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闇の奥
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闇の奥の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.94pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全15件 1~15 1/1ページ
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翻訳が適しているため、読書に没入出来た。 読後感としては、いくつかの幅のある解釈が出来そうです。 中学生の時、映画館でリアルタイムで『地獄の黙示録亅を観ました。マーロン・ブランドは強そうだったけど? | ||||
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人間には開眼する、という瞬間や経験がある。 コンラッドにとってはこれがアフリカを経験したことだった。 その衝撃がコンラッドを作家として目覚めさせた。 という事らしいのですが私にはその凄さが分かりませんでした。 最も私に印象深かったのは時間の捉え方の表現です。 コンゴからから帰ってきた後の、感情の表現力が私にはもっとも印象的でした。 コンゴに居るときに起こった事象に対する感情とそこからかなりの時間経過を経た後の感情の繋がりの経過が面白かったです。 | ||||
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特になし。 | ||||
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描写が少ないためか、場面を理解することが難しかった。最後の許嫁が出てくる場面は、その情景が目に浮かんだ。 時間を空けて、もう一度、読んでみると、作者の感情を感じられるかもしれない。 | ||||
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コッポラの「地獄の黙示録」のネタ本!という伝説的で、今や遅きに失している感もなくはない有名な書物。その新訳!ってんで、個人的には初めてながら、ワクワク+ドキドキ感満載で読み始めたけど、これが、なかなか・・・・相当退屈な、モノになってしまった。 訳者は、3時間程度でさらっと読み終えることを意識して、読みやすい翻訳を心がけた!って「あとがき」に書いているけど… 既訳との差異、既訳の間違いというものを、訳者は「あとがき」で、実際に原文と照らし合わせて、相当詳しく書いていているので、これはこれで、「はい!」と納得できる。はい、確かに既訳よりは読みやすくはなっております。 速読気味に3時間程度で、さらっと読んでしまったほうがいい、そういう読み方をしたほうが面白みが味わえるのかもしれない。 村上春樹の「羊をめぐる冒険」「1Q84」にも”闇の奥”シーンが出てくるので、そちらのほうが興味津々・・・・・ | ||||
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講義テキストとして購入。乱丁等もなく、値段も手頃で求めやすかった。 | ||||
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販売先の対応は良かった! 大人買いした中の一冊でまだ読んでない! | ||||
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最初にある作品の翻訳を手がけた人は大変な苦労を強いられる。次に同じ作品を手がける人はラクだ。「アンチョコ」があるからだ。中野好夫氏の翻訳力には定評がある。なにしろ日本語がずば抜けて素晴らしい。その翻訳文が少々原文と違ったからと言って大騒ぎすることはない。原題の「The Heart of Darkness」を「闇の奥」と訳したのは中野氏である(heatと書いた人もいたが、そんな人はレビューを書く資格がない)。後追いした翻訳家が、なぜ同じ邦訳をつけたのか。なぜ、自分でもっといい邦題を考えようとしないのか。「The Catcher in the Rye」に野崎孝さんは「ライ麦畑でつかまえて」という見事な邦題を考え付いた。後追いの村上春樹氏は、(野崎氏のタイトルをそのまま使うわけにいくまい、と思ったのか)仕方なく「キャッチャー・イン・ザ・ライ」と逃げた。ことほど左様に、翻訳論は難しいのである。 | ||||
