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(短編集)
人情裏長屋
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人情裏長屋の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.61pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全23件 1~20 1/2ページ
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周五郎の人情話11短編集。長編とは異なるいい味を出している。表題作は秀逸。加えて亡妻への細やかな愛情を描いた「おもかげ抄」や一度住んでみたくなる面白さの「ゆうれい貸家」など盛りだくさん。 | ||||
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周五郎氏は、こう言の書かせると本当に上手いですヨ。バカバカしいと言ってしまえば、それまでですけど ハハ、読んでしまう。武士の子育て話、ゆうれい貸屋とかハハ、読んでしまう。 退屈な方にお勧め。 | ||||
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もっと早く読むべきだった | ||||
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収録作品はいずれも面白いのですが、例えば表題から誤解されそうな「長屋でつつましく暮らす人情あふれた人々のいい話」みたいに思われるとちょっと違う。表題作と「泥棒と若殿」の二作が収録作品の中では最も感動的なのだけど、いずれも、志も高貴で武芸も優れ、知識も知恵もある武士が、人生に挫折し、社会の片隅で生きていくことを求める物語。しかし、いずれも最終部で、彼らは本当はいごこちがいい庶民の社会を捨て、もう一度武士として生きる、庶民ではなく、庶民を統治する側に戻ることを決意する。 それは決して上昇志向でも、権力欲でも、また庶民の世界が嫌になったからでもない。彼らは自分がその才覚と武芸を最大限生かして生きていくことがその社会的使命であることを知り、それを果たすことで、彼らが愛してやまない庶民たちのために生きていく道を選んだのだ。それは、つつましい生活の中、精一杯誠実に生き、助け合い、励ましあう名もなき庶民たちが果たしている役割と、その価値においては少しも変わらない。 武士である自分が、庶民の真似をしたり、時には武芸で庶民を助けて人々から慕われるより、武士として、支配者として生きていくことの方がはるかにつらく厳しい道なのだが、それを果たさなくては、庶民たちと同じように真剣に生きているとは言えないのだ。 日本的な「ノーブレス・オブリージュ」(貴族の社会的義務)の美しくも高貴な精神がここにある | ||||
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時代もの、現代もの問わず、周五郎小説の現実離れした、それでいて情浅からぬ味わい、を楽しめる11篇が収められている。読書が楽しみの時間を、作ってくれます。 | ||||
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落語のストーリーにも使える笑い話である。古今亭志ん朝にやらせたら面白い。「世に有り難きは女の誠であり、恐るべきは女の嫉妬である。」(259頁)が結語である。 | ||||
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テレビで「子連れ信兵衛」をやっていて、 初めて山本周五郎を読む。 はずむような文章のリズム、一気に読んでしまう。 「裏長屋」はもちろん、良かったが とくに、「泥棒と若殿」は感動した。 人間のこころ、人間の自由、人間の責任について、考えさせられた。 | ||||
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小学生のときに読んで以来、山周のファンになりました。今回45年ぶりに読んでいますが、いいですね。小説というのは大概悪人が出てくるものですが、山周にはそれがない、読み終わったあとは幸せな気持ちだけが残る。まだの方は是非ともご一読を | ||||
