■スポンサードリンク
夏物語
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
夏物語の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全45件 21~40 2/3ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ストーリー展開も飽きさせないし、文章ひとつひとつがとても丁寧に選び抜かれた言葉で綴られている感じで、読書している時間を楽しみました。期待以上に良くて著者の他の本も読みたくなりました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「その、『生まれてみなければわからない』っていう賭けは、いったい誰のための賭けなの?」 ー 産まれるということは、子どもの意思ではない はっとさせらた。産まなければ絶対に苦しまずに済むと。 子どもが生まれた後に、子ども自身が背負うリスク、 私は果たしてきちんと考えたことがあっただろうか。 子どもが被る不幸を代わってあげることはできない。 子どもを産み育てる上で、そのことを決して忘れてはいけないと思った。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最近、性的マイノリティについて語られる場が増えてきているが、従来の単純な男女二元論においてさえ、気の遠くなるような隔たりが私たちの間にはある。身体も性自認も男である私にとって、本作品の中に登場する女性たちが口にする「男たち」に関する言説は、男たちからの反論を寄せ付けない手厳しいものばかりである。そして、それは決して著者・川上未映子だけが抱いている個人的な感情などではなく、多くの女性「たち」の叫びであるらしいことは、ネットやレベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』などで十分に分かる。しかし、我々男には、彼女らが言っていることを言葉の意味の上では理解できても、体感することはまずできない。我々と彼女らは、根本的に違う。というよりも、私たちは、それぞれ全く違う。そこから頭をもたげてきた「私たちは決して分かり合えないのではないか?」という絶望にも似た感情が、本書を読む間、常に私の心を占めていた。そして、同時に、私はあなたのことを分かっているよ、という態度を安易にとることが持つ無自覚な暴力性にも、注意する必要があるのである。私たちは何と難しい世界に生きているのだろう。 本書には、性別を問わずさまざまな生い立ちや価値観を持つ人々が登場する。彼ら彼女らが私たち読者に向かって掲げてくる価値観には、一方で共感できるものが、他方で全く訳の分からないものがあることだろう。訳の分からないものが現れ出た時、もしかしたら、それを無視したり排除したりしたくなる気持ちが出てくるかもしれない。逆に、表層的な面だけを捉えて分かった風を装って、迎合しようとする向きもあるかもしれない。しかし、私には「分からないものは分からないままにして受け止める」ことが大事なのではないかと思えた。それは現状維持を促すものではない。分からないまま受け止めた上で、相手が私にどう行動してほしいのか知ることは、対話を重ねる中でできるはずだと、私は信じているからである。 このように考えさせたのは、川上未映子が産み出した登場人物たちの多くが、私と同じ時間を生きる、この世界のどこかにいる人たちだ、と思わせる力を持っていたからだ。この作品に出会えたことを大事にしたい。 星をマイナス1したのには、以下の理由がある。 ・話の筋が、途中から予測がついてしまったこと。物語が勝手に動き出してそういう帰結に至ったというより、何がなんでもそうしなきゃならないという著者の意志が見えたような気がしてしまった。今回のテーマの場合「著者の意志が見えた気になる」のは私にとってマイナスに作用した。(我ながらなんてフワッとした理由だろう) ・『乳と卵』を初めて読んだ時の、ものすごいものを読んでしまった、という衝撃が忘れられない。つまり、その衝撃を超えるほどのものがないと思ってしまった。良くも悪くも読みやすいと感じてしまったのは、私が『乳と卵』を読んで以降、さらに多くの本に触れたせいか……?言葉で殴られることで、私が使う言葉への自覚が促され、そこから「私とはなにか」という問いへと引っ張っていかれる感覚が『乳と卵』にはあって、そこから私は著者のファンになったのだった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
