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残虐記
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残虐記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.44pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全59件 21~40 2/3ページ
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桐野さんは、避けていたので 初めて読みました。 あの事件を「モデル」にした話で、如何なものかとも思いますが・・ 事件を通してしか、見えない世界があるように思います。 犯人とその関わりのある人々。 被害者とその家族。 夫々が、この事件との関わりの中で 人間が浮き上がってきます。 このあたりが、桐野さんの上手い所なのでしょう。 被害者は、犯人に「会いに行った」のでしょうか?? 人生は、残虐です・・・・ | ||||
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「OUT」などで有名な桐野夏生のノンフィクション系小説。 本当にあったかのように見せる書き方がとにかく上手いです。小説内に手紙や小説をおいて、さらに全体をある人間が書いた小説として読ませる。 こんなに複雑なことをやっているのに、まったく気にならずに読めます。しかも、ぐいぐい引き込まれます。 本当にあったことが何なのか。 そして、真実は一体どこにあるのか。 煙に巻くのではなく、正々堂々と、真正面から、でもわからなく描くやり方には心底脱帽しました。考えさせられることも、ものすごく多く、しかも深いです。 これ、傑作ですよ。 久しぶりにドキっとしました。 | ||||
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東京島を読んですっかり桐野夏生ファンになった。2冊目がこの残虐記だ。少し読んで、新潟少女監禁事件を調べた。K市は柏崎市のことか?じゃM市は何処?色々想像しながら読み進めた。主人公の少女の気持は理解出来ないところが多いが、こんな人間関係もあるのだなと思う。現在はこの物語の時代背景より、複雑化していると思う。この様な理不尽な事件が起きない事を切に願う。 | ||||
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桐野夏生はこれまでも「OUT」、「グロテスク」、「リアルワールド」など様々な実際にあった事件に発想をえた作品を書いてきた。今回の残虐記も、言うまでもなく7年前に起きた「新潟少女監禁事件」をモデルにしている。 良識的に言えばこうした手法に対し被害者の感情を考えろ、といった批判も成立するのだろうが、桐野夏生の場合、事件自体は作品発想の原点に過ぎない。徹底した「現実」の換骨奪胎により、その虚構世界は全く違うものになっている。しかも「現実」以上にリアルなある種の「現実」を構築することに常に成功するのだ。 今回も犯人のケンジ、主人公の少女と言うキャラクターに、隣部屋から二人を覗いていたと見られるヤタベと言う中年男を作り出すことで、「男のSEX」の不条理性をこれでもかというほどに抉り出している。長く女という「性」にこだわってきた作者にすれば、初めて本格的に「男」と言うテーマに取り組んだ作品と言えるのではないか。 そして。 エンディングを読んで、ああ、この小説は桐野夏生にとっての「私小説」だったのだな、と気づかされる。 宮坂検事が「夫」であったと言うオチ。 それは監禁されていたという過去をもつという意味でなく、結婚生活における夫婦と言うことを描きたかったのだと言うことに気づかされるからである。ある意味で結婚生活というものも、女性にとっては監禁に近い「残虐記」になりうると言う暗喩が感じられる結末だ。 | ||||
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うん、確かに読み始めは「例の事件」が頭をよぎるが、実は中身は全然違うじゃん。 まずは郊外の集合住宅の生活のリアルさが何とも言えない。ああいう母親っているし、ああいう娘との関係というのも、物すごく思い当たる。 で、少女が誘拐された後の書き方がすごーく微妙で、状況がわかってきてからも読者をそらさないのはさすがである。この辺はネタバレになってしまうので詳しくは書かないけど。 助け出された後の周囲の人間の悪意のない嫌らしさも、とてもよく描いている。こういう「タチの悪い善良さ」を体験したことのある人には少々つらいかもしれないが、いつもながら人間を知り尽くしていて、見事というよりほかはない。 | ||||
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新潟柏崎少女監禁事件をネタにした小説だが、 一年間の監禁生活(史実は9年だったか?)で、 25才の変態青年は10才の美少女に挿入しないという、 パターン外しの傑作。 裸にして見ながら自慰するだけの本物の変態w 少女が救出された後に、 青年の家の庭からは死体が発見されるのだが、 マスコミの期待を裏切って20過ぎの成人女性なのも痛快。 青年が少女と夜な夜なプレイしていた変態プレイは、 学校ごっこである。 小学校も満足に出てない青年は、 毎夜、少女と小学校の勉強をするという究極の変態w 小学生と一緒に学校の中に存在したいと考える教師が、 いかに変態であるか揶揄した傑作。 少女が誘拐される前に目撃者がいっぱいいた筈なのに、 目撃者が見つからないのも素晴しい。 普通の大人は街にいる少女になんて興味を持たない。 少女を目で追うのは変態だけだと看破した傑作。 性的いたずらはされなかった少女だが、 救出後、世間は当然いたずらされたと思い込む。 少女は世間から自分の心を守る為、 想像の世界に逃げ込み、 事件の真相を推理する。 想像力が先鋭化した少女は小説家としてデビューする。 35才になった彼女が事件を元にして書いた小説というのが、 本書であるという構成である。 経験してない男の性欲を小説として追求する果てに、 801に行き着く想像力が素晴しい! 現実と同じように少女が犯されて殺される小説を書いて 満足している小説家は想像力が貧困過ぎる。 桐野夏生 の想像力の素晴しさに打ち震える傑作である。 | ||||
