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闇の奥
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闇の奥の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.94pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全83件 21~40 2/5ページ
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『闇の奥』(ジョゼフ・コンラッド著、黒原敏行訳、光文社古典新訳文庫)は難解な小説とされているが、巻末の武田ちあきの解説が理解を大いに助けてくれました。 ちっぽけな煤まみれの蒸気船の若き船長・マーロウが、象牙交易で絶大な権力を振るうクルツという人物救出のため、アフリカ奥地へとコンゴ河を遡る旅に出ます。白人に虐げられる黒人たち、底知れぬ闇のような密林、森に隠れて不気味に蠢く黒人たちなど、マーロウにとっては驚きの世界が次から次へと眼前に展開されていきます。その道中、いろいろな人からクルツの噂を聞かされ、マーロウは好奇心を掻き立てられます。 「うしろでチャラ、チャラと小さな音がしたので、振り返ってみた。六人の黒人が縦一列に並び、苦しそうに小道をのぼってきた。背中をまっすぐ起こして、ゆっくりと、頭の上には土をいっぱい入れた小さな籠を載せている。チャラ、チャラという音は足の運びと拍子が合っていた。腰に巻いた黒いぼろ切れの、うしろに垂れた部分が尻尾のように揺れた。あばら骨がくっきり浮き出し、手足の関節はロープの結び目みたいだ。どの男も鉄の首輪をはめられ、全部が一本の鎖でつながれている」。 「人も、物も、建物も、埃にまみれたがに股の黒人たちがぞろぞろやってきてはまた去っていく。粗末な綿製品や硝子玉や真鍮の針金といった加工製品が闇の深みへ持っていかれ、それと引き換えに貴重な象牙が少しずつ運ばれてくる」。 「会計士は、ペンを置いて、ゆっくりと、『あの人は大変な人物です』と付け加えた。いろいろ訊いてみると、クルツ氏はある出張所の責任者だが、そこはとても重要な出張所で、まさに象牙の国ともいうべき地域にあるとのことだ、『その一番奥にありましてね。ほかの出張所を全部合わせたよりも多くの象牙を送ってくるのです・・・』」。 「俺はその五キロほど先で、額に銃弾の穴があいた黒人の中年男の死体にまともに躓いてしまったが、そうやって死体にするのは永久に効果の続く蛮人の教化法とみなされているのかもしれなかった」。 「何キロも何十キロも果てしなく静寂が続く――こうして俺たちはじりじりとクルツのほうへ近づいていった」。 「(クルツの邸を取り囲む杭の一本一本に串刺しにされた)首は黒くて、干からびていて、頬や眼がへこんで、瞼を閉じている――杭の先で眠っているようだが、唇が乾いて縮み、白い歯の列が細く覗いているせいで、笑っているようにも見え、永遠の眠りの中で何か滑稽な夢を果てしなく見ているかのように、ずっと笑みを浮かべつづけていた。・・・あの首はみんな謀反人の首なんです、と(クルツの最後の弟子である)青年は言った」。 「魔境に魅入られる前のもともとのクルツの幽霊が、空疎な紛いものの枕もとに頻繁に現われた。紛いもののほうはもうすぐ原始の大地に葬られる運命にあった。クルツが深く分け入った神秘への悪魔的な愛と、すさまじい嫌悪が、クルツの魂の争奪戦を繰り広げた。原始的な感情を飽きるほど味わい、偽物の名声やまやかしの栄誉をむさぼろうとし、成功と権力の持つあらゆる見かけを貪婪に求めたクルツの魂を奪い合ったのだ」。 クルツの死後、クルツから託された書類の束を持ってロンドンに戻ったマーロウは、クルツの婚約者に会いに行きます。そこで、マーロウは嘘をついてしまいます。「『あの人の最期の言葉を――生きる支えにしたいのです』。彼女は小声で言った。『わかってくださるでしょう。私はあの人を愛していた――愛していたのです!』。俺はようやく気持ちを立て直してゆっくりと言った。『彼が最期に口にした言葉は――あなたのお名前でした』」。クルツが実際に発した最期の言葉は、「怖ろしい! 怖ろしい!」だったのに。因みに、中野好夫は「地獄だ! 地獄だ!」と訳しています(岩波文庫版)。 多くの識者たちが本書をいろいろと評しているが、コンラッドは、帝国主義・植民地主義を告発するといった考えではなく、闇の深い異世界、文字どおり魔境で、若かった自分が体験した驚きを文学という形で表現したかっただけだろうと、私には思えてなりません。 | ||||
