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ひとがた流し
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ひとがた流しの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.86pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全50件 21~40 2/3ページ
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沢口靖子主演のNHK土曜ドラマの原作です。 女性アナウンサー「千波」がニュースのメインキャスターに抜擢されるという人生のピークを迎えたかと思ったとき,病の宣告をされ,降板を余儀なくされる,というドラマの導入部に, 予告編を見ただけで涙腺が緩みましたが, 原作のほうは至って淡々と描かれています。 ストーリーはもちろん同じなんですが, 中心人物である千波の視点で話が進むのではなく, 客観的に淡々と,あるいは,親友2人の視点から語られるのです。 ですので,千波の身を切るような葛藤や苦しみはダイレクトに伝わらず, 「涙」を求めてしまった私には少し物足りませんでした(全然泣けませんでした)。 そのかわり,千波を支えようとする親友2人の祈るような気持ちが温かく伝わり, 読後感はさわやかであったと思います。 本の装丁は,水色をメインにしたパステルカラーの図柄ですが その透明感ある色合いをそのまま物語に落としたような感じでした。 | ||||
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沢口靖子主演のNHK土曜ドラマの原作です。 女性アナウンサー「千波」がニュースのメインキャスターに抜擢されるという人生のピークを迎えたかと思ったとき,病の宣告をされ,降板を余儀なくされる,というドラマの導入部に, 予告編を見ただけで涙腺が緩みましたが, 原作のほうは至って淡々と描かれています。 ストーリーはもちろん同じなんですが, 中心人物である千波の視点で話が進むのではなく, 客観的に淡々と,あるいは,親友2人の視点から語られるのです。 ですので,千波の身を切るような葛藤や苦しみはダイレクトに伝わらず, 「涙」を求めてしまった私には少し物足りませんでした(全然泣けませんでした)。 そのかわり,千波を支えようとする親友2人の祈るような気持ちが温かく伝わり, 読後感はさわやかであったと思います。 本の装丁は,水色をメインにしたパステルカラーの図柄ですが その透明感ある色合いをそのまま物語に落としたような感じでした。 | ||||
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血のつながらない父と娘の関係。思春期の娘とその母の親友との関係。 すでに親友関係を築いた2人に 遅れて加わったもう一人の友達。 親子とか同級生とか 世間一般の人間関係には当てはまらないような、複雑で遠い存在にありながら自らの意思でキズナをつくっていこうとする 心の強さがすばらしい! そこには、女だからとか子供だからといった甘えが少しも存在しない。 自分の感情を押し出す前に、この築いた関係において 今大切なことはなにか と考えられる心のゆとりと大きさ。 人間が死ぬまでに手に入れるべきものは、こんな心なんじゃないだろうか。 過剰ともいえるドラマチックな展開をみせる後半ですが、この作品はストーリーより行間をぜひ読んでほしい。 誰も教えてくれない、達観した一握りの人間にしか伝えることが出来ないであろう、 目に見えない本当の“キズナ”ってやつが見えてきます。 | ||||
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北村薫さんの描く様々な作品に流れる大きなテーマの一つは「時」だと思っています。「スキップ」「ターン」「リセット」の時の三部作は言うまでもなく、代表作の「私(と円紫師匠)」シリーズでも様々な形で「時」を強く意識させてくれます。どの作品でも大きな流れの中で抗う人の弱さや強さを感じさせてくれます。 今回の作品でも読み終わった後、まず感じたのは過去から現在、未来へと流れる「時の流れ」でした。生きていく中で忘れてしまった記憶や、戻せない過去。今はもう会えない人や、残したい思い。何気ない日常を丁寧に描きながら、端々で感じるせつなさはとても大事なことを思い出させてくれるような気がします。 特に娘をもつ父親として、類と玲のエピソード(p279-280)は胸に響きました。 | ||||
