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Tetchy さんのレビュー一覧
Tetchyさんのページへレビュー数41件
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国名シリーズ第2作。読了直後、正直戸惑っている。
今回、エラリー・クイーンがやりたかったのは最後の一行で犯人が判明する趣向だろう。したがって、50ページ強にも渡り、得られた手掛かりから推理した事件の経緯が延々と語られる。エラリーは「演繹に演繹を重ね」と述べているが、どちらかといえば「帰納法に帰納法を重ね」だろう。 というのも推理方法は散りばめられた数々の事実を基に、何が起こったのかを再現しているのであり、しかもそれが最後にクイーン警視が述べるように「法的証拠はな」く、「山勘があたった」だけなのだから。二つの関連する真実から新たな真実を生み出す演繹法とは全く違う方法だ。なぜなら演繹法によって得た真実には矛盾や例外が存在しないからだ。 つまりこれこそエラリーが演繹法で推理したわけでなく、帰納法及び消去法で推理した事の証左だ(ほとんど全ての本格推理小説は帰納法による真相解明になるのだと思うのだが)。 かてて加えて、捜査方法についても2,3つ疑問がある。 恐らくこれらは1930年当時アメリカの犯罪捜査において、まだそこまで科学が進歩していなかった、そんなに気にしていなかったことだろうと思う。 まず、現場に残された煙草の吸殻を見て、エラリーがその特徴的な銘柄から、所有者であるバーニスが現場にいたと示唆する点。 これは現在ならば、早計という物だろう。DNA鑑定はなかったにしろ、唾液から血液鑑定をして人物を特定するのがセオリーだ。この頃はまだ唾液からの血液鑑定方法は確立されていなかったのだろうか?そして推理は終始この銘柄と煙草の吸い方による違いについて語られ、決定的な証拠となる血液型については言及されない。 次に鑑識による指紋の調査において、現場にクイーン警視の指紋が残されていたというシーンだ。これは明らかにおかしいのでは? 指紋による人物の特定方法が確立されていたのならば、捜査官は自分の指紋を現場につけないよう手袋をするが常識である。これは犯罪を題材に扱いながら、クイーンが、実際の警察の捜査状況を全く知らなかったのではないだろうか?それともこれが当時は常識だった? 3番目は殺害場所の特定方法について。今回の被害者は致命傷である部位が、損傷したら多量の出血を伴うのに、現場には血痕がさほど残っていなかった事で、他の場所で殺されて、発見現場に遺棄されたことになっている。殺害現場として目星をつけたアパートに行くのだが、全くルミノール反応を使った捜査が行われないのだ。 この頃、まだルミノール液が発明されていなかったのか、それともクイーンが知らなかったのか、どちらなんだろう。結局エラリーは自らの推理で殺害現場を特定する事になる。 ほとんど苦言で終始した感想になってしまったがこれはエラリー・クイーンへの期待値が高い事によるためだ。特に1作目の鮮やかな推理に比べ、本作は殺人事件に加え、麻薬組織まで絡んでおり、風呂敷を広げすぎたような感じがする。 シンプルな感想といえば、最後の犯人に面食らい、いまだにクエスチョン・マークが拭えないということなんだけど。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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カー版コージー・ミステリとも云うべき、ストーク・ドルイドという小さな街で起こる小さな事件の物語。読中、セイヤーズの『学寮祭の夜』を思い出した。手元に本が無いので不明だが、両書のうち、どちらが先だろうか?
しかし、もしこれがセイヤーズの作品の方が先だとしても、カーが真似をしたとは思えない。作中で語られる、当時ドイツで起きた実在の事件から題材を得ているようなのだ。 で、本作の真相と云えば、いささか首を傾げざるを得ない。肝心の動機が曖昧だからだ。なぜ犯人は悪意のある手紙を出し続け、また密室状態でジェーンに深夜後家が逢いに行ったのかの理由が全く見えない。何度も解決シーンを読み返したが、ある人物の隠された過去の告発をくらますために行ったという解釈しか出来ない。しかしそれでは非常に動機として弱すぎると思う。 セイヤーズの作品では悪戯の背後に隠された悪意に蒼然とさせられたが、本作ではなぜこんな悪戯をしたのか自体が不明だ。 HM卿がバザーで酋長に扮するなど今回もサービス精神旺盛であるが、それも単なる物語の脆弱さを覆い隠すためのガジェットにしか見えなかった。題材が面白かっただけに、残念。 唯一、HM卿の奥さんの名前が判明したのだけがマニア向けの収穫か。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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スコットランド・ヤードのマスターズ警部宛にある手紙が届く。それはバーウィック・テラス4番地に10客のティー・カップが出現するので、警察の出席を願うという不思議な内容の手紙だった。しかし、2年前、同様の手紙が届いた際、当該場所の建物は空家であるにもかかわらず、什器類が雑然と詰め込まれており、そしてその中に死体があったという事件が起きており、未解決のままでいた。果たしてこの手紙はあの事件の再現なのか?
