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ヒューマン・ファクター
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【この小説が収録されている参考書籍】
ヒューマン・ファクターの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.14pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全42件 1~20 1/3ページ
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ル・カレとグレアムが書いた二重スパイに関する本の一冊で、冷戦時代や人種主義や植民地主義の最中、つまり今とは違う意味での国際関係が厳しかった時代のお話だけど、面白いことは面白いんだけど、読者自身で自分の体験と合わせながら読んでいく必要があり、めんどくさいと言えば、相当めんどくさい本だと思う。 | ||||
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レビューの評価が高いので読んでみたけど、正直言ってそんなに素晴らしい作品なんだろうか。 アチラへの脱出の描写のみならず、重いはずの部分がいともたやすく書かれているし。 | ||||
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本文庫に解説を寄せている池上冬樹氏によれば、小林信彦がこの小説について「完全に頭を下げた。私が間違っておりました、弟子にして下さい、という感じだった」と評していたとのことです。 相互の諜報活動をつうじてイギリス、南アフリカ、アメリカ、ソ連などが関係する緊張をはらんだ国際情勢を背景に、物語は、イギリス情報部に勤める主人公とその家族や上司・同僚とのごく狭い人間関係を中心に、サスペンスをごくゆっくりゆっくり高めながら展開してゆきます。 とにかく情報部、諜報活動、二重スパイ、南アの差別問題などの大がかりな道具立てをうまく使った、読者の注意を逸らさぬストーリーテリングがまずあります。また物語の展開のなかに、お菓子や料理や本、なによりウィスキー(J&B)や犬(ブラーという名のボクサー犬)などの小物や細部が巧みに配され、それらはくりかえし言及されることで、つよい物語効果をあたえ、読後も印象ふかく記憶に残りつづけます。 うまく書かれた小説であることはたしかです。 そして読んでおもしろかったということもたしかです。 また、この小説がたんなるスパイ小説ではないことは解説者のいうとおりですし、「文学性とエンターテインメント性との融合」が見られる作品であることも別段否定はしません。 が、評者としては小林信彦のように大絶賛したくなるほどの小説とはどうしても思えません。 グリーンはこの小説で、情を殺し、指示されたとおり精密機械のように活動することが求められる情報部員ながら、その情を殺すどころか愛や恩義などのヒューマン・ファクター(人間的な要因)に突きうごかされ、みずからの行動を決する人物を描こうとしたと考えられますが、だからといってそれだけで人間存在の深部を浮かびあがらせるほどの深くて重い文学的内容をもつにいたるわけではないという思いもあります。 そんなふうに言うのは、読んでいるときはこちらも物語がはらむ緊張を共有しハラハラする気持ちがありましたが、読後、上で挙げた小物や細部以外に、深く心に残るものはほとんどなかったからです。 | ||||
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東大を出てNASAに十数年勤務し帰国後大学の教授を全うした友人から「面白いよ。」と薦められた1冊。300頁ぐらいまで内容がつかめませんでした。名前だけでは性別も分からない登場人物にも閉口しました。どうも頭の構造が友人と違うことを再確認することになりました。存在自体に意義がある主人公が脱出する当たりからがぜん面白くなりました。しかし銃にじゃれつく犬をを撃ち殺したり、年老いるまで再会ができないとする結末は悲しすぎました。スパイ小説ではありませんでした。たまたまこの後、「鳴かずのカッコウ」読んだら最後のこの本のことが出てきて笑えました。 | ||||
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予定通りに届き 品質も説明通りだった。満足です。 | ||||
