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闇の奥



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闇の奥の評価: 3.94/5点 レビュー 83件。 Eランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.94pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全83件 41~60 3/5ページ
No.43:
(3pt)

期待通り

講義テキストとして購入。乱丁等もなく、値段も手頃で求めやすかった。
闇の奥 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (光文社古典新訳文庫)より
4334751911
No.42:
(3pt)

まだです

販売先の対応は良かった!
大人買いした中の一冊でまだ読んでない!
闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)より
4003224817
No.41:
(3pt)

後追いの翻訳

最初にある作品の翻訳を手がけた人は大変な苦労を強いられる。次に同じ作品を手がける人はラクだ。「アンチョコ」があるからだ。中野好夫氏の翻訳力には定評がある。なにしろ日本語がずば抜けて素晴らしい。その翻訳文が少々原文と違ったからと言って大騒ぎすることはない。原題の「The Heart of Darkness」を「闇の奥」と訳したのは中野氏である(heatと書いた人もいたが、そんな人はレビューを書く資格がない)。後追いした翻訳家が、なぜ同じ邦訳をつけたのか。なぜ、自分でもっといい邦題を考えようとしないのか。「The Catcher in the Rye」に野崎孝さんは「ライ麦畑でつかまえて」という見事な邦題を考え付いた。後追いの村上春樹氏は、(野崎氏のタイトルをそのまま使うわけにいくまい、と思ったのか)仕方なく「キャッチャー・イン・ザ・ライ」と逃げた。ことほど左様に、翻訳論は難しいのである。
闇の奥 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (光文社古典新訳文庫)より
4334751911
No.40:
(4pt)

é-‡ã®å¥¥ã‚'è¦-く

この本の前に読んだもの
山崎ナオコーラ カツラ美容室別室
川上弘美 蛇を踏む
姜尚中 在日

倫理的な点では、神は禁忌の象徴だろう。(存在に関しては起源且つ保存であり、認識に関しては構造だろう。)

光と闇、自制、孤独、人生と謎、語りと声

◉語り
・語りの原風景
語りと声は、見聞きしたものを伝達することの象徴。伝達には夾雑物が混じる。それに対して、真実や真理は恐らく西洋にあっては啓示によってもたらされる。この本では、真実や真理を疑う、或いは、真実や真理といったものを説くことを疑っているように思う。

・批判
批判的態度が根底にある。批判には知識と判断が必要。この本の語りの曖昧さには、読者への批判的態度の喚起を求める意図が見える。登場人物の意見を鵜呑みにせず、筋の収まりによるカタルシスだけに留めないように、物語は曖昧さを含ませている。

・語りの重層
現在の船上→マーロウの語り(過去、ベルギー→コンゴ)→マーロウの語り(現在と過去の間、イギリス)
物語のクライマックスはコンゴでのクルツとの邂逅と救出(?)だろう。なぜ、婚約者が登場するか。2点あると思う。クライマックスによるカタルシスで終わらせないこと、生きることの肯定。
語りの重層化は、歴史を暗示する。確か19世紀後半は植民帝国英国に翳りが見え出した頃だろう。英国大帝国もローマから続く彼の地の歴史的一過程だ。国家という既に与えられているものも、内部から、或いは、外部から、若しくは、その双方からの変革によって変わってきた。このような見方は、コンラッドの経歴に適うように思う。

◉主題
・人格の部分としての要素での共鳴と、共鳴の無さによる狂気
対比として鮮やかなのは、クルツの狂気と、黒人の操舵手助手の親密さだ。クルツは密林でミニチュアの帝国を築いたが、孤独のなかで狂気に陥った。一方、黒人助手は、空腹に苛まれながらも、言わば協働によってマーロウとの関係を築いた、もしかしたら、助手はマーロウを護ろうとして倒れたのかもしれない。

・生の生活
生の感覚や生きる支えは、現実の生活の肯定を示す。

船上生活と車座の語りは、上の二つを象徴する。

◉今日の意義
すぐに思い付くのは、科学・進歩への批判だ。冒頭の「一種の光」はクルツの叫び「恐ろしい!」だろう。安閑な生活の裏や、内側に恐ろしさは巣食っている。偉大な信条の陰や、安泰な生活の奥に隠されている気がする。
闇の奥 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (光文社古典新訳文庫)より
4334751911
No.39:
(4pt)

