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対岸の彼女
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対岸の彼女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全290件 181~200 10/15ページ
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序盤は地味で読むペースが掴めなかった(注1)。しかし、小夜子が清掃業務の仕事に就職して、仕事現場で台所の清掃中に次の事を感じた。「油でベタベタしたステンレスの感触が、汚れの取れた部分は、手のひらの下でなめらかに滑った。汚れが落ちる瞬間がわかると、油まみれの台所の真ん中で、はいつくばって床や棚を磨き上げるのが楽しくなった。」そして「こびりついた油の層が薄くなるのに比例して、頭の中がどんどん真っ白になってく。」この文章を読んだとき、この本面白いと思った。 この本は、心理描写が主だが、現実に誰にでも覚えのある想いや感情そして過去等を使いうまく表現されている。また解説(森絵都)を読み気づいたのだが、この小説は、2つの物語が交互に同時進行しているが特筆すべきは、主人公本人の視点から描かれた話と、他者から見た主人公の様子が描かれていることだ。この初めてみる技法は、解説を読んで気づき驚かされた。 (注1:序盤は誰が主人公なのかとわかりにくかった) | ||||
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自分達の信じる道を進んでいるつもりだったが,どこにも行くことは出来ず,どこに向かっているのかもわからなかった二人の少女. 現実と理想との間にゆれながらも何とか道を切り開こうとする二人の女性. 年を重ね経験をつみ,知識を身につけてもぶつかる問題は何ら変っていない.いつの時代も自分のことを棚に上げ,他者の足を引っ張るという人は大勢いるのだから. 本質的なことは何も解決などしていない.ただし全てが無駄だたわけではない.かつて友人によって生き方を変えた少女が,大人になって他者に強い影響を与えるように. 学び続ける姿勢を崩さなければ,年を重ねることはそれほど苦痛ではない.誰にも理解されず,幸福とはいえなかったが,強い輝きを放った儚い過去.それがあるから今の彼女がいてそれに魅せられる人もいる. 対岸にいた二人が時に近づき,時に離れやがて一つに重なったとき,新しい世界が見えてくる.そこに必ずしも幸福があるとはいえないが,少なくとも希望はある. | ||||
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ほぼ主人公と同年代の私。子育てしながら働いて、と立場上は小夜子側なのだけれど、性格的にはどちらかと言えば葵と共通項が多いかな、と読み始めた途端、葵の過去に驚愕!!しかし、あの時のナナコとの出会いや共有した時間、ナナコからもらった友情に胸キュンとなった。切ない切ない。。。「もし私がみんなから無視されても葵もみんなと無視してて欲しいくらい。その方が安全だから。イジメなんて全然怖くない。そんなとこに私の大切なものはないし。」「いやならいやだと思うことに関わり持たなきゃいいんだよ。簡単だって、そんなの。」しかし、明るく言い放つナナコは想像絶するつらい環境で暮らしていた。 今度は大人になった葵が小夜子に「ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、一人でいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことの方が、うんと大事な気が、今になってする」と話す。旅行先の悲惨な事件を経て、人が親切にしてくれるのは当然ではなく、最低の人間もこの世に存在する。しかし、悪い方向ばかりを考えてしまえばこの状況は変えられない。自分は良い方に向かっていくと信じる。人ではない。自分が望む道ならば障害が発生する可能性もゼロではないと認識する強さ、あるいは割り切り。葵はそんな風に日々を刻んできていたのかな・・・。 最後に小夜子は気付く。「なぜ私達は年齢を重ねるのか。生活に逃げこんでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ」つらい経験はできればしたくないし、傷つきたくもない。だって、年いくほど立ち直りにかなりの時間を要するし、性格歪むし、人間不信になるし、自分を卑下しまくるし。 実際、私自身がその状況下で苦しんでいる。でも信じようと思った。出会いを。自分の脆さがいつか必ず強さに変わる日を。 | ||||
