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恋
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【この小説が収録されている参考書籍】
恋の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.37pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全100件 41~60 3/5ページ
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作家の描く恋 恋愛には精神的、性的な感覚がちりばめられていて、時として書物だからこそ読めるけれど、と思いながら恋愛小説とだけは言いきれない世界に浸されます。日常生活でありそうで、なかなかこのような生活はありえないと、でも読んでみれば引き込まれてしまう、小池麻里子さんの作品はあまり読んでいませんが この作家の独特の感覚は他の人には無いように感じました。 いろいろあってたどり着く終章、特に良かったです。 | ||||
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柩の中の猫 (集英社文庫)を昔読んだ時とても良くて、何回か読み直してしましました。 でも「棺〜」は美しいけどとても孤独で不幸なラストだし、平凡な生活を送っていた独身女子としては その異世界が美しいのに寂しくて、憧れてしまうけど怖くて、しばらく小池真理子さんは封印していました。 当時はインターネットが無かったので評判が判らなかったのですが、フト検索してみたら 意外と小池ファンでも読まれておらず、こちらの作品が直木賞をとった上評判が高いので期待半分、 不安半分(また異世界にはまったままになったら困りますw)で読みました。 読み終えてみて、とても満足。 学生運動の時代に自殺した女子大生の日記二十歳の原点 (新潮文庫)、 同じくあの時代を舞台にしたノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)、と あの時代、こういう虚無や孤独を抱えていた若者が多かったのかもしれない、 となればあの「革命の夢」に駆り立てられた若者が多かったのも、なんとなく理解できた気分になれました。 片瀬夫妻に主人公布美子が溺れていく理由や気持ち、信太郎と雛子の関係の(二人ですら気がつかなかった)澱、 そこを見抜いてしまう大久保、そんな大久保に銃を向けてしまう布美子、その理由、全部納得が行きます。 私が布美子の立場でも、そうとしか行動できないかもしれない。 終盤、やさしいハッピーエンドでよかったです。布美子が愛した夫妻は、やっぱり夫妻だった。 「棺の中の猫」は不幸なラストだったけど、この「恋」はその分もなんだか供養できたような気になりました。 | ||||
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「午後のメロン」高樹のぶ子 離婚後、母と二人暮しをしていた、その母を病気で亡くした雪子(現四十二歳)の許に訃報を聞いて小学校四年時当時には若かった担任教師の深江(現五十六歳)が焼香に現れた。これまでの自分の人生では決して起こらなかったこととして会ってその日のうちに体の関係が出来てしまった雪子だが、それには遠い昔の怪我の思い出が重要な役割を果たしていた。怪我を思い出させたのは深江の方だったのだが…… ネッカチーフの縛り跡と痛み止めの薬が意味深い小道具となっている。 「緋色の家」小池真理子 八十を過ぎた老母の世話をするかたわら会社勤めをする節子は、ここ数年、旅行はおろか自宅のある小諸市から出ることもなくなっていた。妹の夫に頼まれ、病気の妹を見舞うために上京した節子は、病院の正面玄関脇の電話コーナーで母に電話をかけ、そこを出ようとしたとき、白いポロシャツに紺のサマージャケット、チノパンツ姿の四十代と思われる男に声をかけられた。男は節子に向かって「昔、大田区のY中学で教鞭をとっていらした……」と問いかけるのだったが…… 母に贔屓された優秀な兄と問題児の弟。その兄の方に出会った場所が病院ということは? 「海辺の貴婦人」藤堂志津子 家族に可愛がられすぎたため無口に育ってしまった『私』は、約三年前に妻子ある男性との恋愛に敗れてから男女関係には臆病になっていた。