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ギフテッド
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ギフテッドの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全4件 1~4 1/1ページ
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読み終わった瞬間、 「この人凄い、この人凄い!天才だよ」と つぶやきながら著者略歴を凝視していました。 主人公は生きづらさを抱える超高学歴女性。 アスペ傾向の姪の中学受験に伴走することになった彼女が、 規格外の個性が世の求めに適応することの是非を問いながら、 自分らしくあるための答えを見つけていきます。 考えさせられる作品でした。 浮きこぼれの子の感性に寄り添える大人がいることが どれだけ救いになるか実感しましたね。 理解されにくかった姪と主人公の間に芽生える絆。 それが最後に活きてくる展開。 素晴らしかったです。 標準から外れた個性を特別扱いせず、 尊重する世の中にしないといけないと切に思いました。 特異な才の子の受験に寄り添うだけの話と誤認して、 今の今まで後回しにしていた自分が情けない・・・ 幅広い層に薦めたい逸品です。 (対象年齢は13歳半以上かな?) | ||||
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主人公の高学歴の伯母が中学受験に挑む姪の勉強を見ながら、生きづらい世の中ながらお互いに少しずつ成長していく物語です。ありがちな受験苦労話ではなく、家族の秘密や環境うちわけ話でもなく、「頭のいい」「悪い」による精神発達史でもなくさまざまなテーマが埋め込まれていて最後に収束される過程が見事です。 ほぼほぼ伯母と姪の会話なので前半は多少ペースが遅いのですが、「頭のいい子はマイノリティー」から生じる「(周囲には)わかってもらえない」感は大昔に読んだ「次郎物語」の令和版の趣きです。 そしてなんといってもラストでの姪と伯母の一歩を踏み出す勇気に感動させてもらいました。 | ||||
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タイトルのギフテッドとはネットで調べると、「生まれつき突出した才能を授かった人」のことを指すとのことで、本書ではそのような才能に恵まれたギフテッドをどのように描くのか興味を惹かれて手に取った。 主人公の凛子はT大卒(日本の最難関大学と思われる)だが、就職氷河期に入社した会社に馴染むことができず中途退社して、現在はフリーランスで生活している。凛子の妹には3人の子供がいてとても仲が良いが、凛子が長女の莉緒の中学受験の家庭教師を引き受けるところから物語は動き始める。 本書では、ギフテッドは知能指数が高く優秀な一方で、社会の既存の枠に収まらず、規範から外れる行動を取ることが多いので、型にはめようとする日本の社会構造や教育システムにはうまくはまらないことが描かれている。 なかなか面白いテーマで最後までそれなりに楽しく読むことができたが、一つ残念だったのは、ギフテッドとされる莉緒がそこまで突出した才能や特異なキャラクターを有しているとは思えなかった点で、読み終わると普通の家族小説であるような印象が残った。 | ||||
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この本では、「ギフテッド(Gifted)とは、生まれついての脳の機能として、深く学び、深く考えずには いられない子ども」であり、人口のおよそ2%がギフテッドに該当すると書かれています。 この分野の研究が一般的に注目され出したのはここ数年なので、学術的な才(勉強ができる)に限るのか、芸術的、あるいはスポーツなどの才能までカバーするのかによって、捉え方が変わってきます。 この小説は、生来の学術的な才能を持つ子どもとその伯母(こちらが語り部で、おそらく日本で最高峰の 大学卒)の目を通して、ギフテッドの苦悩と可能性を描いています。 もし自分の子がギフテッドだったら、身近にギフテッドがいたら、まず直観的にその子と親を羨ましい と思うのではないでしょうか。 だけどもギフテッドが天賦の才よりも努力によって学業成績優秀者になっている「秀才」ではなく、 好むと好まざるとに関わらず、「深く考えずには”いられない”」、「世の中の様々なことに疑問をもち その解を追求せずには”いられない”」特性を生まれながらに与えられているとしたら、果たしてその子 は幸せなのだろうか? その子もそうだし、その子の才能を理解できない親にとって、ギフテッドを育てることはどこまで困難 なことなのだろうか?と思わずにはいられません。 そんなことを考えさせられる小説です。この問題提起を学術書ではなく、小説として表現しているとこ ろが慧眼ですし、作者の意図は成功しています。 この本の問題提起はそこに留まることなく、学校教育のあり方にも矛先を向けています。 学校は、さまざまなものが「標準」に合わせて設定されている 平均値から遠くなるほど、「同じでない」という疎外感が強くなる ギフテッドだけでなく、正規分布にするならもう一方の標準外に位置する知的障害を持つ子どもにも 同じ苦悩があるでしょうし、難しいことに発達障害と「診断」される子の中には、知的機能が低い子 だけでなく、知的機能が「高すぎる」ゆえの異常で発達障害と診断されている子もいます。 著者の問題提起は、子どもと学校のあり方を問うていますが、日本社会に漂う閉塞感の一つの要因は 大人社会の縮図である「会社・組織」においても、出る杭は打たれるというメンタリティが蔓延り、 突き抜けた才能や異才が排除されていることにあります。 この小説でそれらを見事に言い表している文章を挙げます。 ・頭のいい子はマイノリティだからね ・理解の範疇を超える存在に対しては、不気味さを感じる 解なき時代に突入している現代においては、不気味さのためにマイノリティとして扱われてしまって いるギフテッド(子どもも大人も)の芽を摘んでしまわずに、私たちの貴重な財産として適切に対応 することが求められています。 この小説に出てくるギフテッドは、ギリギリのところで周りの環境の支えや変化によって明るい方向に 進む姿を見せてくれます。それが救いです。 ギフテッドでない「標準」の私たちにできることは、「標準から出ている人」への寛容だと気づかさ れる小説です。 | ||||
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