引き込まれるような小説

最近の嫌韓ブームに影響されて、韓国関係の本をいろいろ読みました。
在日韓国人が強制連行の結果、日本にいるというのはデマでく、密入国者だったんですね。だまされていたという気持ちでした。
以降、単なる嫌韓本だけでなく、アイルランド・アレンの「THE NEW KOREA―朝鮮(コリア)が劇的に豊かになった時代(とき)」や、イザベラ・バードの「朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期」を読んだりしたのですが、明治時代や江戸時代の朝鮮は、今のソマリアのような未開の土地だったんですね。
偏見は良くないという論点以前の問題として、真実を知らねば。

で、行き着くところ、今は、19世紀の欧米の植民地支配の本に興味を持つようになって、この本を見つけ出して、読むに至りました。
「地獄の黙示録」という映画はこの小説を下書きにしたのでしょう。
コンラッドという作家の名前は聞いたことがありましたが。初めて読んだコンラッドの本でした。
決して政治的な小説ではなく、私小説的な、引き込まれるような感じ。
付録の解説も良いので、ぜひご覧あれ。
闇の奥 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (光文社古典新訳文庫)より
4334751911
No.38:
(5pt)

政治的判断を抜きにして読んでほしい名作

本作『闇の奥』(1902)は政治的見地、いわゆるポストコロニアリズム以後の視点からいろいろ議論されています。もちろん著者ジョゼフ・コンラッド(1857 - 1924)が同時代の帝国主義や白人至上主義を乗り越えていた、あるいは逃れらなかった、という指摘はどちらにも一理あるでしょう。
けれど、それらはともにコインの表裏であって、結局どちらも「西欧」を基準とした読み方でしかありません。くわえて、そのような議論は本書を、現在の視点で過去を裁くための政治的なテクストに還元するため、読者は教条主義的な読みを強いられ「物語」から遠ざけられてしまいます。

それではあまりにもったいないし、本作は単純にひとつの小説として優れています。透徹した眼差しと卓越したレトリックによって紡がれる情景や心理の描写には、何度もため息をつかされます。

作中のテーマである「闇の奥」そのものは間接的に描写されるだけだし、語り手マーロウの矛盾した態度についてもどう解釈するか議論を呼んだようです。ですが逆に言えば、それらは物語として開かれていることを意味します。本書のメッセージをどう捉えるかはすべて読者に委ねられているのです。
そして本書の形式は重層的で、アフリカ遠征の経験についての語り手「俺」(マーロウ)の体験談が、地の文の語り手「私」によって読者に伝えられます。すべては一人称である “I” =「俺」=「私」という主観からしか語られません。語り手 “I” を信用するか否かも、 “I” =コンラッドと解釈するか(すなわち “I” の政治的な偏向をコンラッド自身のものととらえるか)も読者次第なのです。

人間の持つ善悪や矛盾を「白」か「黒」かのわかりやすい図式に貶めず、不明瞭なままにしか提示しえなかった著者コンラッド。それが政治的に「正しい」のか「間違っている」のか自分にはわかりません。それでも、そうした姿勢こそ、複雑なものを複雑なまま受け入れることのできる、ゆえに己のためらいや葛藤を認めることのできる彼の知性のあらわれなのだと思います。
どうか先入観を持たず、ひとつの小説として読んでください。政治的判断はその後でもかまわないはずです。

本翻訳からは、マーロウの饒舌な語りを日本語で再現しようとした訳者の苦心の跡がうかがえます。仮に本書を読みずらいと感じる方がいたとしても、それはコンラッド自身の回りくどい表現を訳者が原文のリズムに可能なかぎり忠実に訳しているからだと思われます。たとえば

“The rapids were near, and an uninterrupted, uniform, headlong, rushing noise filled the mournful stillness of the grove, where not a breath stirred, not a leaf moved, with a mysterious sound”

「近くに川の早瀬があるらしい。猛然と迸る水の、途切れることのない単調な音が、木立の中の、そよとも風が吹かず、一枚の葉も動かない、死を悼むような静まりを、不思議な響きで満たしている」

