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青春をクビになって
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青春をクビになっての評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.38pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全11件 1~11 1/1ページ
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自殺した先輩の行動がやや説明不足。彼を中心に据えたほうが、ポスドクのよりリアルな悲惨さが伝わったように思う。主人公は最終的に就職できて、まずはメデタシメデタシ。昔、ある仏文学者が、「文学研究をやろうと思ったら、どんな職業でも引き受けられる覚悟がないといけません」と言っていたような。当時は大学院に進みたいと言うと「君のウチは資産家かね?」と問われたそうな。 それはそうと、アフガン戦争とアメリカの同時テロの起こった順序が違うような? | ||||
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ポスドク問題が主題だが、「レンタルフレンド」で朝彦が出会う人たちそれぞれの人生と交差する様子がとても瑞々しい。生きるとは、生計を立てるとは、人の役に立つとは、一体何なのだろう。後を引く一冊だった。 | ||||
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ポスドクの問題だとを扱っていましたが、不安定な非正規労働者の悲哀にやるせなさを感じました。 | ||||
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男の貧困には劇的なドラマがない。女子のように売るものがないので、選択する葛藤がない。ただただ朽ちていくだけだ。ある意味で貧困男子は貧困女子より不幸なのかもしれない。堕ちる姿はドラマになるが、朽ちる様子は記録にしかならないからだ。 「記録」にしかならない男子の貧困を、本書のようにドラマに昇華させた作者の手腕は素晴らしいと思った。加えて、作者が女性であることで「男の内面の淀み」が距離を置いて描かれている点も良かった。これを男性作家が描くと、グロい小説になっていた可能性がある。 <主観的あらすじ> 有期の研究職をしている主人公は、研究所を盗み失踪した先輩に十年後の自分の姿を見る。主人公は生活費を稼ぐため、レンタルフレンドのバイトを始める。そこで出会う人たちとの交流を通じて自分の姿を振り返るようになる。レンタルフレンドという地獄めぐりから生還した主人公はどのような選択をするのか…。 | ||||
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文系の大学教授の身分の不安定さに、ちょっとしたミステリーを掛け合わせたような話。古事記のエピソード紹介や、文学部にまつわる話題が随所に散りばめられていて、文系出身の人なら楽しめる小説だ。 雇い止めや貧困問題にも触れられており、現代日本において文系分野で研究を続けることの悲哀がよくわかる内容となっている。 好きだけども飯の種にならず続けられない、そんな文系をこよなく愛する人の悲しい末路を書いている。 ある意味真実なんだろうな、とリアリティーを感じる内容であった。 ドラマチックな展開はないが、文章も平易で読みやすく、入りやすい小説だと思う。 | ||||
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お金稼ぎと好きなことは大抵比例しない。 ずっと好きだった事が年齢を経て人生を苦しくさせる。思っていた未来じゃなくても、自分にとって大事にしたいもの、嫌いになんてなれない。 | ||||
