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アルジャーノンに花束を
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アルジャーノンに花束をの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全440件 181~200 10/22ページ
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知的障害の男性が主人公なのだが、その主人公が書く報告書という体で、物語が進んでいく。 最初は誤字やひらがなが多くとても読みづらいが、物語が進むにつれてどんどんと読みやすくなっていく。この対比が実に面白く報告書という体もあったが、実際にこの主人公がいるのかと思った程であった。 あまり本は読まないのだが、物語としては面白く満足した。 | ||||
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著者の言葉「知識の探求にくわえて、われわれは家庭でも学校でも、共感する心というものを教えるべきだと。われわれの子供たちに、他人の目で見、感じる心を育むように教え、他人を思いやるように導いてやるべきだと。自分たちの家族や友人ばかりではなく――それだったらしごく容易だ――異なる国々の、さまざまな種族の、宗教の、異なる知能レベルの、あらゆる老若男女の立場に自分をおいて見ること。」 | ||||
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あらすじで科学小説かと思ったけど、知的障害者への家族による虐めのお話だった。本人のせいじゃないのに、どうしても弱者を虐めぬいてしまう人間たち。人間の残酷性が思い出されて、とても悲しかった。障害者も同じ人間だという作者の訴えが悲痛だ。人類自らの残虐性を反省させられる本だった。それにしても主人公にいい友人がいないことが残念だった。それくらい本を読めば考え方も深くなるはずなんだが。哲学にはからっきりで、女たちに振り回されるようじゃ、本物の人間の天才とはいえない。 | ||||
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久しぶりに2度読み返したい本に出遇いました。いつか子どもにも読んで欲しいです。 | ||||
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読み終えた後の感動をどう表現するか〜 とても言い表せないですが、この本に出会えて良かったです。 | ||||
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アルジャーノンに花束を 知性がないことは不幸か?それとも、知性が人を不幸にしているのか?という二者択一的な話だとは思わない。 知性を得ることで失うものもあるが、何も知らない白痴のまま死んでいくのではなく、この世界の仕組み、哀しみ、苦しみ、悦びを知りながら生きていくことを肯定している。それと同時に知性が低い障害者への人生賛歌でもある。つまり、作者はこの世の全てを肯定しているのだ。 チャーリーはほんの数ヶ月でこれまでの苦しみをまとめて追体験し、おおいに悩み、もがきながらやがて大きな答えを出していく。 彼の知性は後半徐々に退行していくが、彼は最後まで知性を求める。死ぬのではなく、元の自分に身体を返して再び生きるその時まで。知性を手にしても、優しく生きたいと彼はもがく。それは、けして彼1人の達成ではない。 何も知らないで生きていくことは幸せなんかじゃない。苦しみ、憎しみ、妬み、人の醜さ時に美しさを目の当たりにし、理解しながら、生きる悦びを味わっていくのが人生だと思う。 障害者を否定しているのではない。それも一つの美しい人生だ。しかし選べるなら、誰だって知性を携えて人生を送ることを選ぶだろう。 我々はいつだって生かされているのだから。 最後にこの物語のツボをもう一つ。 実のところチャーリーの妹の人生も苦しみに満ちたもので、葛藤の中で生きていたことが明らかになる。思い出の中でチャーリーを罵り続けた彼女もまた真の善人であり、兄妹でこれまでのお互いの人生を語り合うシーンは、全てが赦されていくような救いの瞬間だと思う。 本当に様々なテーマを内包した不朽の名作。 少しでも多くの人に、深く味わってほしい。 | ||||
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IQ:低→高 情緒的発達:低→高 主人公はIQが急激に上昇したため、情緒的発達が追い付かなかった。 それに伴う苦労が描かれている。 なにはともあれ名作! | ||||