を比較すると、翻訳するさい文章を短く切ったり「超訳」することなく、原文のリズムを日本語に移し替え、なおかつコンラッドのもってまわった言い回しを最大限わかりやすく訳そうとしていることが伝わるのではないでしょうか。
闇の奥 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (光文社古典新訳文庫)より
4334751911
No.37:
(5pt)

闇の奥の正体

さすが古典名作。読み応え120%だ。だが一番おぞましかったのは、悪霊にとりつかれたようなクルツでも気のふれたような蛮人たちでもない。悪党どもは常に存在する。だが、悪党クルツを英雄視し慕う人々、特にその虚像を信じて疑わない彼の妻と、彼女に最後まで真実を明かさない語り手の主人公自身だ。悪党を慕う連中や真偽を明かさない連中こそ、人間の闇を深くする根源そのものなのだ。「月と六ペンス」でもそうなのだが、自らすすんで虚偽に生きる連中ほど、救いようがない部類の人間はいない。神によって最後の審判の日が定められてるのは、こういう理由からだろう。聖書の言うように、真実はいつかは全部暴露される。主人公は真理を証すべきだった、結果がどんなことになっても。闇からの唯一の脱出口だったのに。
闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)より
4003224817
No.36:
(5pt)

闇の奥の正体

さすが古典名作。読み応え120%だ。だが一番おぞましかったのは、悪霊にとりつかれたようなクルツでも気のふれたような蛮人たちでもない。悪党どもは常に存在する。だが、悪党クルツを英雄視し慕う人々、特にその虚像を信じて疑わない彼の妻と、彼女に最後まで真実を明かさない語り手の主人公自身だ。悪党を慕う連中や真偽を明かさない連中こそ、人間の闇を深くする根源そのものなのだ。「月と六ペンス」でもそうなのだが、自らすすんで虚偽に生きる連中ほど、救いようがない部類の人間はいない。神によって最後の審判の日が定められてるのは、こういう理由からだろう。聖書の言うように、真実はいつかは全部暴露される。主人公は真理を証すべきだった、結果がどんなことになっても。闇からの唯一の脱出口だったのに。
闇の奥 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (光文社古典新訳文庫)より
4334751911
No.35:
(5pt)

心に残る名作の一つ

西洋とアフリカとの出会いが生々しく描かれていた。コンゴ川を遡り、奥地に入っていくことが「闇の奥」に入ることではあるまい。<他者>を理解不可能だと思い、<他者>から奪い、抹殺しても良いとさえ思うようになる人間の心こそ、「闇」であることを感じさせられた。クルツの叫びは今の時代にも尚、こだましているものだ。
闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)より
4003224817
No.34:
(4pt)

爆弾の雨が降ってくるみんな逃げ惑っている、日米戦争中です

フランシスフォードコッポラ監督の映画地獄の黙示録の原作本です、確か当本の解説者の解説に当時のベルギーの王はコンゴの原住民を数百万殺した、イギリスでもそれほどしないとあり、また当時南アフリカでは先に入植したオランダ人と後に入植したイギリス人との戦い、ボーア戦争もありました、ヒトラーは読書家でありナチが行ったジェノサイドはそのベルギーの王レオポルトが行ったコンゴの虐殺の史実からヒントを得たのかもしれない。
闇の奥 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (光文社古典新訳文庫)より
4334751911
No.33:
(5pt)

