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対岸の彼女
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対岸の彼女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全290件 261~280 14/15ページ
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主人公小夜子の迷いより、また女社長葵の人間性よりも多く書かれている描写は葵の高校時代です。女子校特有の雰囲気の中で、3人目の主人公ともいえるナナコと一緒に楽しく過ごしている場面は、とてもきらきらして実際の映像が浮かぶようです。高校時代あんな友達がいたらな、と誰もがうらやましく思うはず。そして物語を読み終えると不思議なことに小夜子や葵のことよりも「ナナコは今どうしているのだろう」と思います。そして「きっと幸せになっているはずだよね」と思わせてくれるのです。 | ||||
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帯に書かれていた煽りの文章を見たときには、もっとドロドロとした物語を想像していたが、それとは違い、軽やかに物語が進んでいくので、良い意味で期待を裏切られました。 エピソードを考えてみれば、そんなにも軽いものではないはずなのに(特に葵の過去)、軽く読ませてしまうのは、角田さんの文章が巧く、読ませる文章を書くことが出来るからではないでしょうか?その反作用として、全体的に重厚感というものがかけてしまっているのが少し残念な気もします。 しかし、読ませる文章と言うのは読んでいて心地よく、言葉の意味を咀嚼する前にダイレクトに響いてくる説得力と言うものがあります。そういった意味でもこの作品は良書として薦めることの出来る本だと思います。 | ||||
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閉鎖的な人間関係の中で社交的であることが求められる女性独特の付き合いのわずらわしさに同感。現代女性の特性をそれぞれデフォルメしたような登場人物の言動は、とにかくリアルだ。そつなく周囲にあわせようといっぱいいっぱいになっている私に、深呼吸を教えてくれたような本だ。 | ||||
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どこに属するか、どこのグループに属するか?これは女性特有のいくつになってもついてまわる問題ではないだろうか?この本では少女達の心の動き、大人になった女性の諦めや心の葛藤、また成長が見事に描かれている。世知辛い(特に)女性の小さな社会の中で心寂しさを感じている時には、この本が一つの答えを出してくれるだろう。何が大切で、何が大切じゃないか?そして歳を重ねる意味を。 | ||||
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私たちは,なぜ,年齢を重ねるのか? ということを,深く考えさせられる作品です。細やかな表現によって,主人公たちの歩んで来た道を,自分のことのように感じ,考えます。そして,これから先,生きていこうとする力を与えてくれます。それは明確な答えではないかもしれないけれど,それぞれに見つけられれば,いいかな,と思います。 | ||||
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角田光代さんの作品に出てくる人物の多くはすごい人ではない。自分自身のようにも思えるし、今まであった人たちの中に必ずいそうな・・・。ただ、日頃なんとなく思うことを見事に文章化し、読むほうはぐいぐいと引き込まれる。これぞ小説の真髄だと感心させられもする。理想的でもなく、絶望的でもない、至極現実的な人間模様。主人公の主婦小夜子は、まだ幼い娘のあかりを見て時折いらつく。自分の苦手とすることを彼女もまた出来ないということに。あかりを見ていると小夜子の幼い日をみているようで眼をそむけたくなる。年を重ねてもまだそれを苦手としている自分は、何のために年を重ねているのか疑問に思う。そんな中で魅力的な女社長葵と出会う。安易なカタルシスを用いない角田さんの文章は同年代の女性作家の中でも飛びぬけて地に足がついている印象があります。はしゃぎ過ぎない、堅くなり過ぎない。わざとらしくない言葉の巧みさに一気に読み上げました。 | ||||
