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オンブレ



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【この小説が収録されている参考書籍】
オンブレ (新潮文庫)

オンブレの評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Bランク
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No.1:
(7pt)

いやはや男だねぇ

2008年に『ホット・キッド』と『キルショット』の文庫化以来、翻訳が途絶え、2013年に逝去したレナードの作品はもう訳出されることはないだろうと諦めていた。だからまさに青天の霹靂だった。
10年ぶりに未訳作品が刊行される、しかも訳者は村上春樹氏!何がどうしてこんな奇跡が起こるのかと不思議でしょうがなかったが、兎にも角にもそれは実現した。

しかも村上春樹氏が数あるレナード作品から選んだのは既出の作品の新訳版でもなく、はたまたレナードがベストセラー作家となった以後の作品でもなく、彼がまだデビュー間もない頃に書いていたウェスタン小説というのもまた驚きだ。特にこの手の作品はレナードが犯罪小説の大家として名を成していたために初期の作品については決して訳されないだろうと思っていただけに、三重の驚きだった。

そんな本書『オンブレ』には中編の表題作と短編の「三時十分発ユマ行き」の2編が収められている。

表題作は白人とメキシコ人の混血で、3年間アパッチと共に暮らした“オンブレ”の異名を持つジョン・ラッセルの物語。
“オンブレ”とはスペイン語で「男」という意味でトイレにも男子トイレを意味する言葉として書かれているほど一般的な名詞だ。確かディズニー・シーのどこかのトイレにも書かれていたはずだ。

このジョン・ラッセルと旅に同行することになった一行が同行者の1人、インディアン管理官のドクター・フェイヴァーが横領した牛肉の上積み金を追ってきた強盗一味と戦いを繰り広げる物語だ。

但しこのジョン・ラッセル、まだ21歳ながら、蛮族として白人連中に忌み嫌われていたアパッチと3年間共に生活をしていた経験から、白人たちとは異なった価値観、考え方を持つ。人の命を優先しがちな白人たちと違い、彼は常に自分の命を優先して物事に当たる。というよりも最大限に仲間の命が助かる道を選ぶ。
従って1人のために皆に危機が訪れることは選択しない。それが時には非情に映るようになる。

例えば少ない水を巡って昼に飲むとすぐに干上がるから夜に飲むことを仲間に強いるが、その約束を破って率先して水を飲んだ者を、仲間たちに災いをもたらすとして同行を禁じる。

灼熱の暑さに苦しんでいる者を助けようとする者をそうすることが敵に居所を知られる罠であると見破ると敢えて手を出さずに見殺しにする。

つまり彼は無法の地で生きていくために身に着けることになった考え方、そしてアパッチたちとの生活で培ったサヴァイバル術を実践し、自分の考えに従って行動しているだけなのだ。

その一方でアパッチに対する敬意も深く、野蛮だ、忌まわしいと一方的に忌み嫌う人々には容赦ない眼差しを向ける。

彼は決して気高い男ではない。但し常に冷静な頭で考え、行動する。そうやって生きてきた男だ。作中こんな言葉が出てくる。

 “ラッセルは何があろうと常にラッセルなのだ”

これほど彼を的確に表現している言葉もないだろう。誰にも干渉されず、従わない。しかしなぜか皆が頼りにしてしまう男、オンブレがジョン・ラッセルなのだ。

法という道理が通用せず、ただ生き残った者が正義である荒野。そんな最悪の環境下でインディアン管理官の横領した金を奪おうと追ってくる強盗達から逃亡と対決。
そんな極限状態の中で金と水の誘惑に人は惑わされ、自身にとって最も都合のいい解釈に従って行動するようになる。

そんな人の心の弱さを見せつけられる中、一人正論を吐き、常に気高くあろうとするマクラレン嬢の存在はある意味、本書における良心だ。
アパッチに襲われ、1カ月以上行動を共にした17、8歳の女性は、恐らくはその地獄のような生活で凌辱の日々を過ごしながらも道徳心を保ち、そしてそれに従って生きようとする。

今にも息絶えそうな人間に早く水を飲ませなくてはならない。
人を見殺しに出来ない。
皆で協力すればどうにかなる。

それは現代社会においても見習うべき前向きな姿勢だし、そして人として守らなければならない教義だろう。

しかしこの荒野や悪党どもとの戦いの中ではそれらが実に偽善的で自己満足に過ぎない戯言のように響く。
正しいことをすることで被る犠牲や危機がある、それがこの無法の地であることをこの正しき女性マクラレン嬢を通じて我々読者は痛感するのである。

そして正しきことをすることで訪れるのは哀しい結末だ。それが西部開拓時代のアメリカの姿なのである。

もう1編の短編「三時十分発ユマ行き」は3時10分に訪れる列車に乗せる囚人を預かった保安官が孤軍奮闘して囚人を救出しようと町に訪れる彼の仲間たちの襲撃を退け、無事列車に乗せるまでの顛末を語った物語だ。