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読み返したいと思う一冊。 様々な事件が今も起きているが、その欲望について考えるときの必読書だと思う。 | ||||
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非常に面白く読ませていただいた。もちろん笑っちゃう面白さと言うわけではない。 表現、主人公の心の動き、そして、検事の心。 すごく共感できてしまった私はどういう事なのだろうかと思いつつ、桐生さんの他の作品を呼んでみることに決めた。 しばらく、はまると思う。 私が読みきってしまわぬうちに、新しく本を出して欲しいなとか勝手に思うのだった。 あの事件があった時、私にはそれはきっとお互いの間に何かの繋がりがきっと生まれたのではないかなって思っていたのだ。 危険な思考ではあるし、その本人にとってはまことにもって迷惑な話。 しかし、そうでもしなければ不可能であると私は思った。 共存してくことでしか、自分を支え続けられないだろう。 そういうこと。 | ||||
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読者を傍観者へと誘う卑猥な物語。 思想と空想の狭間で人々が交錯する緊張感が最後まで持続していて目が離せない。 | ||||
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「卍」や「春琴抄」、「音楽」や「伊豆の踊り子」を思わせる雰囲気があります。 美しく磨かれた文章の冴えは、三島由紀夫に近いものがあります。 心理描写が醸し出すエロスは素晴らしい。 虐げられた主人公が、苦痛から逃れる為に、想像の世界を拡げてゆくが、肉体的苦痛を逃れた途端、精神的虐待に晒され、益々想像に沈む。 善意の第三者を装いつつ、加害者に心理的に加担し、被害者を圧迫する者達が居る。 その心理、その行為こそ惨い。 お為ごかしの虐待者は、人の心の中に巣食っている。 生と死とエロス、そして想像。 人の業、原罪(そして贖い)を新たな形で提示した作品で、傑作の一つに数えたい。 | ||||
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児童誘拐と性という難しいテーマに立ち向かった作品です。 被害者の少女が事件後自らの精神の均衡を保つべく、色々な事を空想します。 その想像力、精緻さには驚くばかりのなのですが、何故かリアリティを感じてしまいます。 著者の力量を表しているのかと思いますが、ヒョットして著者自身が同様の経験をしたことがあるのではないか、と感じるほどのリアリティです。 一方で、現実なのか夢なのか良く分からない部分も出てきます。 この感覚は何処かで感じた事があるなと思ったのですが、著者の「玉蘭」を読んだ時に感じたことであると思い出しました。 読後感は決して良くありませんが、小説という枠に納まりきらないところに、妙な魅力を感じてしまう作品です。 | ||||
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とある大人にある日誘拐された『私』。そこで一年あまりの月日を過ごすことになる。のちに『私』は作家となり、結婚もするが、ずっと誰にも黙っていた『そのとき』のことを小説にし、どこかへ消えてしまう。 かなり不思議な作品だ。それは、人物があらゆる側面も持つように作られているからだろう。それは決して一方からの位置づけにとどまらず、さまざまな側面をもってひとりの人物として成立している。物語そのものは、非常に、といっても差し支えないほどシンプルだ。しかし、その背後に潜むものは迂回し、絡み、そして避けながら流れていく。しかもおもしろいのがそれがフィクションだというのだ。事件に遭った『私』が、事件についてフィクションで語るのである。虚構の虚構について考えるとき、その皮をひとつこちら側にまたいだ虚構についても考えてしまう。なかなかに印象的な作品だった。 | ||||
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少女誘拐監禁事件を扱った作品であるが、読み進むに従って、物語は謎が謎を呼ぶ。 冒頭で示される手紙の中で、何故「私も先生を許さない」と書かれているのかが当初の大きな謎だ。 そして、謎が一つ増え、また一つ増え、最終的には、謎が謎を呼び、無限大の想像が可能となる。 「先生を許さない」という言葉の意味すら、幾通りもの解釈が成り立つ。 本文中でも、この事に対する解釈が示されているが、それすら、想像の域を出ていない。 一般の推理小説とは逆のパターンの作品だ。 推理小説は、最終的には謎が解明されるのであるが、本作品は、謎が深まるばかりだ。 しかし、被害者となった少女の「他人は信じられない」という姿勢は一貫していて、 その上、他人の心を読む能力は卓越しているので、真実を語ろうとしなかったので、さらに謎は深まる。 その心理描写の深さには、唸らされるばかりだ。 作品中で被害者は、自らを性的人間と語るが、この意図も曖昧模糊としている。 この事に対しても、読み進むに従って、謎がさらに深くなる。 謎が無限大である本作品。 小説という表現手段の、一つの境地が追求されている。 | ||||
