡花の流れを汲むマジカルな表現技法は、両作家に興味のない 私にとってはややうっとうしく、ありがたがる事ができませんでした。 構成自体も「結末まで至ったら、再び読み返す円環構造」と評されていましたが、 読者に作者の埋め込んだ仕掛けを確認するためにもう一度読まなければ、 面白さが分からない後出しジャンケン的な難解さは、フェアじゃないように感じてしまい、 混沌とした占領直後の東京のリアリティをかえって損なっているように感じました。 絶賛される方もいらっしゃるかと思いますが、私の好みとズレていたところが主題になっていたので星2つとしました。 | ||||
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ジェイムス・エルロイの影響、というレベルではすまされないのではないか。 ちょっと似すぎ。 実際にあった過去の事件や実在の人物を配置、 猟奇殺人事件、マフィアと警察、キャバレーと娼婦、 公権力の中で己の中の悪と苦闘する主人公、同僚の汚職、 破裂しそうな、或いは破綻寸前と表された文体、 そして三部作という体裁。 読んでいて恥ずかしくなります。 | ||||
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本書は通常の翻訳書出版とは異なり、日英版を同時に出版できるように企画されたものだそうだ。 文芸春秋「本の話」11月号に著者インタビューの掲載があり、それを先に読み とびついたのだ。ところが、訳文のスタイルのせいか、じわっとくるものがなくて、当方にとっては引き込まれ感にとぼしく、読了までに相当時間をかけている。(実は未読了) 全体的にあまりにも直訳的な感じがする。背後に英語を感じてしまう。 それを意図したのだとしたら、しかたがないのだが。ノンフィクションではなく 小説なのだから、文体に一工夫してもらえていればありがたかった。残念。 | ||||
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すべては「自称通りの人間は誰もいない・・・」ということにつきます。これがキーになることは読み始めるとすぐにわかります。どのように・・・。その不確かさを形作る繰り返される太字の文字と読み込めない短い文体がまた戦後の焼け野原をイメージ作り、事件を捜査する三波の足取りと対比していきながらもオーバーラップしていきます。最後の10頁ですべてがわかると読み返しをも誘う小説です。また、エピローグで「自称通りの人間は誰もいない・・・」という言葉が意味を持つ人間をつくったこの小説が後に続くであろう2作に残されてしまうのです。次作がえん罪事件ではないかという帝銀事件(真犯人がわからない)を扱っているだけに『TOKYO YEAR ZERO』で「自称通りの人間は誰もいない・・・」という言葉で作り出したものを感じています。 | ||||
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著者は67年イギリス生まれ、94年から東京在住。本国では権威ある文学賞を受賞している。 さて、本書は上田秋成、泉鏡花の流儀で描かれた暗黒小説、とある。巻末の参考文献には芥川、石川淳、坂口安吾、武田泰淳、太宰治などの文学作品、黒澤明の初期の作品などが散見され、著者が「ちょっと異国を舞台にしてみました」というレヴェルで書いているわけではないことを示している。なにしろ登場人物は全て日本人なのだ。 本書の体裁は、表面上はかつての「探偵小説」といえる。主人公・三波警部補が終戦の夏とその翌年に起こった少女殺人事件を追って廃墟となった東京を(黒澤明の「野良犬」のごとく)這いずり回る。復員したばかりで荒々しい刑事たち、敗戦に意気消沈した人々、わずかな食料と引き換えに身体を売る少女たち、闇市を仕切るヤクザ、ヤクザと対立する中国人や韓国人。GHQの意図に沿って警察とヤクザ、外国人のパワーゲームも変化する。ここでの細かい描写は、相当な下調べの上に成り立っているのであろう。まるで50年代のモノクロ映画をみているようだ。 だが実際の構造はかなり複雑である。主人公は常に戦時中の悪夢に苛まれてカルモチンを齧ってラリっているし、通常の行動の描写の合間にモノローグのような記憶のつぶやき、というような文が繰り返し挿入される。映画でいえば、中心となるストーリーに始終カットバックが入ってくるようなもの。最初は読みにくいが読者はやがて、著者のトリックに絡め取られ魅了される。 そして事件は実在の連続殺人鬼によるものとして解決するのだが、ラストにまだもう一つしかけがあり、読者はさらにもう一度読み直す気にさせられるのだ。 戦後すぐの時代は暗黒小説の舞台としては最高だろう。著者は本書(「小平事件」をモチーフにした)に続き、「帝銀事件」「下山事件」を題材にした小説を準備中とのこと。期待したい。 | ||||
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