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特にない | ||||
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いつもどおり、とてもきれいで使用感もなく、気持ち良い読めそうです。 これからもよろしくお願い申し上げます。 | ||||
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山本周五郎の短編小説の作品はどれも珠玉のものばかり。いいね。読んで気持ちが洗われる。 | ||||
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表題の人情裏長屋がやはり、一番読み込ませる。芝居物、は、やはり少し読みずらい。 | ||||
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TVドラマになるので読みました。だいぶ規約本は異なっていますが、楽しい作品です。 | ||||
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面白いの一言。特に人情裏長屋、貧乏侍がいかに長屋の住人と一生懸命に生きていくかを周五郎タッチで描いているのが素敵。 | ||||
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1~9作は時代物で昭和20年代に書かれた物。10~11作は昭和ひと桁代の作品で少し違う。明らかに1~9作は良く出来ている。10~11作まだ周五郎氏若かりし頃かな。私が言うのも憚れるが、筆の上達さが伺える。 「おもかげ抄」 梶派一刀流、剣の達人、鎌田孫次郎は亡き妻の椙江のおもかげを忘れられず長屋では甘太郎とバカにされていた。ある時、たまたま通りかかった沖田源左衛門は孫次郎の剣術の優れている事を知り「倅に教授されたい」望み、沖田家へ通ううちに孫次郎の心根の優しさに心を打たれ、孫次郎に重大なお願いをする。源左衛門の人を見る目の確かさ、それを確信した時の思い切った行動に読んでいて心が清々しくなりました。 「三年目」 広田屋の棟梁伊兵衛は普請場で大怪我をして儚い事になってしまった。臨終する少し前、伊兵衛は弟子の友吉に娘のお菊と一緒になって広田屋を盛り返して欲しいと遺言する。だが一つ心配なのは友吉が手慰みをする事だと付け加えた。匕首で胸を刺された様なショックを受けた友吉は二度とサイコロには手を出さぬと親方に約束し、江戸にいる悪仲間と離れるため上方へ行って性根を入れ替え一生懸命働いた。留守中お菊の事は弟弟子の角太郎に任せた。三年経って立派な立ち直った友吉が帰ってみると、思いもよらない事態になっており、角太郎の裏切りに怒りが込み上げてきた。でも事実は違う処にあった。「さぶ」の栄二とさぶの関係にも似たような兄弟弟子二人の友情を記した心温まる名作でした。 「風流化物屋敷」 安芸の国広島の城下に幽霊が出ると噂され人も寄せ付けぬ化物屋敷があり柘榴屋敷と呼ばれていた。江戸家老の植田主水を絶家した二十七歳の三男坊御座平之助が、その屋敷へ越してきた。彼は何不自由なく育ち、のんびりした性格で純真無垢で生一本で明朗でほとんど民情に疎かった。ある夜、噂通り平之助の寝床へ一つ目の幽霊が表れた。彼はそんなのんびりした世間知らずだから恐れるどころか「目が一つしか無かったら、さぞ不自由だろう」と心配するほどだった。(ここで私は大笑いでした)幽霊の格好までしてこの屋敷に人を寄せ付けない様にするのは、何が目的だったのだろう。とみ嬢が表れそんな平之助に上手く知恵をつけ大団円に終わる秀逸な滑稽噺でした。 「人情裏長屋」 松村信兵衛は木挽町の裏長屋に住む浪人だった。彼はいつも酒に酔っているが人々への面倒見も良く長屋の住人には好かれていた。家賃の立て替えなどしばしばだった。ある日長屋へ帰った信兵衛は吃驚した。数日前越して来て家賃も工面した沖石主殿が身を立てるため、世に出たら迎えに来ると言って乳呑み児の鶴之助を長屋に置いていってしまったのだ。信兵衛は非情な親だと憤るのだが、優しい性格の彼は哀れな乳呑み児を見て放ってはおけず世話をし始め、立派に育てるからと懸命に育児に励む様になる。世話すれば世話するほど信兵衛は赤子が可愛くなり、すぐにレロレロの父親になってしまう。ここは読んでいて微笑ましい。すっかり鶴之助に愛情を注ぎこんだ信兵衛だったが、ある日、沖石が戻ってくるのだ。 信兵衛はどうしたか?立派でした。心情あふれる超素晴らしい名作でした。 