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知能の高低差が人生において幸せなのか一人の人間を通して考えさせられた、IQとEQの対比も描かれており興味深い一冊。 | ||||
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単なるSFを超えた傑作。脳の外科手術が当たり前のようにおこなわれるようになった現代においても色褪せることはない。 | ||||
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知的障害だが、他人に脅威を与えず、他人から馬鹿にされても友達がいる人生が良いのか、飛躍的に脳が発達し、他人に脅威を持たせて友達がつくれなくなる方が良いのか。 作者は両極端なものを描いたと思う。私個人としてはその中庸を行きたいと考える。 主人公チャーリーはその両極端で生き続け、その中庸に行くことはなかった。それでも人生の過程で恋愛ができたことは良かったことだと思う。私は本を読みながら常にその恋が良好であれ、と願っていた。 一方は「終わり」を認識でき、もう一方はそれすらも認識できないというシーンは切なすぎた。 | ||||
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この、早川書房; 新装改訂版 (1989/04)についての思い出といえば、それまで探していた本作が突然平積みで近所の書店に現れた驚きでした。 そして、そこに描かれた花束が、おおやちき氏のものでは?と思いそれが当たっていた事でした。 そもそもこの作品に付いて知ったのは1970年代に同じく「りぼん」で掲載されていた清原なつの氏の作品中です。 そのお二人のコラボ?が十年以上たったある日突然現れたのでた。 さて、内容的には「落ち」を知ってしまうとまた読みたいという気にはなりません。事実、上記の邂逅時に一気に読みきって以来ご無沙汰です。 なので特にこの版に拘る必要はないのですが、個人的にはカバーイラストで最も驚いた一冊となりました。 | ||||
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・サノーさん一言コメント 「入念な考察が素晴らしい。人間の知性・知能が『強制かつ急激』に発達させられた時のシミュレーションとしても楽しめる一冊。よくある『おとぎ話』に陥らない、凄みと深みがある」 【サノーさんおすすめ度★★★★★】 ・ウノーさん一言コメント 「感情と知性、人間の高潔さと知能について正面から捉え『愛と愛情』の違いを表現するまでに昇華させた傑作です。チャーリイが辿る人としての在り方は、涙なくして読み終えることはできません」 【ウノーさんおすすめ度★★★★★】 ・サノーさん、ウノーさん読書会 ウノーさん(以下サ):前半は、作者のダニエル・キイスさんと主人公のチャーリイ・ゴードンとのシンクロ率が半端ないです。 サノーさん(以下ウ):まあ、この作品のアイデアが浮かんでから、綿密な取材を行ったみたいだから、リアリティは凄いな。 ウ:この本が売れ始めた当初は、チャーリイのモデルが実在している、とか、あの文章は知能障碍者に書かせたとまで言われたみたいです。それほど、序盤の告白文や日記についてのインパクトがあります。 サ:文学という観点からも驚きだよな。英語版を眺めてみたけど、暗号としか見えなかったし。こりゃ、どうなるんだろうと思わせるほどの、筆の冴えがある。 ウ:ほぼ「イタコ」ですよ。作者のキイスさんにチャーリイが憑依したとしか、思えません。 サ:主人公が憑依しているかのように書く人は、珍しくないだろう? ウ:いえ、この作品では「幼児並み」の知能しかない32歳・男性になりきっているんですよ!性別や国籍の違いより、難易度は高いと思います。 サ:そうか?医学データや取材からできなくもないと思うが。でもこの本が尋常ではないレベルに達しているは、いろんな国で称賛されていることからも確認できるな。 ウ:そうですよ。でなければ「名作」として扱われることはありません。 サ:ストーリー自体は、よくある「ロボトミー」ものなんだよな。生まれつき知能発達機能を欠いた主人公が、医学によって脳をいじられてスーパーマンになると。ある意味、アメコミの王道ではあるわけで。 ウ:うーん、サノーさんは、そこから入るんですね。この作品のそういう側面は認めるにしろ、書かれているテーマは「愛と愛情」なんです。ただ、これは物語の後半ですね。 サ:そう、前半は「医学が、人格や知能、はたまた知能という土台から発生する知性にまで影響を及ぼすのか」の仮説がSFチックに描かれている。 