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北村薫さんの描く様々な作品に流れる大きなテーマの一つは「時」だと思っています。「スキップ」「ターン」「リセット」の時の三部作は言うまでもなく、代表作の「私(と円紫師匠)」シリーズでも様々な形で「時」を強く意識させてくれます。どの作品でも大きな流れの中で抗う人の弱さや強さを感じさせてくれます。 今回の作品でも読み終わった後、まず感じたのは過去から現在、未来へと流れる「時の流れ」でした。生きていく中で忘れてしまった記憶や、戻せない過去。今はもう会えない人や、残したい思い。何気ない日常を丁寧に描きながら、端々で感じるせつなさはとても大事なことを思い出させてくれるような気がします。 特に娘をもつ父親として、類と玲のエピソード(p279-280)は胸に響きました。 | ||||
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私は千波と同じ病になったこともなければ、同じ病を得た身近な友人もいない。 だから、実際に身近に見てきた人と同じ見方はできない。 それはもう、仕方ない。 でも、この本は何もその病を得た苦悩を書いたわけではないと感じている。 それよりはむしろ、女三人の友情のあり方や、彼女たちを取り巻く人々の、 相手を思う心の温かさを描いたのではないかと思う。 もちろん、私は北村薫本人ではないから、本当のところは分からない。 登場人物が多少、理想的過ぎるのは、北村作品にはよくあることではないかと思う。 こうであったらいい、こうありたい、と感じて読むのも、悪くはない。 紅白以来、大ヒットとなったあの曲を思い出させるラストシーンだった。 | ||||
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私は千波と同じ病になったこともなければ、同じ病を得た身近な友人もいない。 だから、実際に身近に見てきた人と同じ見方はできない。 それはもう、仕方ない。 でも、この本は何もその病を得た苦悩を書いたわけではないと感じている。 それよりはむしろ、女三人の友情のあり方や、彼女たちを取り巻く人々の、 相手を思う心の温かさを描いたのではないかと思う。 もちろん、私は北村薫本人ではないから、本当のところは分からない。 登場人物が多少、理想的過ぎるのは、北村作品にはよくあることではないかと思う。 こうであったらいい、こうありたい、と感じて読むのも、悪くはない。 紅白以来、大ヒットとなったあの曲を思い出させるラストシーンだった。 | ||||
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主人公は千波、牧子、美々の、40代になった3人の幼馴染たち。 全6章から成るこの作品の章と章との間のつなぎの場面に、登場人物の誰かから誰かへと物が手渡されるという行為が必ず登場します。これは新聞連載小説ですので、そもそもが、昨日から今日、今日から明日、と書き進める作業の跡を象徴するかのようです。 そしてまた、この小説全体に先行世代から後続世代へと、思いや祈りがリレーされるさまを描いたシーンが張り巡らされています。 たとえば美々の娘・玲は写真家である父・類の影響で最近写真に興味を持ち始めています。その玲は交通標識を被写体にしたシリーズ写真を撮るのですが、そのひとつに折れ曲がった標識が含まれています。それが交通事故の跡を示すものではないか、そんなものにレンズを向けるのはいかがなものか、という指摘をある人から受けるのです。その言葉に対して、自分は写真に向かないのではないかとしょげかえる玲を父はこう言って諭すのです。 「向く、向かない、で生きていくことは出来ないよ。大体人間がね、生きていくには向かないもんだよ。(中略)でも、何とかやっていくんだ。そうしながら、いろいろな経験を積んでいく。そうして、少しずつ何かが見え始めるんだ」(116頁)。 また、千波には年齢の離れた良秋という男性が現れます。先輩格の千波から後輩格への 良秋へと、思いは受け継がれます。 さらに物語の終盤で、牧子の娘・さきは、幼い頃に千波に肩車された日のことをふと思い出します。そしていつの日か自分に娘が出来たときに、その幼子を肩車して千波のことに思いをはせるだろうと考えるのです。 こんな具合に、人と人との様々な形の温もりあるつながりが本書のテーマなのでしょう。北村薫作品としてはおとなしめの小品という印象が残るのですが、こうした人と人との<思い>のリレーというのはやはり彼らしいなと感じさせる作品に仕上がっています。 | ||||