マスターズは部下を引き連れ、バーウィック・テラスに赴き、張り込みをしていると銃声が2発轟いた。急いで部屋に駆け込んでみると、当日部屋を購入したヴァンス・キーティングの死体が転がっていた。しかも死体には至近距離から撃たれた痕跡があったが、部屋には誰もいず、そして張っていた部下からは誰もその部屋から出て行った者はいないという話だった。 そして二つの事件に共通するのはどちらも前の持ち主がジェレミー・ダーウェントという老弁護士であり、しかもダーウェント氏が云うには、キーティングの遺産相続人は彼の妻になっているとの事だった。果たして犯人はダーウェント夫妻なのか?密室から消えた犯人の謎と奇妙に絡まる人間関係の糸を解きほぐすべくH・M卿の捜査が始まる。 謎は今回も非常に魅力的で、カー独特のオカルト色は希薄だったが、相変わらず右往左往するストーリー展開に眩まされ、しばし五里霧中に陥った。 読後、しばらくして色々考えると色んな瑕疵があることに気付く。それらをネタバレの欄に思いつくまま書いてみた。 前回の『パンチとジュディ』で推察した、カーなりの読者への挑戦状ではなかったのかについてはその推察が当たっていた事を本作において、更に補強することが出来た。 章の題名に、「この章には、重要な記録が読者の前に提供される」なんて付いているのは初めてだし、しかも最終章に至っては32もの手掛かりについてそれぞれが文中で表現されているページ数まで記載する懲りよう。これはもう読者が云々というよりも、カーの向上心・サービス精神によるところだろう。 しかし本作の事件を推理して当てられる読者がいるのかは不明。私個人としてはまず無理!カー、懲りすぎ!! ▼以下、ネタバレ感想 |
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う~ん、前作品集で小貫風樹氏という才能が出てきたことで俄然このアンソロジーのシリーズのレベルが上がったと思ったのだが、今回は退化した印象は否めない。全体的に小粒というか二番煎じのような印象を受けた。
というのも今まで採用された作者の作品が載っているのだが、それらの作品の傾向が前作と似ており、アレンジが違うだけとどうしても思ってしまった。どの作品も諸手を挙げて絶賛できるものでもなく、何らかのしこりが残るので、カタルシスまで届かないのだ。 本作品集で秀逸だったと思うのは、「迷宮の観覧車」、「殺人の陽光」、「ありえざる村の奇跡」、「金木犀の香り」の4編。しかしそのどれもがしこりが残る。 まず「迷宮の観覧車」。観覧車に乗った釣り人が降りてくる時には背中を刺され、血まみれになって横たわり絶命していた。しかも両手の指全てが切り取られた形で。11年後、ある学校の転校生が転校二日目から登校拒否をしていた。担任である若い女性教師家庭訪問に訪れるとその生徒が住むマンションは事件の起きた観覧車が見渡せた。過去の事件と何か関係があるのか? この作者は前巻で「Y駅発深夜バス」が掲載され、『世にも奇妙な物語』を思わせる冒頭から一転して意外な真相へと繋がるという秀逸な作品を残していたのだが、今回はあまりにも人間関係の偶然が重なっていると思った。出来すぎたドラマのようだといわざるを得ない。そのせいで衝撃をもたらすと用意していた結末が逆に陳腐に感じたし、やりすぎだなと辟易もした。 次に「殺人の陽光」。青年実業家が全身に画鋲を打たれた上に出刃包丁で心臓を一突きにされるという殺人事件が起きた。非常勤のソーシャル・ワーカー綿貫の元に3ヶ月ぶりにカウンセリングに来た鶴岡愛美は自分の父親がその犯人だと云う。しかし父、栄司にはアリバイがあった。 この作者も過去に作品が掲載されており、そのどれもが高水準で、印象に残っている。特に文体が非常に引き締まっており、今回もその例に洩れず、全体を通して大人の小説だという香りが漂っている。それがためにちょっとおおげさな機械トリックがアンバランスで失望を禁じえなかった。全てを語らず、態度や描写で示す筆致はもはやプロ級なのに、惜しい。 そして「ありえざる村の奇跡」。岩手県の寒村で高さ100mの風車の上で生首が見つかるという事件が起きた。死体の正体はその村にUMAが現れるという知らせを受け、取材しに来たTVディレクターだった。そのUMAは高さ7mの窓を乗越え、100mを5秒台で走り、50mを15秒で泳ぐという。 この作者、島田氏の『眩暈』がよほど気に入っているのか、前作「東京不思議DAY」という作品で不思議な手記を用いた作品を書いていたが、今回もその趣向で、さらにグレードアップして臨んでいる。この目くるめくおかしな手記の連続は悪夢を見ているようだったが、最後に解き明かされる真相はなかなか面白かった。 最後に「金木犀の香り」。医者である異母兄の葬式で実家を数年ぶりに訪れた私は中学時代にほのかに恋心を抱いた女子中学生に思いを馳せる。