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とてもこなれた自然な訳文で読みやすかったです。探偵小説やスパイ小説は普段は読まないのですが、グレアム・グリーンの本は例外です。私は小説のストーリーにはたいして興味がなくて、作家固有の文体や細部の描写を楽しむ方なので、いわゆる活劇物よりもグリーンの本などに惹かれるのかもしれません。 | ||||
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諜報の世界をモチーフにした人間ドラマという意味では、本作の70年ほど前に発表されたコンラッドの「密偵」があるので、特段、新しいジャンルという訳ではない。 諜報機関の暗部を抑制されたストーリーでリアルに描く作品の雰囲気は、髙村薫のそれが近いように思う。 多すぎる食べ物の細かい描写には、少々うんざりさせられた。 物語は、アフリカにおける各国の諜報機関の活動を背景にして進んでいく。 ところが、それに関する全体図の具体的な説明が全くなく断片的な情報が示されるだけなので、どういう事情で登場人物たちが苦境に陥っているのかが、ほとんど理解できない。 そのせいで肝心のドラマの部分が頭に入って来にくく、終始ストレスを感じながら読むことになった。 こういう不親切な書き方が、70年代のトレンドだったのだろうか。 それとも、当時はこれらの点は、説明不要の周知の事実だったのだろうか。 人物描写は丁寧だし、追い詰められる側の者たちには多くの読者が感情移入してしまうと思う。 非情なエピソードには、改めて、スパイになんかなりたくないと感じさせるリアリティがある。 しかし全体の感想としては、説明不足への不満がそういう美点に勝ってしまう作品だった、というものにどうしてもなってしまう。 もったいない。 | ||||
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グレアム・グリーンの経歴を調べてみたら、オックスフォード在学中の18歳のとき、第一次大戦後一部占領されていたドイツ大使館に雇われ、対仏諜報を行った経験もあった。 第二次大戦勃発時にはMI6の正式メンバーとなり、最大の裏切り者といわれたキム・フィルビーの直属の部下となって西アフリカやイベリア半島のスパイ活動に従事するが、フィルビーの権力闘争をみて1943年に辞任した。 「彼(フィルビー)は祖国を裏切った)そう――、それはその通りだろう。しかし、われわれのうちで、祖国より大切な何かや誰かに対して裏切りの罪を犯さなかったものがいるだろうか」(同書1974年早川書房版の宮脇孝雄氏解説より) 本書の解説で池上冬樹氏がこのキム・ウィルビーのエピソードに触れ、上のようなグレアム・グリーンの言葉を引用していた。(P489~490) この本の初めにグレアム・グリーンは、元情報機関に関わっていた者には公職守秘義務があり、作中の登場人物もすべて架空のものである、と前置きしているが、「それでもなお、やはりファンタジーを扱った聡明な作家、ハンス・アンデルセンの言葉を借りるなら“われわれの空想の物語は現実のなかから生み出される”」と、述べていた。 本書『ヒューマン・ファクター』は、世に言う「売国奴」と呼ばれる二重スパイの物語である。 が、イデオロギーなどとは無縁のスパイが辿るややこしい「愛」をテーマにしているのが、他のスパイ小説と異なっている。 男女の愛、思想信条を異なる者との友情という愛、家族愛、などグレアム・グリーンならではの人間性の琴線に触れるような物語に仕上げているのは、やはり著者グレアム・グリーンが、MI6の上司であったキム・フィルビーを、本書のモデルとして感情移入しながら描いているからであろう。 評者は、カッスルのSOSで現れた古書店主ハリデイと本書主人公カッスルと交わす会話が印象的だったので下の・・・・・内に転載したい。(P399~400) ・・・・・ <前文略>「迷いが生じたことはなかったのか、ハリデイ? つまり、スターリンとか、ハンガリーとか、チェコといったことで」 「若いころ、ロシアで充分いろいろなことを眼にしましたから。イギリスでもです。帰国したときは大恐慌のさなかで。だからそういう些細なことには免疫ができていました」 「些細なこと?」 「こう言ってよろしければ、あなたの良心はものごとを選別しています。たとえばハンブルグ、ドレスデン、ヒロシマ――ああいったことが、あなたの言う民主主義への信念を、多少なりともぐらつかせたことはありませんか。あるでしょう。でなければ、今私といっしょにいないはずだ」 「あれは戦争だった」 「私の同志は1917年からずっと戦争をしています」<後文略> ・・・・・ 東西冷戦も終え、30年も過ぎた今も、かのサミュエル・ハンティントンが予告したように、民族や宗教などで対立した戦争は絶えない。 | ||||