「泥棒と若殿」 成信は、その古びた屋敷に入ってから幾日か経っていた。金も無ければ煮炊きも出来ず、後は飢えて死ぬまでと観念していた。ある夜、伝九郎と言う一人の頓馬な泥棒が屋敷に入り込んだ。古びた屋敷で床板が腐り落ち頓馬な伝九郎は溝にはまってしまう。それでも抜け出し部屋を物色するが何も無かった。それでも一人ぽつねんとしている成信を見つけると、脅して金の在りかを聞き出すが持っていない事に諦めてしまう。成信の姿を見て生への諦めの様なものを感じ、伝九郎は信成の衣食の世話をすると言う奇妙な共同生活が始まった。伝九郎は、昼は外に出て賃仕事で稼ぎ夕方屋敷に戻って成信の食事を用意する。ここらあたりの二人の人間関係は実に美しい。跡目継承の問題が片付き久左衛門が成信を迎えに来て、嫌だという成信を説得し城へ帰ることになってしまう。成信が、歯を食いしばり、耳を塞いで伝九郎と別れるところは実に辛い。 「長屋天一坊」 この時代は身分が人の一生を左右していた。天一坊と言う者が身分を偽って吉宗公の嫡出子であると名乗って江戸へ乗り込んだ事件が有った。縄屋吾助は縄屋を開業し業務に精を出し三十八軒ほどある長屋まで所有するほどに財をなしていた。だが吾助は天一坊の事件を知り、武家大名の御落胤を捜し出して世話をし、それによって自らも出世しようと目論んだ。長屋中の住人に隠された身分の者がいるのではないかと調べ始める。その魂胆を見抜いた長屋の金太と銀太は柳原堤から一人の男を連れて来て、ある有名な大名の御落胤だと仕立てあげる、吾助はまんまと罠に嵌ってしまう。欲に駆られた人間が回りを見る事が出来なくなり、自分の都合の良い様に事物を捉えていく様を絶妙に描き、考えさせながら読んでしまった。 「ゆうれい貸家」 桶屋の弥六はなまけ者だった。仕事をすれば良い仕事をするのだけど、真面目に働いた両親が、あっけなく死んでしまった事で、人間焦って働いても死んだら終わりだと考える様になってしまったからだ。妻お兼は弥六の代わりに賃仕事をして生活を助けたが、それがかえっていけないと思い、弥六に立ち直ってもらいたいと言う気持ちで実家へ帰った。一人になった弥六は、のんびりしたものだったが、ある夜、染次と言う辰巳で芸妓をして成仏出来ずに幽霊になっている女が表れた。幽霊だから何処へも行けて酒、飯、肴は何処からでも持ってこられる。楽な生活をしった弥六は、そんな粋で濃艶な幽霊と夫婦の契りを結んでしまうのだ。ただ、どうしても金だけは持ってこられず、二人で考えた新しい商売を始めるのだ。弥六の様な考えは人間だったら一度は誰でも考えた事が有るのではないかと思う。だが、人間は生きているうちに出来る事は出来る様にやらねばならぬのだ。 「雪の上の霜」 三沢伊兵衛は代々二百五十石で仕えた主家を浪人し以来七年あまり妻おたよと共に放浪の旅を続けている。今は、おたよが二か月も病気で倒れ、なお、お滝沢の湯治宿で予後の治療を続けていた。伊兵衛は稀な才能を持っている。学問は朱子、陽明、老子。武芸は刀法、槍、薙刀、柔術、棒、馬術、水連。どれをとっても一級の師範になれた。だが伊兵衛は、他人を押しのけたり出来ないばかりか、自分が誰かを押しのけ邪魔になっていると分かると、自分から身を引いてしまう。おたよは夫は出世出来ないと分かっていた。ある日伊兵衛の力量を見抜いた小室青岳に自分の道場で稽古を付けて欲しいと頼まれ、高額の謝礼を貰い通う事になる。だが青岳は扶持を取っていた。扶持を取っているばかりに扶持を失いたくない、道場や門人を失いたくない、安楽な生活を失いたくないと考えるあまり、武士たちが町人たちに無礼な振る舞いをしたり、貧しい者達に刀で脅かしたりする様を見て見ぬ振りをしなければならなかった。伊兵衛にはそういう事に折り合いをつける事が出来なかった。 「秋の籠」 南八丁堀の裏長屋に住む六助と中次は組棒のカゴ屋だった。二人は実の兄弟の様に仲が良かったが、つまらない事ですぐ喧嘩をしてしまう。そんな時北八丁堀にある「金魚」のお梅が、いつもそれと無く仲直りさせていたのだ。その「金魚」にいそと言う旦那風な男が来ていて、二人に箱根まで通しで五両の駄賃で言ってくれと頼まれる。思わぬ大金に二人は勇んで箱根までの路を進が、行く手に思いもかけない出来事が待っていた。正直者だった二人が最後に良い思いをして、心さわやかな気分になれた。 「豹」 動物園から何人も人間に噛みついた事が有るという豹が逃げ出した。町中を徘徊する豹の姿に人々は怯えた。正三の兄はアメリカで客死していて兄嫁は神戸に住んでいた。父の勧めもあり正三は兄の家が有った処の須磨に行き、兄嫁の純子は母屋に、正三は離れで暮らしていた。