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人間には開眼する、という瞬間や経験がある。 コンラッドにとってはこれがアフリカを経験したことだった。 その衝撃がコンラッドを作家として目覚めさせた。 という事らしいのですが私にはその凄さが分かりませんでした。 最も私に印象深かったのは時間の捉え方の表現です。 コンゴからから帰ってきた後の、感情の表現力が私にはもっとも印象的でした。 コンゴに居るときに起こった事象に対する感情とそこからかなりの時間経過を経た後の感情の繋がりの経過が面白かったです。 | ||||
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コンラッドの作品は、「ロード・ジム」「密偵」とか読んだが、いっぺんも感心したことがない。なんでこんなに評価されるのか謎だが、これなどはさらにわけわからん作品である。新訳で分かるようになる、などというものではなく、ここでは武田ちあきという人が解説を書いているが、何かヤケになったみたいに、物語なんか求めるな、それは通俗だ、とか言い出し、マーロウはサンチョ・パンサだとか言っている。しかし「ドン・キホーテ」は面白いが「闇の奥」は面白くないんだな、これが。これもポスコロの授業で読まされるからジーン・リースとともにポスコロ嫌いの学生を増やしていることだろう。 | ||||
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特になし。 | ||||
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描写が少ないためか、場面を理解することが難しかった。最後の許嫁が出てくる場面は、その情景が目に浮かんだ。 時間を空けて、もう一度、読んでみると、作者の感情を感じられるかもしれない。 | ||||
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文明社会としての西洋と非文明社会としてのその他という二項対立が当然のものとして受け入れられていた帝国主義の時代に、イギリス人が「未開」の地であるコンゴを遡行していく際の体験が赤裸々に記されています。人の手の加わっていない原生林や熱帯の気候、そこで目にする奇怪な人々、欲にとりつかれた白人、最奥地で目にした光景といった衝撃を当時の人間の視点や感性で語っています。 現代の私たちがこの作品を読むことによって、単にアフリカにおける植民地主義の悲惨さを知るというだけではなく、差別がはびこっていた時代の人間ーーその中でも比較的先進的で高い見識を持っていたと思われるーーが未知の光景を目の当たりにした時にどう感じるのかということを垣間見ることができ、コンゴの探検が当時の人にとってどのようなものだったのかということを知ることができます。その意味で本作品は人類学的、歴史学的に非常に価値の高い作品だと思います。 この作品に対する批判として、「この作品自体が差別で満ちている」、「筆者、語り手のマーロウ自身が強い差別意識(白人至上主義)を持っている」というものが時々見受けられます。しかし、この作品が発表されたのは帝国主義時代の只中であり、自分たちとは異質なアフリカはまさに「闇」で差別の対象だったはずです。むしろ、上述したようにそのような時代の人々が目にする生のアフリカがどのように映ったのかということに注目すべきでしょう。また、こうした当時の感覚というのは現代の私たちにとっては異質なものです。発表当時は社会に対して衝撃を与えたとされる本作品も、現代の視点からすれば差別的な感性や表現で溢れているのは当然のことです。しかし、かつての社会状況や常識を考慮にせずにこうした現在とは異質な感性を単に「差別的だから」と切り捨ててしまうのは、異質なアフリカを差別し植民地化してきた当時の人々と結局は同じことをしているということに気づいた方が良いと感じます。 | ||||
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"なにか眼のあたり幻でも見ているように、彼は低声に叫んだ、ー二度叫んだ。といっても、それはもはや声のない気息にすぎなかったが。『“地獄だ!地獄だ!"』。著者の実体験をもとに西洋文化の暗い側面を描写し『地獄の黙示録』に翻案された事でも知られる本書は人間性を強く問いかけてくる。 個人的には、好きな作品【グレート・ギャッピー】や【1984年】ほか、特撮やアニメ作品など、様々な作品に影響を及ぼしたとの事で興味があったのですが、今回ようやく手にとりました。 最初の印象としては、読みはじめてすぐにすっと(それこそ、闇の奥に招かれる様に)作中に入り込まされる割に、しかしなかなかに読みにくい感覚。ただクルツという謎めいた人物を救出するまでの【悪夢のパノラマ】を見せられている様な幻想的な展開が続く本書は中盤から後に関してはグイグイと引き込まれました。 また、著者自身が船員としてコンゴ掠奪を体験し"コンゴ以前、僕は単なる動物に過ぎなかった"と大きな衝撃を受けた直後に書いたとの事ですが。当時の【非人間的に終始扱われる黒人】の描写、【白人の傲慢さを強く感じさせられる】帝国主義の様子に、著者の心境にも思いを馳せたり。 自然と文明の関係や、人間性の荒廃について考えたい誰かに、また没入感をもってアフリカの植民地政策を追体験したい誰かにオススメ。 | ||||