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主人公は千波、牧子、美々の、40代になった3人の幼馴染たち。 全6章から成るこの作品の章と章との間のつなぎの場面に、登場人物の誰かから誰かへと物が手渡されるという行為が必ず登場します。これは新聞連載小説ですので、そもそもが、昨日から今日、今日から明日、と書き進める作業の跡を象徴するかのようです。 そしてまた、この小説全体に先行世代から後続世代へと、思いや祈りがリレーされるさまを描いたシーンが張り巡らされています。 たとえば美々の娘・玲は写真家である父・類の影響で最近写真に興味を持ち始めています。その玲は交通標識を被写体にしたシリーズ写真を撮るのですが、そのひとつに折れ曲がった標識が含まれています。それが交通事故の跡を示すものではないか、そんなものにレンズを向けるのはいかがなものか、という指摘をある人から受けるのです。その言葉に対して、自分は写真に向かないのではないかとしょげかえる玲を父はこう言って諭すのです。 「向く、向かない、で生きていくことは出来ないよ。大体人間がね、生きていくには向かないもんだよ。(中略)でも、何とかやっていくんだ。そうしながら、いろいろな経験を積んでいく。そうして、少しずつ何かが見え始めるんだ」(116頁)。 また、千波には年齢の離れた良秋という男性が現れます。先輩格の千波から後輩格への 良秋へと、思いは受け継がれます。 さらに物語の終盤で、牧子の娘・さきは、幼い頃に千波に肩車された日のことをふと思い出します。そしていつの日か自分に娘が出来たときに、その幼子を肩車して千波のことに思いをはせるだろうと考えるのです。 こんな具合に、人と人との様々な形の温もりあるつながりが本書のテーマなのでしょう。北村薫作品としてはおとなしめの小品という印象が残るのですが、こうした人と人との<思い>のリレーというのはやはり彼らしいなと感じさせる作品に仕上がっています。 | ||||
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中学や高校時代の友情が大人になってもずっと続いているのは、とても素敵なことだ。 卒業、進学、就職、結婚などで、知らず知らずのうちに疎遠になってしまうことの ほうが多いのに。千波と美々と牧子の関係はとてもうらやましい。くっつき過ぎず、 離れ過ぎず、適度な関係を保ち続けている。でも、お互いがお互いを思いやる気持ちは 決して忘れていない。その気持ちは、ある出来事を境により強くなっていく。ほのぼのと した展開だが、後半はせつなかった。そのことが、作品をより印象深いものにしている。 余韻の残る作品だった。 | ||||
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中学や高校時代の友情が大人になってもずっと続いているのは、とても素敵なことだ。 卒業、進学、就職、結婚などで、知らず知らずのうちに疎遠になってしまうことの ほうが多いのに。千波と美々と牧子の関係はとてもうらやましい。くっつき過ぎず、 離れ過ぎず、適度な関係を保ち続けている。でも、お互いがお互いを思いやる気持ちは 決して忘れていない。その気持ちは、ある出来事を境により強くなっていく。ほのぼのと した展開だが、後半はせつなかった。そのことが、作品をより印象深いものにしている。 余韻の残る作品だった。 | ||||
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私は北村先生の小説は全て読みました。 その上で、レビューを書かせていただきますが、この作品は北村作品の中では地味な方ではないかと思います。とりたてて大きな事件のない、淡々としたお話です。流れゆく水のような、穏やかなリズムで展開されていきます。ですが、読み終わって心がじんとしました。 私も千波と同じように、病気の検査をしたことがあり、不安な日々を過ごしたことがあるので、他人事とは思えませんでした。この小説でリアリティを求めたり、トリックを求めることは必要ありません。日常のミステリーが、この小説にに潜んでいます。それを楽しみながら読んで欲しい、そう思います。 私が言うのもおかしな話ですが、北村先生は(文章を読んだことのある方ならご存知だと思いますが)繊細な気配りのできる方です。敢えて病名を伏せたり、死に至るまでの細かな描写をしないこと、同じ病気の女性に対して失礼にならないように注意を払って書いているのだと思いました。 「月の砂漠をさばさばと」を読んでから読むと、より一層この小説を楽しめるのではないかと思います。 北村作品初心者の方は、「夜の蝉」「リセット」などをお薦めします。 | ||||