しかしその女子中学生は当時公園で他殺死体として発見された。あの事件の犯人は一体誰だったのかと私は思い出とともに推理を巡らす。 ノスタルジーというかペシミズム溢れる筆致は読ませるが、あまりに内省的な内容は作者自身のセラピーを付き合っているようでちょっと疲れる。この家庭内の悲劇を語る感傷的な筆致といい、二転三転する過去の殺人事件の真相といい、もろ作者はロスマクを意識しており、文体の与えるノスタルジーとは裏腹に語っている内容は結構ドロドロだった。しかし目立った瑕はなかったし、これが本作でのベスト。 この4編を特に評価するのは制限枚数100枚を十分に活用して、事件のみならず、周辺のドラマを語り、単なる「推理」小説になっていないこと。テクニックはほとんどプロの作家と変わらないと思うし、物語としても非常に面白い。 その他の作品では人工知能AIが組み込まれた部屋(密室)を語り部に設定した異色の作品「吾輩は密室である」が敢闘賞といった感じで、それ以外は自分の趣味に走りすぎて、自己満足の域を脱していないと思う。選者の琴線には触れたかもしれないが。 選者二階堂黎人氏がちょっと趣味に走ってきた感じが今回はした。前作で面白くなるだろうと思っていただけに残念だった。次回はどうだろう? ▼以下、ネタバレ感想 |
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実に久々のエルキンズ作品、スケルトン探偵ギデオン・オリヴァー教授シリーズである。ほとんど翻訳打切りだと思っていた。
このシリーズ、各国の観光案内も含まれており、単にミステリだけに終始していないところとやはりジュリーとギデオン夫婦のウィットに富んだ会話、また彼らを取り巻く人々の特徴あるキャラクターが気に入っており、正直非常に期待していた。 今回の舞台はイタリア。プロローグは1960年9月のイタリアで最後の貴族と評されたデ・グラツィア家当主ドメニコが相続する嫡男に恵まれず、姪に自らの精子で人工授精を依頼する話から始まる。この作戦は成功したが、姪のエンマは子供を渡すものの目覚めた母性本能から鬱状態に陥る。そこでドメニコは妊娠した使用人からその息子を買い取り、エンマの子供として渡すのだった。 舞台は転じて現在。デ・グラツィア家の当主はこのとき生まれたヴィンチェンツォになっていた。息子のアキッレが学校に行く途中、運転手が殺され、誘拐されるという事件が起きる。憲兵隊大佐カラヴァーレは警察署長の依頼の元、事件の捜査に乗り出す。折りしもギデオン・オリヴァー教授は友人のフィルとともにこの地を訪れており、バカンスを楽しんでいた。フィルが家族に会いに行くので一緒に来ないかと誘われ、気が乗らないながらも同行すると、そこはデ・グラツィア家の城がある島だった。フィルはエンマの息子だったのだ。 事件の捜査が進む中、ヴィンチェンツォの会社アウローラ建設の工事現場で掘削中に骨が見つかる。その骨の正体はなんと前当主ドメニコの骨だった。 エルキンズの登場人物をコミカルに描く筆致は健在。どの登場人物に血が通っており、本音を見せるエピソードを盛り込ませる事で登場人物に親しみを持たせる手法はもはや云う事がない。 個人的にはカラヴァーレが自宅で着替えをしている時に妻に洩らす「制服を着ていない俺はサラミソーセージを売っている方がお似合いだなぁ」という台詞、そしてギデオンがキャンプで出逢うやけに人類学に詳しく、さらにギデオンの知らない地球外生命体について議論を吹っかけるポーラ・アードリー-アーボガストが気に入った。ポーラは今後も定番脇役として出演してほしい。 とはいえ、プロットは今回なんだかちぐはぐな印象を受けた。誘拐事件と骨を絡めるのがやや強引、こじつけのような気がしたのだ。(その理由はネタバレにて) 久々のスケルトン探偵シリーズ、ちょっとネタ切れの感がしたのは否めない。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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編者は鮎川氏が監修となっているが実質芦辺氏が95%は掲載作品を決定しているであろうアンソロジー。兎にも角にもマニア垂涎という形容がぴったりの濃厚な内容で、逆に自分が本格ミステリマニアでないのを知った次第。
