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(短編集)

カーテンが降りて



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【この小説が収録されている参考書籍】
レンデル傑作集〈1〉カーテンが降りて (角川文庫)

カーテンが降りての評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点7.00pt

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全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(7pt)

私たちの隣にいる人たちの狂気

レンデル特有の悪意が詰まった短編集。

冒頭の表題作はミステリというよりも、ホラーにも似た1編。
因果応報の物語。本編でアメリカ探偵作家クラブ最優秀短編賞を受賞したとのことだが、候補作のレベルが低かったのか?

続く「誰がそんなことを」は親友が妻を殺した経緯を夫が語る話。本編で怖いのは語り部である主人公の真意が解らないこと。そして淡々とした語り口では主人公の嫉妬心が全く解らない。従ってそれが奇妙な怖さを与えている。

「悪い心臓」は、解雇した部下から夕食の誘いを受けた社長の一夜の物語。
解雇した社員からいくら執拗に招待を受けるとはいえ、果たして受けるものだろうかという日本人ならば抱く疑問はさておき、本書はその居心地の悪さが終始語られる。
妙にぎこちなく進んで盛り上がりに欠ける会話。話題が全て部下の解雇に繋がる等、おおよそその場には居合わせたくないシチュエーションだ。レンデルらしい実に意地の悪いお話だ。

今でいう確認恐怖症の女性を描いた「用心の過ぎた女」。
レンデルお得意の、何かの恐怖感、執着心に囚われている人間が他者が自身の生活圏に関わることで次第に冷静さを失っていく過程を描いた物語。
鍵をきちんと確認するのは私もよくあることだが、レンデルの描く人物は度が過ぎていてすさまじい。そんな精神障害を持つ人間が他者に対して平常心を保とうと無理をすることがすなわち破局への始まりなのだ。

奇妙な味わいを残すのが「生きうつし」だ。
二兎追う者は一兎も得ず。ゾィーに対してピーターはリザとは上手く行っていないと語り、リザに対してはゾィーと逢っていることはおくびにも出さない。そんな二重生活を続けていた中で訪れた皮肉な偶然。ホランド・パークで偶然再会したリザとゾィーは何をしゃべったのか。色んな想像が膨らむ結末である。

2人の老人を主人公に据えたのが「はえとり草」。
とにかくマールの性格の悪さが引き立つ話だ。私も社会に出て色んな人と出逢って気付かされたことがあるのだが、大体独身で30を過ぎた人はどこか子供めいた我儘なところがあるということだ(私の意見です、念のため)。柔軟性に欠け、自分の意見を通さずにはいられないという我の強さが目立つ傾向にある(あくまで私の意見です。念のため)。
マールはそんな人間の典型だ。読んでいる最中、どうしてダフネはこんな女性と友人関係を続けるのだろうかと首を傾げたが。最後の犯人はきちんと読んでいないと解らないようになっている。私はかろうじて解った。レンデルの人間観察眼が際立った1編か。

「しがみつく女」ははたまた精神障害者のお話。
愛と狂気の境界とは一体どこにあるのか。そんなことを考えさせられる1編だ。リディアという相手を愛しすぎるがために一時も離れたくないという女性が登場するのだが、通常ならばそこから結婚生活を送る夫が妻への恐怖を募らせる、と云うのがパターンだろうが、本作では主人公の彼もリディアを愛しており、彼女の希望を叶えようと仕事よりもリディアを取る生活を送る男だ。つまり半ば愛情の度合いが強すぎた男女だからこそ解る2人の間に存在するタブー。それを犯した彼が辿る行く末は実に奇妙な味わいを残す。

「酢の母」はその名の通り、ワインから酢を作り出す「酢の母」なる培養物とマーガレットとモップという2人の女の子の物語が繰り広げられる。2人の女の子が短期に滞在する別荘でモップが体験する夜中に屋敷を忍び込む影。そんな転換点が随所にあるものの、今いち吸引力に欠ける物語であった。