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地獄の黙示録を見た時に「は?」となった。 この本を読んでても「は?」となった。 迫力というか気迫が有る、闇をこうも表現できるか。 著者はさぞかしタフな人生を送られたんだろう。 | ||||
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30数年振りの再読。御多分にもれず「地獄の黙示録」から立花隆さんを経由して手に取った口ですが、背伸びして観た「地獄の黙示録」が中学生には難しかったせいか、本書もその数年後の当時の自分には楽しみどころの掴めない作品であった記憶があります。 今回、読み直してまず気付かされたのは、たとえば冒頭の「背後の暗澹たる雲の下」が、ラストの「一面の雲空の下を黒々と流れ、末は遠く巨大な闇の奥までつづいているように思えた。」に繋がっていることであったり、「この沈黙を支配するのが俺たちか?それとも逆に、沈黙に操られているのが俺たちか?」(53ページ)や「荒野はすでに早くからそれを見抜いていた」(120ページ)、「老いの日まで、この森林に生活している僕自身の姿を想像してみたりもした。」(135ページ)や「あの人を一番よく知っている人間、それは私でございますわ。」(156ページ)等のふたつの存在が分かち難く不可分に接合するイメージであったりの、布石といいますか、伏線といいますかを越えたところにある人間の内奥の魑魅魍魎でした。 | ||||
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『地獄の黙示録』の原作のひとつと言われています。 たしかに、物語の大枠はこの小説から着想を得ているようです。 しかし、『闇の奧』のもっとも大きな特徴は 小説でしか描けないことを描いている点にあるので。 『地獄の黙示録』を観ても 『闇の奥』の理解につながることは皆無と言って良いでしょう。 小説技法の見本一覧のように多くの小説技法が散りばめられています。 出来事の展開は単調なので、ドラマチックな物語を期待すると、肩透かしをくらうと思います。 出来事というよりは、言葉の荒波を越えて 人間という生き物の奥地に冒険していくような小説です。 | ||||
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書き込み・傷みともなく、大いに満足している。但し、他の話が載っていないのは少々残念だが。 | ||||
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アフリカとヨーロッパの奴隷制についての散漫な印象が語られる これを原作にしたらしい映画「地獄の黙示録」もつまらなかったが、 これはあれと同じくらいつまらない。 要するに白人が黒人を殺しまくって奴隷にする話。 そこに反省も無ければ内省も無い。 ただ状況に流されていく心の弱い男の困惑があるだけ。 なにが名著だバ~カ | ||||
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人種差別や性差別をひけらかしておきながら、芸術という大義名分で正当化する、男共のやり方にうんざり。 作者も訳者も男で、読者も大半は男だから、性差別には目もくれず、人種差別についてしか語ってないし。 人種差別に対しても性差別に対しても甘すぎる、日本人・大卒・男 が前提のこの社会にうんざり。 この属性を持つマジョリティが不利にならない限り、色々な不平等や差別が見逃されている。 日本人で大卒で男で、が不利になるようなときだけ、ギャーギャー喚く。痴漢冤罪や、非正規雇用の拡大や。 外国人の権利、障害者の権利、女性の権利、とか、何にも考えてない男ばかりなんだろう。 だからこの作品も、人種差別や性差別が激しくても、何にも考えずに読んで、満足する男が多いんだろう。日本人の男には。 | ||||
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コンラッドの「闇の奥」。植民地時代のアフリカ奥地の究極状態を描いた小説。あくまでも小説ではありますが、植民地支配、黒人奴隷、差別の根源を知る上で、重要な本だと思います。 | ||||
