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永遠の仔
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【この小説が収録されている参考書籍】
永遠の仔の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.54pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全14件 1~14 1/1ページ
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最後まで読了した感想(かなり久しぶりに再読)。 三人の主要登場人物のうち、 優希は心理描写が足りなくて過去に酷い目に遭ってる割には何かと感情があっさりしてるように感じるし、個性がないのでどんな人間なのかも見えてこない。しかもそうしないと三人のバランスが取れないと作者が思ったせいなのか、何故か笙一郎じゃなく梁平とやってるし。いや好きな男とやれよと。その好きな相手の笙太郎にしてもいつ好きになったのかわからんし。 梁平に至っては自分勝手のやりたい放題で大嫌いなキャラなのでこいつが出てくるたび不快だった。三人の中で一番恵まれてるのに、自分を引き取りたいという優しい叔父夫婦をいくら当時子供だったからとはいえ「あいつらダサいから嫌だ」とか抜かすし。そして一途に自分を想ってくれる恋人にあの仕打ち。自分が傷つけられた過去があるからといって他人を傷つけていいわけじゃないということを誰かこいつに教えてやってほしい。ラストシーンの志穂の遺書に書かれていた「あの人(優希父)も過去につらいことがあったかもしれない。ですがそのこととあなた(優希)は関係ありません」っていうのはおまえに言ってんだよ肝に銘じろこのゴミ男とも思った(とやたらと熱く書いているのは、つらい過去がある知人に、自分がちょっとでも傷つくとぎゃあぎゃあその傷とやらを主張してきて、その割には人を平気で傷つける奴が非常に多いためです)。 一番(というか唯一)好感が持てて感情移入出来た笙一郎に至ってはあんな感じでもうやるせないわ切ないわ、、、 「親にも愛されないこんな自分は生きていてもいいのだろうか。こんな苦しい過去を抱えたまま生き続けてもいいのだろうか」、これが三人に共通の考えだったと思うのですが、それはおそらく虐待という理不尽極まりない暴力に遭ったが故の抱えなくていい罪悪感に起因するもので、それに対して作者は最後に「生きてていいんだよ」と答えを出している。 でも現実の世の中、罪悪感じゃなく寂しさ、孤独を抱えて生きている人の方が多いと思うので、そういった多くの人々には「生きてていいんだよ」より「生きててほしい」の方がもっとほしい言葉なんじゃないかな。少なくとも私はそうだ。 もちろん、普通の人間なら当たり前に思っている「自分は生きてていい」という感覚、それさえも与えられなかった三人の境遇を作者は書きたかったのだろうけど。 同じ虐待をテーマにした物語なら、葉真中顕さんの「Blue」の方がよっぽど面白いし訴えかけてくるものがあったし感動した。 | ||||
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20年前の本なので全体に時代が付いて古さはあります。値段が安いので仕方ないですね | ||||
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児童虐待。日本中、あらゆるところで実際に一杯起こっているんだろうなあ。ちょっと前も、7億円豪邸で子供が餓死したなんて事件があったっけ。だから、このお話を単に「おもしろい」と言ってしまうのは何だかいけないことのような気がする。 このお話は、そういう原体験を持ちながら、それでもたくましく生きている若者たちの物語。小説としては途中説明がくどい、或いはこのエピソード必要ない、と感じるところもあるのだが、何かの伏線になっているのかもしれない。下巻へ続く。 | ||||
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過去と現在のパートが交互に綴られていますが、双海病院 第八病棟を舞台とした前者の描写が秀逸です。 心に傷を持った児童たちの切ない物語に心を打たれますし、 ミステリとしての仕掛けも効果的です。 後者の描写も、最初はぐいぐいと惹きこまれます。しかし、だん だん事件内容と物語のテーマとの乖離が目立ってきて、最後は 些か荒っぽい着地となり、バランスの悪さが残念です。 また、他の方も指摘されていますが、ひとつの文章中でめった やたらに読点[ 、]が目立ったのが読んでいて気になりました。 | ||||
