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猫鳴り
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猫鳴りの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.92pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全64件 21~40 2/4ページ
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主人公の清蔵と猫のモンに感情移入してしまいます。ちょっと不思議な物語です。 一気に読みました! | ||||
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自分で動物を飼い最後まで見届けたことのある人はこの本を読んだ時に胸をしめつけられる部分が共通する気がします。 猫と共にすることで生き方を考えさせられたり、大事なきっかけをもらう主人公達の物語。 言葉を話せない動物達の方が自分を愛してくれた人間を観察し気を使わせないように生き、強く潔い生き物なのではないかと深く考えさせられました。 | ||||
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本作は三部に分かれている。一種のオムニバス形式になっており、それぞれ視点が異なる。ただし時系列的には連続しており、通奏低音のように「モン」と名づけられた一匹の猫が登場する。 第一部の主人公は信枝という名の四十歳の主婦である。五十二歳の亭主藤治とのあいだにようやく授かった初めての子どもを流産した信枝は、家のすぐそばに捨てられた仔猫の鳴き声が不愉快でたまらず、古新聞に包んで近くの畑に捨てに行く。しかし仔猫は戻ってくる。信枝はもっと遠くの森の奥まで仔猫を捨てに行く。帰宅すると見知らぬ少女が家の前にいた。「猫、見にきたん」と関西弁で話すアヤメという名のこの少女が、あの仔猫を捨てたのだという。結局藤次が仔猫を見つけて家に連れ帰り、アヤメが名づけた「モン」という名前で飼うことにする。 第二部はガラリと場面が変わる。行雄という名の十三歳の不登校少年が主人公である。母親に逃げられた父親との関係は冷め切っているが、どことなくユーモラスでもある。そんな行雄は信枝以上に子どもが嫌いで、殺意すら抱いている。ペンギンのビデオを観たのがきっかけで、父親に欲しくもないペンギンをねだると、父親は拾ってきた仔猫にペンギンという名前をつけて行雄に渡す。行雄は小遣いを余計にもらえるのをいいことに仔猫を飼うことにするが、その「ペンギン」はあっという間に死んでしまう。死んだ仔猫を埋めようと連れて行った公園で、同級生有山アヤメの巨大な飼い猫(モン)に「ペンギン」を食べられてしまう。 第三部では二十年後の藤治が登場する。信枝は亡くなっており、藤治はモンとの二人(?)暮らしである。年老いてゆく一人と一匹のかたわらを、時間がゆっくりと流れてゆく。食事を摂らなくなり、ろくに動くこともなくなり、迎えが来るのを待つだけのモンは、しかし苦しそうには見えない。むしろ延命治療を嫌がっているように見える。子どもの頃から死におびえていた藤治に、モンは死に方の手本を見せているかのようである。やがてそのときが来て、モンは静かに動かなくなる。 特別なことは何も起こらない。第一部と第二部に較べて、第三部は拍子抜けするくらいストーリーの起伏がない。前二部のエピソードが巧妙な伏線を張っていて、第三部で結実するというわけでもない。しかしこの第三部こそが本作のクライマックスであり、第一部と第二部が前置きに過ぎなかったことは読めば分かる。再読に耐える名作だと思う。 | ||||
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出だしから泣きました。 人にはなかなか言えない心の闇みたいな物を素直に表現してしまっている部分に共感してしまったり。 動物好きじゃない人でもグッとくる部分はあるはず。 | ||||
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猫鳴り・・がゴロゴロと鳴らす喉の音とは、表現でこんなにも???と思いました。 最後は死んでしまうのでしょう?と家族の誰も読まないのですが、その時、その折の描写が「猫の生き方、生活の仕方、性格の違い、人間への猫からの表現・・・その他」的確で、猫大好き人間に取っても今まで気づかなかったことも有りで、読み応えがありました。 | ||||