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日本に帰ったら紙の本を買って何度か読んで見たい。できれば、違う翻訳で読み比べもしてみたい。 | ||||
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のべ数時間で読み終えた。 だが、予定調和でシャンシャンシャンと結末を迎えるような読み取りやすい小説ではない。 モヤモヤの残る読後感だし、作者のメッセージがどこにあるのか、しばらく思案した。 本作に対して、いろんな評価に分かれているのが、うなづける。 クルツもマーロウも男として魅力的だ。 クルツは極めて有能で周囲の評価も高く、将来が嘱望されていたようだ。 そんな彼が、アフリカ奥の奥の未開の地で、現地人たちを従えるまでになり逞しく生きていた。 出世欲からか象牙をほぼ取り尽くし、熱病か、はたまた魔界の狂気かに侵され、死ぬ。 マーロウは、クルツを思い出しながら言う。 『誰にも束縛されずに歩いていく人間が、孤独をくぐり抜け、静寂を通り抜けて、原始の世界のどんな異様な 場所にたどり着いてしまうことがあるか、君らにわかるはずがない。(略)警察官の保護や隣人の助けと いったものがなくなれば、持って生まれた自分の力と、自信を持つ能力に頼るほかない。』(p121) メッセージはこの辺りにあるのではないだろうか。 秘境の中で、鬱蒼とした密林と野蛮な現地人に囲まれた原始生活での孤独。自分なら生きていけないだろう。 解説には、クルツの堕落のようなことが書いてあったが、私にはそうは思えない。立派に闘った(自分と境遇と) のではないだろうか。クルツの最後の言葉、『怖ろしい、怖ろしい』も相手がマーロウだからこその言葉だと思う。 最後の最後で、嘘はついてはいけないと言っていたマーロウが嘘をつく。 抱いていた理想を目の前の現実に合わせざるをえなかったクルツの心情を暗示しているのだろうか。 | ||||
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随分前に読んだ記憶はあるのですが、余り良い印象はありませんでした。 ただ、この名作をもう一度読んでみたいと思っていました。 それが、今回この本を手に取った理由でした。 この本を読んでみて一番感じたのは、前に読んだ欧文直訳体ではない、頭にすっと入ってくる読みやすい文体でした。 おかげで、作品に十分に入り込むことが出来ました。 もう一つ、この本を読みたいと思った理由は、「闇の奥」と言うタイトルです。 原題は、“HEART OF DARKNESS”です。 この言葉の真意は何か?ということです。 この本は、反植民地主義のバイブルの様に扱われたり、人種差別の書として糾弾されたりしていますが、作者の本当の意図は、このタイトルにある様に思えてなりませんでした。 改めて読んでみて、はっきりしたことは、クルツを狂わせ、マーロウをその寸前まで追い詰めた「闇の奥」は、現代社会にも存在しているという事です。 それは、連続殺人事件などの様な形で現れてきますが、人が人を殺すことに引き込む「闇」もそれと同じではないかと思うわけです。 当時未開であったアフリカの奥地コンゴで、クルツが経験したことは、社会から疎外され生きる意味を見いだせない日々から齎されるどうしようもない虚しさの様なものだっただろうと思います。 そうした「闇」は、現代人の中にも生まれうるだろうと思います。 その意味で、この本は時間を超えた名著と言えるのでしょう。 | ||||
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『闇の奥』は貿易会社員マーロウが仕事としてアフリカへと赴き、船を使いながら奥部へと進んでいく作品である。題名からも察すると思うが、雰囲気はかなり暗い。 しかしながら、この作品はかなり説明が難しい。一体どういう作品なのか。無論、あらすじを紹介することはできるが、結局作者は何が描きたかったのか、と聞かれれば読み終わった私はうまく答えることがでいない。(この作品は意外にも文体が難解であり、スラスラと読むことができない。うまく答えることのできない原因の一つである) まず、この作品はいわゆる冒険譚的なもののようでそうではない。未知の領域へと行き、色々な出来事に遭遇し、最後には自分の目的を達成するといえば、なるほど確かにその通りだが、この作品を読み終わった人間はこの作品が冒険譚ものであると主張することはあまり考えられないだろう。なぜかと聞かれれば、私なりの答えとして「快活さ」があきらかに抜けているからである。