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花散る里の病棟
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花散る里の病棟の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
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とても状態は良く満足しています | ||||
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本屋さん大賞の候補になっていたので 手に取った。 親子四代医者の家系の物語である。きっと 恵まれた家庭に育った 優秀な者たちのストーリーなんだろうなと思っていたが、全く違った。とても胸を打つ 連作である。そして 作者の帚木さんのご年齢を知って、この作品を書く力量 たるや 相当なものだな と驚いた。初代の曽祖父から 4代目 の息子にいたる、それぞれの代の、医師としての苦しみ 悲しみ大変さが詳細に綴られており、どの章にも思わず涙腺が緩むところがある。特に「兵站病院」「胎を堕ろす」の章はあらためて 戦争のむごたらしさをこれでもかと提示し胸が痛い。読者である私達はそれを脳裏に焼きつけておこう。だから戦争は嫌なんだと。戦争だけではなく 新型 コロナウイルス 蔓延で病院や医師の機能が崩壊寸前になった「パンデミック」の章や、アメリカに留学した時に経験した、健康保険の無い国アメリカの貧困者と病まいの現状を綴った「歩く死者」など、どれにも医師でありながら病の者を助けられない、見殺しにしなければならない状況があり、淡々と書かれた文章のなかにその懊悩が読み取れる。 初代から四代目のどの医師にも、町医者としての庶民目線の温かい眼差しがある。患者の話をとても良く聴いてくれる。3分間診療ではない こんなお医者さんが存在していてくれるなら、私も是非 診てもらいたい。要所要所で織り込まれた数句の俳句がとてもいい。 | ||||
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非常にいい状態でした。 | ||||
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この数年は宇宙、自然科学や歴史書などを主に読み、小説は殆ど読まなくなりました。 どの小説も小話の繰り返しのように思えて、感動することが少なくなってきました。 「国銅」以降のこの方の小説はすべて読んでいます。 特に心躍ることはないのですが、安心感のある小説家だと思います。 | ||||
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自らも医師である著者による4代続きつつある「町医者家系」を描いた短編連作。昭和戦前からコロナ禍の現代までの医学・医療・社会の状況を精緻に描きつつ「町医者の矜持」が表現される。「町医者」を可能とする原稿制度と米国の医療制度との比較までなされる。とても行き届いていて面白い。特に3代目が医師会の勉強会で講演する内容などそれだけで読んでも面白い。このように書き出してみてわかるように本作品の内容は濃い。内容の濃さ=事項を提示する詳細・該博さに対して本作品について情緒的なインパクトはあまり感じない。感心で面白いけれど「へえそうか」と読み終えてしまった。「町医者」あるいは医学・医療や社会そのものに対して著者があまり屈託・葛藤していなそうと思うのは不遜だろうか。もちろん「町医者っていいだろ」という本作に「町医者っていいのか」を求めるのが間違いなのかもしれない。 それでも最近筆者が読んだ「〈反延命〉主義の時代:安楽死・透析中止・トリアージ」小松 美彦 (著), 市野川 容孝 (著), 堀江 宗正 (著), & 3 その他 現代書館 の議論を持ってくると、「救急の教授」の言い分は〈反延命〉主義の範疇ではないか。あくまでも患者の都合に即して医療者は自己正当化するべきであろう。「黒タグ」は助からない患者を放置するのではなく、あくまでも生命維持に無益な侵襲の回避を目的とするべきではないか。 | ||||
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箒木さんの作品は好きで必ず読みます。今作も期待してた通りでしたが、ところどころ鼻持ちならないエリート意識が当然のように書かれている。 例えば告知という短編、悪性腫瘍の告知を一年以上放置してしまった事で病院と医師達が何とかして有耶無耶に成功するという話。放置された患者と家族の気持ちを全く描かない!私はどうしても患者側に感情を移入します。又父親が脳梗塞で救急に運ばれて、医者である事、そこの医科大の卒業生で有る事を言って、助教授が駆け付ける!そして最先端の薬で全快する話。これが一般人だったら、、、と考えてしまった。 この作者にしてこの医師のエリート意識が何気に書かれるとはなんだか興醒めでした。 | ||||