時間の流れと生きることのつらさ、喜びが混然となって深い感動をおぼえました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
予定より早く到着し、とても良い状態で届きました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
購入きっかけは連休に合わせて題名が良いな、と思ったからでしたが、読み始めたらあっという間に川上ワールドに引き込まれました。夏子とともに時間を送っている気になり、編集者や仕事仲間、少しずつ対人関係が広まり深まっていく姿も一つずつ、それってあり?夏子大丈夫?とツッコミを入れて読みました。逢沢くんはまず、逢沢という苗字からして、ナイーブだけど頭の良さそうな感じがして、父を探す呼びかけの文章は夏子同様に胸に迫る切なさがありました。 夏子が抱く感情や感じ方は私自身にも当て嵌まるものが多く、川上さんが表現してくれたことで読みながら自分自身を振り返れました。夏子、緑子、巻子、登場人物の全てが前向きでひたむきで誠実で、それぞれを思い遣る気持ちの深さがあるからこそ、誰もが正直に生きたいように生きられていて、そこも共感のポイントでした。死生観や産む産まないについては、個々に差異はあるけれど、後ろから数えた方が早くなる人生のこの時期に、 自分自身を振り返るいい機会になりました。 多くの方に読んでもらいたい一冊です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
出産と養育・教育という極めて実践的題材を三者の女性の視点から軽やかに描き出している。ウエルベックは悲観的に描くが、川上未映子は肯定的に描き出そうと務めているように思う。 近代文学は語り方の選択・開発と主題の選択という二面とその関連に芸術性が担われると思えるが、この作品ではその主題に関して現代日本にあって時代の・世界の先端を行く高齢化・少子化社会における出産と養育・教育は喫緊の問題であろうことは言を待たなく、それを正面から捉え、また「伝統的家族観」とは一線を画したオルタナティブや多様性を提示している点で社会的かつ政治的に意義深い作品だと思える。(逆に言えば、なんらかの恒常的な家族モデルを前提として民法体系が運営されているだろうが、それは近代以前の日本の家族モデルとは乖離していると思える。) この作品では第一部及び第二部においても(当然全てが叶えられる訳ではないが)何らかの解決といったものが妥当な範囲内で提示されており、いわゆる純文学作家あるいは芥川賞受賞作家の内でもそのような結末の提示は珍しいように思う。疑問や矛盾や違和感ややるせなさは人生の毒であるとともに薬であろうし、そのようなあわい・淡い・間に記号化を免れた現実の手触りが立ち現れるだろう。 この作品は2009年の『乳と卵』を発展させたもの。乳と卵という比喩的対比がより鮮明となっている。乳は養育・教育を象徴し卵は出産を象徴しており、前者は継続する通時的事柄であり後者は一回性の事柄に属する。また、機能と象徴の点では、乳の機能は授乳であり象徴としては性的成熟を、卵の機能は出産であり象徴としては社会的成熟を示す。この点で、『乳と卵』及び第一部では、緑子にまつわる卵は初潮を迎える身体的成熟とそれに伴うであろう社会的な女性像を暗示するが彼女はそれへの批判的視点・忌避を示す(「みどりこ」は嬰児も意味する)。一方、巻子は乳を担い異性への提示というよりも終始母性としての役割を示しており、授乳という機能からの象徴化としての乳を望んでいるように思える。 教育とは何だろうか。一つには、生の肯定があり、もう一方には、それを実践あるいは実感し続ける為の技術の獲得との二面があるだろう。子を産み育てるというのは、生の肯定を実践的に示すことになる。また、子を産み育てるということは、社会的には成人として認められることとして、個人的にはある種の現世的救いとして、為されるのではないだろうか。後者に関しては、現世での実利ではなく謂わば倫理的評価といったものはその個人ではなくその子への評価によって間接的に評価され、その間接性によって自己と社会とが相対化されるように感じられ、何らかの客観性といったものが備わるように思えることから、社会的及び倫理的観点からの評価を子の評価に結びつけ、それによって自己の社会的及び倫理的評価を類推しその存在意義といったものを是認あるいは否定するような傾向を持つ人々がそれなりの数いるように思える。 