■スポンサードリンク
(短編集)
ちいさこべ
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
ちいさこべの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.33pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全15件 1~15 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
まあ単行本一冊だけだったので申し訳ないと思いながら発注。 包装が簡潔で良かったと思いますし、本も傷みもなく完璧でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
・中小篇4作、若き武家と妻女、そして職人たちの、人として生き方を探る姿が、周五郎の熱き思いに導かれて、描き出される。 最後の「へちまの木」を除く3篇は、非情の苦難に晒されながら、自分の置かれている場に踏み留まり、生きるべき道を求めて、めげることなく一途に、進み行く各々の、何と健気で潔く強いことか、心揺さぶられずには居れない、作である。 但しその生きる姿に、感動を覚えながらも、創り込みに念が入り過ぎて、逆に現実味を些か薄くしている辺りが、気に染まなかった。 また「へちまの木」は、世間知らずの「千二百石旗本の三男」お坊ちゃんの「心象風景(解説;木村久邇典氏)」を描いたとしても、「作者の四十年にわたった作家生活の疲労のようなものが、濃い影をおとしていて、痛ましいような思いもそそられる(同上)」のであれば、編む理由に糺したくなるような作、であった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
山本周五郎の短編集文庫版の中でも、表紙のデザインを含め最も素晴らしいものの一つ。短編というよりいずれも中編というべき作品集だが、他のレビュアーの方々が言うようにすべて傑作ぞろいです。 内、三篇は、確かに「こんないいやついないだろう」「これは出来過ぎのストーリー」と思うのだが、他の作家がこういう作品を書いたらたぶん白々しくて読めなくても、山本周五郎だと感動してしまうのは、一方でこの作家が人間性の悪もずる賢さも偽善もちゃんとさりげなく同じ作品の中に書き込んでいるからだ。そして「こんないい奴いない」「こんなかっこいいことできるわけないだろ」と思いつつ、読者は、どこかにこういう人間がいてほしい、自分はとてもできなくても、こういう人がどこかにいると信じたい、そう信じることで、自分もちょっとはましになれるんじゃないかと思ってしまう。これが山本文学のすごさ。 ただ、最終編「へちまの木」だけは違う。ある意味、これは現在のワイドショーや、露骨なまでの暴露記事を載せる週刊誌、もしかしたらネットの世界に通じるジャーナリズムの一面をえぐったもの。そして、グルメ記事をネタにただ食いをする記者、怪しげな噂を事実のように書き飛ばす元文学青年、彼らを憐れんでいる飲み屋の女、そして彼らを安い原稿料でこき使い、不用になれば情け容赦なく切り捨てる出版元、皆、すべて「こういう奴は絶対にいる」と思わせる。そして、その人たちも、みじめな自分の生活を何とかそうやって守っていることもわかる。ある意味最も現代的な作品かも | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ある人に勧められて購入した、老眼には文庫本は読むのが大変でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「ちいさこべ」とは、雄略天皇が養蚕振興のため、蚕(こ)を集めるよう命じたところ、を取り違えて嬰児を集 めてしまい、その養育を命ぜられ、少子部蓮の姓を賜ったという説話(日本書紀)からきているようです。 確かに、みなしご達の面倒をみながら火事の現場を再建していく棟梁の話ですが、内容は、若い男女の純愛の話 です。実に感動的であり、何度も泣いてしまいました。 もちろん、みなしごに対しての愛情もすごい。盗人をした子供をかばう姿、集団から逃げた子をゆさしく迎え る姿も感動的でしたが、若棟梁「茂次」は、いつも口は重くぶっきらぼうです。しかし「りつ」に対してのや さしいいたわりがはしはしに感じられます。短編ですが、こころ洗われる内容でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
子どもが読書、日本語の豊かな語彙を身につけて欲しいので音でも聞かせたく利用しました。朗読は聞きやすく美しい響きです。江戸っ子の(義理だけでなく)「意地」と「人情」を表現した優れた作品、親の自分も得るものがありました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
初めての山本周五郎作品でした。 勝手に、江戸のからりとした気分の作品を想像していたので、見事に裏切られました。 重い。心にずっしりときます。 特に「ちくしょう谷」は、人間の本質を描いていて壮絶でした。 素晴らしいですが、読後はぐったりと疲れました。 軽い気持ちで読むと打ちのめされます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「ちくしょう谷」は衝撃を受けた。侍にもこのような人がいたかもしれないと想像した。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
