■スポンサードリンク


(短編集)

ドランのキャデラック



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
ドランのキャデラック (文春文庫)

ドランのキャデラックの評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点7.00pt

■スポンサードリンク


サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
全1件 1~1 1/1ページ
No.1:1人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

恐怖に磨きの掛かった短編集

キングの短編集“NIGHTMARES & DREAMSCAPES”の邦訳を4分冊で刊行した第1冊目。しかし1冊の短編集が4冊に分かれて刊行されるのは出版社の儲け主義だと思われるが、キングの場合、逆にこれくらいの分量の方が却っていいから皮肉だ。

さてその短編集の1作目は本書の表題作「ドランのキャデラック」だ。
妻を殺された相手に復讐するどこにでもいるような中年オヤジの奮闘譚というどこにでもあるような題材である。彼は頭の中に響く亡き妻エリザベス励ましの言葉にほだされて復讐の方法を思い付き、そしてその決行のために典型的な中年太りの身体を鍛え、そして工事現場で修業をして重機の運転を身に着ける。彼が思い付いた復讐とは敵が運転するキャデラックを偽りの工事の迂回路におびき寄せ、大きな落とし穴で敵の愛車キャデラックごと生き埋めにすることだった。
この実に荒唐無稽な復讐を成すために身体を鍛え、重機の運転を身に着けるというのはよくあるが、数学者の友人に自身が創作しているSF小説のためと偽って必要な落とし穴の寸法を割り出してもらうところはキングならではのディテールが細かさだ。いわゆる荒唐無稽な話をリアルにするアプローチの仕方が面白い。
そして復讐成就のために偽りの迂回路案内の看板を用意したり、復讐の相手が通る前までにただ一人でアスファルトを剥ぎ取り、巨大な落とし穴を満身創痍になりながら掘る一部始終は絶対不可能と思われる状況に立ち向かう冒険小説の主人公のようでなかなか面白い。

次の「争いが終わるとき」はハワード・フォーノイというとある作家の手記である。
いやはやこんな話を思い付くのはキングしかいないだろう。
とにかく手記を遺すことに拙速な作家の手記から始まり、やがて自身が超天才であることとさらに弟もまた誰も予想がつかないことを発想する超天才であることが次第にわかり、そしてその弟が発明した世界平和をもたらす蒸留酒へと至る。
何の話をしているのか皆目見当のつかない発端から、超天才兄弟の生い立ちと現在までの経緯、そして手記の体裁で語られることの意味が最後で判明する展開含め、物語自体に謎が含まれており、技術としてはかなり高い作品だ。
それに加えて最後のオチも面白いのだからキングはすごい。しかし繰り返しになるがこんな話、キング以外誰が思い付くだろうか。

次は厳格な教師が登場する「幼子よ、われに来たれ」だ。
生徒に慕われる者、生徒に見下される者、はたまた特に話題にも上らない者など教師にも色々いるが、本書に登場するミス・シドリーは昔気質のいわゆる“教室の支配者”のような厳しい教師で自分の授業中の私語は許さなく、また他の科目の教科書を開くことも許さない、生徒から恐れられている先生だ。
しかしそんな教師も異形の物に対峙すると1人の女性となる。
彼女が見たのは本当に異形の物だったのか、それとも気が触れた彼女の妄想だったのか。
生徒に舐められまいと厳格に振舞う先生が自分を恐れない生徒に出くわすと自身の精神基盤が不安定になることはよくある。自分の教義に生きる者ほど他者にもそれを要求し、それに従うことが当たり前だと思うようになるが、それが適わなくなると意外にも脆く崩れていく。
しかし本作の邦題は内容から外れているように思う。原題は“Suffer The Little Children”、つまり「幼子に苛まれる」だが、なぜ「幼子よ、われに来たれ」としたのだろうか。