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私は北村先生の小説は全て読みました。 その上で、レビューを書かせていただきますが、この作品は北村作品の中では地味な方ではないかと思います。とりたてて大きな事件のない、淡々としたお話です。流れゆく水のような、穏やかなリズムで展開されていきます。ですが、読み終わって心がじんとしました。 私も千波と同じように、病気の検査をしたことがあり、不安な日々を過ごしたことがあるので、他人事とは思えませんでした。この小説でリアリティを求めたり、トリックを求めることは必要ありません。日常のミステリーが、この小説にに潜んでいます。それを楽しみながら読んで欲しい、そう思います。 私が言うのもおかしな話ですが、北村先生は(文章を読んだことのある方ならご存知だと思いますが)繊細な気配りのできる方です。敢えて病名を伏せたり、死に至るまでの細かな描写をしないこと、同じ病気の女性に対して失礼にならないように注意を払って書いているのだと思いました。 「月の砂漠をさばさばと」を読んでから読むと、より一層この小説を楽しめるのではないかと思います。 北村作品初心者の方は、「夜の蝉」「リセット」などをお薦めします。 | ||||
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ストーリーテラーにとって「死に至る病」をモチーフにすることは、禁断の果実だ。手にとってかじりつけば甘い。読者を「涙」というカタルシスに導くことが容易なのだから。同時に、作家本人の生死感が問われることになる。だからこそ志のある作家は、軽々にはモチーフにできないのではないか。だって出来上がった作品が単なる「お涙頂戴」なら、底の浅さを露呈することになるから。 さて、この作品はといえば、私にとってはただの「お涙頂戴」に過ぎなかった。人物造形や設定にリアリティがない、などということは言わない。それが北村センセの持ち味だから。だけど、死に至る病を得た中年女性が、病を得た途端に降って湧いた年下の求愛者を、何の躊躇もなく即座に受け入れ、その「愛」に救われて死に向かう、というストーリーは、ベテランの域に達した作家としていかがなもんでしょう。 死に至る病を得た多くの人々が、たとえ愛する人がいても「一人で死ぬ」ということに我を忘れて怯え、苦しみ、孤独の泥沼の中でのた打ち回っています。その真っ暗な心の中に、一筋の光をさしかけることができる。そういう力量がなければ、「死に至る病」なんて書くもんじゃない。 主人公が人生の土壇場で愛を得て救われたのは、美しくて才能があったからって設定じゃ、美も才もない我々一中年女性は、そりゃないヨ、って感じ。そして、そんな美も才もない(失礼)ふつーの中年女性である友が一人、同じ病気で死の孤独と戦っている。彼女には家族もいない。 そんな厳しい状況の読者に、一条の光を投げかけることのできる。そういう力量がないのであれば、こんなテーマを扱うことは、人として不遜だ。私はそう思う。 「泣ける」というだけで、小説をホメるのはいい加減ヤメようよ。 | ||||
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ストーリーテラーにとって「死に至る病」をモチーフにすることは、禁断の果実だ。手にとってかじりつけば甘い。読者を「涙」というカタルシスに導くことが容易なのだから。同時に、作家本人の生死感が問われることになる。だからこそ志のある作家は、軽々にはモチーフにできないのではないか。だって出来上がった作品が単なる「お涙頂戴」なら、底の浅さを露呈することになるから。 さて、この作品はといえば、私にとってはただの「お涙頂戴」に過ぎなかった。人物造形や設定にリアリティがない、などということは言わない。それが北村センセの持ち味だから。だけど、死に至る病を得た中年女性が、病を得た途端に降って湧いた年下の求愛者を、何の躊躇もなく即座に受け入れ、その「愛」に救われて死に向かう、というストーリーは、ベテランの域に達した作家としていかがなもんでしょう。 死に至る病を得た多くの人々が、たとえ愛する人がいても「一人で死ぬ」ということに我を忘れて怯え、苦しみ、孤独の泥沼の中でのた打ち回っています。その真っ暗な心の中に、一筋の光をさしかけることができる。そういう力量がなければ、「死に至る病」なんて書くもんじゃない。 主人公が人生の土壇場で愛を得て救われたのは、美しくて才能があったからって設定じゃ、美も才もない我々一中年女性は、そりゃないヨ、って感じ。そして、そんな美も才もない(失礼)ふつーの中年女性である友が一人、同じ病気で死の孤独と戦っている。彼女には家族もいない。 そんな厳しい状況の読者に、一条の光を投げかけることのできる。そういう力量がないのであれば、こんなテーマを扱うことは、人として不遜だ。私はそう思う。 「泣ける」というだけで、小説をホメるのはいい加減ヤメようよ。 | ||||