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この方、ご自分で本当に体験されたのではないかと錯覚して しまうくらい、重い物を感じました。 | ||||
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猫と人の人生の織り成す彩りが何とも切なくて美しい。 最終章の数行は涙が止まりませんでした。まほかる作品の中で、ホラー要素はなくともこれだけ良い、珠玉の一作だと思います。 | ||||
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猫鳴りとは、猫がごろごろとのどを鳴らす状態のことでした。 モンと名付けられた猫にまつわる、三者三様の世界なのですが、 とにかく重いです。 重いというよりも濃いのかな? 濃いというより達観? 後半のモンの死に至るまでの時間の濃さは・・・ たぶん、猫と暮らさないとわからないかもと思います。 たかが猫、されど猫。 ちょっと消化するまで時間のかかりそうな小説でした。 | ||||
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好き嫌いはばっくり分かれるだろうし、理解できる、できないもまたばっくり分かれるだろうけど、私には最高としか言いようがない。 三章最高、と思いつつ、一章も二章もすごく好き。 伸枝の、失ったわが子を猫で上書きしてしまいたくない、というなまなましい傷。幸せな母子をおぞましく思う心境。 行雄のやり場のない感情。自分より小さなものが総じて疎ましいわけではなく、さも当然の権利であるかのごとく(まあ当然なんだけど)愛情を要求する子供の傲慢さが、殺したいほど疎ましい、という吐き気にも似た思い。 藤治の、ことさらに猫をかわいがる気質でもなく、モンが喜ぶと知りながら籠に乗せて回すこともあまりない、その距離感。 ほのぼの、ほんわか、愛情あふれる展開ではない。 スリルもない。サスペンスもない。ドラマもない。 じっとりと重く、倦むほどに暗く、人によってはとりあえず不愉快なだけになりそうだとわかっていながらも、つい、おすすめを聞かれたら猫鳴りと答えてしまう。 正直に言えば、登場人物の薄情さ、残酷さ、身勝手さ、そんなものにやたら共感してしまうからなのだろうけど。 何かの存在を何かで上書きするのは不誠実に思うし、ずうずうしい子供はしゃくにさわるし、べたべたと甘ったるくて幸せなものも不愉快だし、えんえんと動物と戯れる人間の気が知れない(でも犬その他をけっこう飼ってきた。学校では飼育委員だった……)、という、あの三人は完璧、私。 そんなものだから、文章の裏まで読めた気がして、言葉にならない共感が確かにあって、でもそのまま生きていってはいけないのもわかっていて(反社会的になりかねない)、どうしようもなく惹かれてやまない。 万人向けじゃないのはわかりすぎるほどにわかってる。でもあんまりにも好きなものだから、つい薦めてしまう。 猫鳴り、最高です。 | ||||
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沼田まほかるさん『猫鳴り』は、このタイトルの響きからして猫愛を感じてしまう。 しかし、読んでみるとそう単純ではないことがわかる。著者の猫愛はあからさまではない。無条件にただ猫の美しさを愛でるのではなく、猫独特の醜さをも執拗に描いているのだ。清濁併せ呑むとでも言おうか、そこに包み込むような暖かさを伺い知ることができるのは、著者の筆力が高いからなのだろう。 第一部は、子を流産し打ちひしがれていた信枝と、捨てられた仔猫との出会いから物語は始まる。亡くした子の代償として、仔猫に感情移入していく様が描かれるのであれば、読み飛ばしても良い作品だ。本作品の信枝は、幾度も仔猫を捨て去り、残酷さをともなった眼差しでその様子を見つめる。仔猫を亡くした子と重ね合わせるのを潔しとしないのだ。淡々と流れる夫 藤治との二人の時間。闖入者への信枝の行為には、ヒリヒリするような悲しみの深さが表れている。仔猫を飼うようになるのは想像に難くないのだが、そこに辿りつくまでの話しの運びに引き込まれていく。 第二部は、不登校の少年 行雄の暴力衝動をともなった心の闇が描かれている。第一部とのつながりは、モンと名付けられた仔猫と、モンに心を寄せる少女アヤメが、行雄とささいな関わりを持つだけだ。 