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思った以上に読みやすく引き込まれました。幼少期と現在(18年後)を交互に、丁度気になるところで切り替えていくので、続きが気になって読み進めてしましました。 虐待を受けた子供達の心の葛藤が描かれますが、その葛藤は体験していない私にはどうも現実感がないように感じてしまいました。 例えば優希の父を山で押すかどうかの葛藤が描かれたシーンではモウルが自分の父と重ねて見ていたというのが理解に苦しみました。また、モウルが殺人を犯した動機も衝動的にとしか言ってませんが、もう少し必然性が感じられず、結果、全体的にふわふわしたファンタジックな印象が残りました。逆にそのお陰で重すぎず読み進められたということも言えると思います。 | ||||
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被虐待児を美化し、虐待親への復讐の殺人を神聖なものとして書いてある。よく虐待は連鎖するものと言われる。親から子、大人になった子から孫へと。親を恨まず、子に同じことを繰り返す。しかしそういうことは特に描かれていない。書かれてあったのは許せない親への復讐計画。一昔前までは最も罪の重い尊属殺人だ。本の中で、虐待が重く書かれているのに対し、親への殺人は重くないし、是認しているようにも読み取れる。虐待されて傷ついたからって親をやってはいけない。やってしまうとそれは犯罪になる。だからみんな苦しんでいるのだ。虐待は悪いが、殺人も悪い。著者の方は実際にあった栃木実父殺害事件を参考にされていて色々踏まえて書いておられるのだろうが、私は単純に感動はできなかった。心の中で恨むのは分かるが、行動に移すのはどうかと。恐ろしく、悲しすぎる。文脈から、ラストはある程度推測できる。文字の量はかなり多く、読みごたえはある。 | ||||
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上巻で大体筋書きが予想出来たので、下巻にはくだくだしい説明やあり得ないほどに大人じみた子供どうしの会話が濫用されているように感じた。 一巻におさめればよかった。 あり得ない子供どうしの会話もさることながら、非常識な状況で幼少期を送った思春期の子供が、厳格な教育を受けて育成された大人の知性にのみ可能な「常識」とその言葉を備えていることに驚かされる。リアリズムではない。少年少女の登場人物は、おそらく作者の理想の大人の像である。無垢で無防備な者が不条理の暴力の犠牲にさらされるという状況は、古来人々の理性を揺るがす深い哀惜と激しい悔悟の源で、歴史的にはその哀惜と悔悟が「魂」の語を生んだとも言えるのである。しかし劇作家がよく理解しているように、こうした状況を感動を生む形で表現することは至難の業である。悲劇は他人事としてみる限り無関心の対象、あるいは喜劇にしか見えないという事実は、それ自体が悲劇的だ。 たびたび報道される児童虐待において、いかなる状況で虐待の事実が傍観者の心を動かしたのかを考えればよく分かる。マスコミや法廷という劇場で事件が演出され、子供が被害者の姿で認識されてはじめて、一般大衆は涙した。安易な自己投影によって、それまで隣家に起こっていても介入しなかった事件は、人類史上の悲劇と認定された。演出は次第に紋切り型になり、人々はいずれ飽きてしまうだろう。想像を介した他者への共感は、思う以上に社会的な価値基準のバイアスを受けている。一定の状況で社会的価値基準とされるものは、常に言葉の一側面にすぎない。普遍的とされる憐憫の情は通念に還元されること多々である。広義の写実主義と小説ジャンルが切り離せないものであるならば、小説家はそうした社会通念こそを相手にすべきと思う。 他方、肉体を蝕まれ、恐怖の中で起居する子供の精神状態を「そのまま」映し出したところで、感動を呼ぶことが出来ただろうか。おそらく、嫌悪感が先立ち、小説ならば不成功に終わったことだろう。スキャンダルとなったかもしれない。さらには、人間の意図外にある「悪」をそこに描き出す集団被害妄想を生むところまでいったかもしれない。