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苦役列車
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苦役列車の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.84pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全184件 161~180 9/10ページ
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芥川賞を受賞作をいち早く読むという習慣もなく、『KAGEROU』のような 話題作にもまったく食指が動かない私のような人間でも、授賞式の記者会見で著者 を初めて知って以来、読まざるを得ない気持ちになった。この著者は小説を書か ざるを得ない人だということが直感的に伝わってきたから。 私小説であるというその内容は、罪なき罰を背負った青年の、孤独と不満と諦念 の入り混じった塩辛い日常を淡々と描いたものである。もちまえの過剰な自意識 がこの青年にことさらに卑屈な態度をとらせ、せっかくできた友人も遠ざかって いく。かといって青年は一念発起するわけでもなく、凶悪犯罪に走るでもなく、 自分を罵ったり、他人を妬んだり、もうどうでもよくなったりしつつ、日雇いの 仕事と居酒屋と風俗店のループから出ることなく日々過ぎていく。 暗くて後味の悪い小説を予想していたが、意外にも、その独特な文章からは「お かしみ」が滲みでていて、深刻になりすぎないよう絶妙にコントロールされてい る。語り口を変えれば、「未来を閉ざされ、友も恋人もなく、単純労働で日銭を 稼ぐ毎日」という設定のこの物語も、随所で笑えるドラマやマンガにさえなるよ うな気がした。その「おかしみ」は、この本に収録されている短編、「落ちぶれ て袖に涙のふりかかる」でも存分に発揮されている。著者は、尊敬してやまない 藤澤清造の作風を「滑稽だけど悲惨味もある」と評しているが、この小説は、 「悲惨だけど滑稽味もある」ふうに仕上がっている。私小説が日記や自伝と違う のは、自分の人生や経験なりをあくまで第三者的に見て、読者目線で構成しなお し、悲惨さなり滑稽さなりで入念に味付けをしているところだろう。 | ||||
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本書には、芥川賞受賞で話題になった表題作ほか1篇が収録されている。その「苦役列車」の方は、まずまず期待していた通りのおもしろさであった。こぢんまりとはしているが、最後にやはり藤澤清造の名が出てくるところなど、演出もうまく利いていて、小説として体よくまとめられていると思った。また、わずか40頁ほどの「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」の方もなかなかよい。古本を買うシーンが出てきて、こういうのは古本好きにはたまらない。主人公が買う本がまたシブくて、唸ってしまった。 さて、西村賢太の魅力は、何といっても自分の言葉を持っているところにあると思う。この作家にしか使えない言葉があるのだ。あまり馴染みのない語彙や言い回しがそこには多く含まれ、辟易する読者もいるかもしれないが、作家の固有性はまずその言葉にこそ表象されるものである。それらは何も奇を衒って使われているのではなく、長い年月をかけて熟成させ血肉化してきた言葉なのだ。他に名を挙げれば、野坂昭如、車谷長吉、町田康なども同列に並べることができるかもしれない。私はこういう作家たちを大切に読んでいきたいと思う。 | ||||
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知り合いになったらすごく付き合いにくそうな人である。ほぼ事実を書いた私小説だという。自分を卑下しているようでいて、どこかで他者を見下している。コンプレックスというのはそうしたものだろうが、それにしてもめんどくさい人だ。 中学校卒業以来その日暮らしの肉体労働をしてきたという暮らしぶりには圧倒される。そしてそんな無為な日々をやりすごしながら、どこかで一発逆転を虎視眈々と狙っている風でもある。 かくして、このように有名作家となったなったわけだから、人の一念というのは大したものだ。車谷長吉(近作は私小説ではないが)と双璧を成す現代の無頼私小説家である。 | ||||
