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TOKYO YEAR ZERO
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TOKYO YEAR ZEROの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点2.75pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全5件 1~5 1/1ページ
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日本人なのに終戦直後(YEAR ZERO)について知らなさすぎた。イギリス人に教えられたのは恥ずかしいことなのか、それともGHQと日本政府のもみ消しのなせる業なのか、教育なのか。これはの日本の恥部なのであろうか。自分の父親世代の人間がなんで朝鮮人を嫌うのか垣間見えた。読んで、調べて、考えて、今の本を知ることができるのであろうか。エルロイよりも好きかも(日本の事なので)。 | ||||
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小平事件のことは歴史の本で読んで知っていたので、特に驚きませんでした。 細部に関しては作者の創作も含まれているとは思いますが、ここまで丹念に細かくディテールを積み重ねてゆくと、これはこれで結構面白いものになるんだなあ、というのが読後の印象です。作者のイギリス人(といっても、日本在住歴はかなり長いらしいです)は、この本の調査に3年の月日を費やしたそうで(ご苦労様です)、確かに外国人の作家が書いたとは思えないほど(失礼!)、当時の世相や風俗などは上手に描けているように思います。ただやはり・・・といっては何ですが、日本人の作家が書いたものに見えないのも事実です。登場人物のリアクションが変だとか、そういうことは置いておくくにしても、どう言ったら良いのか迷うところですけれども、言葉と言葉の間にある日本的な何かが、欠けているのです。これはもう理屈とか何かではないのでしょう。かなり上手に翻訳されているとはいえ、これが民族の壁、言葉の壁なのかも知れません。舞台を日本にするにしても、主人公はイギリス人にするとかした方が無理もないでしょうし、作者本人の体験も創作に活かせるように思いますが・・・。この時代の物語を書くなら、いっそのこと、GHQの視点から描いた方がより自然なものになるような気がします。 後問題なのは、この奇妙な文体です(笑)。 ジェイムス・ジョイスがどうしたとか、意識の流れとか、そういう専門的な話はさて置くにしても、普通に日本人の読者が書店で本書を開いて、ぱらぱら・・・と斜め読みをした時に、「読んでみよう」という気になるかどうか・・・。 ミステリーといっても、西村京太郎とか内田康夫を読むような読者がこの本を読むかどうか・・・。 かくいう私自身、読みながら太字の文字が出て来ると、「あ、ここは読まなくていいや」という感じで飛ばし読みしていましたから(笑)。はっきり言って、読者を選ぶ種類の本です。 お話の構成上、この箇所が伏線になっていると言われても、同じ台詞や文句がしつこく100回も200回も出て来ますからね(笑)。 正直、「普通に書いても、いいんじゃないの?」と思ったのは私一人でしょうか? それから、他のレビュアーの方でジェームス・エルロイからの影響を指摘をされている方がいらっしゃいましたが、私はウィリアム・ヒョーツバークの「堕ちる天使」の影響も感じました(主人公が自分の顔を鏡で見て、激昂する下りなど)。 何でも解説によると、この作品は3部作で、続きでは有名な「帝銀事件」や「下山事件」を扱うとか。ただ「帝銀」と「下山」は「小平」よりはるかに有名な事件であり、様々な作家、ジャーナリストが本を出しているだけに、よほどのことでなければ、読者をあっと言わせるのは難しいのではないかと思います。 色々難癖をつけてしまいましたけれども、作品としてはかなり読み応えがありますので、星4つは固いかな、とは思います。 ただし、上記のような様々な難点と同時に「なぜ、こんな話を外国の小説家が書くの?」という疑問がありましたし、戦前の様々な問題は日本人の小説家にこそ書いてほしい(この作品で取り上げられたテーマは我々日本人の問題です!デイヴィットさん。あなた達戦勝国民の問題ではありません!)、ということで星一つ減点と致しました。 あの時代、多くの日本人(つまり我々の祖父母)が苦しみ、傷つきました。でもそれを文学と称して、ぺダンティックな趣味で玩具にするのだけはやめてほしい・・・真剣にそう思います。 お願いします。 | ||||
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けして日本人には書けない小説だ。日本がアメリカに占領されていた時代の、暗い事件。 ここに関わってくるのは日本人だけではなく、中国人や朝鮮人もいる。米軍もいる。著者はイギリス人だから、堂々と当時の日本人ならこうだったはずだ、と中国人や朝鮮人を罵倒し、侮蔑の言葉を飛ばす。 京極夏彦が戦争前後の話を書くのとはまったく違う自由さがそこにあって、その上で史実と、フィクションを組み合わせて、当時の日本を描いている。 文体は私にはとても愛せるものではなかったけれど、この本は読ませた。力があった。何よりも、私たちはタブーをいろいろ持っていることがよくわかった。続編も期待している。 | ||||
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すべては「自称通りの人間は誰もいない・・・」ということにつきます。これがキーになることは読み始めるとすぐにわかります。どのように・・・。その不確かさを形作る繰り返される太字の文字と読み込めない短い文体がまた戦後の焼け野原をイメージ作り、事件を捜査する三波の足取りと対比していきながらもオーバーラップしていきます。最後の10頁ですべてがわかると読み返しをも誘う小説です。また、エピローグで「自称通りの人間は誰もいない・・・」という言葉が意味を持つ人間をつくったこの小説が後に続くであろう2作に残されてしまうのです。次作がえん罪事件ではないかという帝銀事件(真犯人がわからない)を扱っているだけに『TOKYO YEAR ZERO』で「自称通りの人間は誰もいない・・・」という言葉で作り出したものを感じています。 | ||||
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著者は67年イギリス生まれ、94年から東京在住。本国では権威ある文学賞を受賞している。 さて、本書は上田秋成、泉鏡花の流儀で描かれた暗黒小説、とある。巻末の参考文献には芥川、石川淳、坂口安吾、武田泰淳、太宰治などの文学作品、黒澤明の初期の作品などが散見され、著者が「ちょっと異国を舞台にしてみました」というレヴェルで書いているわけではないことを示している。なにしろ登場人物は全て日本人なのだ。 本書の体裁は、表面上はかつての「探偵小説」といえる。主人公・三波警部補が終戦の夏とその翌年に起こった少女殺人事件を追って廃墟となった東京を(黒澤明の「野良犬」のごとく)這いずり回る。復員したばかりで荒々しい刑事たち、敗戦に意気消沈した人々、わずかな食料と引き換えに身体を売る少女たち、闇市を仕切るヤクザ、ヤクザと対立する中国人や韓国人。GHQの意図に沿って警察とヤクザ、外国人のパワーゲームも変化する。ここでの細かい描写は、相当な下調べの上に成り立っているのであろう。まるで50年代のモノクロ映画をみているようだ。 だが実際の構造はかなり複雑である。主人公は常に戦時中の悪夢に苛まれてカルモチンを齧ってラリっているし、通常の行動の描写の合間にモノローグのような記憶のつぶやき、というような文が繰り返し挿入される。映画でいえば、中心となるストーリーに始終カットバックが入ってくるようなもの。最初は読みにくいが読者はやがて、著者のトリックに絡め取られ魅了される。 そして事件は実在の連続殺人鬼によるものとして解決するのだが、ラストにまだもう一つしかけがあり、読者はさらにもう一度読み直す気にさせられるのだ。 戦後すぐの時代は暗黒小説の舞台としては最高だろう。著者は本書(「小平事件」をモチーフにした)に続き、「帝銀事件」「下山事件」を題材にした小説を準備中とのこと。期待したい。 | ||||
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