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ザ・ボーダー



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【この小説が収録されている参考書籍】
ザ・ボーダー 上 (ハーパーBOOKS)
ザ・ボーダー 下 (ハーパーBOOKS)

ザ・ボーダーの評価: 8.50/10点 レビュー 2件。 Aランク
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(8pt)

麻薬は果たして“魔”薬なのか?それとも麻“薬”なのか?

『犬の力』から始まる、かつての義兄弟だった麻薬王アダン・バレーラと麻薬取締官アート・ケラーの因縁の物語最終章である。しかしアダン・バレーラは前作『ザ・カルテル』でセータ隊との最終決戦の場で命を喪い、既に退場している。
しかしこの男の権力の影響がいかに大きかったか、それを彼の死によって再び麻薬戦争の混沌が激化するメキシコを描いたのが本書である。

『ザ・カルテル』では3.5ページに亘って殺害されたジャーナリストの名が連ねられていたが、本書でも同様で実に細かい文字で2ページに亘って2014年に拉致され殺害された43名の学生たちの名前が書き連ねられている。更に2017年に殺害されたジャーナリスト、ハビエル・バルデス・カルデナスと世界中のジャーナリストの献辞が捧げられている。

時代は下り、犠牲者の数は減ったのかもしれないが、実情は全く変わっていないのだと思わされる献辞である。

さてアダン・バレーラとアート・ケラーの数十年に渡る抗争に終止符が打たれた前作で私も含め、読者の皆はこの2人の戦いは集結を迎えたと思っていただろう。
しかし「死せる孔明生ける仲達を走らす」という言葉をそのまま体現するかのように死んだアダン・バレーラはその後もアート・ケラーを奔らせる。なぜならアダン・バレーラという巨大な存在を喪ったメキシコのカルテルはポスト・バレーラの座を勝ち取るべく、戦国の世に陥るからだ。

しかし今回ケラーが戦う舞台はメキシコではない。彼の舞台はアメリカ本土。メキシコの麻薬を食い物にし、もはや政財界にドラッグマネーが蔓延り、表面的にメキシコの麻薬カルテル撲滅を謳いながら、その背中に手を回して巨万の金を動かしている歪みが今回の敵なのだ。自分が所属している麻薬取締局、アメリカ上院、そして合衆国大統領らがケラーの相手なのだ。

つまりアメリカという病理との戦いがこのサーガの最終幕となっている。

まだ子供だった頃、麻薬という言葉を初めて聞いた時、その恐ろしさからてっきり「魔薬」と書くものだと思っていた。本書の中でもアメリカが参戦した最も長い戦争はヴェトナム戦争でもなくアフガニスタンでもなく、麻薬戦争なのだと書かれている。もう50年も経ち、今なお続いている。私が生まれる前から続いているのだ。

そしてケラーにとってそれは40年にも及ぶ戦いだ。裏切りと違法捜査、そして殺戮の連続の40年。

何とも不毛な戦いだ。ちぎってもちぎっても雨後の筍のように出てくるカルテル達。カルテルのボスを狩ることは虎視眈々とその名を狙う№2達にその空きを提供しているに過ぎないとケラーは作中で述べる。

なぜ人々は麻薬に手を出すのか?

作中ケラーはこう答える。

麻薬は痛みへの反応だからだ、と。

肉体的な痛み、感情的な痛み、金銭的な痛みへの。

生きていくことが辛い、格差社会の現実の中、無理をして身体を酷使して働き、苦痛を常に共にしている人がいる。
その辛さゆえに心を塞ぐ人がいる。
最低の賃金で生活もままならない人がいる。

そんな人たちが一時の快楽を、いや魂の開放を求め、または一獲千金を夢見て手を出すのが麻薬、そして麻薬ビジネスだ。

麻薬は人の心を蝕んで生きるビジネスなのだ。

アダンの跡を継いだヌニェスがこう述べる。

麻薬ビジネスは他じゃ絶対あり得ないような給料をもらえる仕事を作り出している、と。

コーヒーやカカオを作るより、大麻や芥子を栽培する方が金になる。今、そんなコーヒー産出国、カカオ産出国ではそう考える農家が増えているという。合法的な市場で売られるコーヒーやチョコレートが我々市民の手に届く価格であるのに対し、麻薬はその非合法性から破格の値段で取引され、莫大な金を手に入れることができる。多少のリスクは負ってもそんな人参を目の前にぶら下げられれば、手を出すのは生産者の良心に掛かっていると云える。
後進国ではそんな現実がゴロゴロしており、我々先進国の人間が豊かな生活圏から彼らを糾弾することが果たして出来ようか?
彼らもまた食っていかないといけないのだから。