十七歳のときからの知り合の紀昭には珍しいことにその年、夏の恋人がおらず、そのことを聞いた私は友だちとしての気安さから紀昭に、海に行きたい、とせがんだのだった。海を見るのが好きな私だったが、海に入るのは怖く、また直射日光にも弱かったため、まるで、いともシックな貴婦人のように海を眺めるのだったが…… 紀昭に憧れていたが、彼のタイプではないと知っていた『私』のアブノーマルというほどでもないがノーマルでもないセックスを経て取った行動とは? 「コンセプション」篠田節子 その昔、ハイレグで売った元タレントで現在作家の北岡梨沙は自分を育てた編集者の正木が退職すると聞き、少なからず驚いた。正木は、悪性腫瘍で寿命があと一年命が保たない妻の最後を見届けるために社を辞したのだったが…… 常に前向きで明るい妻と、その妻の前向きさと明るさに疲れてしまい、どんどん小さくなっていく男の対比が妙。 「紅地獄」皆川博子 芝居道具を製作する職人頭の家に生まれた亜矢子は九歳の頃から目にも見えず手に触れる形もない陶酔的な感覚を覚えていたため、現実の男を迎え入れることは索漠とした苦痛以外の何ものでもなかった。ある夜、かつて父の許で働いていた女職人が亜矢子のマンションを訪れ、図らずもある芝居道具のからくりが彼女の陶酔感に関連したことに気付かされたのだが…… 芝居に関しては調べた感があるが、現実の層をくるりと引っ繰り返してしまう技巧は一級品。 「浮島」稲葉真弓 DINKS(ダブル・インカム・ノー・キッズ)の佐和は、ある日自分でも気付かぬ衝動に駆られて公園で母の帰りを待つ子供を誘い、電車で数駅先の遊園地に向かうのだったが…… 日常にポッカリと開いた傷口は、まるで赤く華やいだ奈落、ということなのだろう。 「匂い」高橋洋子 ようやく二十三になった弓子が付き合っていたのは、女は四十からだよ、と口にする、三十五歳の達夫だった。達夫には女優を生業とする別れた妻がいて、弓子が美容師でテレビ局のメーク室に出入する関係もあり、二人の会話にも良く登場した。その元妻がある夜からしきりに、まるで弓子がそこにいるのを見透かしたように達夫の許に電話を掛けて来るようになったが…… 別れてもどこかで繋がっている男と女の絆に一度気付いてしまえば、居場所なく弾き飛ばされてしまうのは必然かもしれない。 「エーゲ海のように」阿木燿子 六本木の会員制クラブに勤める茉莉江は客の草加に誘われエーゲ海をクルージング中だったが、それまでの旅行中、草加は茉莉江に性のフィニッシュを一度も決めてくれなかった。茉莉江の勤めるクラブは一見さんお断りで、草加は、長身/筋肉質で個性派のモデル=ルナから店を紹介されたということだったが…… お話の先がどうなるのだろうと油断しながら読んでいたら見事にやられた。短編集の最後に心地よく騙されて祝杯! | ||||
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浅間山荘事件の時代を背景に、3人の男女の物語が進んで行く、読み進むほどに男女のドロドロの世界にのめり込むほど読みふける。直木賞もうなづける出来栄え。 | ||||
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篠田節子のコンセプションは、恐怖小説なのかもしれない。 小池真理子の緋色の家も、恐怖小説だろう。 | ||||
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藤田 宜永 小池 真理子 という未入籍の直木賞受賞作家の 直木賞受賞よりだいぶ前の インタビューを本にしたもの。 インタビューは 秋元真澄 | ||||
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これは作者の筆の力をまざまざと感じさせる作品だ。 読者は、その圧倒的な力に引き込まれてしまう。 しかも、話の真ん中で、話が急展開するのだ。 作家の力量をこれほど感じさせる作品は、他の作家を 入れても数少ないと思う。恋愛小説なのにである。 余りにも迫真に迫ってくるので、本物の事件かとネットで 一度は調べてしまったほどだ。 男性女性問わず、是非一読をお勧めする。 そして、読後感も悪くないところが実に不思議な 作品である。 | ||||