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ヒューマン・ファクターというタイトルが秀逸です。日本語だと「人的要因」という堅苦しい言葉になるみたいですが、ようするに「人が関わるところに起こりうる問題」みたいなニュアンスでしょうか。 本作においては、組織と個人、上司と部下、仕事と私生活、貴族階級と庶民階級、資本主義と社会主義、白人と黒人、夫婦、親子、嫁と姑、そして人とペットまで、ありとあらゆる人間関係の問題が描かれています。 「英国情報部」という舞台設定はまったく縁遠いものですが、本作で描かれている人間関係の問題の多くは、現代の日本に生きる我々の問題としても置き換えることができ、深く考えさせられました。 例えば、家族との生活を何よりも優先させたいが、その生活の実現のために援助してくれた相手に義理を感じて”仕事”を断れないというジレンマとか。 なかでも下記の3つのエピソードは、イギリス小説らしいシニカルさが溢れていて心に残りました。 ・主人公は妻が産んだ他人の子供を我が子のように愛しているが、その子供は主人公のことよりも飼い犬のことをずっと愛している。 ・主人公が軽んじていた人物が、実は……だった。 ・主人公が長年にわたって必死の思いで送り続けていた情報は、相手にとってはまったく価値のない無意味なものだった。 「スパイ小説」というカテゴリーにとらわれず多くの人に、特に組織に対して人生の多くの時間を捧げている日本のお父さんに読んでもらいたい名作です。 自分を犠牲にして一生懸命に取り組んでいる仕事は、果たして人生にとってどれほどの意味があることなのか、考えるきっかけになるのではないかと思います。 | ||||
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グリーン全集で翻訳が出てから随分経つと思う。 旧訳では、主人公はカッスルではなくカースル、妻はセイラではなくサラだったように記憶している。 新訳の方が実際の発音に近いと思うが、初読のインパクトはやはり強く、どうも引っかかってしまった。 そういったことが気にならず、コンパクトできれいな本を手元に置きたい(Kindleで読みたい)なら、既読でも問題ないと思う。 | ||||
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私にはこの作品の主人公は自己陶酔した自分勝手な奴としか思えません。演歌ノリが嫌いな方は読まない方がよろしいかと。構成も雑な所があるのでミステリー的な面白さを期待した人も裏切られます。 | ||||
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フィルビー事件を題材にした小説として「ティンカーテイラーソルジャースパイ」が有名だが グリーンもル・カレも英国諜報部に在籍経験が有り、ミステリやエンターテインメントとは異なる独特の筆致で 人間の機微を詳細に描写してゆく文体はスパイ小説というより文学の趣が色濃く、二作品の甲乙は付け難い。 主人公の同僚が二重スパイであったという前提で読み始めるが・・・やがて明らかになる真実。 カッスルが祖国を裏切る選択に至った経緯とは? 人は国家の様な形骸的な対象の為に殉じる事はできないが、情愛の対象に対して時に行動に及び身を捧げる事がある。 東西冷戦酣の共産国家で亡命した二重スパイがどの様な待遇を以て迎えられるか? カッスルの末路を暗示させる寂寥感伴うエンディングが素晴らしい。 | ||||
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ノーベル文学賞を受賞出来なかった(または出来ていない)作家として,グレアムグリーンと村上春樹がよく挙げられますが,まだまだ村上春樹はグリーンの領域には達していないと思います.いくつかの情報から考えるに,結局グリーンがノーベル文学賞を受賞出来なかったのは,選考委員の誰かの嫉妬が原因のように思えます.女の嫉妬も怖いのでしょうが,歴史に大きな影響を与えるのは男の嫉妬です.出る杭は打たれる.出る杭は打つ.殆どの人間なんてこんなものでしょう.自分を苦労して鍛え上げるより,足を引っ張った方が楽ですから. | ||||