第三部は、信枝に先立たれ六十になった藤治が、モンの最期を看取る姿が描かれている。第一部から第三部までが、連続したひとつの物語を形成しているわけではない。しかし、第二部で行雄の父親が口にした<絶望>は、全編に通底しているように思える。人には決して折り合いがつかず、受け止めざるを得ないものがある。 第三部で、モンの魂が消えるとき、気持ちにぽっかり穴があいたような感覚に陥るのは、諦念を読み取ってしまうからなのだろう。<絶望>を乗り越えるとは言うは易し。安直な光明を提示しないだけ、心に迫るものがこの作品にはある。ただ、猫を見つめる著者の視線からは、<絶望>をも織り込んだ人の生きざまに対する暖かさを同様に感じることができる。 | ||||
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猫を飼って猫が死ぬ話でしょー、よくある話でしょ。と思いつつ読み始めました。 ところが。 結果、動物モノの範疇にはとどまらなかったです。 人の生の断片と、猫の一生を語り口にしていますが、読むうち猫の一生は人間の一生に重ねられていることに気づかされます。 むしろ、描いているのは人間のほうなのですね。 作中には冷徹、孤独、絶望、衝動などさまざまな烈しい情念が闇の中に渦巻いているにもかかわらず、あくまで品があり緻密で、どこか温かさもある。 あからさまなポジティブシンキングはありませんが、きっと、絶望を呑みこむような人の生への愛情が筆者の中にあるからなのだと思います。 絶望と希望をテーマとする同様の作品と比較しても、違和感なく受け入れてしまうものがありました。 ※猫を飼ったことがある人のほうが伝わりやすいのは確かだと思います。 私は子猫からこの世を去るまで猫を飼ったことあります。 | ||||
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とても面白かった。 しかし、一般的な面白さの定義には当てはまらない部分が多い作品であった。 私以外の読者もこの作品が単純に面白いと言えない人は多いだろう。 読む人によっては駄作にもなりえるだろうし、人生で出会った中での一番の傑作となる人もいるだろう。そのブレが大きい。 そういう意味では万人向けでないと思う。 確実に言えることは、私は今まで小説を読んだ中で一番感情を揺さぶられた。 一度読み始めるとページをめくる手が止まらなかった。 そして読み終えた後、この本からたくさんのものを貰ったと感じた。 もう一度読みたいと思った。今も何回目かを読み進めている途中だ。 だからもう一度書く。この本は面白かったと。 この本を客観的に評価するなら、もの凄くリアルな小説だ。 小説というものは、まぁ必ず登場人物がいると思うのだが、 人が人を書くとどうしても現実にはありえない人物像になってしまう(と思う)。 小説というものは起承転結、オチをつければいけないので、 どうしても都合の良い部分が出てきてしまう。 それが悪いと言っているのではない。小説としてはごく自然なことだし、 魅力的なキャラクターこそが魅力的なストーリーを奏でるのだ。 焦点は、私がこの本については現実味を大きく感じたということだ。 しかし、やはり登場する人間については現実との剥離を感じてしまった。 ただ、ギリギリまで真実味があるように描写されていると思う。 芯の部分は猫の描写だ。これがすごい。 実際に猫を飼った人ならわかるだろうが、猫の仕草と感情表現が如実に表現されている。 勿論、猫の感情が理解できるわけはないので、 作中においても登場人物が猫に対して感じ、想像した思いが描写されているのだが、 自分の飼い猫がそうでなくても、こういう猫いるなと共感する人は多いだろう。 目を閉じればその情景が簡単に想い起せた。 ただ、登場する猫が現実と剥離していないかというとそうではなくて、 猫としておかしいところ、立派すぎるところもあるのだが、 作中にちりばめられたなにげない猫の所作一つ一つがリアリティを感じさせるのだ。 さて、本書は3部構成になっている。 おそらく作者の書きかかった部分は、やはり3章でろう。この章を読まなければこの本を読む意味はない。 では1章2章はどうなのかというと、私は1章と2章があるからこそ、この物語のリアリティを強調されていると考える。 3章は特にメッセージ性が強い。 ただそれは狙ったものではなく、人生の折り返し地点を過ぎた後の、 生きるという行為をただただ純粋に見つめ、思うことを淡々と書くことで 読者が日頃無意識に考えないようにしている、非常に重要だが目を逸らしたくなる真実を考えさせるからだろう。 