収録された作品は5作。まずペダントリー趣味溢れる「ミデアンの井戸の七人の娘」から幕を開ける。このフリーメーソンをモチーフにした館物の連続殺人事件は小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』を意識しているところかなり大で作者が小栗氏に負けじとばかりに衒学趣味を十二分に発揮して健筆を振るっているが、これが私を含め、平成の読者にはかなり重く、正直、目くるめく物語世界に文字通り目くるめいて混乱する始末。 名探偵の名が秋水魚太郎、あまりに古めかしいゴシック調本格ミステリ、全編に散りばめられたユダヤ教の意匠、そして怪人物アイヘンドルフのアナグラム、これら全てが専門的過ぎ、読者を選ぶ作品となっていた。しかしおかしなものでシャム双生児の真相はそれでも驚きに値するものであったのは素直に作者の技量の高さを認めるべきだろう。 次に続く宮原龍雄氏、須田刀太郎氏、山沢晴雄氏三者による合作「むかで横丁」。これはかなり無理を感じた。それぞれのパートで明らかに文体・構成が変わり、戸惑いを禁じえないし、なぜか最後に出てくる星影龍三も単なる狂言回しとしか扱われない粗雑さが読後感として残った。 「ニッポン・海鷹(シーホーク)」もやはり、倭寇の時代から江戸時代まで活躍していた日本の海賊をモチーフにペダントリー趣味を横溢させている。どうも私はこのペダントリー趣味が合わないらしく、作品から立ち上る作者の熱気に反比例するかの如く、興味は薄らいでいった。 そんな中、ベストと準ベストを上げるとやはり「二つの遺書」と最後の「風魔」となる。 「二つの遺書」は失明した戦争から帰還兵、本條時丸が妻を心臓麻痺で亡くし、人生に絶望し、自殺する旨を記した遺書めいた手記から物語が始まる。しかし実際に密室状態で発見された死体は異母弟の柳原康秀で、手記の筆者である本條は行方不明となっていたというもの。冒頭の遺書の裏側のストーリーを語る二番目の遺書という趣向が良く、プロットがしっかりしていた。あまりにストレートすぎる題名も他の作品に比べシンプルで好感が持てた。 しかし密室の機械的トリックは字面での説明のみであまり理解できなかったのは事実。この辺がやはり読者を選ぶことになると思う。 「風魔」は雰囲気を買う。他の4作品は先にも述べたように重苦しい雰囲気で、読書の楽しみよりも混乱を目的としていると邪推できるほど、読者を突き放したものだったが、本作は推理作家毛馬久里と相棒のストリッパー美鈴、それに加え、したたかな刑事、菅野の3者の掛け合いがユーモラスで物語に彩りを添えており、娯楽読み物としてきちんと性質を備えている。 内容は台風の夜、池の真ん中にある小島で起きる殺人事件を扱っており、この島が動くトリックには正直奇想天外すぎて呆然とした。小島に建物が建っていること、四面にドアのある一軒家など専門的見地から見るとご都合主義を押し着せられるような感じがして素人考えの浅はかさを感じずにはいられないのだが、前にも述べたように登場人物のキャラクター性といい、娯楽読み物という性質を鑑みてギリギリ許容範囲とした。 しかし、これら昭和初期の本格推理(探偵)小説を読んで意外だったのは、真相が名探偵によって暴露されるのではなく、犯人の独白や手記によって暴かれる事。名探偵はある人物が犯人であることの外堀を固めていきはするが、犯行の動機・トリックなどの事件の核心は犯人に語らせている。 これは欧米の名探偵ホームズ、ポアロ、ブラウン神父などがあまりに神がかり的に事件を看破することに対する彼らなりの問い掛けなのか、それともそれら有名な名探偵たちに対する遠慮なのだろうか?その辺の言及が編者から一言も無かったのが悔やまれる。 |
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前2集に比べると質は落ちるか。
今振り返ると各短編集にはそれぞれテーマがあったように思う。 第1集は人肉趣味・エログロ趣味、第2集は皮肉な結末。 で、第3集はと云えば、双子物かとも思ったが、全体を通してみると双子物はさほど多くはなく、一貫してのテーマでは無かったように思う。 印象に残ったのは「生きている腸」と「墓地」と「壁の中の女」ぐらいか。 「生きている腸」はなんといっても死者から取り出したばかりの腸が生きているというアイデアがすごく、これがやがて一個の生物として動き出すという奇想を大いに評価したい。最後のオチに至る仕掛けは盆百だが、このアイデアだけで価値がある。 「墓地」はショートショートぐらいの小品だが、最後まで自分の死を信じない男の独白が結構シュールで好みである。 「壁の中の女」はネタバレ参照。 逆に不満が残ったものをあげていくと・・・。 まず「皺の手」。物語の軸が定まらず、失敗作だと思う。たぶん作者は青髭譚を書こうと思ったのだろうと思えるのだが、あの発端からなぜあのような手首を愛好するような奇妙な話に終わったのかが疑問。 「抱茗荷の説」も坂東真砂子氏を思わせる土俗的ホラーだが詰め込みすぎ。30ページで語るべき話ではないと思う。記憶の断絶が多すぎてちょっとわからなかった。 「嫋指」は乱歩の弟による作品。文章が読みにくく、独りよがりに過ぎる。 やっぱり第2集が一番面白かった。 怪奇小説というよりも残酷小説集の感が最後まで残った。鮎川氏の怪奇小説に対する考え方は前時代的だったと証明したに過ぎない選集だったのではないか。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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今回は目玉が無かった。12編の中で印象、というよりも若干の記憶に残ったのは『十円銅貨』、『無欲な泥棒―関ミス連始末記』、『小指は語りき』ぐらいか。