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黒原氏の訳本を読んだ。読んでいてイメージがわかない場面があり、試しに原文と照らし合わせてみたら、「誤訳かな?」という箇所がいくつかあった。 確かにコンラッドの英語は読みづらく、何を言っているのかわからないところがある。それが意図的なのか、英語母語話者でない彼の限界だったのか・・・。 その上、話もなんだか複雑であり、登場人物たちの状況が見えなくなるところもある。 黒原氏としては、できるだけ今の時代を生きる日本人にとって読みやすい訳を、と心掛けたようだが、そのように気配りをして訳してもなかなか難しい作品なのだなあと思った。 時間があったら、がんばって原文で完読してみたい。そうしたら、また違ったメッセージや雰囲気をもつ作品になるのかもしれない。 | ||||
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私はヘルツォークの『アギーレ』→コッポラの『黙示録』の順で本書に辿り着きました。 原文が非常に難解で訳文もちょっと分かりにくい、というのを差し引いたとしても他の方の レビューのように読み込むことはできませんでした。私、読解力が低いな…(涙) 正直、よく分からない心理描写や表現はすっ飛ばしました。 もしかして光文社文庫の新訳の方が読みやすいのかな…? だけど、話の筋が単純なようで、あまり掴みどころがないんですよね、この作品。 クルツを獲られてしまうのではないか、との恐れから襲撃してくる人びとのシーン。 この流れは『黙示録』にもありましたね。 もしやデニス・ホッパーの役は、ロシア人の若者が元ネタか…? 個人的にはクルツの許嫁が、マーロウにクルツの最後の言葉を訪ねるシーンが印象的でした。 世俗的な文明世界にいることを露とも疑わない人びと、 そしてその文明世界を支えている、文字通り悪夢のような世界を見てしまった自分との、大きな隔たり。 一瞬自分がマーロウになった気分になり「あぁ…」と項垂れたくなった。 私はコンラッドのことをよく存じませんが、映像化されたり後世の作家に影響を与えたりと、 かなり存在感のある作家なんですね、驚きました。 そういう意味でも何かしらあらゆる表現者の意欲を揺さぶるのなら、 またいつかチャレンジして、作品を噛み砕けるようになりたいです。 追記 『黙示録』の撮影時、コッポラがマーロウに「撮影前に原作読んできてーな」と言ったのに マーロウは読んでこなかったとか。その気持ち、今ならちょっと分かるかも。 | ||||
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子供の頃,「地獄の黙示録」を見てから,原作のこの本を読もうと思っていた。映画の描こうとした世界の謎を理解できるかと期待していたが謎は深まるばかり。著者は,この説明しがたき,人間の実存を感覚的に表現しようとしたのか? 船乗りが,哲学的に語る彼の冒険譚。アフリカ人を同じ人間とも認めない欧州人の徹底的な優越感・差別感覚。それと同時に持つコミュニケーション不可能性を前提としたアフリカ人への恐怖感。「象牙」というお宝へのどん欲のみで魔境と関わる会社員たち。その魔境で神となって原住民を支配するクルツ。そして,クルツも「象牙」の奴隷であることにおいて,他の”まとまな ”会社員と何もかわりない。 さらに,欧州文明の中心地ロンドンの邸宅に住む貞淑な婦人が,クルツに魅入られ神として崇め妄想に浸る姿は,アフリカの原住民のそれより,はるかにグロテスクであった。。。 最期に,これらの人々とはまるで異なる,現実的な欲望とは無縁の,狂言回しのような青年。 全ては混沌である。多くの「魅入られた」方々が翻訳されています。 | ||||
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「静養の必要あったのは、僕の体力ではなかった。安静を必要としていたのは、心だった」 『地獄の黙示録』の原案として知られる本作を読もうと思ったのは、この一節を知ってからだった。暗黒大陸アフリカのジャングルの中で、主人公は何を見、帰還後にこの肩で息をするような科白を残したのか。 わずか160ページしかない、19世紀末の物語を読み終えるのにはかなりの時間を要した。訳は古いし、語り部マーロウの独白が延々と続く観念的話法をとっているため、かなり難解。読み終えた今も本質に辿りつけていないんじゃないかと思うほどの濃密さだ。 