しかし麻薬ビジネスはもはや巨大化、いや肥大化しすぎてしまっている。なぜならこれほどの大金が動きながら、取引は現金で行われ、それがどんどん増えていき、次第に金の置き場に困るようになる。

いやはや資金繰りでヒイヒイ云っている企業が多いのに、何とも滑稽で贅沢な悩みだろうか。

しかしその多すぎる金は汚い金でもあるため、使うために洗浄しなければならないがなんとメキシコの銀行でも捌けないほどの量となり、アメリカの銀行も1万ドルを超えると“疑わしい取引に関する届け出”をする必要があり、報告する義務がある。

そこで白羽の矢が立つのは不動産投資だ。巨額な金が動き、尚且つ利益を生む、これほどうってつけの方法はない。
そして本書のジョン・デニソン大統領は元不動産王。明らかにモデルは現大統領のトランプ氏。何とも現実味を孕んだ話だし、よくこの物語を今この時に書き、そして刊行したものだと驚かされる。

正義対悪の構造を持ちながら、肥大する麻薬カルテル達に立ち向かう政府機関の連中ももはや綺麗ごと、正攻法では彼らに敵わなくなっている。
毒を以て毒を制す。
従って巨大な麻薬カルテルの息の根を止めるには正義の側も悪に染まる必要があるのだ。

麻薬取締局長アート・ケラーの麻薬カルテルとの徹底抗戦の姿勢に賛同したニューヨーク市警麻薬捜査課のトップ、ブライアン・マレンは腹心の部下ボビー・シレロに囮捜査官になれと命じる。但し彼に麻薬の売人になるのではなく、賄賂を貰い、もしくは悪党たちに金をせびって便宜を図る汚職警官になって彼らの信用を得てトップまで辿り着くように命じる。

このボビー・シレロの囮捜査のエピソードが特に胸を打つ。汚職警官に成りすますことは即ちそのレッテルを警察内に貼られることだ。
囮捜査であるからごく一部の人間にしかその真意を知られてはならない。そして彼が悪徳警官と記録されるとそれは警察官としてのキャリアが終ったことを示す。
人生そのものに大きなリスクを背負った彼が上司のマレンの期待通りに応えてマフィアの中枢、カルテルの上層部に近づいていきながら、自分の心が荒み、演技ではなく本当に汚職警官になってしまいそうになっていく危うさが哀しみを誘う。

巨悪を斃すための代償は人としての尊厳を失ったこと。

彼が利用した中毒者に罪滅ぼしのために更生施設に入れるが、すぐに麻薬の売人にヤクを売りつけられ、元の中毒者に戻ってしまう、この不毛さ。

…読書中、こんな思いが頻りに過ぎる。

ここまで人生を賭けて、生活を犠牲にして、心を病んで戦わなければならないものなのか、麻薬戦争というものは?

しかしウィンズロウはそれを読者に見事に納得させる。
彼は麻薬ビジネスに関わる人たちの点描を描くことで麻薬に手を出したことでいかに彼ら彼女らが不幸になっていくか、悲惨な末路を丹念に描いていくのだ。

作る側、売る側だけでなく、それを運ぶ側、知らないうちに巻き込まれてしまう側、そして使う側それぞれの変化を描くことで上の切なる疑問に対する回答をウィンズロウは我々読者に与えていく。

いや正確には我々読者の良心に問いかけているのだろう。

こんな人たちが現実に起こっているのにそれでも貴方は見て見ぬふりができますか?

そしてその問いに隠されているウィンズロウの痛烈なメッセージは次のようなものだろう。

もしそれが出来るならば貴方もまたカルテルの仲間なのですよ、と。

しかし麻薬戦争撲滅を己の正義として、信念として貫いたアート・ケラーという男の生涯はすさまじいものだった。

余りにも多くの罪を犯し、そして犠牲を伴った戦い。それはまさに現代の修羅道だ。
麻薬を撲滅するには綺麗ごとでは済まされない、自らの手も汚さなければ悪には立ち向かえない。清濁併せ吞み、毒を以て毒を制す。それはケラーのみならず、それまでのシリーズで共に戦ってきた男たちが抱えた必要悪だ。

やっていることは麻薬カルテル達の連中と同じなのか。麻薬という物を介して悪と正義に分かれるこの奇妙な二極分離。
ただそれだけしかケラーの側には正当性がないように思える。麻薬を作り、売りさばく側と麻薬を奪い、葬り去る側の違いだけで行っていることはもはや何も変わらないのかもしれない。半ば狂気に陥るところをギリギリの淵で留まるよすがが麻薬を撲滅させると云う正義感だったに過ぎない。