リアリズムが美学として成り立つためには一切の感傷主義を排さなければならないが、大衆は感傷を、感傷だけを求める。感傷と写実は大衆心理において齟齬しない。この小説においてもしかりである。 最近のテレビドラマがそうであるように、実際のところこれは大人による大人の目から見た子供のための復讐劇である。ユートピア思想の表現であり、ウェスタン的な勧善懲悪の欲求の昇華手段だろう。それならば完全に幻想小説にしてしまうことも可能だったと思う。反対に作者は、子供たちに言語操作の能力と、自らの状況を客観的に見据える「常識」の目(そんなものを持っていたら天才だ)を与えることで、外部からは決して見て取ることの出来ない無言のドラマに感傷的悲劇性と写実の印象を同時に与えようとしている。無茶な試みである。写実主義小説が人の心に耐えることの出来ない現実の諧謔であるという意識を失っては、おそらく持続的な感動を呼ぶことは出来ない。 この小説が「リアルで怖い」と思う読者がいたなら、その人の心は、汚れてはいないとしても、あまりに弱いのだ。 | ||||
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上巻で大体筋書きが予想出来たので、下巻にはくだくだしい説明やあり得ないほどに大人じみた子供どうしの会話が濫用されているように感じた。 一巻におさめればよかった。 あり得ない子供どうしの会話もさることながら、非常識な状況で幼少期を送った思春期の子供が、厳格な教育を受けて育成された大人の知性にのみ可能な「常識」とその言葉を備えていることに驚かされる。リアリズムではない。少年少女の登場人物は、おそらく作者の理想の大人の像である。無垢で無防備な者が不条理の暴力の犠牲にさらされるという状況は、古来人々の理性を揺るがす深い哀惜と激しい悔悟の源で、歴史的にはその哀惜と悔悟が「魂」の語を生んだとも言えるのである。しかし劇作家がよく理解しているように、こうした状況を感動を生む形で表現することは至難の業である。悲劇は他人事としてみる限り無関心の対象、あるいは喜劇にしか見えないという事実は、それ自体が悲劇的だ。 たびたび報道される児童虐待において、いかなる状況で虐待の事実が傍観者の心を動かしたのかを考えればよく分かる。マスコミや法廷という劇場で事件が演出され、子供が被害者の姿で認識されてはじめて、一般大衆は涙した。安易な自己投影によって、それまで隣家に起こっていても介入しなかった事件は、人類史上の悲劇と認定された。演出は次第に紋切り型になり、人々はいずれ飽きてしまうだろう。想像を介した他者への共感は、思う以上に社会的な価値基準のバイアスを受けている。一定の状況で社会的価値基準とされるものは、常に言葉の一側面にすぎない。普遍的とされる憐憫の情は通念に還元されること多々である。広義の写実主義と小説ジャンルが切り離せないものであるならば、小説家はそうした社会通念こそを相手にすべきと思う。 他方、肉体を蝕まれ、恐怖の中で起居する子供の精神状態を「そのまま」映し出したところで、感動を呼ぶことが出来ただろうか。おそらく、嫌悪感が先立ち、小説ならば不成功に終わったことだろう。スキャンダルとなったかもしれない。さらには、人間の意図外にある「悪」をそこに描き出す集団被害妄想を生むところまでいったかもしれない。リアリズムが美学として成り立つためには一切の感傷主義を排さなければならないが、大衆は感傷を、感傷だけを求める。感傷と写実は大衆心理において齟齬しない。この小説においてもしかりである。 最近のテレビドラマがそうであるように、実際のところこれは大人による大人の目から見た子供のための復讐劇である。ユートピア思想の表現であり、ウェスタン的な勧善懲悪の欲求の昇華手段だろう。それならば完全に幻想小説にしてしまうことも可能だったと思う。反対に作者は、子供たちに言語操作の能力と、自らの状況を客観的に見据える「常識」の目(そんなものを持っていたら天才だ)を与えることで、外部からは決して見て取ることの出来ない無言のドラマに感傷的悲劇性と写実の印象を同時に与えようとしている。無茶な試みである。写実主義小説が人の心に耐えることの出来ない現実の諧謔であるという意識を失っては、おそらく持続的な感動を呼ぶことは出来ない。 この小説が「リアルで怖い」と思う読者がいたなら、その人の心は、汚れてはいないとしても、あまりに弱いのだ。 | ||||