ロシア人「道化」の意味

『闇の奥』は難解な書物であるといわれてきた。その責任の大部分は、50年余り唯一の翻訳にあぐらをかいてきた中野好夫(と岩波書房)に帰すだろう。その誤った評価が本書によって覆されたのは嬉しい。今でも中野本を「格調が高い」といって褒めそやす御仁がいるが、「ではその内容は?」聞くと、きちんと答えられない人が多い。「判らない故に貴い」が読書態度だとするのは滑稽だ。
 中野本は誤訳と言うよりは、独りよがりな解釈に基づく誤解が多い。「パリ」の例は可愛いいが、クルツが埋葬された後の簡単な原文:”And then they very nearly buried me” を『そしてそれと同時に、僕自身もほとんど墓穴の中の人間同然にされてしまった』としているのは噴飯ものである。本書は「そしてこの俺も、もう少しで死んで埋められるところであった」である。クルツが死んだ後、マーロウも重い病に冒され生死の縁をさまよった。というだけのことが、中野本では、マーロウは「社会的に葬られかけた」ことを暗示していると解釈でき、ますます混乱してしまう。
 『闇の奥』はマーロウが遊覧帆船の上で潮待ちの退屈な時に、昔話をとりとめなく語った物語に過ぎない。そんなマ−ロウの話し言葉に、本書の口調は良く合っていると思う。マーロウの語りの判りにくさの一つは彼の饒舌と、もう一つはどう語るべきかで戸惑う彼自身のもどかしさにある。それを解いてやるのが読書行為である。マーロウの発言を注意深く再構成してみれば、彼の言いたいことは全部提示されているのが判り、難しいことは何もない。「難解」という人は、ただ読みかたが足りないに過ぎない。

 さて『闇の奥』の問題点を挙げれば次の4点だろう。
A知識人のクルツが、その「理念」を掲げて踏み込んだアフリカ奥地でどうして“変身”してしまったのだろう
Bマーロウは、そんなクルツをどうして「すごい人物」と評価するのだろう
Cロシア人の若者は、どうして「そこ」にいるのだろう
D嘘をつくのが大嫌いなマーロウが、クルツの婚約者にどうして嘘をついたのだろう。
 このうちABDについては多くの批評家たちが言及し、それによらずとも、アフリカ奥地のとてつもない「闇の深さ」とヨーロッパ文明の「闇」を相対化しているマーロウの視点から、結果は異なるとしても、読者それぞれの解釈と批評が可能だろう。残るCだが、彼に言及している批評は少なく、あったとしても「クルツを語る舞台廻しの役割」と素っ気ない(石清水由美子『闇の奥』の註)。しかし私には彼をとても興味深く感じられる。
 マーロウが「道化harlequin」と呼ぶロシア人はクルツとは好対照である。この青年は「絶対的に純粋で、打算のない、実利とは無関係な冒険精神」で、少しづつアフリカ奥地を進み、「どうやって引き返すかわからない所まできてしま」った。それでいて、全く戸惑っている様子はない。彼にはクルツのような「宣教者」精神でもなく、といって同時代の探検家スタンリーのような利権獲得精神でもない、ヨーロッパ精神の原点にある未知への好奇心がある。クルツとの出会いで、ヨーロッパ文明の真髄のような教えを享受されて驚嘆しても、「僕は単純な人間で、偉大な思想なんてありゃしません」と西欧人の優越感に犯されることもなく、僕には原住民の友だちが「たくさんいますよ。彼等は単純な人たちです。−僕は何も欲しがりませんからね」といって、密林の奥に戻って行く。彼はこの先も原住民たちと平等に接し、仲良く暮らして行くのだろう。ここは本書の唯一の「救い」となっている。
 近年『闇の奥』を人種差別的あるいは植民地主義的だとして非難する傾向があるようだ。興味深いことに、辛辣なエドワード・サイードは、「祖国喪失者」としてのコンラッドに思いを馳せ、『闇の奥』には不十分であるが、帝国主義の動揺と「闇の」自律性が描かれていると評価する(サイード『文化と帝国主義』第1章)。これに対して藤永茂はチヌア・アチェベを引き合いに出しながら、コンラッドは帝国主義者だったと断定している(藤永『私の闇の奥』)。第三世界の眼で見れば、西欧古典文学の全てからレイシズムを指摘できることに、理がないわけではない。これらの論争に私の浅学をもって切り込んでいくのは気が引けるが、私見では『闇の奥』はロシア人の登場で、西欧人の「もうひとつのあり方」を描き出しており、コンラッドが決してレイシストやコロニアリストではなかったことを証明していると思う。
闇の奥 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (光文社古典新訳文庫)より
4334751911
No.32:
(4pt)

アフリカが注目される今、ちょっと読んでみては?

