(短編集)
あんちゃん
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秀作揃いの短編集。表題作「あんちゃん」は妹に対しての過去の過ちを悔い、家を飛び出し喧嘩に明け暮れる主人公竹二郎がその後妹の口から兄妹間の真実を知る物語。感動的なラストは必見。喧嘩仲間である民三の存在感も心に残ります。 最初の「いさましい話」も良い話でした。江戸から国元へ下向した主人公玄一郎は国元の役人の反抗的な態度に戸惑うものの、一人の老人津田庄左衛門の人間性に触れたときだけは心が安らぎます。しかし玄一郎にあらぬ疑いがかかりその首謀者に津田の名が挙げられ・・予想外の展開に釘付けにされますが、津田の親心が胸に染みる作品です。 収録作の中では最も初期に書かれたラストの「藪落とし」も終始物語に引き込まれました。民話風に描かれていて新たな周五郎の才能を見た思いになりました。 | ||||
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この男、山本周五郎の文には妙な緊張感がある。どこか青白くて目を離した瞬間吹っ切れてしまうような危うさがある。まるで読むのをやめられないのだ。 | ||||
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私は周五郎ファンです。短編 長編どちらも読みやすいので読んでください。まずは柳橋物語から | ||||
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山本周五郎氏の短編集に嵌ってしまいました。武家もの長屋もの人情もの岡場所もの滑稽もの。多彩なジャンルが有りますが本書の表題作「あんちゃん」は異次元のジャンルです。でも、それぞれ現代に於いても全く通用する話なので感銘を受けました。全八話の本編です。私感で好みは違うと思いますが、お気に入りが有りました。感涙もの、ハンカチ必至。抱腹絶倒の面白話も有ります。 先ず滑稽もの「思い違い物語」昭和25年9~11月(労働文化)です。いや~あぁ愉快!愉快!です。滑稽もので最高の出来ではないだろうか?軽率でおしゃべりで粗忽を繰り返す泰三の独り舞台でした。立ち上がる度にお膳をひっくり返し、歩けば障子を破る、見た本は元の処へ戻せない。余りにも迷惑なので閑職に飛ばされてしまうのですが、そこで、藩内の不正金を見事に暴いてしまうのでした。周りは唖然としてしまいます。終始一貫、泰三の粗忽ぶりに楽しませて頂きました。最高の出来だと思います。 表題作「あんちゃん」昭和31年3月(小説新潮)。たまらんでした~。妹に好意を抱いてしまう兄、竹二郎の苦悩を描いています。竹二郎は、その事で自分を卑下してグレて家から出てしまう。しかし、本当は実の兄妹では無い事が分かるのです。そのラスト「よかった、よかった。俺たちは他人じゃ無い、他人なものか。さよ公(妹)は、俺の大事な妹だ!」不思議な事に他人同士だと分かって、更に兄妹の愛情を感じる事になるのです。血を分けた兄妹よりももっともっと深い愛情を。泣けました。 武家もの「いさましい話」昭和25年2月(講談雑誌)。藩政改革に意欲を燃やし、大幅な緊縮財政を断行するため江戸から来た笈川玄一郎が、よそ者扱いされながらも上手に改革を成し遂げる話。しかし、それを成し遂げられたのは津田庄左衛門が財政改革に反対する一味と共に自訴したからでした。なぜなら玄一郎は、昔、津田が訳有って放した実の息子だったからでした。息子に過去の事を謝りたいと思う父親の愛情がそれをさせたのでした。それを知った玄一郎が「お父様・・・」「お父様・・・」と涙する場面は、一緒に泣けてしまいました。 夫婦愛「凌霄花(のうぜんかずら)」昭和28年10月(講談倶楽部)。身分の違いから結婚を許されなかった二人でしたが、激しく愛し合う二人の強い思いに、障害を乗り越え周囲も認め、結婚する事が出来た。しかし、数年一緒に暮らすと、お互いの意地が出て波長が合わなくなってしまうのです。現代でもそうだと思いますが、結婚して暫くすると、激しく愛し合った恋愛時代を忘れ、ともすると愛が薄まる感がするものです。二人は思い出の“凌霄花”の花を見て、昔の愛情盛んな頃を思い出し再び愛情を取り戻す話です。現代夫婦にも通じる処があると思います、自らも反省しました。愛情物語。 異色武家物「菊千代抄」昭和25年4月(週刊朝日)。後継者を絶やさぬため男子として育てられた姫君が、男友達と遊んでいる時、彼らとの体の違いを知ってしまい苦悩し嫌悪感に苦しめられる。その姿がとても痛々しい。また女で有る秘密を知った男友達を容赦なく剣で刺してしまうとてもシリアスな話です。 「七日七夜」昭和26年5月(講談倶楽部)。“二男三男は冷や飯食らい。四男五男は拾い手も無い古草鞋”と言われる武家の中で四男坊の本田昌平が、待遇に不満を持ち町へ飛び出してしまう。武家育ちで町の遊びを知らない昌平は新吉原などで大失態を起こし、金を巻き上げられてしまう。自暴自棄になった昌平は町人街で飲んだくれるが、町人達の心の優しさに触れ武家を捨てる決心をする。門前仲町の居酒屋で夫婦になり立派に町人として独り立ちする、ホッとする話です。 この他、石川島の寄場から抜け出した男の話「ひとでなし」昭和33年1月(講談倶楽部)。水晶取りに取り付かれた話「藪落とし」昭和10年2月(アサヒグラフ)などです。 以上、数々の名作揃いでしたが、それらの話は現代に於いても通じるところが有り全く色褪せていない事が分かります。年代は違えども人間の気持ち本質、思いは変わってないんだなぁ~と、改めて思います。素朴ながらも一層深みを覚えて読みました。これだから周五郎氏の短編集は止められないのだ! | ||||
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自宅の書庫で見付け、ふと手に取ったのが確か高校二年生位だったでしょうか。 どれも魅力的な短編集ですが、特に『菊千代抄』にご猛烈なインパクトを感じました。 家のために男性として育てられたお姫様と、その従者との物語。 そこにあるのは確かに恋物語なのだけれども、それだけでは表しつくせない二人の葛藤と魂の交流に、当時の私は胸を震わせました。 あれから約10年。 様々な経験を重ね、もう高校生の時のようなピュアな感情は残っていないと思いきや、 やはり読み返してみると素晴らしいのです。 むしろ経験を重ねたからこそ、ますますこの二人の、特に半三郎の労わり深さが心に沁みます。 この作品集から入って、山本周五郎作品はあらかた読みつくしましたが、 どの作品にも、 『自分を犠牲にしてでも、大切な人を思いやる』という美しい心があふれています。 即物的面の多いこの現代において、失われがちなこの純粋な気持ちを思い出させてくれる。 まさに心が洗われる。 山本周五郎作品の素晴らしさはここにあると、私は勝手に思っています。 | ||||
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