「コインの落ちる音」は不仲状態の夫婦の物語。
セックス嫌いの冷感症の妻に理解を示した夫が自身の性的欲求不満を解消するためにセックスフレンドがいることを告白したことで狂ってしまった夫婦と云う名の歯車。夫は理解を示さない妻に業を煮やして一刻も早い離婚を望み、恥をかかされた妻はどちらかが死ぬまで決して離婚しないという復讐を誓った。
そんな二人が夫の会社の会長の結婚式に出席するために滞在したホテルにあるコインを入れれば一定時間使用できる古いガスストーブ。
状況と小道具が見事に物語の結末に有意的に働いた1編だ。

SFかと思わせたのが「人間に近いもの」だ。
ネタバレに感想を書くが何とも味わいのある作品だ。

最後の「分裂は勝ち」は我々の生活に身近な問題を扱っている。
親の介護という誰もが直面する問題を題材に実に人間臭い卑しい考えが横溢した作品となった。自分に忙しいマージョリーは母親の世話を妹のポーリーンにこれまでように任せて今の生活を維持しようとする。そんな中に現れたポーリーンの恋人の医師。冒頭は不器量で変わり者のポーリーンが本書における異分子かと思いきや、マージョリーもまた我儘の強い人物だったことが解る。なんとも救いのない話だ。


数あるレンデルの短編集の中で日本で初めて紹介されたのが本書。
長編でも短編でも書ける作家レンデル。彼女の持ち味は人間がわずかに抱く悪意や不満といった負の感情が次第に肥大していき、あるきっかけがもとになって悲劇を招くことが非常に自然な形で読者の頭に染み込んでいくような丹念な物事の積み重ねにある。

本書でもそれは健在だが、短編と云う決められたページ数のためか扱われる内容は実に我々の生活の身の回りの出来事であることが多い。
やたらとモテる友人への嫉妬心、解雇した部下への苦手意識、潔癖症、独身生活を続けたゆえに生まれた独善的な思考、誰かに愛されていないと生きていられない女、夫婦の不仲、厭世的な人間嫌い、苦労を厭い、できれば身内に面倒を押付けたいという願望。
それらは誰もが周囲に該当する人間であり、もしくは自分の理解を超えた存在ではなく、どこかに必ずいる、ちょっと変わった人たちだ。みな何かに不満を持ちながら、それでも生きているのが現状であり、何もかもに満たされ、毎日が安定して幸せな生活を送っている人たちなどほとんどいないだろう。
従ってレンデルの作品に登場する人物は不思議なお隣さんの生活を覗き見するような趣があり、時にそれはリアルすぎて生活臭さえ感じられるほどだ。

この世に流布する物語の大半がいわゆる日常生活が非日常に転換する何かのきっかけ、すなわちトリガーを切り出した話である。
レンデルはこのトリガーが非常に自然であり、また我々の生活に身近にあるような題材、内容なので読了後なんとなくわが身の将来に起こる不安感を掻き立てられたりするのだ。

本書の原書が刊行されたのは1976年だが、収録されている作品に出てくる人物たちは21世紀の今でも不変的な存在だ。いやむしろ精神障害の種類が細分化された現在だからこそ、40年近くも前にこのような作品が書かれたことに驚く。
それまでは特徴的な性格として捉えられていた内容が現代では名前が付けられ、分類されている。特に最終話に登場する“想像上の友達”に関してはこの時代に既にそんな認識があったこと、そしてそれを小説の題材に扱っていたことに驚かされる。

本書に収録されている物語の結末は全てが数学を解くかのように割り切れるような内容ではなく、何かの余りを残してその後を想像させるものが多い。それがこの作家の、人間というものに対しての思いなのだろう。
だからこそここに出てくる人物たちが作者の掌上で操られているのではなく、自らの意志で行動しているように感じてしまう。作者はそんな彼らに事件と云うきっかけを与えているだけ。そんな風に感じてしまうほど彼らの行動や出来事の成り行きが自然なのだ。

読めば読むほどレンデルの人間観察眼の奥深さを知らされることになる。だからこそ訳出が途絶えたことが残念でならない。どの出版社でもいいのでレンデル=ヴァインの作品を再び刊行してくれることを切に願っている。


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