ウ:読んでいて、ちょっと嬉しくなるのが前半ですね。いままで虐げられていたチャーリイが、どんどん賢くなって、周りの人も認めざるを得ないスーパーマンへと進化するわけでですから。 サ:そのイキイキとした描写、「明るい知性の世界」が後半には反転するわけだ。 【了】 ・サノーさん一言コメント 「人の知性が急激に高まると、感情はどうなるのか。周囲の変化に対する適応が、本来の能力に準じていなかったとした時に生じる矛盾と葛藤について、克明に描かれた傑作」 【サノーさんおすすめ度★★★★★】 ・ウノーさん一言コメント 「チャーリイは、どこに行こうとして、どこに行ったのか。それを描き切ることによって、人間に沸き起こる『愛とは、愛情とはなにか』を描き出した不朽の名作」 【ウノーさんおすすめ度★★★★★】 ・サノーさん、ウノーさん読書会 ウノーさん(以下ウ):アメリカで話題になった当初は、エンディングについて、様々な意見・批判が寄せられたようです。やっぱり多かったのが「チャーリイに希望はあるのか?なぜ、障碍者を貶めるのか」という抗議だったみたいですね。 サノーさん(以下サ):そりゃ、そうだろう。アメコミでは一度スーパーマンに変身したら、その能力が一時的に奪われたとしても、復活して悪をやっつけるのが定番だもの。 ウ:正直、この物語は私たちの「痛いところ」を突いているんでよね。好きな相手に対して感じているのが「愛」なのか「愛情」なのか。その違いはあるのか、あるとしたら、なにが違うのか?その質問を作者はチャーリイという分身をつかって、私たちに問いているのだと感じました。 サ:まあ、そう読めないこともないよな。「人類の希望ともいうべきサンプル」となったチャーリイが悩み、苦しむのも、その「愛」という無形の定義が「高度に発達した知能」でも理解できなかったわけで。 ウ:そうですね。いきなり天才になってしまったからこそ、常人では必要のない問いや疑問が重くなるのです。彼にとっては「愛と愛情」の問いを明かさなければ、幸福は訪れないと思わせる根拠が、そこにはあったのですから。 サ:チャーリイは結局「幸福」になったと思うか、この質問も、作者がこの本に込めた想いだよな。 ウ:というより、人における「幸福とはなにか」を一回考えてみたら、とチャーリイは言っているのだと感じました。 サ:そうだな、人における幸福は、その人それぞれに全て違う、そんな当たり前なことを、みんな忘れて暮らしているからな。 ウ:チャーリイは「幸福」だったし、これからも「幸福」であり続けるんです。それは、彼の知能やそこから発生する知性が決めることではなく、彼自身のもっと深いところ、強いていうなら、彼の「魂」がそうしてるから、としか現時点では言えません。 サ:過去の哲人たちも、似たようなこと言ってるしな。 ウ:この作品は、チャーリイの生き様に涙する物語だけではないと思います。もちろん、その楽しみ方を満たす物語ではありますが、一歩踏み込んで考えてみるのも、この小説の楽しみ方だと思います。「最近、泣けなくなった」と思う方には、ぜひ、読んでいただきたい名作です。 【了・全体オススメ度★★★★★】 | ||||
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私、初っ端から泣いてました。 なぜかは分かりません。 そして終盤から涙が止まらなかったです。 悲しいのか寂しいのか怖いのか、、、 理由は分かりません。 そして最後のページを読んで、泣き崩れてしまいました。 それでも自分が何に泣いているのか、頭の悪い自分には分かりませんでした。 悲しいのか寂しいのか怖いのか それとも感動しているのかホッとしているのか、、、 最初の方は、音読してでも一文字一文字丁寧に読んでほしいです! そして終盤は一気に読みほして欲しいです!! | ||||
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この本の不思議なところは、主人公であるチャーリイ・ゴードンに深い領域で感情移入してしまう点であろう。 もはや彼が私で、私が彼であるかのような錯覚すら覚える。 それもその筈で新しいチャーリイの人格は以前のチャーリイの人格とは別物で、そこらにいる人間と大差ないからである。 だからこそウォレンで製品をつくる知的障碍者に「すばらしい」と嘘をつき、前のように戻りたくないと願ってしまうのだ。 私たちは知能は発達しているが感情の面では未発達である。 以前のチャーリイにあったような純粋さを、知恵をつける過程で忘れた私たちもまた、「欠けた人間」であると言えよう。 そのことに気づかせてくれた本書はとても良い本だ。 そして知能が低下する前に、そのことに気が付くことができたチャーリイはどんな人間より価値のある、尊ぶべき考えに至ったのだ。 「私は自分の肉体以上のもので彼女を愛した」 心の充実が、真の充実であることを彼は最後に知ったのだ。 | ||||