今又違う意味でアフリカが注目されているが・・・アフリカを考えあるときに
是非、一度は読んでほしい古典的な本かな?特に若い人に・・・人の心の闇も同時に
考えさせられる本。
闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)より
4003224817
No.31:
(4pt)

別名「古典誤訳文庫」

翻訳家はlaunchedを、運動(移動)でとらえるが、静止状態のものがアクティブになる、
電源が通って生きた状態になるの意味もある、
「宇宙の中を飛ぶ音」はいくらなんでもひどい、
ここは「地球の大地に血脈が通うすさまじい流れが音になったかのような」くらいの意味

「真実を語っていなかった」と逆にした、というが、
ここは原文どおり、「語っていた」が正しいはず
in his lifeだから、著書は「生命の短さ」に言及している
翻訳家は体が大きいから筋が通らないとするが、「彼の生命線は名前のとおりに短い、(だがbut=原文になし)体は大きい」という意味で、単に対立概念を提示しているだけ、翻訳家の解釈が正しければ長命となり、矛盾が生じる、実際には過去を回想しながら全篇をつづったこの作品で、この時点ですでに彼が途中で死んだことがわかっている、「生命の短さ」と考えるのが妥当

「どんな経験であれ…」ここの解釈はほぼ正しいが、訳文がおかしい、「任意の時点」「ある時点」というより、「特定givenの時点」については時間を隔てて伝えるのは不可能、という意味になるはず、翻訳家の訳文は限定抜きで「どのときの経験も全部、経験というものは等しく伝えるのが不可能」としている、コンゴ川を遡って人を救出するという特殊任務の時点と、その他の時点が、同じように不可能ではないはず、このgivenはspecificに近いと考えられる

「艀に」は、どちらでもいいと思う、ただ、翻訳家は筋が通らないから、とするが、「筋が通らない」文章は小説の大事な要件の一つで、通らないことから(通るように)組み立てるのが読者側の醍醐味でもある、また、明確に映像化した後(イメージが小さくなるので)その映像を制限するのは小説家が使う常套手段、これは「(作品が)あいまいな表現方法をとる」というのとは違う、「いっそう不可解だ」と理由付けするが、この作品に不可解さは大切なので、著書は不可解なままにしてほしかったかもしれない(「波打ち際」もいらないかもしれない、ということ)

「俺も、もう少しで死んで…」ここは余計だと思う、「俺もクルツと紙一重の運命だった」くらいでちょうどいい、「熱病が原因」かどうかの特定は不要、むしろ読者側の選択肢が増えると不安感が増すので、「彼らに殺されたかもしれない」「病気で死ぬところだったのかもしれない」と二つ残すほうがよかった、「意図的な曖昧さ」というのとも違う、このあたりはむしろコンラッドの筆の勢いが直感でそうさせている

「白く塗った墓の町」これは著書が「ある都市」としているので、特定してはいけない箇所、ブリュッセルではない、翻訳家はここでも論証を企てるが、これはあくまで小説、マーロウはコンラッドではない、どこでもない都市が通用する世界だ、ここで繰り広げられるカフカ的なやりとりは非常に興味深い、水を差すのはさけたいところ、もちろんパリでもない

「魔境wilderness」は単にwild、まず第一に「野生」ではないだろうか、翻訳家は漱石の「草枕」を例にとるが、この作品ではあくまでキリスト教的な価値観と対峙するwildernessを念頭に置いている、キリスト教の教化の光が届かない地帯、つまり実際の場所と精神的なwildernessの両方を指している、と思われる、場所が強ければ「ジャングル」、精神的な存在であれば「野生の精」、場合によっては「暗黒」にもなろう、「魔境」は子供向けの冒険小説のきらいがある

会話は既訳よりも勢いがあっていい、小説自体は面白いのでお勧めできる
闇の奥 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (光文社古典新訳文庫)より
4334751911
No.30:
(3pt)