それに比べると1章と2章はメッセージ性が低い。 勿論、3章に比べればという話で、考えさせられる要素はいくつもある。 表面上穏やかに過ぎる日常の裏で、人間の暗く湿ってドクドクと熱く脈打つような感情を生々しく描写しており、 読者の中にも潜む魔物を再確認させるのだ。 だが、日常は得てして1つの価値観で図ろうとした際には混沌としたものであり、 登場人物たちの思惑は、我々の思考が人それぞれであるように、発散する。 そのため、ストーリー上無価値と思える思考や出来事が多く、結果として2章までのストーリーをうまく飲み込めない人もいるだろう。 私はこの部分にこそ、本書のリアリティの土台があると考える。 本書は猫の一生を書いたものである。ストーリーテラーはそのときに猫と交わる人間だが、 彼らは主人公のようであり、ある意味では脇役のようでもある。 一生は長い。後で記憶に残るのは楽しかったことや悲しかったことだが、 残りの大半は雑多で無価値なものではないだろうか。 逆に言えば、その大半のものがあるおかげで、記憶に残るエピソードはより印象的に感じるのだ。 本書にも同じことが言える。 雑多で意味があるのかわからないエピソードがあるからこそ、 悲しいこと、楽しいこと、憤ること、嬉しいことが際立って観えるのだ。 それが人工的な盛り上がりではなく、自然に心を打つリアリティを作品に与えているのだろう。 さて、最後になったがもう一度書かせてもらう。 この本は人を選ぶ。 まず、最低限ペットを飼って愛を注いだ経験のある人間でなければ、登場人物の感情についてはいけないだろう。 さらに言わせてもらうならば、 ペットを含む家族の最後を見届けたことのある人、または人生が変わるくらいの挫折を経験した人間は 本書を最も楽しむことができるだろう。 だが最も重要なのは、家族への愛である。 その意味の片鱗でも実感し、噛み締めている人は、本書を読んで損はないだろう。 興味のある人はぜひ一読してみることをお勧めする。 | ||||
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「お前,それ『絶望』っていうんだぞ。」二章で父が息子に言う。でも父の背中にも絶望が張り付いているように見える。この前に「九月が永遠に続けば」を読んだときはなんかネバネバした話だな位にしか思わなかったけど,このネバネバ感が絶望から来ていることにようやく気付いた。気持ち悪い中年オヤジが,いつのまにか心の支えの(ほんの)一部になったりとか,よく考えると絶望だよな。一章の母親が子猫の首を絞めるのも何か絶望の香りがする。圧巻は三章で一人残ってしまった父が猫の最後を看取るのだが,描写が上手くて読んでいるこっちが絶望的な気持ちになっていく。もう苦しくて見ていられなくて,「頼むから早く死んでくれ」と思う。でも,子猫の時にお気に入りだったかごに入れてただ淡々と猫を回すシーンを読んでしまうと,「ああ,やっぱり死なないで」と思ってしまう。第3者的にみると,このお父さんは今まさに絶望の真っ直中なのに,本人がそれに気付いていないのがまた悲しい気分にさせられる。でも,結局どんな人間でも見る人が見れば絶望の真っ直中なのかもしれない。二章の子供も一章の母親もまるで気付いていないように,実は自分がとてつもない絶望の中にいるのにそれに気付かないという恐怖。猫を見に来てくれたお医者さんを死んだ自分の息子だと夢想する場面は泣ける。この夢想自体が絶望なのに・・でも,これを否定できる強い人間なんて誰もいない。否定しているのはただ猫だけだ。猫は一つも絶望しない。最後まで生きて死んでいく。去年読んだ中で一番心に残った作品だった。 | ||||
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まほかるさんの本は中毒になります。 まほかるさんが壮絶なじんせいを送った方だからかな・・ 文章に引き込まれます。 | ||||
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登場人物が重なってはいるが、三つの全く別な物語が展開する。 第一部は、高齢で流産した女性と、捨て猫を巡る物語。 第二部は、父子家庭で放任され、荒れる少年の物語。 第三部は、老猫と老人の死期を巡る物語。 それぞれにテーマも味わいも全く違う。それぞれに読みごたえがある。 私たちは希望などという根拠のないあやふやなものを頼りに生きている。果たして希望などというものが無くても、人間は生きていくことができるのだろうか。そんな問いかけになっている。 | ||||