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素晴らしい。あとがきも是非読んでもらいたい。 | ||||
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私自身は,翻訳で読み,英語力がついてからは原文で読んだので,紙の文庫本は捨ててしまいました。 母が再読したいと言うので購入しました。 急速に知能が向上し,しかし燃え尽き落ちてくる。 最後に知的障害者の教室へ,先生のもとへ帰ってくるシーンで泣かない人はいないでしょう。 | ||||
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読了した後に、とびら(?)にある、プラトンの「国家」の洞窟の比喩を見て、うーん、と唸りました。 | ||||
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主人公の日記という形で描かれています。 IQの低い状態の主人公が書いた部分は、わざとひらがなや誤字を多くしていました。表現の一種なのでしょうが、正直読みにくかったです、、。 内容に関しては、人間の内面性について考えさせられる作品でした。 主人公は知能が上がるにつれて、世界を正確に解釈することができるようになりますが、それに伴って葛藤することになります。 より深く物事を知れば、葛藤も増えるということが主人公の心理変化を通して描写されていました。 また、天才に変貌した主人公が、昔の彼にあった優しさや思いやりを失ってしまったと恋人に指摘される場面も印象的でした。 さすが名作だけあって、読み終わった後も非常に考えさせられる作品でした。 | ||||
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時代的にはロボトミーなどの精神外科が存在した時代の作品です、 ロボトミーはヒトをヒトたらしめる前頭葉におでこからメスを入れてぐるりと一周切り離すと統合失調症の陽性症状が消失するということで大昔絶賛された「精神外科」の術式のひとつですがおとなしくなるのはあたりまえでヒトをヒトたらしめる前頭葉を切り取ってしまうのですから知能は中卒レベルの私でも「’そりゃまずいんじゃないかな…」と思うほどの外科手術ですが米国映画「猿の惑星」や「カッコーの巣の上で」などで映画ネタとして多用されていました、さすがに今はみかけませんが またマウスからチンパンジーなどをとばしていきなり人体に適用するなどSF的には突っ込みどころはありますが泣かされました 糞尿にまみれて身動きしない末期アルジャーノンにチャーリー・ゴードン氏の姿が重なるのです そんなこまかいことはよくて日本語訳がうまいし最後の一行を書き終えた後のチャーリーの行きつく先をアルジャーノンの経過と比較して考えると可哀そうで涙ふたたびですね | ||||
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オススメしたい小説って調べたら、この小説が挙げられていて、 思わず手に取りました。 物語は知的発達障害の奇跡。 本当にフェニルケトン尿症なんでしょうか。奇跡の手術。 知的発達障害の32歳が目覚める、芽生える、飛翔する。 人間の世界が劣等感と優越感に支配されていることを 理解する。自分の能力が飛躍して行くことと、自分の記憶の 意味を知ることと、愛が欲しかった自分がいたことを。 「おまえがこのぼくをあの手術台に連れて行く前だって、 ぼくはそんざいしていたんだ!」 「ほくのことを自慢して近所の人に話してやれるんだ。 お客さんが来たときにぼくを地下室に隠さなくたっていいんだよ。 何か言ってよ。なんでもいいから話してよ、…」 「そういうわけでしからぼくわりこうになるようにがんばれば またああいう気ぶんいなれるとおもう。いろんなことをしることや りこうになることわいいことです世界じゅうのことを全ぶしりたい とおもう。いますぐまたりこーいなりたいな。すわって一日じゅう 本が読めたらいいな。」 そして最後の一文。 チャーリーはずーっと子供だったんですね。友達が欲しくて、 愛情が欲しくて、りこーになりたい子供だったんですね。 急激な成長がもたらした悲劇と、急激な衰えがもたらす切なさと、 それでもアルジャーノンを思うくらいの愛しさと。 100点x3。 お読みください。 | ||||
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