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少女誘拐監禁事件を扱った作品であるが、読み進むに従って、物語は謎が謎を呼ぶ。 冒頭で示される手紙の中で、何故「私も先生を許さない」と書かれているのかが当初の大きな謎だ。 そして、謎が一つ増え、また一つ増え、最終的には、謎が謎を呼び、無限大の想像が可能となる。 「先生を許さない」という言葉の意味すら、幾通りもの解釈が成り立つ。 本文中でも、この事に対する解釈が示されているが、それすら、想像の域を出ていない。 一般の推理小説とは逆のパターンの作品だ。 推理小説は、最終的には謎が解明されるのであるが、本作品は、謎が深まるばかりだ。 しかし、被害者となった少女の「他人は信じられない」という姿勢は一貫していて、 その上、他人の心を読む能力は卓越しているので、真実を語ろうとしなかったので、さらに謎は深まる。 その心理描写の深さには、唸らされるばかりだ。 作品中で被害者は、自らを性的人間と語るが、この意図も曖昧模糊としている。 この事に対しても、読み進むに従って、謎がさらに深くなる。 謎が無限大である本作品。 小説という表現手段の、一つの境地が追求されている。 | ||||
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桐野さんの「グロテスク」など他の作品に比べると、直接的なエログロがないぶん、そこここに堕ちきらない部分があり、桐野中毒者にはもどかしいところがありますが、読後じわじわと切なさがこみ上げてくる作品です。こどもは非常に非力で悲しい存在だなあ、と思わされました。監禁されたから、というわけでなく。 | ||||
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なぜだかわからないが、気がつくといつも僕は桐野夏生の小説を手にとっている。 『顔に降りかかる雨』『OUT』『ダーク』『グロテスク』… 直木賞受賞作『柔らかな頬』は未読だが、そしてまた今回も、柴田錬三郎賞受賞作の『残虐記』を手に取っていた。 『グロテスク』では、有名な東電OL殺人事件、そして今作『残虐記』では記憶に新しい新潟少女監禁事件をモチーフにした桐野さん。 相変わらず、ずっしり重たい読み応えのある小説でした。 桐野自身はこう言っています。 「主人公の少女は大人の男の欲望にぶち当たり、それがどういうものなのかを想像します。つまり、自分にはない欲望について想像するのです。想像力がなくて欲望だけある人は、ある意味で犯罪者だと思うのですが、想像力を働かせるという方法こそ、想像力を持たず欲望だけがある人物と戦う手段になりえるんじゃないか、と思いました。そして欲望に取り囲まれ、肉体的にも精神的にも奪われるのは常に弱いもの―男性よりも、やはり女性や子供であると思うのです。―その闘争が残虐なのです。」(本書解説より) そんな「想像力」の力を小説で表現・主張し続ける桐野夏生。そうやって「文学・小説とは何か」を考え続ける作家に僕は惹かれる。 | ||||
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著者の他の作品と比較して小作/佳作の部類に入るのでしょうが、よく言えばコンパクトに纏まっていると評価できるでしょう。 読者の想像力を煽る、物語(その登場人物達)に特に救済はない、といった作風はここでも顕著です。 現実社会でも読者や視聴者の想像力(たいていは下世話な)を煽るニュース/報道は多いものですが、児童誘拐(→性的虐待?)という題材を上手に料理しているのは流石です。 | ||||
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いくつもの真実と虚構が重なり合って物語りを紡ぎ出しています。それは (1)作品の世界、いわば生方淳朗の手紙の世界の真実と虚構 (2)「残虐記」と題された手記の真実と虚構 (3)「残虐記」の中に出てくる小説内小説「泥のごとく」の真実と虚構 (4)実社会で起こった監禁事件の真実と虚構 この4つの真実と虚構が入り混じり、物語が読者の生理に絡み付いてくるようである。 フィクションとノンフィクション。どこまでが真実でどこまでが嘘なのか。 まるで真実という「縦糸」と虚構という「横糸」で残虐記という名の「布」が織りあがったかのようである。そして、その布をまとった読者は心の奥まで自分の残虐性と向き合うのである。ほんと様々な意味で「怖い」作品である。 | ||||
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少女監禁 そういえばそんな事件がありましたよね。 週刊誌がこぞって特集組んで。 正義感ぶりながら、覗き見趣味という記事が満載でした。 あの事件を元に、ここまで毒のあるストーリーを・・・ さすが、桐野さんです、はい。 人間の底知れない、しかも、「リアルな毒」を書かせたら、 当代一と思います。 | ||||
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表向きは登場人物たちの表現という形になっていて、全能の神たる作者は直接的には見えない。それが妙なリアリティを生み出しているが、もちろんエンターテイメント小説としての割り切り・仕掛けも用意されている。 結末ですべてがすっきりと氷解するわけでもなく、わかりやすいヒューマニティが描かれているわけでもない。 しかし、そのわかりにくさ、輻輳する複眼思考が、作品に奥行きと余韻を生み出している。 単なるエンターテイメント小説には収まりきらない読み応えを感じる作品。 | ||||
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