次も異形物だ。「ナイト・フライヤー」は地方の小空港で連続する殺人事件を週刊誌記者が追う話。
オカルト専門の週刊誌では吸血鬼などは特別なものではなく、存在して然るべきらしい。私はこの話を読んでいるとき、そんなものをまともに追い求める雑誌があるのか判断つかなかったため、吸血鬼ありきで記者が取材していることになかなかのめりこめなかった。
この手の週刊誌がキングの創作か判らないがこの導入部をすんなり受け止めるか否かで物語の没入度が変わると思う。私はキングの作品を読んでいるにもかかわらず、妙に常識に囚われた頭で読んだのでのめり込むまで時間がかかってしまった。
キングが書きたかったのはこの手のベテラン記者であっても、本当のモンスターには恐怖を覚えることか。そしてその光景を一生抱えて生きていくと述べる記者の独り言は実に説得力ある。これぞ恐怖、これぞトラウマだ。
ちなみにこの週刊誌記者リチャード・ディーズは『デッド・ゾーン』に登場していたというのは作者の作品解説で知った。

またまた異形物が続く。「ポプシー」はギャンブルで多額の借金を抱えた男の悲惨な末路を描いた作品だ。

『ニードフル・シングス』で崩壊したキャッスルロックが再び舞台となるのが「丘の上の屋敷」だ。本書の序文によれば本作が収録作中最も古い作品とのこと。
キングの数あるホラー作品のテーマの1つに“サイキック・バッテリーとしての家”というものがある。それは家そのものが住民やその土地に影響されて負のエネルギーを溜め込み、恰も生きているが如く住民たちに災厄をもたらすと云う考えだ。
本書はその系譜に連なる1編で、財を成すたびに増築を繰り返した住民が遺した屋敷に纏わる話だ。
そして上にも述べたようにその家が建つのはあのキャッスルロック。キングによって作られた町の1つであり、そして崩壊を迎えた町だ。つまり町そのものも忌まわしき因縁があり、さらにそこに建てられた屋敷もまた不穏な雰囲気をまとっている。また崩壊後のキャッスルロックに残された老人たちの物語が集って語るような退廃的な雰囲気も感じられる。キングが親しんだ彼が作った町への鎮魂歌とも云える作品だ。
最初に読み終わった時はこの話はキング特有の丘の上に屋敷を建てた事業家の盛者必衰の歴史を綴ったものかとだけ思ったが読み返すとこれは意志持つ屋敷の話だと気付いた。

本書最後の収録作の題名「チャタリー・ティース」はゼンマイ仕掛けの足がついた入れ歯のおもちゃの名前を指す。私はこの題名で初めて知った。
本作はキング作品のジャンルの1つ、“意志ある機械”のお話だ。機械とはいえ今回はゼンマイ仕掛けのおもちゃで、電気で動くものではない。今まで見たこともないほど大きなゼンマイ仕掛けの歩く歯のおもちゃを譲り受けた男の危機をそのおもちゃが救うと云う思い付いてもキングしか書かないようなお話だ。
読んでいる最中、荒木飛呂彦氏が漫画化したような映像が頭に浮かんだ。


冒頭にも述べたように本書は短編集“NIGHTMARES & DREAMSCAPES”の邦訳を4分冊で刊行した第1冊目だが、本書だけで320ページ弱ある。これが4冊続くとなると軽く1,200ページは超える分量。本書には7作が収録されているが、これだけで通常の作家ならばこの1冊で十分な分量である。

その内容は妻を殺された男の復讐譚、ある発明をした弟を殺した小説家の告白文、厳格な教師の哀しき末路、吸血鬼の連続殺人事件を追う記者が出くわした真の恐怖、ギャンブルで抱えた多額の借金を返済するために子供の誘拐を請け負った男が辿った悲惨な結末、人を食うと噂される屋敷の歴史、ゼンマイ仕掛けの歩く歯の玩具を貰い受けた男がカージャックに遭う話とこの1巻目だけで実にヴァラエティに富んでいる。