第一部では中立的な語り手として登場していた夏子が、第二部では主軸となる。このような対比や構成、女性登場人物の対比的配置も計算されているように思えるも、夏子の半ば突発的な行動が反動的なようにも思え稚拙な危うさを感じさせるが、しかし近代文学とは失敗を提示することが一つの眼目でもあろうことは、セルバンテス『ドン・キホーテ』や一葉『にごりえ』をみても窺われる。 グルーブとしての文学としてなら、谷崎『春琴抄』よりも一葉『にごりえ』だろうと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
母子家庭の貧困、性行為への嫌悪、性暴力、女性のキャリア、産む産まない、産む負担を背負わされた体への違和感…女性なら誰もが悩み苦しんでいるテーマが全て描かれていると言っても過言ではないでしょう。 母子家庭の貧困と、生活保護の拒絶。 産む性として勝手に変化していく体と、産む重荷を背負わさせることへの怒り。 家族のために人生の全てを犠牲にし、家から逃げ出すも、自ら姑の介護をしに戻る母親。 精子の個人提供者の精子への異様な自信とこだわり。 仕事に成功し、男を拒絶して生きるシングルマザー。 精子提供で生まれ、地の繋がらない父親に暴行され、生むことは暴力だ、賭けだ、と産むことを拒絶する女性。 独身女性が精子提供で子供を産む、というのがメインテーマだと思うのですが、結局主人公は恋人を作りその相手と籍は入れずに人工授精をして子供を産んでおり、正確には独身での精子提供とは違うのではないかと思います。 高身長高収入の医師、しかもAIDで生まれ、その事を受け入れ肯定し、理解もある。そんな都合の良い相手がアラフォーの売れない作家を好きになってくれ、精子提供までしてくれる、子供が望めばいつでも会ってくれる、というのはいささか都合が良すぎるような… 別居婚でセックスレスの夫婦が人工授精するのと何ら変わらないのでは? 仙川さんが死ななければならなかったのも謎です。あまりにもあっさり死にすぎでは?救いが無さすぎて胸が痛みました。主人公にとって、仕事の上でかなり重要な存在だったはずなのに。死んで退場となったのは、仕事できない独身アラフォーが精子提供で子供を産む、ということに猛反対したから?主人公の孤独感を強化して出産の後押しをするため?仕事だけ、子育てだけ、どっちかだけではダメだってこと…? それが人生だと言われればそれまでなのだけれど… 相反する、けれどどちらも理解も痛いほどできる主張が真っ正面からぶつかり合う小説です。 個人的には大阪弁の文章が非常に読みにくかったのです。関西方言を聞きなれている人にとっては、テンポ良く読みやすい本なのでしょう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
文學界掲載時に読み、単行本で買い直しました。 心の奥の奥までさらけ出したような心理描写がズッシリ重く響きます。 思春期の緑子の日記、主人公夏子の生きる事に対する独白は苦しいくらいに鮮烈で、川上さんの独特で繊細な表現力の凄さを存分に味わえます。(時々ひっかかるような文章、表現は批判的にみられる向きもあるようですが、これはむしろ意図的であって、整然たる文章にしてしまえない現実と感情があるのだと私は受け取りました。) 読者は内面を抉られるので、読むのにはそれなりの気力が必要かもしれません。 子どもを産む側、生まれる側、それぞれの視点から問題を投げかけられるので、この答えのない問いかけに対峙せざるを得ません。 いちいち嫌悪感が伴うのはそれほど生々しいからなんだとも感じます。 ラストへの展開は、わりと一般社会的で川上さんの作品としては意外ではありましたが、個人的にはこのラストで嬉しかったです。 暗い人物だったとしても明るい気持ちになる事とあるわけで、 夏子にはこれからも現実的に幸せに生きていってほしいなと思いました。 緑子がしっかりと成長していた姿も良かったです。 何かにつけてジェンダーレスと言われる時代ですが、この作品はやっぱり女性の真理をついているというか、秘密をばらされたような、知られたくなかったなぁという恥ずかしい気持ちにもなりました。 この作品を読み終えた男性の感想を是非聞いてみたいと思いました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これは言葉で表現出来ないくらいよかった。 