『無欲な泥棒』は足らない会費の真相が非常にスマートでよかった(これって結構日常生活で陥る勘違い)。 『小指は語りき』は死者から切断した小指という設定がよかった。あんな語りの小説が本当に本格物の体を成しているのがすごい。 柄刀氏の『白銀荘のグリフィン』は普通に語られるべき内容の小説を無理に幻想味を持たせた文体にしているのが鼻につくし、『森の記憶』、『密室、ひとり言』の両編も語り手が実は・・・というネタだったがもはや使い古された感は否めない。 『それは海からやって来る』は犯人が解って結構、悦に浸ったが。 う~ん、ここに来てちょっとレベルダウンか。しかしこれだけ続けて読むと単なるゲーム小説にしか過ぎなくて食傷気味。さて明日からは島田氏を読もう。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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ホームズの出てこないドイルのミステリーという事でかなり期待していた。
というのも『緋色の研究』、『恐怖の谷』で私が大いに愉しんだのはメインの謎解き部分よりも犯行の背景となった1部丸々割いて語られるエピソードに他ならない。という意味でも今回は期待していたのだが、なんとまあ、よくもこれだけの駄作を集めて出版しようとしたものだと、商魂逞しいというか、阿漕な商売するなぁとまでもいうか、下らない作品の多い事。 「甲虫採集家」などはまだしも「漆器の箱」、「悪夢の部屋」などは三流コントのネタに過ぎず、特に前者は物語のプロットにさえなっていない。惜しいのは「ユダヤの胸牌」。最後にもう一つ捻りがあれば現代にも通ずる物になっていた筈だ。 率直に云えば、昨日まで本書に対する評価は1ツ星だったのだが、最後の「五十年後」で4つ星を増やした。ネタはよくあるものだが私自身がこういう“悠久の時”ネタに非常に弱いのだ。展開や結末が解ってても胸にグッと来る。だから本音を云えば、本書はこれ1つだけあれば十分なのだ。 |
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内容はよくあるダメな男(この場合は少年だが)が自分の身に降りかかった災難を打破するために一念発起し、新たな自分に生まれ変わるといった常道を踏襲しており目新しさは特にない。
強いて云うならば今までのクーンツ作品感じてきた「何故こういう事になったのか」という理由が曖昧だったのに対し、今回は明瞭だった事(ロイの性格の事ね)。また、ロイからのコリンの逃亡劇も迫真物だった。 |
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本当に運が悪い。仕事の忙しさに押し潰されてボロボロの読書だった。会社のパソコンが壊れたのも大きな原因だし、御蔭で何が何やらさっぱり理解できなかった。
名作の誉れの高い本書をこういう形で読了してしまうとは、一生の汚点である。表面を撫でただけのような浅薄さが残っているだけで何ともいえない喪失感がある。 仕事がプライヴェートにまで波及してきてしまった。全くあってはならない事だ。内容についての感想よりも以上が正直な感想だ。 |
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この小説で語られるべき主題、もしくはコンセプトが今一歩理解できていない。
本書で語られるストーリーは、妻の失踪までの経緯を軸とした1つと山梨のある土地で起きた殺人事件の真相を追う刑事の物語が平行線を辿り、そしてある一点で交錯し、そしてまた平行を保つ。それは再び交点を結ぶような予感を漂わせて物語は唐突に終わる。なぜなら全てが語られた今、そこから先は語るに無意味なのだからだろう。 しかし、この物語、この構成を以ってして作者が何を語りたかったのか、未だに判らない。 一方本書に収録されている「かげろう飛車」は所謂暗号小説である。 泡坂作品の特徴の1つに「言葉遊び」が挙げられる。回文、仕掛本、ダブルミーニング、アナグラムと多種多彩である。ただそういった趣向を凝らした場合、その仕掛に膨大な労力を注ぎ過ぎて肝心のプロット、ストーリーがやや浅めであることは否めない。 本作もその例に漏れず、ややパワー不足といった感は確かだ。 ただ、暗号となる手紙の内容と全体のストーリーがマッチしているのは流石で、短編であるがゆえに冗漫にならなかったのが救いだ。 |
