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(短編集)
ダナエ
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ダナエの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.32pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全38件 1~20 1/2ページ
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三つの短編。全て面白かったです。順位をつけるならば、まぼろしの虹、ダナエ、水母ですかね。 | ||||
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硫酸と刃物で破壊されたレンブラントの絵画「ダナエ」(実話)。 有名画家の個展で同じように絵画が破壊される。 画家は成功と引き替えに困窮時代に支えてくれた妻を捨てている。 過去からの亡霊が絵画を破壊したのか? 画家が成功により得たものと、失ったものは何か? 萩原朔太郎が離婚にあたって書いた詩「我れは何物をも喪失せず」「また一切を失ひ尽くせり」から着想したストーリー。 その解釈を物語として表現出来る著者の筆力にはいつも感心させられる。 他にも「テロリストのパラソル」を代表に寡作ながら珠玉の作品が多い。早すぎる逝去が悔やまれる。 | ||||
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当たり前のことだろうが、作家にとって長篇と短篇は別ものであるはずだ。表題作は乱歩賞作家のオムニバスに収められた作品で比較的長いものだが、やはり長篇とは異なる味をもっている。 ひとつは、犯罪らしい犯罪が起きないこと。鋭利な刃物が裂傷を与えたものは美術品であり、それは警察沙汰にされることもなかった。また、放火という事態も未然に終る。傷つく人たちは居るものの、それらは肉体的な切傷ではない。 また、ここにも過去に引きずられた人びとが出てくるが、彼らは立場の異なるところからやってきて、時間をかけてそれぞれの傷みと対話を繰り返し、痛み分けという結果を得ることになる。この各々がかかえた過去の傷が炸裂することなく、鎮魂のような最期を迎えることは、藤原の他の作品にはなかなか見いだせないと思う。 宇佐美真司、彼は気鋭の画家であるが、朔太郎の詩<我れは何物をも喪失せず/また一切を失ひ尽せり>を愛唱するような虚無を抱えている。そんな彼の描いた義父・古川宗三郎の肖像画が何者かによって<物理的化学的に徹底的に破壊され>る。その犯人捜しが推進力となっていくが、この辺りのプロセスは、お得意のブラフめいた罠もしかけられており、まさに乱歩賞作家の面目躍如といえるスリリングな展開。しかし、その犯人捜しもストーリーが8割方進んだところでおおよその察しがついてしまう。宇佐美の妻は、古川の娘だが、それは再婚であり、以前別の女性と結婚していた。またしても、過去からの呼び声だ。その声はどんなに深く沼の底に沈めようとも悪夢のように何度でも浮かび上がってくる。彼らがその声を<春の歌>のように聴くことができるかが、最大のクライマックスになる。 そして、その解決が一幅の絵画であったことが強い印象を残す。そこに描かれているのは、アコーディンと石油ランプ。テーブルの上に置かれた、この二つは切っても切れないものだった。それが救済を招くのだった。<復讐>と<救済>、まるで韓流ドラマのような、おそろしくアナクロでありながら最深部に染みるドラマだ。 「まぼろしの虹」 矢谷佐紀と浩平は姉弟だが、佐紀の母と浩平の父は再婚だった。しかし20年近くもこの両親に育てられた2人は実の姉弟のように仲がいい。ところが、この両親に離婚の話が持ち上がる。原因は母の浮気。その相手は著名な山根俊三という男だった。その山根に篠田由梨恵という愛人が浮上する。彼女には、俊弘というヤクザの息子がいた。浩平が篠田の家を訪ねた夜は母子が共に過ごす最期の夜だった…。 う~ん、藤原らしい設定だ。タイトルは、<七月の光に一瞬きらめき>できた虹のことだ。それは幻かも知れないし、そうでないかもしれない。しかし、人は“まぼろし”の一瞬を手にして生きてゆくこともできるのだろう。 「水母」 雑誌掲載時のタイトルは「卒業」だったという。篇中にも、<自分を卒業しなさい>という言葉が何度か出てくる。声をかけたのは、沢木真弓。かけられたのは麻生和夫だ。彼らは10年以前に1年半近く同棲したことがあった。しかし、あることがきっかけで真弓は出ていった。その原因をめぐる、つまりは、またしても、過去からの声に左右される物語である。ヤクザは出てこない。しかし、主人公の麻生はやさぐれた男だ。真弓の現在の恋人である森川泰からも一旦愛想をつかされるほどには。そして、もちろん、麻生の遊びはギャンブルであり、酒癖はなおりっこない。卒業する気もない。それでも、彼はなみはずれた洞察力と行動力を発揮して危機を脱出する。それを<卒業>と呼ぶことに作者はためらいを感じたのだろうか。それよりも真弓のインスタレーション作品にひっかけたこちらのタイトルを選んだのかもしれない。 | ||||
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藤原伊織氏の作品はハズレは無い。 | ||||