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スパイ小説の形をとった純文学。 なんでも金字塔と言われる有名作品とのことですが、評判にたがわない内容。 究極の選択を迫られ二重スパイとなった登場人物が、次第に追い詰められていく。 翻訳物なのに登場人物の描写がイキイキとしており、すぐに物語に入り込んでしまった。 主人公が仕事柄、妻にも秘密を持ち苦しみ抜いた時に、カトリック教会を訪ねて神父に話をしたいと訴える場面があり、心に残った。 現実の教会が救いになってない一例のような場面だが。。 会話が洒脱で、さすが映画にもなる小説と言った感じ。 | ||||
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80年代後半に読んだと思うが、人が名作だと言うわりにつまらなかったから、狼狽した。いったいグレアム・グリーンが偉い作家のように思われていたのは何だったのだろうか。 | ||||
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MI6内部にいる二重スパイをいぶり出して、内密のまま処分する……、なんとジョン・ル・カレ『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』と瓜二つの設定ではないか!!! ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫NV) グリーンもル・カレもどちらもMI6出身者で、どちらもMI6を舞台にした二重スパイと謀略(騙し合いっこ)の話なのだが、まるで別物なのである。 なにゆえにこうも違って見えるのか。 一線をはずれ閑職に甘んじて定年を待つだけの身となっている主人公の設定まで同じだが、「ティンカー……」では二重スパイを探し出し追い詰めていくが、「ヒューマン……」では同じアフリカ担当のしがない同僚が疑われ当局から追い詰められていく。はたして主人公カッスルはその同僚の濡れ衣を晴らすのか、はたまた濡れ衣を掛けた幹部を相手の大立ち回りか、と思わせておいて……。 そしてあまりにあっさりとした中盤の大転換にびっくりするが、そんなストーリーの違いだけではない。 グリーンの文章には文学的な思わず、うまいっと唸ってしまう表現があふれている。技巧的なわけではないが、文学的な高みにあるすばらしいものがある。 それが決定的な差となっている。 「ティンカー……」がつまらないわけでもないし、下手なわけでもない。 しかし殺伐とした人間関係、緊張を強いる職業を舞台としたこのジャンル(スパイもの、冒険小説とかいわれるもの)の小説の中で、ここまで文学的クオリティが高いものがあっただろうか。 誰もこの小説を単なるエンターテインメントとして片付ける事はできないだろう。 それが読書を楽しむ足かせとなっているかというと、そんなことは微塵もない。登場人物の性格や人間関係の妙を短く的確に表すという効果をもたらしている。 つまりこれはある文学的クオリティの高い小説がたまたまスパイを扱っているってかんじなのだ。 | ||||
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グレアム・グリーン読破2作目。 というか、20年前くらいに読んでいたのを思い出した。 グリーンの小説は、メロドラマないしスリラーの骨格に 哲学的な洞察をちりばめており、それがなにかしら純文学的に感じられる、という作風のような気がする。 いわば、通俗小説の部分(仮に赤身の肉)と純文学的な部分(白身の脂肪)の2層にくっきり分かれていて、 赤身だけを食べてもそれなりに美味しい。 しかし、本作品は、その赤身と白身の部分が絶妙に混じりあった、霜降り肉だ。 まず、通俗的な部分も、それほど血沸き肉躍る風でもない、スパイ小説としては淡々とした味わいで、 また、純文学的な部分にしても、初期のグリーンのような、大上段から神を語るわけでもなく 市井の人間の持つ、信条なり心情を丹念に描いている。 要は、肩の力の抜けた手練の技なのだ。 若い頃は、話の本筋ばかりを急いで追うような読み方しかしなかった。 脇筋や心理描写などはうるさいばかりだった。 しかし、 年をとり、それなりに人生経験を積んでくると、 人生にメインストーリーなどないことに気付く。 世界に主役と脇役の区別がないように。 もしかしたら、 人生とは、サブプロットを乱雑に束ねただけの、しまりのない話なのだ。 この小説の本筋は、二重スパイの暴露、ということだろうが、 主人公のカースルにとって、それは決して本筋ではなく、 黒人の妻とその息子を守ることが本筋だったはずなのだ。 若い頃に読んで何の感銘も受けず、今更ながらにグリーンの技巧にうなったのは こんなところにあったのだと思う。 | ||||