そんな中、収録作中3作が怪物を扱った作品だ。
この頃キングは45歳。この年になるとサイコパスなど人間の怖さを扱う作品が多くなりがちで、なかなか怪物譚などは書かなくなると思うのだが、キングは本当にモンスターが好きらしい。

またキング作品のおなじみのモチーフであるサイキック・バッテリーとしての家の物語や“意志ある機械-正確には今回は器械だが―”の話もあり、初心を忘れないキングの創作意欲が垣間見れる。

しかしそれらおなじみの、いわばパターン化した作品群であるが、成熟味を増しているのには感心した。

「丘の上の屋敷」ではキャッスルロックの数少ない年老いた住民たちの群像劇と彼らの会話が延々と続く中で、彼らの話題の中心となっている丘の上の屋敷を主のいない今誰が増築しているのかと語ることでもはや家自体が自ら増築していることを仄めかされる―この作品は2回読んだ方がいい。1回めではキングの饒舌ぶりも相まってとりとめのなさが先に立ち、作品の意図を掴むのが難しい―。

そして最後の「チャタリー・ティース」ではゼンマイ仕掛けの歩く歯のおもちゃが新しい主を待ち受けていることが判るのだが、なぜそのおもちゃが彼を選んだのかは不明だ。

そう、作家生活19年にしてキングの描く恐怖はさらに磨きがかかっているのだ。しかもそれらが映像的でもあり、また鳥肌が立つような妙な不可解さを感じさせる。

西洋人の恐怖の考え方はその正体の怖さを語るのに対し、日本人は得体の知らなさそのものの恐怖を語る。つまり恐怖の正体が判らないからこそ怖いというのが日本式恐怖なのだが、本書のキング作品もどちらかと云えば後者の日本式の恐怖を感じさせる。

そんな円熟味を感じさせる作品集のまだ4分冊化されたうちの1冊目なのだが、早くもベストが出てしまった。それは「争いが終わるとき」だ。

この作品は最初何を急いで書き残そうとしているのか判らないまま、物語は進む。つまり物語自体が謎であり、メンサのメンバーになっている両親から生まれた兄弟の生い立ちが語られ、どこに物語が向かっているのか判らない暗中模索状態で読み進めるとやがて強烈なオチが待ち受けていたという構成の妙が光る。久々唸らされた作品だ。

まだ3冊も残っているのにここでベストを上げるのは早計かと思われるが、そんなことは関係ない。それぞれを独立した短編集と捉えてとりあえずそれぞれの1冊でベストを挙げることにしよう。

しかしこの頃のキング作品がどんどん長大化しており、饒舌ぶりに拍車がかかっていると思っていたが、それは本国アメリカでもそうらしく、『ザ・スタンド』から『ニードフル・シングス』に至る作品群では書き過ぎだと非難されたとある。
大作家だからこそ、またページ数が増せばその分価格も高くなるからこそ出版社もまた読者も長大化ぶりを歓迎していたかと思ったが、やはり海の向こうでも読者の思いは一緒であったか。

しかしそんな非難を受けてもキングの創作意欲というか頭に浮かぶ物語は減らないようで、短編が売れない昨今の出版事情の中、敢えて短編集を出すのは彼には大小さまざまな物語を書かずにはいられないからだ。そしてそれは今なお続いており、つい先日も『わるい夢たちのバザール』という短編集が分冊で訳出されたばかりである。

ちなみに冒頭にも述べたが本書は“NIGHTMARES & DREAMSCAPES”、即ち“悪夢と夢のような情景たち”と題された短編集の一部である。つまり本書刊行後、28年を経てもなおキングの悪夢は続いているのだ。
それではその悪夢を引き続き共有しようではないか。

▼以下、ネタバレ感想

※ネタバレの感想はログイン後閲覧できます。[]ログインはこちら

Tetchy
WHOKS60S

スポンサードリンク

  



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!