やっぱり原文を読むしかないのかも

黒原氏の訳本を読んだ。読んでいてイメージがわかない場面があり、試しに原文と照らし合わせてみたら、「誤訳かな?」という箇所がいくつかあった。
確かにコンラッドの英語は読みづらく、何を言っているのかわからないところがある。それが意図的なのか、英語母語話者でない彼の限界だったのか・・・。
その上、話もなんだか複雑であり、登場人物たちの状況が見えなくなるところもある。
黒原氏としては、できるだけ今の時代を生きる日本人にとって読みやすい訳を、と心掛けたようだが、そのように気配りをして訳してもなかなか難しい作品なのだなあと思った。
時間があったら、がんばって原文で完読してみたい。そうしたら、また違ったメッセージや雰囲気をもつ作品になるのかもしれない。
闇の奥 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (光文社古典新訳文庫)より
4334751911
No.29:
(3pt)

悪夢の川移動シリーズ

私はヘルツォークの『アギーレ』→コッポラの『黙示録』の順で本書に辿り着きました。

原文が非常に難解で訳文もちょっと分かりにくい、というのを差し引いたとしても他の方の
レビューのように読み込むことはできませんでした。私、読解力が低いな…(涙)
正直、よく分からない心理描写や表現はすっ飛ばしました。
もしかして光文社文庫の新訳の方が読みやすいのかな…?

だけど、話の筋が単純なようで、あまり掴みどころがないんですよね、この作品。

クルツを獲られてしまうのではないか、との恐れから襲撃してくる人びとのシーン。
この流れは『黙示録』にもありましたね。
もしやデニス・ホッパーの役は、ロシア人の若者が元ネタか…?
個人的にはクルツの許嫁が、マーロウにクルツの最後の言葉を訪ねるシーンが印象的でした。
世俗的な文明世界にいることを露とも疑わない人びと、
そしてその文明世界を支えている、文字通り悪夢のような世界を見てしまった自分との、大きな隔たり。
一瞬自分がマーロウになった気分になり「あぁ…」と項垂れたくなった。

私はコンラッドのことをよく存じませんが、映像化されたり後世の作家に影響を与えたりと、
かなり存在感のある作家なんですね、驚きました。
そういう意味でも何かしらあらゆる表現者の意欲を揺さぶるのなら、
またいつかチャレンジして、作品を噛み砕けるようになりたいです。

追記
『黙示録』の撮影時、コッポラがマーロウに「撮影前に原作読んできてーな」と言ったのに
マーロウは読んでこなかったとか。その気持ち、今ならちょっと分かるかも。
闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)より
4003224817
No.28:
(4pt)

闇の奥の奥の奥へ

『闇の奥』とはよく訳されたタイトルで(原題は"Heart Of Darkness")、本当にタイトルの通りの小説。
ページをめくるごとに闇の奥へ奥へと進んで行く。まるでディズニーランドの”It's a small world” の両河岸がものすごい悪夢みたいなよう。
悪夢から、悪夢、さらに悪夢へと途切れることなくボートに乗って進んでいく。スタート地点ですでに黒人奴隷のゴミ捨て場だ。
闇にももっと暗い闇がある、黒にももっと黒い黒があるのである。

アフリカの奥地で狂ってしまったクルツを特異な例と片付けていいものだろうか、
否。会社の利益のため、仕事のために魂を売る人間はごまんといるではないか。

「人間の中には、道を踏み外すことさえできないほどの馬鹿もいれば、闇の力を意識することさえできない鈍感なやつもいる。
 馬鹿が悪魔に魂を売った例はない。そして、僕らの大多数の人間というのは、馬鹿でもなければ、聖者でもないのだ。」

という語り部の痛切な叫びがぼくの心の闇に響いた。
闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)より
4003224817
No.27:
(1pt)

結局、白人の書いたものだ

もう20年以上も前に「地獄の黙示録」を観て意味分からず、原作も読んだが相変わらず分からん。「地獄の黙示録」のカーツはマッカーサーがモデルじゃないかという加藤典洋の解釈も知っているが、だからどうってことはない。要するにシャーロック・ホームズものの長編が、しばしば後半は、かつてアジアで何かしたという退屈な話になっていくのと同じで、西洋人ってのはアジアとかアフリカを暗黒地帯だと思っている、としか思えないのだよね。で、それに日本人が共感する必然性はないので、単に英文学者が、西洋人の真似をしてありがたがっているだけだろう。ほら、映画でも「アラビアのロレンス」とか「キリング・フィールド」とか、アジアにおける暴虐に理性をもって対峙するのは白人である、っていう、あれと同じ。
闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)より
4003224817
No.26:
(5pt)