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「職業」=「収入を得る手段」であることには間違いないものの「自己実現」という側面もあり「酸いも甘いも噛み分ける」ことなく、十代の頃から研究室という狭小の空間しか知らない純粋培養の青年たちの葛藤とバイトではじめたレンタルフレンドで交錯する人間模様をきれいに切り取っています。 確かに人文系の研究者の就職は、学生数自体の減少、同じ文系でも「ビジネス」「コミュニケーション」「マネジメント」といったカタカナ学部の優勢により教員の募集数自体が急減しており困難を極めます。本書にもあるとおり「公募」を装った「縁故」採用の噂も絶えません。その細い糸に連なるための指導教授、兄弟子、大先生などへの涙ぐましい滅私奉公は体育会やブラック企業以上の強烈な縦社会であることもよく見聞きしました。 窃盗、殺人の犯人も登場しますが基本的には「善人の善人による善人のための小説」ですので結末まで希望の持てる展開となっています。 | ||||
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高校の歴史でしか知らなかった「古事記」をもっと知りたいと思いました。特に、赤・白~が形容詞から来ているというのは目から鱗でした。オノマトペも良かった。作家とは日々努力だなあと感心しました。この人の作品を読もうと思います。朝彦さんのその後を書いて欲しいです。 | ||||
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35歳のポスドクで、非常勤講師の雇い止め宣告を受けた男が主人公。彼を中心にした異色の青春小説だ。 しかも、舞台は『古事記』を中心とした上代文学研究の世界と、輪をかけて地味。 「地味の二乗」にもかかわらず、本作はとても面白かった。 青春の終焉、夢の諦め方をテーマにした青春小説や青春映画は、ごく少ない。 そりゃそうだ。話が盛り上がらないもの。青春真っ只中で、夢の実現を目指して懸命に走る若者たちを描いてこそ盛り上がるのだから。 しかし、王道青春小説を数多くものしてきた著者は、話を盛り上げ、読者を楽しませるテクを知り尽くしている。 だからこそ、それを駆使して、青春の終焉、夢の諦め方をテーマにしつつも、最後まで飽きさせない上質のエンタメに仕上げたのだ。 映画界における類似作に、吉田恵輔監督の『ばしゃ馬さんとビッグマウス』(2013年)がある。 シナリオライター志望のヒロイン(麻生久美子)が夢を諦めるまでのプロセスを、哀切かつ滑稽に描いた傑作であった。 本作は、研究者を主人公にしてそれをやっている。 作者が『ばしゃ馬さんとビッグマウス』を意識したかどうかはわからないし、ストーリーは似ても似つかないが、テーマが共通なのだ。 | ||||
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世の中では「諦めたらそこで試合終了ですよ・・・」って言葉がよく引用されますけど、諦めどころを見誤ったり、そもそも諦めることを放棄したりするほうが、危ない場合が多い気もします。 いわゆるロスジェネと言われる世代で、好きなことのために文系の大学院まで行ってしまった者にとっては、色んな感情を呼び起こす作品です。 昔も今も、何を言ったところで自己責任と言われてしまうけど、多くの派手なサクセスストーリーの背後には主人公達のような人々がフツーに沢山いる訳でして、そういう人々の心の機微を掬い取った佳作だと思います。 | ||||
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「ポスドク(Postdoctoral Researcher)」という言葉を新聞やネットで目にした事がある方は結構いらっしゃると思うのだけど簡単に説明すれば大学院の博士課程を修了して任期付きの研究生活を送っている研究者の事。 この「任期付き」というのが曲者で日本においては一年更新で大学と契約し、学部生相手の講義を受け持ちながら研究を続ける……要するに非正規雇用の大学教員みたいなものを想像して頂きたい。しかも採用数は恐ろしく少なく、一度契約を切られてしまえば再就職は茨の道という聞いただけで震えそうな不安定な身の上なのである。 本作の主人公・瀬川朝彦もそんなポスドクの一人。国文学、それも「古事記」をメインとした上代文学の研究者である彼が3年間勤めていた大学の学科長から呼び出しを食らい、無情にも契約の非更新を告げられる所から物語は始まる。 「契約は雇用止めとなる5年目までは更新される」という暗黙の了解が破られた裏に学科長が縁故で採用したい研究者の存在を嗅ぎ取る朝彦だが、出来るのは途方に暮れる事だけ。仕方なしに母校・慶安大学の恩師である貫地谷教授を訪ねる事に。 