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みんな違うってことに気づかないと、出会えない。マニュアルってのは あれしないさいとか、これが常識だって説明するだけで、違うって 感覚的にわかることを邪魔するんだと思う。 葵の中では、親しくなることは加算ではなく、喪失だった。 何故私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。 なるほどなあ〜〜と思った作中の文章であります。 | ||||
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「どうしてこんなに人間関係に臆病になってしまったんだろう」と思うことがある。30歳を過ぎてからだ。似た気持ちを抱いた経験のあるかたならこの本は響くと思う。痛快でスカッとして元気がわくという本じゃない。静かに背中を押してくれるような・・・ 単行本刊行時、「専業主婦(小夜子)と独身女社長(葵)、正反対の二人に友情は成り立つのか」みたいな本として紹介されたと記憶する。「30歳以上、独身、子どもなし」(葵がそう)といったことが注目されていた頃だから尚更、そうした印象が強く刻まれている。けれどこれは物語の基本設定に過ぎない。 「現在の小夜子の物語」「高校生の葵の物語」が交互に語られる。正反対に見える二人が実はそうではないと次第にわかってくる。いじめの経験を引きずる高校生の葵に、現在の陽気な女社長の面影はない。一体今の彼女とどうつながるのだ?という興味で高校生部分を読む。それが徐々に悲しく、切実で痛いほど胸に染みる展開を見せていく・・ここに登場するナナコという友達が実に印象的だ。 本書の中に胸を刺されるような、胃が重たくなるような箇所を見つける女性は少なくないだろう。だがどちらか一方でなく、小夜子、葵それぞれに自分と重なる部分を見るのではないか。つまり、専業主婦/独身キャリア女性といったわかりやすい対立構造を借りつつ、二人の女性を通して、この年代に共通する心理−迷いや不安、停滞感や孤立感−をより深く描いているのではと思う。だからこそ、本書の中に見出せる希望も二倍、いやそれ以上になるのじゃなかろうか。 『対岸の彼女』というタイトル。当然対極にある二人を意味するものだと思っていた。でもそれだけではなかった。読了後、このタイトルがしみじみとした感慨と共に胸に迫るはずだ。 | ||||
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女性ならではの物語ですね。 最初はまったく違う女性の話が交互に進んでいくので戸惑いましたけど。 とりわけナナコのキャラが好きです。 人間を描くときのキーワードで男は競争=A女は共感≠セと私は思っています。 この話は女性の方々の共感を呼んだと思います。 ただ、男が読むとくいたらなが残るかもしれません。 | ||||
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読み進み、終盤に差し掛かって思ったこと。 「対岸の彼女、タイトルが絶妙ですね」。 2者の視点で平行して進めて行くのは、よくある手法。 最後に、マッチをさせるのも、よくある手法。幸いなことに、 この手法を用いた作品のハズレを読んだためしがない。 今回も『対岸=川』をイメージすると、 見事なさじ加減、表現方法で2者のエピソードが『合流』する。 角田さんの作品を過去2作読み、 「独自の人間観察力をお持ちの方だな」との思いを抱いておりました。 これは、私にはついていけないよ、との諦めも含まれています。 しかし、今作に関しては、非常に登場人物に共感が出来た。 起きている内容は、非現実的だけれども、その全てが、 現実と紙一重に思えてならなかった。その危うさも捕まえた心を離さなかった。 久しぶりに、時が経つのを忘れて、没頭してしまいました(苦笑)。 | ||||
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女性の友情を描いた物語。 主な登場人物は小夜子、葵、ナナコの三人。 過去(葵−ナナコ)と現在(小夜子−葵)を織り交ぜながら、他人との交わりの中で、自分にはない何かを手に入れようともがき続ける女性の姿が痛いほど伝わってきます。 機嫌よく振舞っていたかと思うと次の瞬間、ふっと心変わりする女性の機微が、とても巧く表現されているなと感じました。 なかなか味わい深い作品です。 ぜひご一読あれ。 ### 2005年本屋大賞 第6位 ### | ||||