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初めて、小池真理子さんの小説を読みました。 「恋」というネーミングは、かなり大胆です。 相当の自信作だったのだろうと思います。 かなり分量のある本ですが、最初から、引き込まれました。 随所に、布石が打たれており、推理小説のようです。 きびきびとした文体、無駄のないストーりー展開です。 (阿刀田高氏の解説に、もともと「ハヤカワミステリワールド」の中の1冊との記載があり、納得!) 私は、片瀬信太郎・雛子夫妻と女子大生ふうこ(布美子)の関係を、抵抗なく受け入れることができたので、どんどん読み進めることができました。 そして、結末で救われた思いがあります。 最高に面白い、よくできた小説だと思います。 でも、もし、これがノンフィクションだったとしたら、ふうこの人生はなんだったんだろう と考え込んでしまいます。 (171) | ||||
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浅間山荘事件(1972年2月)に世間の耳目が注がれる中、軽井沢の別荘である事件が起きた。事件に関与したのは英文学専攻の大学教授である片瀬夫妻(信太郎と雛子)、そこで翻訳のアルバイトに雇われたM大学の学生、矢野布美子、そして地元の電気店の従業員、大久保勝也。事件の内容は布美子が勝也を銃殺、信太郎も撃たれ重傷。犯行現場には雛子もいた。 布美子はこの事件で服役するが、45歳で癌で死亡。ノンフィクション作家、鳥飼がこの事件に関心をもち、布美子をつきとめ、彼女が亡くなる直前の病床で事件の顛末を聞き取りる。その話の一部始終がこの小説の核である。布美子は信太郎の翻訳の作業を手伝っているうちに恋愛感情が芽生える。片瀬夫妻、すなわち信太郎と雛子はお互いの浮気(異性関係)を認めあう異常な関係。そこに布美子が割り込み、彼女にとっては片瀬夫妻に精神的にも、セックスでものめり込んでいく。 そこに大久保という25歳の男性が現れ、雛子は彼に惹かれ、夫、信太郎との離婚も考えるようになる。そんななか布美子は信太郎から意外な事実を知る。それは雛子と信太郎とは腹違いの兄弟だということであった。雛子は二階堂という元子爵の娘で、その子爵がお手伝いさんに産ませた子が信太郎であった。 話はここから一気に軽井沢の別荘に。布美子が別荘に赴き、憑かれたようにかつて信太郎に手ほどきを受けた猟銃で勝也を射殺。次いで狙われた雛子をかばった信太郎に弾があたり重傷。現場は一転して凄惨な地獄となった。 終章で鳥飼は翻訳の「ローズマリー」を出版したH出版の編集長に会い、片瀬夫妻との橋渡しを依頼するが、叶わない。しかし、編集長から手渡された片瀬夫妻の写真に写っていたマルメロの木に気がつき(それは布美子がかつて片瀬夫妻と別れる決意をしたときに植木屋でもらい、軽井沢の別荘に植えられていたものだった)、通行人のよそおって、片瀬夫妻宅を訪れる。淀みのない文章、そこに描かれたのは男女の倒錯した愛の世界、しかし当事者だけが知る真実の世界である。 | ||||
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「恋」というタイトルから、私には合わない恋愛ものだと決めつけていましたが、最近になって読んだ「無伴奏」があまりにも素晴らしくて、こちらも読んでみることにしました。読み始めてすぐ、これは来たな、という感触が。とにかく文章が素晴らしくて、その時代の空気が如実に伝わってきます。 妻が他の男と肉体関係を結んでも平気な夫、そんな夫婦の両方を愛してしまう女子大生……、読み進めるうちに、すべての登場人物の心情がしっかりと伝わってきて、共感さえ覚えてしまう。そんな書き方ができる作家を私は他に知りません。 本当に、本当に素晴らしい小説。もっと早く読みたかった。今になって読めてよかった。最後の最後まで心にしみました。 | ||||
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小説に限らず、物語にはクライマックスというものがあり、それで全てが決まるといっても過言ではない。この作品は僕の少ない読書歴の中で最高傑作の一冊であるが、その理由はクライマックスにある。「クライマックスを盛り上げる」と口で言うのは簡単だが、実際にそうするのは難しい。この小説にはクライマックスが二つあるように思えた。まず、あの事件。ここで面白いと思ったのが、最初の方で事件について詳細が語られ、そこに収束していく形で物語が進行していく点である。否応なしに高まる期待以上の展開に痺れた。そして、最終章。僕は基本的にハッピーエンドが好きではないが、あまりの救われなさにいたたまれなくなっていた。しかし、最終章でのささやかなどんでん返し。何故全体がこういう構成になったのかもわかった気がした。巻末の筆者と解説者のやり取りも秀逸。文句なしの傑作。 | ||||