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全て気にいらない。もう読む気が失せた。古めかしい考えの持ち主です。久坂部羊さんの書物を1度読んで見てください。 | ||||
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縦糸横糸で織りなされた、時代を越えて今に至る作品です。 | ||||
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まずその丹念に集めた資料に基づいた描写に驚くが その百年の歴史と現代医療の未来を示しながらも どんなに医療が進化しようとも 人はいつの時代も花びらのように散っていく摂理が この物語の芯にあり | ||||
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この小説は、福岡県で四代に渡って町医者を続けている野北(のぎた)家の物語です。短編10話のオムニバス形式で、小説新潮に2012年から2021年までの10年間に掲載されたエピソードをその掲載順番通りにまとめたものなので、時代が行き来しています。その時代時代に添った福岡(と戦時中のフィリピン)での町医者と患者のエピソードに心を打たれました。 そう、主人公は僕と同姓の野北(のぎた)なのです!野北姓は非常に珍しく、おそらく福岡県の英彦山にそのルーツがあります。僕は、自己紹介すると、よく「のび太」さんですか?と訊かれます。英彦山の亡き祖父から聞いた「野北」姓の由来は、源平合戦の壇ノ浦の合戦まで歴史が遡ります。祖先はもともと京都の北野という名前の平家方の武将だったそうで、壇ノ浦の合戦で平家が負けた時に英彦山の山奥に逃げ込んだそうです。源氏の追手を逃れるために名字を変える必要があったので、北野の「北」と「野」をひっくり返して、「野北」として、「のぎた」と読めば、誰にも気がつかれずに、漢字は残せるということで「野北」姓となった。と酔った祖父が教えてくれたことを思い出します。 本書を読んだ後、北九州にいる実家の父親に尋ねたところ、「野北姓の遠い親戚に医者の家系があって、いまでも代々続いている。」とのことで、本書の主人公たちは、もちろん小説なのでフィクションでしょうが、かなりの部分を僕の遠い親戚の方々を題材としていると思えます。 10話のうち、3つで思わず目頭が熱くなり、涙がホロリとでてきた本書。まるでNHKの「ファミリーヒストリー」の主人公になった気分で、感動で読書を楽しませていただきました。帚木蓬生さん、ありがとうございます。 (以下は微妙にネタバレかもしれません) 一代目:野北保造(のぎた やすぞう)は九州帝国大学医科大学を卒業した、大正時代の寄生虫を専門とする町医者で英彦山出身でN(直方?)で地域で親しまれた方。 二代目:野北宏一(のぎた こういち)は、久留米の九州医学専門学校(久留米医大)に入学して、戦前軍医としてフィリピンで過ごし、九死に一生を得て帰国後、戦死した戦友のことを想いながら医療行為に尽力した町医者。フィリピンでの様子は息を飲むものがありました。帚木蓬生さんの柴田錬三郎賞受賞受賞作「逃亡」でも感じた、戦況がまるで映画のように目の前に現れるほどの描写です。 三代目:野北伸(?)(のぎた のぶ?)名前が小説では「伸ちゃん」としか出てこないので不明。九州大学医学部出身で、老人介護施設も設立して、町医者として活躍する。帚木蓬生さんと同年代であるため、三代目の目線からのエピソードが多い気がします。医学学会から頼まれて講演するエピソードの中で、以前に高齢者福祉の専門の先生の講演を聴いたという部分の講演者はおそらく帚木蓬生さんご自身を登場させているのだと想いました。 四代目:野北健(のぎた けん?)はボストンで糖尿病手術の研修をして帰国後2022年現在市立病院で働く新進気鋭の(外科手術もする)内科医。2020年からのコロナでの病院の様子も医療関係者の目線で、そして父、祖父、曽祖父と代々続く町医者の目線でのエピソードの臨場感は、祖父の二代目野北宏一のフィリピンでの戦場を彷彿とさせます。 | ||||
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