貫地谷教授の研究室を訪ねた朝彦を待っていたのは35歳の自分より更に10歳年長の先輩研究員・小柳だった。友人でポスドク生活に疲れ、研究者生活を打ち切った友人の栗山が口にした「小柳先輩、大学に住み着いているって」と噂を裏付ける様に貫地谷教授は大学側から小柳を追い出せと迫られていると愚痴る。 院生時代に先輩研究者としての小柳に憧れを抱いてた朝彦は今の落ちぶれ切った小柳の姿に絶望感を覚えるが、その絶望を決定付けるかの様に数日後小柳が江戸時代の「古事記」の写本を持ったまま姿を消したという報せを受ける。 ポスドクとしての自分の未来に何の可能性も見出せなくなった朝彦は栗山がドロップアウト後に起業したレンタルフレンドのキャストに登録する事に…… 爽やかだけどこの上なく残酷な物語だったな、というのが読み終えての第一印象。そして主人公を始め、物語の軸となっているのは不安定な身分として生きる事を強いられるポスドクなのだけども、主人公がレンタルフレンドのキャストとして関わる人々を通じて氷河期世代以降に生まれた日本人全般にとってこの「何かを夢見て生きる事の難しさ」が問題である事が伝わってきた。 物語は先輩研究者である小柳の失踪(もしくは盗難)の後、レンタルフレンドのキャストとして依頼人と交流する朝彦の姿を追った連作短編っぽいメインストーリーの合間に小柳の宛てもない旅と旅先で出会った人々との交流を描いた幕間が挿入される形で進行する。 朝彦が交流する依頼者たちも中々にパンチの効いた人々なのだけど、その交流劇が始まる前から登場する研究生活をドロップアウトした友人の栗山からして中々に強烈。国内の大学からオファーが来ない中で声の掛かったインドネシアの大学から届いたオファーが恵まれた物であった事で心が折れたという過程で読者の精神にガツンとくる。 「大体さあ、俺たちの専門は、上代文学なんだぞ?この国の始まりの物語を研究してるんだぞ?なんで、インドネシアの方が条件がいいんだよ。なんで、インドネシアの方が俺たちの研究に理解があるんだよ」 朝彦相手に漏らしたこの栗原の嘆きには今の「金にならない研究に研究費なんかくれてやるか」と冷笑する様な拝金主義に踏みつけにされた研究者たちの血を吐く様な思いが込められてはいないだろうか?小柳の失踪直後に朝彦がネットで「貴重な古事記の写本を盗み出すとはけしからん」との書き込みを目にする場面があるが、その古事記の価値を見出したのは上代文学の研究者たちではないのかと…… 同じポスドクでも産休明けの為に保育園の願書提出の為にレンタルフレンド(実態は列並び要員)を依頼した英文学の研究員、栗花落の身の上も女性研究者ならではの問題を突き付けてくる。当然女性である以上は結婚で姓が変わってしまうのだけれども、それが自分の研究を結婚前と結婚後で分断してしまうという話には「女性なら結婚すれば楽勝だろ」と茶化す手合いには理解できない辛さが込められている。 夢に向かって生きる事が難しいのは彼らポスドクに限らない。小柳が乗り込んだ夜行バスで隣り合った15年続けても食べていくのがギリギリで心が折れた元アニメーターや朝彦が西武ドームのライブに同行したステージ上のスターに夢を託し、勇気を貰いながら現実に戻ればネットで匿名性に隠れた誹謗中傷をやめられない非正規の居酒屋店長に「今の時代のリアル」を感じる事はそう難しい事では無いだろう。 本作に登場する人々は本当に誰も彼も苦しい。苦しさを感じさせないのなんて朝彦の恩師である貫地谷教授たちの世代の研究者や依頼人の一人で恵まれた家庭で育った芸大受験生ぐらいのものなのだが、これがまた上下の世代から理解を得られない氷河期世代の立場を描いている様で同世代の一人としてはまことに辛いものがある。 物語が行き着く果てで描かれる朝彦の、そして小柳の苦しい研究者人生の結末は正直ほとんど救いが無いと言って良いのだけれども、その救いの無さこそが朝彦の苦い目覚めの朝を迎えた諦観をストレートに読者に伝える事に繋がり、ある種の清々しさにも似た感情を掻き立てるのだから不思議ではある。 自分が進もうとしている道の先に希望なんか無い、そのどうしようもなく冷たい現実を一人の若くもない研究者が認めるまでを描いた物語ではあるが自分たち氷河期世代、そしてその後に続く世代にも共通した「この国で夢を見て生きる事の難しさ」を真正面から突き付けてきた鋭すぎる一冊であった。 | ||||
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