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大人な恋。恋焦がれるとか恋しいとかそういう”恋”ではなく、もっと濃厚なディナーな感じ | ||||
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ハヤカワ文庫での「文庫版あとがきに代えて」と 巻末の、阿刀田高さんの解説は、たいへん面白く感じました。 詳細をここに書いてしまうと、「ネタバレ」になりますので遠慮しますが 阿刀田さんの解説中の「指摘」に対して 小池さんが、文庫版あとがきに代えて、の中の「付記」で きちんと回答をなさっております。 このやり取りは興味深く、小池ファンにとっては見逃せません。 ふうちゃんと雛子、信太郎の3人の関係は、恋愛と官能が複雑に絡み合う 一見あり得ないものですが、読み進んでもうっとうしさを感じない 実に爽やかな「三角関係」でした。 「このような関係も悪くない」と、それを肯定する気持ちが湧いてきた さすが、小池さんの作品です。 作品中に、軽井沢の自然描写がいろいろ出てきますが マルメロの樹が、最後に重要な役割を果たすのは、予想外でした。 このあたりの描き方も、さすが、小池さん。 作品もあとがきも、解説も、文句なしの「星5つ」です。 | ||||
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実は日本の女性の恋愛小説は苦手なのですが、これは面白かったです。 途中で飽きてきましたが、飽きたときにはもう引き返せないところまで読んでいました。 最後まで読んでよかったです。 倒錯的な生活を送る三人の物語。 やがて一人の男があらわれ、三人の平和が壊される。そのとき…。 そんなお話です。 ものすごく耽美な内容ですが、この作品のどこが面白いかと言われると、正直なところ答えずらいです。 「感性がいい」としか答えられません。 文章もそう華美ではなく、とても平板。 内容が耽美的なので、もっと華美な文章でもよかったと思いますが、そうなるとこの作者の作品にはならないのですよね。 でも、とても面白かったです。 | ||||
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あらすじは省略するとして。矢野は片瀬夫妻に出会わなければ罪を犯すことはなく、平々凡々な女としての一生を終えたのだろう―――そうは思うものの、矢野がわずか儚い時間でも、生まれてきた意味に巡り合ったならばどんな悲劇が巻き起ころうが、出会いは宝なのだ。事件後の夫妻の関係、彼ら三人以外の社会の反応に好奇心を大きく擽られた。それを架空のものだと、何度も忘れそうになった。恋愛小説と呼ぶにはあまりにも性モラルのない奔放な世界に投げ出されるが、文字を追うだけで私の想像の中に彼らの過ごした夏が映画のように描きだされた。つまり小池真理子が上手いのである。同著「望みは何と訊かれたら」は浅間山荘事件後からスタートが切られるが、本作は同じタイミングで終焉を迎える。何にしろ、あの事件がひとつの時代を集約し、ピリオドを打ったことを改めて感じさせられた。★五つが最高評価であることが狂おしく思える。今まで読んだ、もしくはこれから出会う作品と並べたとしても本作は間違いなく高く秀でるだろう。読み始めてからは、まるで自身のレベル倍ほどモンスターに遭遇してしまったような、そんなトンデモなさが沸き上がる。 | ||||
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これほど人の感情を色濃く描く作品はない! そう断言したい・・・ それほど、主人公の女性の内面をえぐりだします。 「心神喪失」とはこのことか!と妙に納得。 そして感動のラストシーン。 ぼくは涙が止まりませんでした。 万感胸にせまる思い、 こう書くと陳腐な感じがしますが。 大学助教授の夫婦のアブノーマルな関係を軸に 話は進んでいく、エンターテーメント性も一級! オススメの一冊です。 | ||||