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すごい作品だ。負け犬と勝ち犬の友情は成立するのか?なんて一言でとても片付けられるものではない(私もこの解説は問題ありと思う)。深く人間を、そして社会をもみつめている。人と社会と関わるとはどういうことなのか。何のために歳を重ねるのか。作者が投げかける疑問は重く、容赦がない。 葵の視点のみが小中学生あたりから現在へと順を追って記されていく。これが時間軸で物語を壮大にしている。 私は、葵の視点で描かれる3人目の主人公「ナナコ」にくぎ付けだった。小夜子と葵の間に流れる河とはまた違う、葵とナナコの間に流れる深い深い河。そこに「境遇」「社会構造」といったテーマを勝手に見出してしまうのは私だけだろうか。 最後は(やや無理に)明るめで、作者なりの見解をはっきりと示してくれているのは潔くすばらしい。が、身近な現実に戻ってみると全然解決した感じがせずむしろ空しさは深まるばかりだ。弱っている30代女性は読むタイミングに気をつけたほうが良いかもしれない・・・。愛読書「負け犬の遠吠え」に日々癒されている負け犬な私は、本書には激しく打ちのめされた。逆に、30代-40代女性以外の読者に、このリアルさが実感できるかどうかは甚だ疑問。だがそれを差し引いても、一読の価値あり。 | ||||
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人と付き合う事の煩わしさ、忌まわしさから、特定の友人を作れず、興味もない集団に合わせながらなんとなく生きてきた10代。家庭を持つ。社会的責任を持つ。それぞれに生きている社会に閉塞感を抱き、疲れている自分を 毎日、もてあましている自分。ところが、この本を読み進めていく毎に、一枚一枚身体にまとった燐片が、剥がされていく。立場も持っているものも感じ方が違っていても、同じ時代に生きた女性たちは、全く別のルートから、同じ丘を上ろうとしている。女性が女性の足で、歩いている。一本のろうそくは、他方から見れば、傾いている。それと、一緒だ。明日へのドアが開いている。今日に疲れている女性に是非 読んでもらいたい一冊です。 | ||||
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信じては傷つくワンマン経営者の葵と、鈍くなった感性が光を得てだんだんと開いていく専業主婦の小夜子。友達なんて考えて作るものでもない。相手の何かを好きになれるかどうか。ただ、そんなことをちゃんと感じて受け止められなくなっている大人は多いんだろうな。みんな時間なくて忙しいものね。心を相手に添って開いていけるかどうかの間合いは難しいけど、わくわくする。本書を読んで、自分にとっての「ナナコ」を数人思った。彼女たちは意図せずに、確かに私を変えている。私は誰かの「ナナコ」になれているのだろうか。構成がすごく上手い、というわけではないが、心の動きを細やかに描いた、しみじみと良い作品。ちょっと読み手の状況におもねる部分も多いけど。 | ||||
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この本には皆が誰でも覚えている若かりし頃の「自分しか感じえなかったと感じる感覚」とその地域や社会が流れていく漠然とした「状況」が細やかに描かれている。特に眠たい街といわれる地方都市の描写は膝を打ち共感できる。「県営住宅の様子」「渡良瀬川の河原の様子」「ソースカツ丼」「白髭神社」「やぶ塚温泉」「伊勢崎の街」など単に忘れてしまった憧憬としてではなく、心に反芻するジレンマの一部として今も記憶に残っています。結局自分は自分であり過去を捨てることはできないのでしょう。今すぐ関越を飛ばして両毛に向いたくなりました。私は現在横浜に住んでいます。角田様素晴しい小説をこれからも期待します。 | ||||
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本の帯に惹かれました。「大人になれば、自分で何かを選べるの?」女の人を区別するの女の人だ・・・・・書評も一切読まないで買いました。主人公と年が近いせいもありますが、30代を過ぎて学生時代のとても仲が良かった友達となんとなく離れてしまった今、ちょっとせつない思いをしていたせいもあります。ちょっとずれてるかもしれませんが登場人物であるナナコの「そんなとこにあたしの大切なものはないし。」という言葉にすごく救われました。大切なものは何か?ささいなことで心を痛めるよりも自分にとって大切なものは何なのか、しっかり足元を見つめようと。大げさだけど、人は何度でもやり直せるなあ・・・なんて思ったり。読んでよかったです。 | ||||