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この作家の未読の作品はこれを含めてあと2作。 そのことがジーンと胸に来るほど「やはり藤原節」と思えるいい本でした。 | ||||
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長編では、頭が良すぎるのかマーケティング的な視点で売れる要素をたくみに詰め込んだ作品を多く残していますが、短編ではデビュー作の「ダックスフントのワープ」のような味わいの作品をいくつか残しているようです。 この短編集でも、表題作は長編作品に似たテイストのストーリーですが、2作目はかなりデビュー作に近いテイストに仕上がった作品といえるのではないでしょうか。 エンターテイメント度の高い、計算された長編も面白く読めますが、この短編集の2作目のような、どうという結論も出ない、でもなんだか読み終えた後のほうがそれ以前より、家族や社会との向き合い方が楽になったような気がする。あるいはどうという特徴も無いけど、なんだか時折思い出してしまうような作品が収録されたこの短編集も忘れがたいと思います。 | ||||
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当作家の本は殆ど読んでいて、この本を見つけてはすぐ購入。いつもながら面白く読ませて貰った。 (今後は読めないのが非常に残念である)。 | ||||
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世界的な評価を得た画家・宇佐美の個展で、財界の大物である義父を描いた肖像画が、切り裂かれ硫酸をかけられるという事件が起きた。犯人はどうやら少女で、「これは予行演習だ」と告げる。宇佐美の妻は、娘を前夫のもとに残していた。彼女が犯人なのか―。著者の代表作といえる傑作中篇など全3篇収録。@私はここにあるようなハードボイルド系男の矜持には全然共鳴しないんですよね。人間の血が感じられないのです。道化にしか見えません。自分に酔い過ぎ。ここまで来たらもう病気です。そうそう、別れた女性のことを第三者と話す場合は苗字をさん付けで話しましょうね。みっともないですよ。 | ||||
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「テロリストのパラソル」で感じたリズム感や迫って来る感じがなかったです。私の期待通りではなく、残念でした。作者は体調が悪かった時期で、お疲れモードに思えました。 | ||||
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商品のコンディションは「良い」というコメントでした。 それは全くその通りで、五段階評価で言えば「4」くらいの状態だったので納得しました。 | ||||
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非常に良いと言うほどではなかった。他のショップの、良い、程度だと思う。 | ||||
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中編集。 うーん、藤原伊織は長編の方が良いのかなぁ、と思ったりします。 藤原伊織的な人物(男はイイ男で女はイイ女)が出てきますが、深みが出る前に話が終わる。 しかも、ちょっと古い作品が混じっていたりして、作者が亡くなった後に寄せ集めた、と言う感が無いでもないです。 という訳で星三つ。 すんなりは読めるんですけどね。 | ||||
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あまり記憶にないです。期待していたよりも、面白くはなかった。 | ||||
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殆どの作品において男性の感性が色濃いから、ハードボイルドって言われるのは仕方ないけど 男の繊細さ っていうか まぁ 男ですいません!!って潔い感じが好き。 お亡くなりになったのは凄く残念です。 もう、作品が世に出ないのですから。 | ||||
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収められているのは「ダナエ」「まぼろしの虹」「水母(くらげ)」の中篇3篇。 タイトルとなった「ダナエ」の主人公・宇佐見は萩原朔太郎の詩の一節に象徴される「何物をも喪失せず、同時に一切を失ってしまった男」として描かれている。人もうらやむ成功を収めた今も、過去を引きずりどこか世捨て人のような生き方しかできない男。伊織さんは溢れんばかりのロマンティシズムとリリシズムをもって描ききっています。主人公の想いに思わず涙してしまったほどです。 こうした男のリリシズムは、この本に収められている「水母(くらげ)」の主人公にも共通しています。昼日中から酒場の椅子に腰掛け酒を飲んでいる男、酒を愛し、博打を愛し、考え方は堅苦しく礼儀正しいくせに放蕩を愛する男、仕事にはけっして妥協しないくせに私生活には逸脱を愛する男。自堕落に見えても矜持だけは持ち続けている男。直木賞を受賞した伊織さんの名作『テロリストのパラソル』の主人公であったアル中のバーテンダー・島村もそうでしたが、とにかく切ないほどにカッコイイのです。 | ||||