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『対岸の彼女』を読んだ素直な感想は、小夜子、葵、ナナコの 3人の女性の内面がとてもうまく描かれており、読み応えのある いい作品であった。 角田さんは、小夜子、葵、ナナコの性格のすべてを持っている のではないかと思った。 主婦としての小夜子の評価されない毎日のむなしさ、公園デビュー した三歳のあかりと二人して落ち込む毎日。 このまま年を重ねて自分は幸せだと思えるのか、何のために 大学まで行ったのか、自分のスキルはどうなってしまうのか、 このままではだめだと焦る小夜子。 一方、葵は自分のまわりにいる人間には、友達になりたいと 感じる人はいないのでむなしさを感じていた。 そんな時に、小夜子が面接に来る。 葵は、今の生活から必死で抜け出そうとする小夜子を見て、 この人とならナナコの時の様に友達になれると感じる。 そして、葵は、小夜子に新規事業の家事代行業の担当を任せ、 自分は旅行会社を担当することを夢みる。 葵は、生活を楽しみたい、生きている実感を感じたいと悩みながら 生きている小夜子を見て、自分と同じものを感じたのであろう。 そして、小夜子と一緒に人生を楽しみたいし、夢を追いかけたい という素直な気持ちで友達になりたいと思った。 | ||||
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角田さんの作品は昔から読んでいますが、はっきりいって彼女の作品は どれも主人公が同じようなタイプで、話の内容も テーマが似たようなものなんですよね。 だから角田さんの本はどれか3冊くらい読めばもういいやっていう人が 私の周りには多いんですが、この対岸の彼女は 今まで作者が書いて来たものの集大成のような感じです。 あちらこちらで書かれて来た主婦としての立場、女友達との関係、 女子校という環境など 作者が好んで書くいろいろなものが良い意味で集まって 最高の作品にしあがっています。 今現在を考えても、角田さんの最高傑作はこれだと思います。 複雑な思いを、それぞれの目線で書かれた構成はまさに対岸を思わせます。 | ||||
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一時期女性誌を賑わせた「負け犬」論争。本書が出たときも、確か多くの書評は、そうした類型化された女性たちの間の友情として本書を取り上げていたように思う。なので、話題になっていたときは正直あまり食指が動かなかった。これまでの角田さんの作風と、自分の中でのこうした書評がマッチしなかったからだ。 だがこうした予想は、今改めて手にした本書によって大きく裏切られた。筆者はそもそもこうした「負け犬」論争に乗るつもりなどさらさらなかったのだろう。人物設定はぬかりない。そこに出てくるのは、近年の女性誌に登場するような颯爽とした女社長ではなく、また「VERY」を愛読するようなセレブな主婦でもない。すでにこの時点で、読者が想定する優雅なキャリアウーマンと、小金持な主婦という図式は放棄されている。そして秀逸なのは、お互いが嫉妬していると通俗的に言われて来た女性たちの友情を、短絡的なストーリーにはのせず、女性の視点からものすごく繊細に描いていることだ。だからここには心底お互いを羨み嫉妬するような女性は登場しない。主婦の愚痴もキャリアウーマンの嘆きも、自分の人生や生活に対するつぶやきなのだ。主人公たちは内省的で、相手を鏡としながら自分の人生を生きるしかないことを実感している。本書に対する多くのレヴューが示しているように、現代の多くの女性はマスコミが嬉しがってとびつくような派手な生活を羨望しているわけではない、と私は思う。むしろ、ひとつひとつの小さな居場所を探そうとして、毎日を一生懸命生きているのではないだろうか。 高校時代の友人。もう会う事のなくなった友人。その時代の自分を確実に力づけて勇気をくれた、ずっとその友情は続くと信じていたのに、受験という出来事と共に会えなくなった友人。それでも人は自分の人生を生きなくては行けない。筆者が言うように「また出会うために」。 | ||||
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角田光代の作品は初めて読んだ。とても女性らしい自然体な小説を書く人だと思う。 自然な日常的なことを作品に反映させる事は実は難しいである。なぜなら無意識のうちに常識としてすりこまれているからである。 この小説は何不自由ない生活を送りながら何故か自分の居場所を見つけ出せない小夜子が、葵の経営する会社にパートとして勤務することから始まる。 そこで二人の物語が始まるり、交互にパートをはじめた小夜子の日常生活と葵の高校時代の思い出が語られる。 小夜子の生活からは、静かであるが常にふつふつ沸いているような主婦の理由なき不満、葵の高校生活からは「人間の生来の意地悪さそして思春期の一途さ」がつたわってくる。 二人が出会ったことで結局何も変わらないが、特に女性特有の(女子高出身だから非常によく理解できる)仲間意識、人と群れることで孤独から逃げようとする、そんな心理が非常に細かく丁寧に描写されていた。 私はこの本を読んで学生時代を思い出したけど、学生時代に限らず、一生人とつながりをもたなくてはならない、というプレッシャーは一生続くのかもしれない。 今はコミュニケーション手段が多様になった分、プレッシャーや孤独感も増している、そう思う。今の女子高生は私の時代より大変だ! | ||||