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ヨギ ガンジー物の次作『しあわせの書』をして傑作たらしめたのはストーリーテリングではなく、その本の持つ特異性であった。次々作『生者と死者』もまた然り。つまりそんな遊び心を持たせていない本書は純粋に物語で勝負したわけだが、それがために決して逸品とは云い難い。何しろ主人公のヨギ ガンジーと参王 不動丸、そして最後の2編で合流する本多 美保子のキャラクターに寄っ掛かり過ぎなのだ。
これは泡坂が、種々の妖術がトリックである事を披露する事を目的とした、手慰みの作品集だと断言したい。 |
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今まで読んだ諸作の中で最も読みやすく、プロットもよかった。でもやっぱり大時代的だ。
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タイトルを見ると綾辻行人氏の館シリーズを思わせるが、さにあらず。叙述ミステリの第一人者折原氏による館物ではなく、叙述ミステリである。
ミステリ講座を開いているロートル作家が再び世に大作を問わんと執筆活動に専念するため、山小屋に閉じこもる。そこへ現れた若く美しい女性。彼女は作家志望者で自分の書いた作品を男に見てもらいたいがためにその小屋を訪れたのだった。 その女性と親しくなり、英気を養った男は活発な創作意欲を発揮し、『螺旋館の殺人』なる自信作を見事完成させ、出版担当者に渡すが、その担当者は電車で移動中に居眠りしてしまい、原稿を紛失してしまう。 後日、ある女性が『サーキュラー荘の謎』という作品で新人賞を受賞する。その女性はなんと男を訪れた作家志望の女性であり、受賞作は彼の『螺旋館の殺人』そのものであった。そして受賞者は浴室で死体となって発見される。 とまあ、『倒錯のロンド』から派生した姉妹編のような作品だ。もともと折原氏は『倒錯のロンド』に始まる「倒錯」シリーズを三部作で構想しており、すでに2作目の『倒錯の死角』まで発表していた。本書はしかしそのシリーズの番外編と位置づけられており、「倒錯」シリーズにカウントされていない(ちなみに3作目は『倒錯の帰結』)。 作中に主人公のロートル作家の手になる『螺旋館の殺人』が断片的に挿入されるが、これが片手間で書かれたとしか思えないレベルの物で、読者の期待に応える出来ではない。一応本家綾辻氏を意識した文体で書かれているが、出来栄えは悪い。これでよく再起を賭けたものだと思うくらいだ。 御得意の作家志望者を軸にした盗作疑惑ミステリはその後、事実が二転三転はするものの、読んでてどうでもよくなってくる。最後のエピローグの落ちは個人的には不要だと思う。綾辻氏張りの館物を期待した読者は全くの肩透かしを食らうだろうし、折原氏の叙述トリックを期待した読者は物足りなさを感じるだろう。 折原氏の作品はどれも設定が似ているので続けて読むには面白みが半減してしまう。あの手の話が読みたいなぁと思った頃に読むのが得策だろう。 |
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火村・有栖川コンビシリーズの1作。本書はこのシリーズの第1作ではないが、私が読んだのはこれがシリーズ最初の1作だった。
私は基本的に文庫化されないと読まないというのは先の『マジックミラー』の感想にも述べたが、本書は第1作の『46番目の密室』よりも先に文庫で刊行された。 というのもこの作品は当時カドカワ・ミステリ・コンペ(通称「ミスコン」)というイベントで文庫書下ろしで発表された作品。確か10人くらいの作家に書き下ろし作品を書いてもらい、読者から優れた作品を選んでもらうといった内容だったと記憶している。この企画は恐らく好評であれば定期的に行われる予定だったのだろうが、結局1回で終ってしまった。また最終的にこの「ミスコン」でどの作品が1位に選ばれたのか寡聞にして知らない。 サルヴァトール・ダリを心酔する宝飾チェーンの社長が殺された。死体はフローとカプセルの中で発見され、彼のトレードマークであるダリ髭が無くなっていた。この事件に犯罪社会学者火村英生とアリスのコンビが挑む。 まず私はこの火村・アリスコンビは『月光ゲーム』、『孤島パズル』、『双頭の悪魔』のコンビと勘違いしていた。従ってかなり期待値が高かった。なぜなら両方とも作者同名の登場人物が出るので、この勘違いは私だけではないと思う、絶対! そんな大きな勘違いの下、読んでいたせいか判らないが、特に印象は残らなかった。