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8人の女性作家の描く恋愛小説。 恋愛小説を読んでいて思うのが、恋をしている男女の心理描写は様々なかたちで描けても、セックスの描写は良く似ていること。 そして、セックスの描写はどうしても著者の経験が反映してくること。 本書に収められている全ての作品は、男女の恋愛・・・というより、恋や愛、そして不倫をエッセンスに人間関係を描いた作品と言えると思う。 なぜなら男女が恋に落ちて、肉体関係を結ぶという単純なストーリーではないから。 「恋の物語」というほど単純なアンソロジーではないのです。 | ||||
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8人の女性作家の描く恋愛小説。 恋愛小説を読んでいて思うのが、恋をしている男女の心理描写は様々なかたちで描けても、セックスの描写は良く似ていること。 そして、セックスの描写はどうしても著者の経験が反映してくること。 本書に収められている全ての作品は、男女の恋愛・・・というより、恋や愛、そして不倫をエッセンスに人間関係を描いた作品と言えると思う。 なぜなら男女が恋に落ちて、肉体関係を結ぶという単純なストーリーではないから。 「恋の物語」というほど単純なアンソロジーではないのです。 | ||||
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1972年 浅間山荘事件の年 学生運動という政治運動?革命期待?あるいはエネルギーを爆発させるための祭り? 最新作の「ふたりの季節」2008年も同じ年代の青春物語であるが、この「恋」が書かれた1995年当時の小池さんと明らかに文章の柔らかみが違うことに気が付きます。 本書の解説には「倒錯」とか「奔放」とかの言葉が使われていますが、果たして、倒錯や奔放という文脈が正しいのだろうかと思います。 あるいはモラルであるとか道徳あるいは倫理という文脈は誰がどのような思想の基に作り上げられたのだろうか? 男と女あるいは両性具有であろうが、ヒトが生きる限りおいて出会いがあり別離があり生老病死がある。 小池さんの筆によって描きだされる人物が実は人間の本質を正確にあるいは人間の普遍な姿なのだと思いながら読んでいたら、時間も忘れ最後まで一気に進んでしまった。 登場人物の中に自分と同じ心象を程度の差はあるにせよ感じるからだろう。 | ||||
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直木賞を獲得した、この作品と同じときに候補にあがった、小池真理子以外のすべての作家は、不運だったと思う。この作品のできばえに、平凡な天才クラスでは、きっと誰もかなうはずがなかったからだ。 ノンフィクション作家が、昭和47年のある新聞記事に目をとめる。連合赤軍が起こした、浅間山山荘事件と同じ日の新聞に、ベタ記事として掲載されていた、深い理由がありそうな殺人事件の存在に、彼は『売れる本を作ってやるぜ!』との野心に燃えて、当時大学生だった犯人の女性を訪ねる。 彼は、死の病にある彼女の心を開かせ、事件前後のすべてを聞き出すことに成功する。しかし、野心に燃えていたはずの彼が下した決断は、『聞いたことは本にしないし、誰にも語らない』という結論だった。 それほどの重たい秘密が、事件の背景にあったというわけだ。「なるほど、これは本にはできん」。読者が納得する展開を、小池真理子さんは、保証することろから物語を始めているのだ。 小説が始まったばかりの入り口で、そんな結論を展開させちまって、だいじょうぶなのか。読者の俺が、作家の立場になって心配しても仕方ないが、それほどの結論を冒頭に示しているのである。そんなことは、力がないやつには、できん。まるで予告ホームランしているようなものではないか。 『欲望 (新潮文庫)』そして『恋』を読み始めて、一貫して思うのは、小池さんの文章が緻密で揺るぎないことだ。主人公の内面世界に没頭することができる。 優れた作品を読んでいる時だけに感じる、精神が酩酊する状態を、通勤バスの中で何度も感じている。 | ||||
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