そんな折の豹の逃亡だったので、純子は不用心だからと正三に母屋の二階で寝る様に勧めた。ある夜、豹が表れたと純子が正三の部屋にくる。だが純子が言った数時間前に豹は捕まっていたのだった? 「麦藁帽子」 温泉のある海村へやってきた斧田は断崖の岬の方へ散歩に行った。そこに一人の老人が大きな麦藁帽子を被ってぽつねんと釣り糸を垂れていた。隣に座り込んだ斧田は老人の古い話を聞かされる。宿に帰った斧田は女中に、それは作り話ですよ、と老人をバカにした。だが斧田は再び今度は自分も釣竿を持って、老人が釣りをしている処を訪れる。老人は昨日の話の続きを話し出した。東京へ帰った斧田の元へ一通の手紙が届き老人が麦藁帽子を握ったまま海に落ちて死んだ事が書いてあった。本当の真実を知っているのは斧田だけになってしまった。 全11作のうち10作と11作の「豹」「麦藁帽子」は昭和8~9年に書かれた作で直木賞辞退以前の作で、他は時代物なのに2作は比べて趣が違う。周五郎不遇の時代の作で少し力無さを感じてしまった。それまでが良かっただけに。1~9作は昭和20年代の作で周五郎氏はすでに世に知れ渡って頃の作だと思う。この9作に共通しているのが1作の中に二つのプロットと言うか挿話が有り2度楽しめる。どれも素晴らしいが取り分けて言えば「人情裏長屋」で人間の感情や心理が場面や状況によって揺れ動く様を描き、特に信兵衛が赤ちゃん言葉を使うシーンなどは笑ってしまった。最後に涙ありで良作でした! | ||||
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高橋英樹の時代劇が懐かしくて検索していたら、これが原作と知って購入 短編集なので面白かったり、退屈だったり、いろいろ テレビの原作になっていた編は、面白かった | ||||
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とても面白い、20年前に読んでいましたが、今一度読み返すと心温まります。 | ||||
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人生における人情の重要性を上手に描いているが、良く似た内容の短編が続き少しあきる。 | ||||
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善人ばかりの山本周五郎の世界 ファンタジーとはわかっていても つい ほろりと泣かされる。 無くしてしまった ものばかりが描かれている世界は 美しく 切ない | ||||
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長屋ものを中心とした短編集。 「おもかげ抄」 途中で、こういうことだなとはわかるが、こういう結末をつけるとは思わなかった。 「三年目」 「さぶ」のようでもあり、「柳橋物語」のようでもある。 長編になりそうな素材を短編に使っていてもったいない気がする。 「風流化物屋敷」 山本周五郎が好んで書く、世の汚れを知らない武士の話。 「人情裏長屋」 腕が立ち、善意の固まりの武士。 長屋の住人として生涯を終えるのかと思ったら、やはり武士は武士として生きるのだった。 そういうところが、山本周五郎らしい。 「泥棒と若殿」 泥棒と、蟄居状態の若殿の交流。自分のためではなく、人のために生きなくてはならないという話。 「長屋天一坊」 講談調の小説。家系にとりつかれた家主と長屋の住人の騒動を描くユーモア小説なのだが、あまり後味がよくない。ここまで悲惨な目に遭わなくても、と思う。 「ゆうれい貸屋」 過去の因縁も何もなくいきなり幽霊が出てくるのがすごい。理由付けなどいらないのだ。 ゆれいを貸す商売という、奇抜なアイディアなのだが、それが生かし切れていないのが残念。 なんだか尻切れトンボの終わり方だった。 「すぐに賃上げストなんか始めるわよ」(p247)というせりふには驚いた。 「雪の上の霜」 あれっ、これは「雨あがる」ではないか、と思ったら、その通り、姉妹編だった。 人一倍優れた能力を持ちながら、善良でありすぎるが故に立身できないというのが、山本周五郎なのだ。 「秋の駕籠」 「三年目」と同じく、男同士の心の絆の話。 この本の中では珍しくハッピーエンドだった。 「豹」 なぜこの小説がこれに収められているのか、と思うような現代小説。 女は怖い、という話。 「麦藁帽子」 これも現代小説。「青べか物語」風。 | ||||
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