何故なんだろう? 言葉にして分析するのを拒む自分がいる。 それはとても長かったからというのもあるかもしれない。 内容もじゃんじゃん読み進められるというものではなかった。 でも読み出したら止まらなくて。 だから感想も纏めずらい。 確かに不妊のこととか人工授精のこととか、女として色々考えさせられるところが多かっった… でも、そういうことではなく… 夏子はいつも自問している。 でも他者を否定したり馬鹿にしたりしない。 相手が言葉という武器で切りつけてきても。 生きるってなんだろう? 生まれるってなんだろう? セックスってなんだろう? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「夏物語」は主人公の夏目夏子の物語という意味なのだろう。夏の日の物語ではなかった。38歳独身の夏子はセックスができない心になっていた。でも子供に“会いたい”(産みたい)と思うようになり、第三者から精子の提供を受けて妊娠する道を模索する。その過程で出会う人々との生死に関わり、夏子の結論を出していく。倫理的な問題を含み、特に男性読者は感情移入できないかもしれない。個人的な問題として物語は進行するが、社会的な背景まで考えると、私はこの物語がハッピーエンドなのかバッドエンドなのかさえ分からなかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
分厚い本だが、大阪弁がテンポよく地の文もリズムがあって読みやすい。 ただ内容はとても重い。 命を宿し産み育むという、女性にしかできないことをしないまま終わっていいのかという逡巡、焦り、負い目。 そこからAID(非配偶者間人工受精)による出産についても掘り下げていく。 川上さんの作ったラストを読んで、「手段は色々あれど基本は愛よね」なんてベタなことを感じた。生まれてくる子は心をもつ、親を乞う。 途中に出てくるボイジャーの話が良かった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
女の繊細な心を真摯な言葉で伝えています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
犬儒家斎藤美奈子氏は著書『妊娠小説』の中で、「妊娠小説」とは「望まない妊娠」を搭載した小説のことであって、「御懐妊」あるいは「おめでた」と呼ばれる「望む妊娠」は「妊娠小説」の範疇には入れない――そう述べている。その斎藤氏なら『夏物語』について何を語るだろう、と考えていた。それとも斎藤氏は既にこの小説について何か書いているのだろうか、御存知の方がいらっしゃったら是非お教えいただきたい。というのは、『夏物語』は「望む妊娠」でありながら、斎藤氏が『妊娠小説』に新たな章を設けて論ずるに価する小説だと思うからだ。 何故そう思うのかと言えば、『夏物語』では、主人公夏子は愛する逢沢潤の子供を欲しいと「望む」が、逢沢との結婚ばかりか肉体関係を持つことさえ拒絶し、彼に精子を提供してもらうことで妊娠を果たそうとする、そういう小説であるからだ。逢沢はきわめて誠実だし、妻がいるわけでもない。そう聞くと、「えっ、そんなのあり?」と(斎藤氏風に)叫んでみたくなりませんか。 しかし川上未映子氏は500ページを費やし、最後には読者を「うん、それもありだろう」「それがいいだろう」「それしかないかもしれない」「そうしなさい」と納得させてしまう。それがこの小説の凄いところであり、文学たる所以だ。 社会学者なら、「経済的に自立した女性が敢えてシングルマザーを選ぶ、そんな時代が到来したのだ」とか何とか論ずるかもしれない(俵万智氏が頭に浮かぶ)が、文学は社会学ではない。ここで文学と社会学の違いを長々論ずるつもりはないが、ごく簡単に言えば、社会学がその時代の多くの人間に共通するものを取り扱う学問であるのに対し、文学はある特定の個人のその人でしかありえない生き方を描きながらそれが普遍的なものに通ずるものである、といったところか。 『夏物語』は女性の作家でなければ描けなかった作品だろう。谷崎潤一郎を筆頭に個性的な女性を見事に描いた男性作家は多々いる。しかし、子供を産めるのが女性だけであるように、夏子のような女性は女性作家でなくては絶対に描けなかったと思う。 『夏物語』は『ヘヴン』と並んで川上未映子氏の代表作になるのではあるまいか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