髭が無くなるというのはこの作品の前に読んでいた天藤真氏の『鈍い球音』のトレードマークの髭のみ残して失踪するという逆パターンを想起させ、奇抜さを覚えず、逆に二番煎じだなと思ったくらいだ。 この作品でミスコンなる読者投票型イベントで上位を獲得しようともし作者が考えていたとしたら、自分の人気に胡坐をかいた行為であるとしか思えないのだが。 モチーフとなるダリもあまりストーリーに寄与しているような感じではなかったように思う。もう1つのモチーフ、繭を象徴するフロートカプセルは今でも鮮明に覚えている。 本書を読んだ私は当時大学生であったが、工学部に所属していた私はレポートに追われる毎日で、睡眠不足の毎日を送っていた。そんな中、本書に出てきたフロートカプセルはなんとたった20分浸かるだけで、9時間の熟睡と同じ効果が得られる(確か)という画期的な装置と紹介されており、一読、これはぜひ欲しいと思い、今に至る。またその分読書に時間を当てられると思ったりもした。 この本を読んでもう15年以上は経つが、今でもあるのだろうかこのフロートカプセル。結婚し、自分の時間がなかなか取れない日々、もしあればぜひとも欲しいアイテムではあるのだが。 という風にミステリとしての出来よりもこのフロートカプセルに思考が行ってしまう、そんな作品だ。 |
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いまや現代女流作家の代表格となっている宮部みゆき氏。デビューしたての当時は同時期にデビューした高村薫氏が高村薫女史という呼称で呼ばれたのに対し、宮部みゆき嬢とかミステリ界の歌姫などと呼ばれていたのが非常に懐かしい。
私が彼女の作品を読んだのは既に『火車』まで刊行されており、その評価は既に固まっていた時期。一連の創元推理文庫の日本人作家シリーズの一角にこの作品は名を連ねられていたが、当時私は本格ミステリの方に傾倒していたこともあって、どうも毛色が違うなぁと思っていたことと、ブルーのバックに赤いボールペンのような物で殴り描きされたような表紙絵がなんとも食指を動かされず(ちなみに今出回っている文庫本とは絵が違う)、ずっと買うのを躊躇していたが、『火車』が93年版の『このミス』に2位にランクインしたことを契機に手にとってみたのがこの作家との出会いだった。 開巻していきなり高校野球児の焼身死体というショッキングな幕開けで物語は始まるが、そこから物語のトーンは一転してライトノベル調になる。もはや有名なので誰もが知っていると思うが、この作品は警察犬を引退して蓮見探偵事務所に変われることになったシェパード犬マサの一人称視点で物語が描かれるのだ。つまり語り手は犬という大胆な構成で物語は進行する。 一人称叙述というのは作家の方なら誰もが知っていると思うが、実は非常に難しい。なぜなら主人公が関与した事柄でしか物語を進行させられないからだ。既に賞を受賞していたとはいえ、実質的にはデビュー前である宮部氏がいきなりその一人称叙述に挑戦し、しかも語り手は人ならぬ犬という二重のハードルを課していることに作家としての意欲よりも不安が先に立った。 この文体についての感想は、よく健闘したなぁというのが正直な感想だ。綱渡りのような物語進行を感じ、物語そのものよりも作者が馬脚を現さないかとヒヤヒヤしながら読んだ記憶がある。しかしやはりこの奇抜な叙述を押し通すのは難しく、途中で三人称叙述を採用せざるを得なくなっているのは致し方ないところか。 また大げさな比喩も気になった。物語に溶け込むようではなく、どちらかといえば、ページを繰る手を止めさせて、どんな例え?と考えさせるような比喩だ。大げさ度でいえば、チャンドラーを想起させるが、味わいは全く逆で、実に軽く、ライトノベル調をさらに助長させていると感じた。 物語は焼身死体の高校野球のエースの家出した弟ともに進行する。内容は昔よく挙げられていた高校野球に纏わる不祥事の隠滅もあるが、さらに大きな陰謀もある。それがタイトルの由来ともなっているのだが、作者のストーリーのための設定という枠組みから脱しきれてなく、その嘘に浸れなかった。 今まで書いたように宮部氏のデビュー作である本書は実は私にとってはそれほど面白かったものではなく、むしろネガティブに捉えられていた。恐らく『火車』の高評価が私に過大な期待をもたらしたのだろうとも思う。しかし読後感は悪くなく、前向きな気持ちにさせられる爽やかさは感じ取った。 この作品を読んだからこそ、続く『魔術はささやく』、『レベル7』が面白く読めたのは事実。この2作品のテーマに挙げられた作者の嘘を許容する下地が本作を介して私の中に出来上がったといえる。そういう意味では宮部ワールドを理解するための毒味役ともいうべき作品なのかもしれない。 |