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ボクには響かなかったです。抑揚のない物語。淡々と進む会話。ちっとも盛り上がりませんでした。 私は北村さんの小説を初めて読んだものですから、これはどんな小説なんだろうかととても悩みました。青春ドラマ?恋愛小説?それともホラー小説になるの?これは一体、なんと言う部類に入るのでしょう。 家族と友人と恋愛とを描いた小説になるのかもしれませんが、出てくる人物、物語が想定内の範囲でしか動かないし、さほど魅力的な人物でもない。基本的に軽い会話や日常の細かなディテールの描写が、ドラマティックな展開をスポイルしているようにも感じました。 日常ってこれくらい淡々としたものなのかもしれませんが、何なのだろうと。ボクにはちっともわかりませんでした。つまらない。 | ||||
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ボクには響かなかったです。抑揚のない物語。淡々と進む会話。ちっとも盛り上がりませんでした。 私は北村さんの小説を初めて読んだものですから、これはどんな小説なんだろうかととても悩みました。青春ドラマ?恋愛小説?それともホラー小説になるの?これは一体、なんと言う部類に入るのでしょう。 家族と友人と恋愛とを描いた小説になるのかもしれませんが、出てくる人物、物語が想定内の範囲でしか動かないし、さほど魅力的な人物でもない。基本的に軽い会話や日常の細かなディテールの描写が、ドラマティックな展開をスポイルしているようにも感じました。 日常ってこれくらい淡々としたものなのかもしれませんが、何なのだろうと。ボクにはちっともわかりませんでした。つまらない。 | ||||
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北村薫氏の作品のファンなので、書店で新刊として並んでいるこの本を見つけ、内容を全く知らずに読み始めました。 やまいを得た女性を描いていると知った瞬間、「シマッタヤラレタ」と思いました。 私も主人公と同じやまいを経験しているからです。 何気なく曲がり角を曲がったら、危うく車に引かれそうになったときのような気分でした。 (それだけ、このやまいに関わる状況や、登場人物たちの行動・感情にリアリティがあります。) しかし読み進めていくと、主人公の周囲の人たちそれぞれの思いやりがとても暖かく、自分自身が救われていくような不思議な気持ちでした。 特に、やまいを知った後で、一番近くで支えてくれた人の存在。 いつか、誰でもこの世を去りますが、それまでの時間を誰とどのように過ごすか、を考えたとき、主人公の時の過ごし方は、私にとって理想です。 主人公を支えた人たちのような、こころに暖かい灯を灯して周りの人と関わっていく人が沢山沢山いるといいな、いてほしいな。 身近にいる、やまいで闘う人たちを思うと、そう願わずにいられません。 そして自分も、そういう人でありたいと、思わせられました。 | ||||
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ミステリー作家としての実力や面白さは衆目が認めるところ。その北村薫が書いた女性を主人公にした小説。 もともとストーリーテラーとしての実力があるところに、泣かせる物語を当てはめてみると、もうとまりません。すごいです。 あつい友情物語というわけではない。一人一人がしっかりとしていながら、どこかに脆さなどが出てくる。そして依存するわけではなく、ただ3人は寄り添って時を重ね続けてきた。お互いがお互いを支えあいながら。 人間が生きるとき。こういう人が身の回りにどれだけいるか。それが重要なのかもしれない。 | ||||
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ミステリー作家としての実力や面白さは衆目が認めるところ。その北村薫が書いた女性を主人公にした小説。 もともとストーリーテラーとしての実力があるところに、泣かせる物語を当てはめてみると、もうとまりません。すごいです。 あつい友情物語というわけではない。一人一人がしっかりとしていながら、どこかに脆さなどが出てくる。そして依存するわけではなく、ただ3人は寄り添って時を重ね続けてきた。お互いがお互いを支えあいながら。 人間が生きるとき。こういう人が身の回りにどれだけいるか。それが重要なのかもしれない。 | ||||
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