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イギリス情報部の極秘事項がソ連に漏洩した スキャンダルを恐れた上層部は、秘密裏に二重スパイの特定を進める 古株の部員・カッスルはかろうじて嫌疑を免れたが、同僚のデイヴィスは疑惑の中心に 上層部はデイヴィスを漏洩の事実ともども闇に葬り去ろうと暗躍する 追う者と追われる者の心理を鋭く抉るスパイ小説の金字塔 スパイ小説によくある派手なアクションや撃ち合いはありません 愛する女性と子供を守るため、主人公・カッスルの祖国を裏切らざるをえない心の内面を捉えた優れた人間ドラマといえると思います でも、ドキドキワクワク感は十分にあります 特に終盤、カッスルがモスクワへ逃亡するあたり 味方はいるのか? 誰が味方なのか? どうやってイギリスから脱出するのか? カッスルの妻と子供は無事なのか? 最初に翻訳が出たのは1979年のこと 本書が描かれたころ ソヴィエト連邦という国家が存在し東西冷戦が続いていました それが過去の歴史となり今日のような世界がやってくるとは、想像もしませんでした グリーンの力によるところもありますが、現代や近未来を描いたものより余程面白い作品だと思います 小林信彦さんや結城昌治さんも絶賛されているようです 久々★x5の作品に出会えました^^ | ||||
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前訳と今回の新訳と二回読みました。読後も長く心に残る重厚な小説だと思います。傑作がいつもそうであるように、シンプルな主題を重層的に語りこんで、あり得る世界を強く響かせて読者それぞれの思考のスイッチを入れてくれます。冷戦時代という特異的背景を利用しながら、普遍的なテーマを提示するのは、この作者の特徴でしょう。 | ||||
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機密情報が流出したイギリスで二重スパイの追及が始まり・・・というお話。 派手なアクションや巧緻な謀略の一切ないスパイ小説。ただひたすら二重スパイに疑われた主人公の日常が淡々と進行していく物語。そんな小説が面白いはずないじゃねぇかと思われるかもしれませんが、やたら面白い。ことに、アフリカ系の妻と血の繋がっていない息子との交情シーン等は忘れがたい心象を残します。それと平行して描かれる、主人公の苦悩もリアリティがあり、国や時代が違っても納得できる心情が描かれている所にこの著者の非凡さを感じます。一応、分類上はスパイ小説ですがそのスパイの祖国を裏切る葛藤を描いている所から察するに心理小説の趣を感じました。 ここから下はネタに触れます。 嘗て「コンプリート・ディーン・クーンツ」の中で宮脇孝雄氏がクーンツをカトリックでその信仰が強固な基盤になって小説を執筆しているのではないかと述べられていましたが、このグリーンもカトリックだそうでこの人の場合もそこら辺りにこのような傑作を書けた秘密があるのではないかと思われますがどうでしょうか。「キリストが人間の原罪を背負って死んでいってくれたおかげで、われわれの内面jは悪から解放された」というのがカトリックの考え方だそうですが、この小説の場合、悪の在処がイギリス或は国家でそこからの解放の為に主人公が一人の人間として国より家族を大事に思うあまり二重スパイになったというのが私のこの作品を読んでの感想ですが、的外れかもしれないし当たっているかもしれません。まぁこの辺は読んだ人によって解釈が多重になると思うのでご寛容にと思います。また、昔日本の有能なれど潔癖で敵の多い官僚が事務次官になりそうだったのに政治に阻止され、去り際にその官僚の奥さんが我らの道は神の道にある、という感じのことを述べたという話を思い出しました。 スパイという卑しい職業を通じて真の人間性とは何かを問いかける傑作小説。是非ご一読を。 | ||||
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