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収められているのは「ダナエ」「まぼろしの虹」「水母(くらげ)」の中篇3篇。 タイトルとなった「ダナエ」の主人公・宇佐見は萩原朔太郎の詩の一節に象徴される「何物をも喪失せず、同時に一切を失ってしまった男」として描かれている。人もうらやむ成功を収めた今も、過去を引きずりどこか世捨て人のような生き方しかできない男。伊織さんは溢れんばかりのロマンティシズムとリリシズムをもって描ききっています。主人公の想いに思わず涙してしまったほどです。 こうした男のリリシズムは、この本に収められている「水母(くらげ)」の主人公にも共通しています。昼日中から酒場の椅子に腰掛け酒を飲んでいる男、酒を愛し、博打を愛し、考え方は堅苦しく礼儀正しいくせに放蕩を愛する男、仕事にはけっして妥協しないくせに私生活には逸脱を愛する男。自堕落に見えても矜持だけは持ち続けている男。直木賞を受賞した伊織さんの名作『テロリストのパラソル』の主人公であったアル中のバーテンダー・島村もそうでしたが、とにかく切ないほどにカッコイイのです。 | ||||
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この本で一番心に残るのは小池真理子の解説かもしれない。 それほど秀逸である。 解説を最初に読む方は読後もう一度読みたくなるであろう解説である。 さて、作品だが、藤原伊織の作品と思って読むとあまり面白くない。 作者の死や死に対する覚悟と絡ませて、作品を楽しむのもいいかもしれないが、 私はそういう読み方はしたくない。 藤原作品の新作をもう読むことができないのだという事実を 再確認してしまいそうなので。 3篇の作品からなるが、 どれも「静かな」作品である。 長編のエッセンスだけを取り出し、 あえて静謐の中で淡々と流れていくという味付けをしたという感じ。 作者の死と関連させて読みたい人にはおすすめする。 | ||||
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この本で一番心に残るのは小池真理子の解説かもしれない。 それほど秀逸である。 解説を最初に読む方は読後もう一度読みたくなるであろう解説である。 さて、作品だが、藤原伊織の作品と思って読むとあまり面白くない。 作者の死や死に対する覚悟と絡ませて、作品を楽しむのもいいかもしれないが、 私はそういう読み方はしたくない。 藤原作品の新作をもう読むことができないのだという事実を 再確認してしまいそうなので。 3篇の作品からなるが、 どれも「静かな」作品である。 長編のエッセンスだけを取り出し、 あえて静謐の中で淡々と流れていくという味付けをしたという感じ。 作者の死と関連させて読みたい人にはおすすめする。 | ||||
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5月17日が藤原伊織の命日である。2009年5月17日は三回忌になる。 この文庫本「ダナエ」の元になっている単行本は、 亡くなった2007年1月に出版された。中編3つの比較的薄めの小説集である。 中でも「まぼろしの虹」が発表されたのが 2006年の11月。おそらくは死を覚悟し、病が深刻になる直前の 「凪ぎ」のような時期に書かれている。 この中編を読むだけで、この本を買う価値はあると思う。 「中編集」とはいえ、3篇とも、書かれた時期が異なる。 3篇目の「水母」は2002年発表だから、 まだ食道ガンの宣告を受ける前。だからこの「水母」には、 「テロリストのパラソル」に通じるハードボイルドさと、重い暗さがある。 しかし他の2篇は、ガン宣告のあとに書かれている。 とくに「まぼろしの虹」……。 「ダナエ」も、どこか「救い」が用意されている作品で、 深読みすればガン宣告による藤原伊織の「突き抜けた諦念」のようなものさえ感じるが 「まぼろしの虹」には、虚無や暗さはほとんどなく、むしろ透明感が漂う。 巻末の解説を書いているのが、直木賞を同時に受賞した小池真理子。 この解説が秀逸だ。藤原伊織の世界を、こう表現している。 「荒ぶる諦観」……。ただ黙って弱々しく諦めているのではなく、 生きていくためにこそ諦めねばならないことに立ち向かい、泣きながら牙をむく。 そんな種類の諦観が伊織さんの中に根深く潜んでいたのではないだろうか。 藤原作品のロマンティシズムとリリシズムは、好き嫌いも分かれる。 しかし、駆け抜けていったこの作家が、自らの「世界」を はっきり刻印していったことだけは間違いない。 文庫化にあたって改めて読んでみるとともに、故人の冥福を祈りたい。 | ||||
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表題作を含め3篇の作品が収められた本 「ダナエ」展示されていた肖像画に、なにものかによって硫酸がかけられ破損してしまった。 一人で犯人を探していた画家がたどりついた意外な犯人と、その動機。 「まぼろしの虹」血のつながらない29歳の姉と23歳の弟が自分達の母親の不倫相手について話し合うのですが。 「水母」10年前の恋人の映像作品「水母」を見ていると、突然画面が乱調になり面食らう主人公。作品の上映が終わったあとに、見知らぬ男性に相談をもちかけられて。 文章がきれいなので、さらさらと読むことが出来る作品ばかりです。 そして、読後感が乾いた感じでやさしい。 作者の書く登場人物が、あまり欲がないため淡々としているせいなんだな、と思い当たりました。 とくにこの本は、人物達の場所の移動が少なく、事件も血なまぐさいものがないため、その感が強かったです。 | ||||
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