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本書は、三部からなるが、第一部は拾われてきた猫が、捨てられても捨てられても生き延びるさまを描く。著者の描写は冷徹であり、捨て猫に向ける信枝の憎悪の眼は、頁を進めるのをためらわせる。 第二部は、一転して猫を捨てた少女が、中学時代のエピソードである。生き延びたモンは、大猫となっている。ここでは、別の捨て猫の死と、猫の死を経験して揺れる少年の心のひだが描かれる。 第三部に入ると、老齢期に入ったモンと飼い主の主人藤治との関係が描かれる。ここでは死にいたるモンの様子が必要に描かれる。ここにきて、第一部と第三部は、対になっていて、第二部は間奏曲的な役割であったことがわかる。 全編猫の日常のしぐさが、丹念に描写されており、猫をかったことがある人は思わずほほえんでしまうであろう。「猫鳴り」が、猫の喉をならすしぐさだとは思わかった。 | ||||
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生きるものの死。 これがゆっくりと、しかし確実に歩み寄ってくる様には臨場感があった。 しかしそこに恐怖や焦燥というものは感じられなかった。 寧ろ読み終えたあとにはどこか安堵があった。 死んでしまう、というよりかは、生き終えるということについて考えさせられる。 それにしても猫の様子がうまく描かれていたと思う。 猫のうごきのひとつひとつが頭にの中に浮かび上がってきた。 | ||||
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猫が何かをするわけではなく、人目線で話が綴られます。我が輩は猫である的な話ではありません。 それだけに、とても自然にストーリーに入ることが出来ます。 健全なお涙頂戴です。実家で飼っていた犬を思い出しました。ペットが亡くなるのはやはり切ないですね。 | ||||
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「沼田まほかる」という妙なペンネームからして、若い人かと思いきや、実は60代のの女性だった。 裏表紙の惹句(これはあまり良くないと思う)より、よくあるペットロスストーリーだろうなと読み進めたところ、さにあらず。 結果、今年出会った小説ベスト1はドリアン助川さんの「あん」だろうと思っていたのに、この作品は、アッサリとそれを抜いた。 という具合に、こちらの予想を裏切られ続ける快感を、存分に味わうことができた。 作中で終始極めて重要な役割を果たすにも関わらず、猫はいわば小道具というか、人の心の奥底の機微を映し出す触媒のような存在であり、邪悪な部分まで含めた人間というもの、また、「生きる」ということについて、執拗なまでに描ききった傑作だと思う。 「生きる」ことの終わりがすなわち死であると、私は単純に考えているのだが、きっとそれでいいのだろうなとも感じた。 それに、どんな小さな生命にも、それなりにそれぞれ「生まれてきた意味」、更に言えば、「そのタイミングで生を終える意味」のようなものがあるのではないかということも。 僧侶の経験があるという作者も、そのような気持ちでこの作品を書いたのだとしたら、「それでいいのだ」と言われたようで、なんだかホッとする。 オムニバス風の三部構成なのだが、第二部の半ばまでは、とりわけ動物好きの優しい方々にとって、読み進むことがかなりキツく感じられることだろう。 けれどもどうか、第三部まで頑張っていただきたい。 そうすれば、生を終えつつある老人と猫との、不思議に平和で幸せで充ち足りた世界を知ることができる。 そこでやっと明かされる、「猫鳴り」という奇妙な造語の巧みさにも感服。 この言葉を信じて最後まで読んでみたけれど、もうひとつピンと来なかったという方がいらっしゃるとすれば、それは、その方のヒトとしての経験値が少ないためだと断言したい。 | ||||
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本屋で見かけて買うか迷っていました。今回Amazonで安かったので購入しました。 猫を通して、猫と共にある生活。切なさもあり、温もりもある。読み終えた時には、猫が側に感じます。 | ||||
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