非配偶者間人工授精(AID)の倫理的な問題をテーマにしている。 その生命倫理は奥深く、答えはないが、選択肢は限られている。 一つだけ言えることとして、意志の存在。 心模様の活字を積み重ねることにより、心の葛藤、心の叫びが聞こえてくる。 それは第1章の「乳と卵」を前段として、第2章より生きづらさが語られていく。 原点に立ってみると眼下に広がる風景は記憶を蘇らせる。 傷ついた心の痛みや苦しみが癒されていく。 生むこと、生まれること、生まれてくること、そして生きていくこと。 居場所を求めて。 私小説的な要素が散らばっているように感じる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大阪弁、最高❣️女心。姉妹のやりとり。 我が子への情愛は、魅惑の乳の匂い。読んでみて下さい❣️ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
川上未映子の「夏物語」。私はとても好きです。川上作品では「ヘヴン」以来の圧倒的な喜び。 軸となるのは、夏子の子どもを生みたい、いや、自分の子どもと会いたいという欲望。 そこを中心に、私にはなじみのない物語、普通ではない人の振る舞いが繰り広げられる。 「どうしてそうなるのか」とハラハラしたり、ため息をついたり、ハッピーエンドへ引っ張りたくなったりするが、人は機械ではなく、ぼちぼちなもので、0か1かでは割り切れない。理屈だけは片付かない。 そして、筋書きよりも、文がすごい。著者が文を作り出す。そういう主語と目的語の関係にはない感じがする。 文の流れが生き物みたいで、様々なリズムで呼吸し、うごめいて変貌する。 流れの速度が変わり、量が変わり、たてる音も色も変わる。 最後の543ページまで読んだからこそのラストの4行の感動がある。 好きなフレーズも散見される。 「なんというか、相手を思う強さがそのまま世界への信頼の強さになるというようなそんな世界、そのものなんじゃないだろうか。」 「あるいは、夏目さんが真に親切だったために、これまで誰も気がつかなかったという可能性がある。」 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
単純に面白かった。この作者さんの他の作品も読みたくなりました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
なかなかぶあつくて、読みごたえがありました。主人公の夏子が、人工授精で最終的に出産にいたるまでに思いなやむ過程をともに体験したような気分です。 むろん、自分は男なので性にたいして葛藤するぶぶんなどはおおいに考えさせられるところがありました。 途中、生殖倫理の話が続くところでは、こういうものならノンフィクションでもいいのになあとすこし勝手なことを思ったのだけれど、肝心なのは、夏子が幼いころから38歳になるまでの人生経験すべてふくめて、そのなかで、子どもを産むことや、セックスをすることにどういうふうに感じてきて、どのように向き合ってきたかを読者が読みながらともに体験することに意味があるのだと思いなおしました。 そう考えると、この物語はけっこう壮大です。性の葛藤、貧困家庭で苦しむこと、身近な人が死んでいくこと、幅広い要素が散りばめられています。 それから、登場人物の一人一人の個性だったり、台詞の内容だったりに、無駄がないというか、輪郭がくっきりしていて、すべてが際立っています。大阪弁の使いわけもグッドです。たいへん面白いです。 さて、いまからこないだ出たばかりの文藝の特集に載っている、いろんな人たちの批評を読んで、自分の浅い「読み」を補っていきます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
初めての長編でしょうか。 文章は一段と洗練され読み易くなりました。 ただ顔面のイボを憎悪の象徴みたいに描くのは如何なもんでしょうか。 過去の自作「乳と卵」を発展させる小説の作り方や、比喩を貫くあたりは村上春樹の影響かなと思いました。 しかし著者は以前は無痛分娩に失敗して帝王切開した話を書き、今回はありえない苦痛を味わう自然分娩を描き、器用な人だなと思いました。いずれにしても子育て日記的な作家に落ち着かず、一安心です。 白い光の下でビーズのクッションを用意して読みましょう。(笑) | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!