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ラストへ向かう中、なぜだかはらはらと泣けてきた。過去にすれ違った多くの人々、今ではもう交流のない人々に、気がつくと思いを馳せていた。これは「他者との距離感について」の物語だと思う。自ら連絡を取って繋がっていたい人、逆に連絡があってもあまり付き合いたくない人……、実にさまざまだ。そこにはある種の利害関係があったり、あるいは純粋な感情だけが横たわるだけだったりもする。理屈じゃない何か。こと友情に関しては、何ものも誰かと誰かの関係を強制できない。大切に思うことも疎ましく思うことも決して「罪」ではない。だから、私たちは人にまみれながら傷つくことを恐れる。けれども人と関わらなければ生きてはいけない。私は、葵が「信じようとした」瞬間に未来への僅かな希望を感じた。まさに、人は出逢うために歳を重ねるのだ、と。 | ||||
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ナナコは健気だ。ナナコの手にはどんな幸せもない。家に帰りたくないのも当たり前だ。ナナコと葵と、ほんの少しでも楽しい時間があってよかったね、と言ってやりたい。その声が届かないことが切ない。 ナナコと葵のさまようところが、どうにもしてやれなくて悲しい。これは小説で、作り物なんだと思うんだけど、どうにかしてやりたい。泣いたって仕方がないのだが、泣きたい気分である。胸をかきむしられるような気分というのは、こんなことをいうのだなあ。 ナナコと葵に、タイムマシンでプラチナのリングを贈ってやりたい。 | ||||
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女性の友情というものについて、よくぞここまでといえる程に非常に深く書かれている作品です。私が読んだ角田さんの作品のなかで、ベスト3に入ります。残念なのが、まるで「負け犬勝ち犬ブーム」に乗ってかかれたかのような出版社側の宣伝文句が、ほんとにじゃまくさい。 | ||||
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読み終わったあと、3人の女性の透明感が残りました。とりわけナナコの存在が際立っています。自分が一番近いのは木原か岩淵か小夜子なのか、考えたりしました。高校生の頃に誰もが感じた空しさのようなものがさらりと描かれているので、その頃のことを思い出したり今現在の自分のことなどさまざまな事を考えてしまいました。川辺や渡良瀬橋などの情景を自分もみているような気がしました。直木賞だからとか関係なく、心に染みる物語です。 | ||||
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直木賞受賞ということで、興味があり、読んでみました。この本の紹介として、生き方の違った女性2人の話みたいなことが書かれていましたが、読んでみるとそんな単純なものではなく、誰でもが身に覚えのあるような女性の心情や生活観が上手く表現されていて、あっという間に読み終えてしまいました。読んでいる最中、物語の中に入り込んでしまえそうなくらいのきれいな描写が最高でした。しかし、なぜだか、読んでしまった後、感動という感じではなくむなしさでもない、妙な気分になり、眠れませんでした。 | ||||
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一気に読みました。物語の主人公は30代半ばですが、人生20年も生きていればこの物語にあるような、些細なことで人から受ける裏切りや非難。そして前向きに頑張ろうとするときに限って身近な人から受けるやる気をそぐ言葉。本当にここまで良く書ききった!主人公の子持ちの専業主婦はいわゆる「ママ友」が出来ずそのため自分の子供も他の子供とうまくコミュニケーションを取れないのではないかと苦悩するのですが、独身女も「子供」がいないだけで他人とうまくコミュニケーションと取れているのかどうかは疑問です。よく日常でも「この年になると新しく友達を作るのなんてめんどくさい」と耳にしますが、(実際私もそういう風に思ってるふしはありました)この本を読んでそれは本当に「めんどくさい」からなのか?と疑問を持ちました。「相手を知る」のがめんどくさいのではなく「自分を拒絶される」のが怖いのでは?この物語では女社長の女子校時代の親友ナナコとの思い出が交錯しながら進んでいきますが、誰にでもあったキラキラとまぶしい時代。思い出にすがるのではなく、かといって「昔の話よ」と忘れ去るのでもなく、完全に縁を切られるのが怖くて細々と連絡を取り続けるわけでもない。友情っていったい?そして、なぜ歳を重ねるのか?決して明るいテーマではありませんが読み終えたとき、もう一度希望を持たせてくれる宝の地図のような物語です。 | ||||