あるいは少年らしさといえばいいのだろうか。とにかく読んで心を躍らせるものではないことは確かである。 あるいは風刺ものと聞かれれば、やはり違うと言わざるをえない。当時のアフリカの植民地の情勢を描いたとwikiでは記されているが、確かにそういう描写もあるものの、少なくとも風刺しているものとは私には思えない。情勢を描くのが「目的」なのではなくどちらかというと「手段」である。 結局この作品の題名通り「闇」そのものを描きたかったのではなかろうか、と私は考える。作中での陰鬱なものは確かに闇そのものであり、それを味わうことがこの作品の醍醐味なのだろうと私は解釈しているがどうだろうか。どういう「闇」なのかと聞かれれば回答には窮するが。それは飢えや襲撃という「闇」なのか、未知なる大地という意味での「闇」なのか、人間の精神における「闇」なのか。最後話の鍵を握るクルツという男が「The horror!」と言いつつ死んでいくのだが、それも確かに「闇」を描いたものであるといったいいだろう。 確かに独創的な作品である。陰鬱であり、それでいて喜怒哀楽的な感情要素があまりない。うまくいえないが、陰鬱という感情を淡々と描いていく、この作品を説明するとすればこうなるだろう。 | ||||
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コッポラの「地獄の黙示録」のネタ本!という伝説的で、今や遅きに失している感もなくはない有名な書物。その新訳!ってんで、個人的には初めてながら、ワクワク+ドキドキ感満載で読み始めたけど、これが、なかなか・・・・相当退屈な、モノになってしまった。 訳者は、3時間程度でさらっと読み終えることを意識して、読みやすい翻訳を心がけた!って「あとがき」に書いているけど… 既訳との差異、既訳の間違いというものを、訳者は「あとがき」で、実際に原文と照らし合わせて、相当詳しく書いていているので、これはこれで、「はい!」と納得できる。はい、確かに既訳よりは読みやすくはなっております。 速読気味に3時間程度で、さらっと読んでしまったほうがいい、そういう読み方をしたほうが面白みが味わえるのかもしれない。 村上春樹の「羊をめぐる冒険」「1Q84」にも”闇の奥”シーンが出てくるので、そちらのほうが興味津々・・・・・ | ||||
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ページ数はさほど多くなくて、中編です。新潮文庫の『老人と海』よりすこし長い程度。けれど最初の1ページからして、ともかく難渋なほうへ持っていこうとするので、付き合うのに手間取りました。具体的な日常はさっさと通過して、次に「考えごと」がはじまるとこれが異様に、ながい。これだけ書いたのだからどこか落としどころがあるのだろうと読んでいても、ありません。この小説に比肩しうる書物といったら、20年前の「ウインドウズ・バイブル」のみです。 1900年頃のイギリスではこうした「ヴィクトリア朝」文学が流行していたようです。「意識の流れ」「自動書記」などと呼ばれるスタイルで、T・S・エリオットやD・H・ロレンス、そして(20年遅れで)フォークナーなどの作風です。貴族階級者がこぞって読んで、教養に磨きをかけたわけですね。 この小説の最後にクルツの婚約者が登場しますが、そこにさしかかると文章が急に明確になります。はて、どこかで読んだことがあるぞ、この感覚は・・・と、めぐらしていたら思い出しました。コナン・ドイルの短編です。イギリスでは「黄禍論」が吹き荒れはじめ、ドイルも反日運動を主導しました。上記のD・H・ロレンスも随想で日本人を「ウジ虫」と呼んでいます。 結局のところ、この『闇の奥』という偉大な作品は、わたしにとっては白豪主義の誇示であり、WASP(正しくはWAS-CEでしょうか)の優位の啓蒙書にすぎませんでした。この意識は21世紀のいまも健在です(わたしはそれを毎日痛感させてくれる職場に10年以上、いました)。この小説をぜひ読みたいと仰有る方がおられたら、その前に映画「地獄の黙示録」(コッポラ監督が2001年にカットした最終シーンを含む版)を観ることをお勧めします。 最後に、翻訳者様に。クルツの最期の言葉については、彼が、すべてを象捨したのちに残るただひとつのものは、という感覚で言った単語だとわたしは思います。心理学者が性愛と呼び、行動科学者が攻撃と呼んだ、「これだけはぜったい確かなんだ」・・・そういう言葉だと思います。 最後の最後に。翻訳者様。勘違いかもしれませんが、172ページの「残ったもの」という部分の原文が「remains」だったとしたら「遺体」ではないでしょうか。 | ||||
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