ただそれゆえに、一人の男が未開の地で目の当たりにした、狂気と恐怖のイメージが鮮やかに浮かび上がってくる。 それは、常に霧がかったジャングルに覆われた川を遡上する小さな船だ。 マーロウはジャングルとそこに住む原住民を嫌悪し、恐怖する。だが彼は同時に、西欧の消費社会を生きる人々を唾棄する人間でもある。彼はどこにも居場所の無い男なのだ。クルツは居場所をどこにもなくしてしまった男なのかもしれない。 光の届かない、絶対的な野蛮。闇との対話をクルツは続けたが、ジャングルを照らすはずの光は、手ごたえなく闇に吸い込まれていくその恐怖。結果、光はがむしゃらに闇を支配しようとし、クルツは心を病み、あの帝国を築き上げた。川を上りながら、マーロウはクルツの辿った足跡をまさに肌で感じ取り、共鳴していく。そして、クルツの放った最期の言葉を、そっと胸にしまいこむのだ。 | ||||
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読み始めたきっかけは、立花隆の「解読『地獄の黙示録』」の中で、 この小説が映画「地獄の黙示録」のベースとなっていることを知ったこと。 さらに調べれば、村上春樹の「羊をめぐる冒険」にも影響を与えているらしい。 これはもう「読むしかない」と思って読み始めた。 それにしても、文庫本にしても比較的薄い本であるが、 読み終わるまでこれほど苦労した小説を私は知らない。 狭いページに小さな文字がぎっしり詰まり、 (おそらく出版が古いために活字が欠け始めて)印刷が汚いと言う 物理的な問題もさることながら、 内容的にも文体的にも実に重苦しい。 純粋な文学的探求目的でもない限り、普通にこの本を娯楽として 読める人はそうそうはいないのではと思う。 ただ、内容的な重苦しさそのものが、他の映画や文学作品に対して 深い影響をあたえたであろうことは推測できる。 特に原著の出版当時の20世紀初頭の欧州の人々にとって、 まさに「闇」であったアフリカ大陸を生々しく描いた本は、 実に貴重だったのだろう。現に当時の欧州では商業的に成功したらしい。 「地獄の黙示録」も「羊をめぐる冒険」も、 作者の真のメッセージを探るには難しい本であるが、 いずれも他の面で楽しんで見られる/読める作品だ。 「闇の奥」がきっかけになって、 これら現代の作品に触れることができることに感謝したい。 | ||||
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「歴史的古典」という以外の読み方をするのは結構むずかしいと思われる。たしかに、黒人たちの上にカリスマ的に君臨していた白人という存在は皆無ではなかったようだが、黒人たちの側に立つ視点の取りようが(たぶん当時では)なかった以上、帝国主義批判になることはできないような気がする。 当時のヨーロッパ人にとってアフリカは「闇」であったとしても、そこで生を営んでいたひとびとにとっては闇でも何でもなく、しかもかなり高度な文明が花開いていたことはアフリカ史の研究者にとっては共通認識となっているからである。 | ||||
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欧米ではかなり長い間この物語の解釈が論議の的となっている。例えば、マーロウは「僕はうそが嫌いだ。」と告白しながらも最後に彼はクルツの婚約者に嘘をつく。それはなぜか?著者は物語を構築しそこなったのだろうか、それとも我々読者がなにかを見落としているのだろうか?とか他にもいろいろあります。 ちなみに、個人的には翻訳の質がいかがなものかと。 クルツの最後のことばは原著では「The horror. The horror.」と記されているのだが、訳者はこれを「地獄だ。地獄だ。」と表現している。この"The horror"が何を意味するのかも上記と同じく論議の的となっているのだが、ほとんどはこれは「地獄だ。」という意味ではない点では一致している。そしてこの物語の中では緊迫感がとても重要な要素であるのだが、翻訳の時点でそれがほとんど失われてしまっているようにも思える。 例えば原著にある「The last word he pronounced is - your name」というところが、「あの男の最後の言葉といいますのはね―やはりお嬢さんの名前でした。」となる。この日本語の表現では残念ながら原著にあるような緊迫感を表現し切れていないところが痛い。 | ||||
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