闇の心臓

これを読むと、大いなる「恐怖」と人間との戦いもしくは対話、というものを感じる。それは物語の系列として世界的に脈々と存在する。
 たとえばメルビルがそうだし、あるいは望月峯太郎の「ドラゴンヘッド」もそうじゃないだろうか。あるいは武田泰淳の諸作。水木しげるの自然描写もかなり怖いが、本人は怖いものを描こうとしてああなるのだろうか。
 ルポルタージュとしては、不徹底な作品だ。だが人間にとっての恐怖とか悪とかを象徴した作品として価値があるだろう。コンラッドの他の作品は、より社会を複合的に捉えたものがあり、人によってはそれらの方が良いという人もいるだろう。だが本作の、集中して恐怖を語る力もなかなかだ。
闇の奥 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (光文社古典新訳文庫)より
4334751911
No.25:
(2pt)

よくわかりませんでした

常々、古い作品は古めかしい訳文でと思っているので、新訳でなく岩波版を選びました。
しかし、薄い本なのに、読むのにすごく時間がかかる。それなのに、内容がよくわからない……。船はどうやって直ったのか? マーロウはいつから会ってもいないクルツにとりつかれたのか? あれほど期待していたクルツの「語り」ほとんど聞いてないんじゃないの?etc. みなさんは読み取っておられるらしいので、私の読解力に問題ありなんでしょうが、それだけでもなさそう。
英語の原本もひどく難しいらしいから、全面的に訳文のせいというわけではないようです。しかし、いくら原本を知らなくても、「ビールはパリだ」みたいなこと(正確に何と書いてあったかは覚えていませんが)を読んだときには、首をかしげました。
単行本の訳は読みやすそうなので、今度挑戦してみます。
闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)より
4003224817
No.24:
(5pt)

密林と言う漆黒の空間を背景に、原初的衝動を濃密な筆致で描いた秀作

「地獄の黙示録」の原案になったとされる作品。物語は船乗りマーロウの回想談として語られる。本新訳シリーズの特徴である乾いた文体が、舞台の熱帯密林の熱気とマーロウ自身の心情にマッチしている印象を受けた。末尾の"解説"も懇切丁寧。

冒頭のモノローグが本作の意匠を匂わせている。地図上の空白地帯が持つ神秘性。列強諸国がその空白地帯を征服によって暗黒の地に変えてしまう事への慨嘆。征服の醜悪さを償う文明化と言う"理念"。そして精神科医はこう言う。「個々人の精神に起きる変化を現地で観察できたら、科学的に興味深いんだが」。

マーロウの任務は、コンゴ河の河口から300kmの奥地での船長の死体の回収。熱帯密林に関する描写は微細を極め、濃密と空虚が入り混じった空気が黒く染まって読み手に伝わって来る。それと共に冷徹に語られる、虐待される原住民の姿。そして途中の出張所で聞く、更なる奥地で"象牙の国"を築いたと言うクルツ氏の噂。クルツが君臨する密林の王国は原初の時代にも似て、静寂不動の世界。その静寂とクルツの虚像の重圧に耐えかねたかの様に、マーロウの思索が次第に哲学的瞑想に陥って行くのが読み手の恐怖感を煽る。名前だけ出して、クルツ本人を中々登場させないのも巧みな演出。クルツは言葉、クルツは雄弁...。そして原住民の加入儀礼を受けたと言うクルツの元に着いたマーロウが見たものは...。粗野な筈のマーロウが時折披瀝する高邁な思想と世界観。熱に浮かされた執拗な背景描写と相まって不思議な幻想感と狂騒感が醸し出され、本作を魅力あるものにしている。原始の森と言う"魔境"が持つ「怖ろしい」力...。テムズ河も「闇の奥」へと...。

自称"文明人"への揶揄を背景に、密林と言う漆黒の空間で起こる、物欲・殺戮・狂信・畏怖と言った原初的衝動を、人間の根源的言動・心理として濃密な筆致で描いた秀作。
闇の奥 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:闇の奥 (光文社古典新訳文庫)より
4334751911

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