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珍しく単行本で通勤途中ではなく、じっくり休日に読みふけりました。 私自身、女性の友情についていろんな事を思うので、 この本はとても興味深かったです。 人と人との関わりを女性の友情という視点で大事な事をついていました。 現実に女性の友情で裏切られた事もあった、救われた事もあった、 煩わしさもある、でも妙に心地良い時もあり、女性同士の友情はつかみどころ がなかなかないのが現実です。 女性の友達で大切だと思える人にもし出会えたら、それは宝物なんだと思います。 でもまだ出会えてなくても、いつか出会えるかもしれないし、一生出会わずに 終わってしまうかもしれない、 それも自分次第であるので、これからもまだまだワクワクします。 素敵な男性にめぐり合う事よりもしかしたら大切だったり?! | ||||
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女性の生き方というか仕事観が結構変化しているといわれる今日この頃であるが、しかしながら変わらないものもあるのだとこの本を読んでつくづく思う。それと自殺と言う行為が実は死に向かうのではなく生に執着するが故の行為のように感じた。 清掃についての描写がすごくうまいように感じるのはどうしてだろうか。 | ||||
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角田光代なら、もっと面白い作品があるのに、これで直木賞ってちょっと切ないね〜。でも、ちゃんと読ませるし、読者を引っ張っていく力はある本だと思う。自分の思春期時代を思い出して、ちょっと共感できた。 | ||||
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だいぶ前に話題になったこの本。すこし時代に乗り遅れていますが、今頃になって購入し、読んでみました。感想としては、話題が終われば廃れるような類の本ではないということ。いつでも手にとられ、ある種の読者に深い共感と癒しをもたらす名作だと思いました。 私事ですが、少し前に親しい友人と立て続けに仲たがいしました。ずっと友人で居られる、ずっと同じ目線で物事を見ていられる、何も分かっていなかった学生時代のように、お互いに共感しあい慰めあいながら、きっと、ずっと、うまくやっていける・・・そういう風に女の友情を漠然と信じていた矢先、終わりは突然にやってきました。そう、この本に書いてあるような、なんでもない出来事で。日常の中にいくらでも転がっているような、ほんの些細な状況の違いや、考え方の温度差が小さなホコリのように重なって、いつしか私と彼女の間には越えられない壁が立ちはだかっていました。 この本に登場する葵とナナコのように、限りなく純粋に、同じ方向を見て他意も無く笑いあうときだってあった。なのに、どうしてでしょうね。 ハードカバーの帯にいいこと書いてます。本当に、心から信用できる女友達が必要なのは、社会に出て、重たい荷物を背負い、現実を直に突きつけられている今なのに、というようなこと。 どうして、大人になれば、こんなにも同性の友達ができにくくなるのでしょうね?十年来の友人とさえ、関係を維持することが難しくなる。 友情関係もそうなら、夫婦関係もそう。愛をうそぶいていた夫が、想像以上に家事を手伝わず、他人事のように振舞う。毎日家事をきちんとこなし、身の回りのことをいくら整えても、それがプラス評価になることはない。当たり前のゼロ地点を形作るだけ。そういうことに、一体どれほどの人が失望していることでしょう。 どうして、あんなにも尊かった友情や愛情が廃れていくのか。その答えがこの本にあるわけではありません。 ただ、大人になれば、誰もが少なからず体験する、誰とも共有することのない微妙な「孤独感」を、この作品はとても的確になぞっています。その文章を目にしたとき、私たちの中には深い共感が生まれ、安心感が生まれ、そして癒されるのだと思います。最後の、希望のある終わり方もいいですね。 とても素敵な本です。夢中で読みました。 いろんなものを背負いすぎて息がつまっている方、少し立ち止まって、この本を小脇にかかえ休んでみては? | ||||