山本周五郎の作品を読むと、励まされ、勇気づけられます。『花筵』(山本周五郎著、新潮文庫『ちいさこべ』所収)も期待を裏切らない時代物の中篇でした。 藩の重臣の娘として大事に育てられたお市は、中級武士・陸田信藏に嫁入りしますが、日が浅いためもあって夫から愛されているという実感を得られずにいます。「掛け夜具の端を上げながらさあと促された。そうしてはいけない余りにはしたない、こう思う意志とは反対にお市の躯はするすると良人のほうへすり寄っていた。・・・そのときそうするちからが自分の躯の中にあったということを、後になって彼女はどれだけ感謝したか知れない、まだ充分によびさまされなかった未知の感覚を味わうことができたのもその期間のことだ、それは一つの死にも比べたいほどの激しい忘我と痙攣とでお市を圧倒し、最も深いところからお市の肉躰と心とを造り変えた。その感覚を知った後とその前とではものの見方も考え方も違ってきたほど根本的であった。妻というものの自信もよろこびもそして誇りも、そのとき以後はじめてお市の身にはっきりと付いたようである」。 お市には表向きのことはよく分からないのですが、どうも夫は同志たちと秘密の活動を行っているようで、日々、不安が募ります。間もなく、藩を二分する争いが勃発しますが、夫の生死は杳として知れません。それからの1年余の間に、次から次へと転変・不幸がお市を襲います。しかし、彼女は勇気を奮い起こして、逆境に立ち向かいます。「良人が死んだという最も大きい不幸の直感が、却って彼女に力と勇気をよび起こしたのである」。「自分は良人を愛した。良人は自分を愛して呉れた」という自信が彼女の背中を押したのです。 そして、お市は藩政の正しい改革と領民の幸福を願って立ち上がった夫の遺志を継ごうと決意するのです。 そして、思いがけない結末が訪れます。 著者の巧みなストーリー展開を追いかけているうちに、愛とは何か、結婚とは何か、夫婦とは何か――を深く考えさせられる作品です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
4編の中,ちくしょう谷は、少し読みずらかったが、他の中で、花筵は、よかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
山本周五郎の作品がいくつか入ってました。心暖まる話が多く一気に読みました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
藩政改革の騒動に巻き込まれ行方知らずとなった夫の身を案じながらも、義母や義兄とともに必死で生きていく妻お市の姿を描いた「花筵」。 お市の覚悟ある生き方に胸が揺さぶられます。 災害孤児を引き取る棟梁の物語「ちいさこべ」。孤児の「おっ母さん」という一言に涙が溢れます。 爽やかな風が幸せを運んでくるようなラストは周五郎作品の醍醐味です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
4つの中編が収められている。いずれもタイプの違った 作品で、著者の懐の深さを感じる。 特に感銘を受けたのは「ちくしょう谷」。主人公が罪人の 末裔が暮らす無秩序な村の再生に挑む物語である。 また、企みによって兄を殺した相手への主人公の接し方が もう一つの見どころになっている。 人生に何を求めるのか、仕事にどういう姿勢で臨むのか、 人を赦すとはどういうことか。主人公の行動を通して 様々なことを考えさせられる。 決して長くはないが、いつまでも心にずっしりと沈殿する 作品である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「花むしろ」 これは解せん。 なぜ義母を選んだのか、全くわからない、納得できるものではない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
花筵、ちくしょう谷、ヘチマの木、そして表題作と、全てが読み応えのある中編集だ。この4作の中では表題作「ちいさこべ」が最も有名かもしれない。底抜けに明るく爽快なこの小説は、終戦後の執筆当時どうしても必要だったのだろうが、やや類型的で「そんなかっこいい奴ぁおらんだろう!」という気がしなくもない。本宮ひろしの劇画やテレビなんかだと江口洋介主演一つ屋根の下みたいな話である。とはいえ読後感は爽快だ。一方、苦渋と矛盾に満ちた「ちくしょう谷」はかなりの問題作。宗教的なまでに全てを赦す主人公もやはり「そんなやつぁおらん!」という気がするのだが、読後感に残るやりきれなさを主人公自身の独白に顕す事で深みがぐーんと増している。「赦す」ということがテーマというが、むしろ裏!切り不実猜疑差別文明非文明贖罪などあらゆる納得いかない不条理なものを煮詰めこんだような、周五郎作品にしてはつらい幕切れだった。失敗するしないではなく、成そうとする事に意義があるという結末は重い。「ヘチマの木」は出版・広告制作関係の夢のある若者必読の青春記。主人公は江戸の椎名誠みたいなもの。旗本の家を逃げ出して未来の見えない弱小瓦版の見習い記事屋に潜り込み、いじけ悩み酔いかます姿はこの業界の一つの実体だ。おそらく、作者自身の記者時代が投影されているのだろう。この作品も周五郎らしくなく、挫折によって終わる。若い頃であればこのヘチマの木にやられたかもしれないが、現在のワタクシに最もグサっときたのは「花筵」だ。唯一の女性主人公武家もののこの作品は表面的には良妡?賢嫁的なストーリーだが、夫・真蔵の「夫婦といえども一心同体にはなり得ない、それぞれがそれぞれにに社会に責任を果たしていく義務がある」という言葉に命がけで志を継いでいく事によって一つの反証を示しているように思える。家と安穏な暮らしを失い、ついには産んだばかりの娘まで失いながら、独りで生きていく努力と工夫を怠らないお市。しかし、それはただ強い、からではなく、やがて夫の残した無念をはらす唯一のチャンスに向けて全てをほおり出す、そこには自分やお家のためというような打算は無く、夫の無念を晴らすという一点しかないのである。そうする事によって夫婦が一心同体になりうるという事を作者は描きたかったのではないか。よくできたハッピーエンドは付け足しのようなものだ。最後に主䡊??公を襲う大水害は柳橋物語のを思い起こさせ、改めて大災害を描かせたら一番の週五郎評を痛感した。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!