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30代女性が主人公で、会社社長の葵と子どもがいる主婦の小夜子が主人公。主婦の小夜子は葵のもとで仕事を始める。 同じ30代女性の私はあらすじを知ってから本書が気になり購入した。世間では負け犬とか勝ち犬とか30代女性の言われ方が型にはまった言われ方をしているようでその意味を知ることは、他人の生き方を少しだけ知ることが出来るようで興味がつい湧いてしまう。 本書の葵と小夜子は両者とも負け犬でも勝ち犬でも無いような気がする。私自身もそうだ。30代女性の友人、知人を振り返るとその人物を良く知れば知るほど、分けられない。ただ、子どもがいるとか結婚してないかしているかとかでやはりどこか距離を置いてしまうところはあるようだ。 本書を読んでいて登場人物の思考とか共感する部分も多かったし、彼女らがどんな思いを展開させ人間関係をつむいでいくのかが気になってしっとりと最後まで読めた。 彼女達、特に高校生時代の葵の人と関わることの難しさは私自身も痛感するところで現在の話に挿入される葵の高校時代の話はせつなかった。負け犬とか勝ち犬とかいう言葉もあるけど長い人生、青春時代、その後に続く人生、壮年時代やら更にその後と幅を持って人を見てみると女性同士で距離を置くとか置かないとかは、まさに流動的でそれが自然な気がする。ただ30代は女性同士の距離とか対立が生活、環境で際立つのはあるのかなともその年代として思う。そこがこの小説の行方の気になるところだった。 小夜子のつぶやきで「私達は何のために年を重ねるのだろう。・・生活の中に逃げ込むためか。」というようなメッセージは30代となって昔より今の人間関係、状況に居心地のよさを感じる自分にとって、するどいメッセージだった。このつぶやきに対する小夜子の思いはその後も続く。本書では、葵と小夜子の現在の関係が変化していく様子をハラハラしながら見守るという感じで読めた。ラストは爽快だった。 | ||||
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レビューを読んだとき、ある程度の話しの内容を予想し負け犬ブームに乗った作品なのかと読むのをためらった。しかし書いてある内容は予想に反するものだった友情を育むとき、複雑になりやすくなる自分の環境や相手の環境、周りの目、今の自分の立場そんな複雑な飾りはいらないのかもしれない重荷になりそうな飾りは外して、お互いが消耗しない付き合いに戻る積み上げた複雑なことから、崩して単純なことへ移る勇気そんなことを考えさせられる作品 | ||||
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読み始めて最初の数ページくらいまでは、「なるほど、聞いたとおり、女性向けの小説だ」といった印象を受けた。30代の母親に視点がおかれていたので、20代の男である自分には共感するところは少ないかもしれないなという予測のもと、とりあえず読み進めていった。これは必ずしも正確な表現ではないが、話には二つの時間軸が設定されており、30代同士と女子高生同士の友情のあり方が描かれているといえる。葵という人物がキーパーソンとして、高校生の頃と30代の頃の両方で友情について壁にぶつかる。読者の対象が自分とは違うという理由で共感するところは少ないはずだったが、どういうわけか中盤に入る頃には登場人物の一人ひとりにぐぐっと感情移入していた。読者を自然に引き込ませる作品にそうそう悪いものはない。はじめのうちは30代の話と高校生の話のリンクが見えづらいが、後半に向かうにつれて接点がぽつぽつと表れ、終盤は明示的に描かれる。ここの展開は作者の技術を感じさせるものとなっている。30代の話では「小夜子の視点から見る葵」、女子高生の話では「葵の視点から見るナナコ」を読者は追うことになるだろう。2度目に読むときは、この逆のベクトルを考えながら読んでみたいと思う。葵から小夜子、ナナコから葵。当たり前だといわれるかもしれないが、この作品をもう一歩深く読むための鍵は、直接書かれていない彼女たちの心理を想像することにある気がする。 | ||||
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