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面白くて一気に読んでしまいました。葵とナナコの友情と葵と小夜子の関係が交互に書かれていて飽きさせませんでした。ただ葵と別れた後のナナコがどうなったのかものすごく気になってしまって、なかなか眠れませんでした。ナナコから葵にどうして連絡がないのか、ひょっとしたら手紙を書いたけど葵のお母さんが葵の手元に渡る前に破棄したんじゃないか、とかいろいろ考えてしまって。私は。高校時代どちらかと言うと葵タイプだったような気がするので、ナナコみたいな女の子にすごく惹かれます。ナナコのその後が書かれていたら(よくばり?!)・・なんていう気持ちで星4つにしました。 | ||||
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人間関係にとまどいながら不器用に、でも懸命に生きている女性の姿が描かれていました。公園にいる子供づれの母親たちを見るとおそらく多くの人が平和な光景だと思うだろうし、どの母親も明るく社交性があり、しっかりしているように思ってしまう。私は母親になってから常々この「母親神話(?)」みたいなものに違和感を感じていたので、この小説には共感できるところがいっぱいありました。母親だってそれぞれこれまで歩んできた人生があり、これから歩む人生がある。そんな当たり前のことを意識させてくれました。 この続きが読みたい、と思う小説でした。 | ||||
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女同士の友情は、共感で成り立っていると思う。 仕事での人間関係や、恋人のことで女友達に愚痴をこぼす。話すことでストレスが解消される。相手から「そういうの分かる」と共感があると「話してよかった」と思い、安心感が得られる。 そういうことは、女性ばかりでなく、男性にもあることかもしれない。しかし、おしゃべりと買い物にかける時間が長いのは、やはり女性のほうだろう。 「共感してもらえる」という安心感が持てないと、会って話しをしていても、どことなく落ち着かない。なんとなくスッキリしない気分を抱えてしまう。 共感は、同じような立場や経験をしている人同士のほうが生じやすいし、強くなる。 同じような職種、専業主婦なら主婦同士のほうが、話に出てくる状況を分かち合いやすいから、そういう共感を得るために成り立つ友人関係がある。 一方で、自分と違う立場の人との友人関係は、相手の話を聞くことによって、自分自身の視野が広げられ、発見がある。異なる環境にいる人のほうが、状況を冷静に分析して、的を得た指摘をすることもあるだろう。 「対岸の彼女」は、女性同士の人間関係の機微を描いている。 幼い子を抱える専業主婦と独身の女性起業家の出会い。 生活や仕事に対する価値観の違い、生き方の違いが、人間関係の決別につながる寸前にまで発展する。しかし、どこかで互いに認め合い、友情の絆はしだいに強くなっていく。 生活の中で起きる些細な出来事について互いに共感できる部分は少ない。 しかし、環境の異なる者同士の友情関係は、互いに「自分が持っていないものを相手は持っている」という共感がある。 「この人と知り合いになれて、よかったな」と思える出会いは、明日を生きる力をくれる。 「対岸の彼女」は、それを思い出させてくれた。 | ||||
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一気に読めた。 葵やナナコと同じように、思春期特有の独特な交友関係や無駄な時間を過ごした事など、 読んで行くうちに鮮明に思い出された。誰もが、小夜子、葵、ナナコに少し当てはまる部分がもしかするとあるのかも知れない。 「なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない、 また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。」 この2行に出会い、それまでは読み返す事もなく淡々と読み進んでいた読書の流れをハタと止め、数回繰り返し読み返した。自分自身も、選んだ場所に自分の足で歩いて行こうとふと元気をもらったような気がする。でも、この先この小説をきっと読み返す事はないだろう。 追加:入力を間違えた。星の評価の訂正が出来ないのが残念。本当は、★4つにしたい。 | ||||
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