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皆さん絶賛されていますが、正直僕はピンときませんでした。 ジラフ、モウルってあだ名で呼び合う設定から違和感を覚え、 この二人の少年のキャラクタの違いが最後までわかりにくかった。 ミステリとして読んではいけないのかも知れませんが、 伏線がないため、後で明かされる行動とのつながりがぴたっと こない印象も。 虐待する親を殺せばそれで子供は救われるのか。 虐待される側の視点はいやというほど描かれているが、 なぜ虐待するのか、という点が掘り下げられておらず単に 悪い親とけなげに耐える子供、という構図でしかないのが残念。 | ||||
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読みごたえのある作品でした。 単行本で二段組、上下2巻。 しかし、その厚さを感じさせないような作品でした。 ただ気になったのは、 彼らの疎外感や被害意識を際立たせるために 意図的に描いているのだとは思うのですが (あるいは彼らの目を通して描いているためか)、 医療関係者や学校関係者の3人への対応、言葉などが あまりにも無神経で、あまりにも何の知識もないように 描かれていることです。 90年代という時代のせいなのかとも思いましたが、 この点に違和感を感じました。 | ||||
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読みごたえのある作品でした。 単行本で二段組、上下2巻。 しかし、その厚さを感じさせないような作品でした。 ただ気になったのは、 彼らの疎外感や被害意識を際立たせるために 意図的に描いているのだとは思うのですが (あるいは彼らの目を通して描いているためか)、 医療関係者や学校関係者の3人への対応、言葉などが あまりにも無神経で、あまりにも何の知識もないように 描かれていることです。 90年代という時代のせいなのかとも思いましたが、 この点に違和感を感じました。 | ||||
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私としては何となくミステリーとしては中途半端な印象が…。虐待される子供達の心情は痛いぐらいに伝わってきて、苦しいほどです。また大人の言い訳も屁理屈ながらも、「こういうことをいう大人っていそう...」と思えるリアリティがあります。虐待の描写も生々しく、充分読み応えがあります。ただ、その虐待の描写に物語が集中しすぎて、ミステリーとしての殺人の動機や謎かけが甘い気がします。それぞれが苦しんだのはすごくよくわかるけど、最後にどうしてこの人がこういう行動に出るの?というのが、納得が行きませんでした。しかし、「児童虐待」というテーマをここまで掘り下げたことは評価できると思うし、ミステリーとしての醍醐味を期待しすぎなければ、読む価値は充分ある物語だと思います。 | ||||
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私としては何となくミステリーとしては中途半端な印象が…。 虐待される子供達の心情は痛いぐらいに伝わってきて、苦しいほどです。 また大人の言い訳も屁理屈ながらも、「こういうことをいう大人っていそう...」と思えるリアリティがあります。虐待の描写も生々しく、 充分読み応えがあります。ただ、その虐待の描写に物語が集中しすぎて、 ミステリーとしての殺人の動機や謎かけが甘い気がします。 それぞれが苦しんだのはすごくよくわかるけど、最後にどうしてこの人が こういう行動に出るの?というのが、納得が行きませんでした。 しかし、「児童虐待」というテーマをここまで掘り下げたことは評価 できると思うし、ミステリーとしての醍醐味を期待しすぎなければ、 読む価値は充分ある物語だと思います。 | ||||
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作者が考え抜いて描いた結末なのであろうが、個人的にはもう少し救いのある終わり方であってほしかった。現実はキレイごとではないのは判っているが、これでは子供のとき虐待された人間は一生その呪縛から逃れられないようで、あまりに悲しすぎる。その一生癒えないかもしれない傷を抱えたままであっても、せめてほんの少しの光でもいいから、希望を示唆する終わり方であったら、と感じた。 | ||||
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