援軍もなく、ただ1人の囚人の護送のためにホテルの一室で息が詰まる見張りを命じられた保安官補スキャレン。彼には3人の子供と女房がいて、月給150ドルで養っている。
強盗のジム・キッドは彼よりも若く、ともすれば10代の青年のようにしか見えないが彼は強盗稼業で彼以上の金を稼いでいる。彼にはなぜそんな150ドルぽっちの安月給で割に合わない仕事をしているのかとスキャレンを揺さぶる。

正直スキャレンにもはっきりした答えはできないのだろう。ただ彼は今までそうやって生きてきたのだから。
アパッチの反乱鎮圧のために組織された自警団に参加し、それが縁で保安官に気に入られ、月給75ドルから保安官補として働き出したスキャレンは150ドルまで月給が上がったことが誇りであった。堅実に生きることが当然のことだと思っていたに過ぎない。

しかしそんな彼に訪れたのが今回の災難。囚人護送のために囚人たちの仲間に囲まれた状況で無事に彼を列車まで届けなければならない。
そんな窮地に陥った時に不意に浮かんだ家族との風景。それはまさに彼にとって死を迎える前に走馬灯のように見えた過去だったことだろう。

そして彼はどうにか無事に囚人を列車に乗せることに成功する。生きるか死ぬかの境でどうにか生き延びたスキャレン。囚人のジムも感心して月給分の仕事を間違いなくしていると賞賛する。

それが仕事なのだ。手応えのある仕事をしているからこその代価。
そんな男の達成感がこの短い話の中に詰まっている。


レナード最初期の作品であるこの2編はブレイクしたレナード作品に登場する悪役ほどの個性はないが、その萌芽は確実にみられる。

白人とメキシコ人の混血であり、更にアパッチと共に暮らした経験を持つ“オンブレ”ことジョン・ラッセル。

牛肉の代金を水増しして請求し、その上澄み金を横領して私腹を肥やしていたインディアン管理官ドクター・フェイヴァーは自分の金を護るためならば若い妻をも見殺しにする、情理のうち理性の部分で物事を考える合理的な人物。

そしてアパッチにさらわれて1ヶ月間行動を共にさせられた気高き女性マクラレン嬢はどんな窮地に陥っても人として正しいと思ったことを貫こうとする。

翻って彼らを迎える悪人はさほど印象が強くない。乗客の1人だった除隊兵を押しのけ、彼の切符を横取りしてまで馬車に乗り込んだフランク・ブレイデンはフェイヴァーの横領金を狙った強盗団の一味だった。しかし彼は度胸はあるものの、タフではない。彼は自分より若いオンブレに最終的には恐れをなす男だった。

その他彼の仲間も大同小異と云った印象だ。やはり本書では主人公のオンブレが群を抜いている。

陸軍への物資補給を請け負う馬車隊の仕事をしていたジェームズ・ラッセルという男に拾われた虜囚イシュ・ケイ・ネイがやがてジョン・ラッセルという名を与えられる。5年後ジェームズ・ラッセルの許を離れ、インディアンの自治警察に入ってそこでチャトとチワワの部族との戦いで3人分もの活躍を見せたことから「トレス・オンブレス」の異名を貰い、“オンブレ”と呼ばれるになる。

21歳ながらそんな波乱万丈の人生が彼に年不相応の落ち着きと雰囲気を纏わせ、何物にも動じない、自分の芯を持った男として常に生き残ることを考えて行動する。

しかし彼が最後に起こしたのは1人の女性の訴えに応える、決して自分ではやらないことだった。

西部開拓時代にいくつもあったであろう“男”の短い人生の1つ。まさに西部の男である。

そしてもう1編の保安官補スキャレンもまた西部の男の1人。彼は任務のため、仕事のために命を張る。その頭に過ぎるのは3人の子供と女房。家族のことを思いながら家族のために命を賭ける。死ねば何も意味はなくなることは解っていながら、そう簡単に割り切れない。
なぜならそれを彼が求められたからだ。そんな不器用さが滲み出てて実に好感が持てる。

この2編を読んで思わず出たのは「男だねぇ」の一言である。

村上春樹氏が今更ながらにレナード作品を訳出することにしたのかはあとがきに書かれている。ただ単純に読み物として面白く、小説として質が高く、全く古びないからだと。
それは本書を読む限り、本当のことだ。
そして村上氏がこれほどまでにレナード作品のファンであるとは思わなかった。レナード作品のみならず映画化作品まで触れており、レナード作品がなかなか日本で人気の出ないことに不満を持ち、少しでもレナードファン開拓のために西部小説を翻訳したと書かれている。

いやはや一レナード読者としてこれほど嬉しいことはない。しかもあの村上春樹氏がこのように述べているのである。

チャンドラーに続き、これが村上氏によるレナード作品訳出の足掛かりとなって今後もコンスタントに氏の訳で出版されることを望みたい。
私はそれにずっと付いていくとここに宣言しておこう。


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