私がこの本を読みながら思ったことはこの場面でケラーの口から提案される。

上下巻合わせて1,545ページを費やされて書かれた最終章。しかしそれだけの紙幅を費やしてもウィンズロウがまだまだ書き足らないと感じていたことが行間から読み取れる。それだけ麻薬戦争の闇は深く、まだまだ我々には知らされてないことが沢山あるのだろう。

しかし予想はしていた通り、ウィンズロウのこの麻薬戦争サーガは重かった。
正直云って私はこのシリーズは好きではない。読んだ後に必ず陰鬱な気持ちに晒されるからだ。
他のウィンズロウの作品に比べてこの作品がかなりページを割いて書かれているのはウィンズロウの怒りの捌け口にも一部なっているからだ。その時の彼は筆を緩めない。書くべきことはしっかり書く。
本書もそれまでの作品同様、血を血で洗うカルテル達の闘い、とても人間の所業とは思えない残虐な拷問シーン、更に裁く側も、正気を保つのが困難とされる独居房の生活が事細かに書かれる。読んでいる側は終始悪夢にうなされる様な思いでそれを読む。

しかしその中にあってグアテマラからアメリカへ不法入国した少年ニコ・ラミレスのエピソードが実に愉しく読めた。
グアテマラからメキシコを経てアメリカに辿り着く冒険行、更にその後の少年拘置所での日々の物語は、アメリカの不法入国者に対する対応への問題提起として書かれており、彼の取り巻く環境は決して明るいものではないにしろ、その瑞々しさに溢れた筆致こそウィンズロウの真髄であり、やはり一ファンとしては早くこのようなウィンズロウ作品を読みたいと強く感じた。

冒頭に記したように今回のケラーの敵はメキシコの麻薬カルテルよりもアメリカ合衆国そのものだ。

ドラッグマネーによる不動産投資金が大統領へと繋がるスキャンダラスな内容だ。つまりとうとう麻薬はアメリカ政府をも買収してしまったことを意味する。
麻薬ビジネスは作る側に否があるだけでなく、それを使う側、買う側にも否がある。そしてそれはアメリカ合衆国その物の問題なのだ。

本書の題名『ザ・ボーダー』。それは即ち境界線を指す。
この境界線、つまりあちらとこちらを切り離す線は一体何を二分しているのだろう?

本書のジョン・デニソン大統領が掲げる、メキシコとアメリカを分断する“壁”もまたその1つ。

麻薬というボーダーを境に売る側とそれを取り締まる側もまた1つだし、売る側が悪だとすれば取り締まる側は正義となろう。

しかし麻薬戦争はそんな単純な二分化は出来ない。時に悪になり、そして正義になる。正義を貫くために悪になり、そうしなければ正義は成し得ない。

そしてやはりウィンズロウが我々に痛烈に訴えるボーダーとは即ち麻薬を使う側に行くなという境界線だろう。つまり越えてはいけない“その一線”を指すのではないか。
それはしかし無駄な遠吠えに聞こえるだろうと作者自身も思ったのかもしれない。

繰り返しになるが本書はメキシコの麻薬カルテルとアート・ケラーの戦いを描いた壮大なるサーガの最終章と云われている。

それを示唆するかように本書の結末は麻薬戦争に人生を投じたアート・ケラーのそれまでの歩みが最後公聴会の席で彼の口から述懐される。

しかし私はそれを信じない。

本書は献辞を捧げた2014年にメキシコのイグアラ市で起きた学生バス大量虐殺事件が一部材に採られている。ウィンズロウがこのサーガを描く原動力はこういった麻薬に関わったがために理不尽なまでに蹂躙した無法の輩どもへの憤りと犠牲になった無垢の魂への追悼だ。
従ってもし同じようなことが起きれば、ウィンズロウは再び憤怒の筆を握り、制裁を加える迸りを紙面に落とすだろう。

アート・ケラーの物語はウィンズロウにとってライフ・ワークとなる作品で、もはやこのシリーズが彼の代表作であることは万人が認めるだろう。

断言しよう。
アート・ケラーは再び我々の前に姿を現すだろうことを。

しかしそれは即ち裏返せば麻薬戦争が終わらない、麻薬カルテルが一掃されないメキシコの惨状が続くことを意味している。
それならばたとえウィンズロウの一読者としてもケラーとの再会は望まない。一人の人間として本書が本当に最終章になることを望むばかりだ。


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