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東京創元社によるカーの第3短編集。これも独自に編まれた短編集で、ノンシリーズが2編の他にフェル博士物、マーチ大佐物、HM卿物とカーの作品のほとんどの探偵が出ており、かなり贅沢な印象を持つが、各編の中身はさほどでもない。
この中で印象的だったのは実はノンシリーズの2編だったりする。表題作と「黒いキャビネット」がそれに当たるが、というのも双方とも事件とは別の真相が含まれており、それが私の琴線に触れたところが大きい。具体的に述べると未読者の興を殺ぐから避けるが、現実と虚構のリンクという趣向が当時の私は好きだったのだろう。 その他、岬の突端で死んでいた死体のところには被害者の足跡しかなかった「見えぬ手の殺人」、監視の中で起きた銃殺事件で、犯人はある男を示していたという「ことわざ殺人事件」、針のような物で脳を刺され女性が死んだが凶器が見つからない「とりちがえた問題」、トンネルの中で失踪した女性の謎を描く「外交的な、あまりにも外交的な」、突然奇行を振舞った男の失踪の謎を解き明かす「ウィリアム・ウィルソンの職業」、『赤後家の殺人』の原版とも云える呪われた部屋で起きる事件、「空部屋」。闇から聞こえるささやき声とガス中毒殺人未遂に逢いそうになった女性を助けるHM卿の事件、「奇蹟を解く男」と怪奇色や不思議な事象をモチーフにした短編が多いが、あまりそれらは記憶に残っていない。 というのもまだカーを読み始めて間もないこの頃はそのエキセントリックな作風にまだ馴染めていなく、しかもフェル博士、HM卿といったカーのシリーズ探偵もこの短編集で初めて出逢ったため、性格とその面白さが全くといっていいほど掴めてなかった。また加えて読みにくい訳文(改訳を強く要請する!)も手伝って、あまり楽しめた記憶がない。しかしそれでもこの後、A型気質ゆえの執着心で読み続け、現代に至ってもカーの未読本が復刊、刊行されると手を出しているのだから、三つ子の魂百まで(?)というのはよく云ったものだ。 |
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法月綸太郎3作目で・・・、いい加減しつこいので止める。
名探偵法月綸太郎シリーズ2作目は新興宗教グループで起こる教祖の殺人を扱った事件。本作ではくどいくらいに探偵法月による推理のトライアル&エラーが繰り返される。このスタイルは当時現代英国本格ミステリの雄だったコリン・デクスターの作風を踏襲したものだ。前作がカーで、本作がデクスター、第1作目は似非ハードボイルド風学園ミステリと作品ごとに作風と文体を変えていた法月氏。よく云えば器用な作家、悪く云えば決まった作風を持たない軸の定まらない作家である。 こういうトライアル&エラー物は何度も推理が繰り返されることで、どんどん選択肢が消去され、真相に近づくといった通常の手法に加え、堅牢だと思われた推理が些細なことで覆され、現れてくる新事実に目から鱗がポロポロ取れるようなカタルシスを得られるところに醍醐味がある。しかしそれは二度目の推理が一度目の論理を凌駕し、さらに三度目の推理が二度目の論理を圧倒する、といった具合に尻上がりに精度が高まるにつれて完璧無比な論理へ到達させてくれなければならない。それはあたかも論理の迷宮で彷徨う読者へ天から手を差し伸べて救い上げる行為のように。 しかしこのトライアル&エラー物が諸刃の剣であるのは、それが逆に名探偵の万能性を貶め、読者の侮蔑を買うことにもなるのと、論理が稚拙で魅力がないと単なる繰言に過ぎなくなり、読者に退屈を強いることになるのだ。そして本作は明らかに後者。繰り返される推理がどんどん複雑化して読者の混乱を招き、もはやどんな事件だったのかでさえ、記憶に残らなくなってしまった。実際私も本稿に当たる前に記憶を呼び戻すために色々当たってみたら、こんな話だったのかと思い出した次第。したがってこの感想を読んだ方はお気づきのように、今まで私が述べてきた内容は本書の中身に関する叙述が少なく、読後の印象しか滔々と述べていない。とにかく読み終わった後、徒労感がどっと押し寄せてきたのを覚えている。 しかし今回調べてみて読んだ当時気づかなかったことが1つあった。それは事件の当事者である甲斐家と安倍家という2つの家族の名前だ。双子という設定も考慮するとこれは聖書に出てくる「カインとアベル」がモチーフとなっている。そういったバックストーリーを頭に入れて読むと、案外理解しやすいのかもしれない。 お気づきのようにここまでの法月作品に対する私の評価というのはあまり芳しくない。しかしこの評価は次の『頼子のために』で、がらっと変わることになる。 |
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