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読んでいて何度も、「ほんと、しょうもないな〜」 とつぶやかずにはいられない、 そんなしょうもない19歳の男の話だか、なぜか最後まで 一気に読んでしまい、終わりには愛着まで湧いてくる そんな不思議な小説だ。 主人公は19歳の男の子。中卒で、日雇いとして働いている。 過去に父親が性犯罪を犯し、引っ越しをしたりして友達と呼べる 存在もなく、日雇いもただその日を食いつないでいくための 手段。夢も希望もなく生きている。 そんなある日、日雇いの仕事中に同年代の、久しぶりに 友達になりたいと思う男の子と出会う。彼に触発され、主人公は 持ち金がなくなれば働く、というスタンスから、毎日のように 働くようになるのだが… しょうもない彼の、しょうもない話です。 でも、やめられない。 そして、なんか文体がいいのです。古風な文体と言葉遣い。 こんなしょうもない小説、あっていいと思います。 | ||||
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一気に拝読しました。 ほんものの 紛い物でない作品に出会い グサッと 心に落ちて来ました。 生きることは 生きるとは、 今 この日本の若者に是非読んで欲しいと思いました。 無理なく自然体で 自分自身を見つめ対峙していることに、感銘を受けました。ご本人は劣悪な環境と言われていますが、 汚れを感じない、むしろ精神性の高さに脱帽です。芥川賞の全うさを信じました。そして選者の勇気に、日本の失われていない文化圏を感じています。この偉大な作家の作品を 眼を凝らして 読みたいと心から思いました。ありがとうございました。 古代紫 | ||||
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受賞の報は「フーン」という感じでしたが、日曜の日経書評を読んで興味をもち、購入。 個人的には久々ヒットの小説。面白いです。 インパクト文章・ユーモア。笑ってしまいつつ主人公の病理心理が映す現代人の「普通」 に慄然としました。洒脱・・・という言葉の恐らく対極?粘着なのかアッサリなのか 名状し難い筆致で、ホラ!読みやがれ的にどうしようもないライフを読まされてしまう。。。 移動のあいまの1−2時間で読めてしまう小説ですが何とも言えない読後感:寂寥感・ 焦燥感・絶望感が残ります。・・・ひとに読んでもらって反応みたくなります。 | ||||
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自分自身の苦しかった時期を思い出します。そして、これから先何度か再び経験することになるのだろうか・・・。ある意味暗くなりますが・・。 私小説ならば、芥川賞を受賞した後の華やかな人生劇場もぜひ書いて欲しい!ぱーっと明るく? | ||||
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「私小説」というものを初めて読みました。 この小説はひねくれる要素満載の設定で飽きてしまいそうにも見えますが、 こちらの胸ぐらをつかんで離さない力強さがありひきこまれました。 | ||||
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環境そのものだけをみれば、貫多程度では、 まだまだ底辺には程遠い落ちぶれぶりだが、 若い身空(10代後半)であの境遇に置かれれば、 それはまるで行き先の決まった列車に乗った気分にもなるだろう。 そういう観点からすれば(つまり苦役が主観的なものだとすれば)、 ほとんどの人間が苦役列車に、一度は乗っているはずであり、 誰でも、この小説のどこかしらには、共感を覚えると思う。 ただ、今後のことを考えると、 己の体験が創作の源泉である以上、 ありきたりの生き方では、 面白味のある小説が生み出せないという点が、 この著者の限界であると思う。 無責任な取りまきや読者に乗せられて、 今後も破滅にひらめきを見出し続けるとしたら、 この著者はどうなってしまうのだろうか。 心配だ…。 同収されていた「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」は、 貫多40代の話だが、確実に破滅の予兆はあると思うのだが…。 よくある私小説家のありふれた終わり方にならないことを祈る。 | ||||
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こういう作品が文学なのかは僕は分からないが、 一気に押し込まれたような読後感がある。 とても印象的な作品だ。 私小説ってこういう小説なんだ、 ということが良く分かった。 私小説だから、 自分の境遇と照らし合わせるとか、 緻密な構成に感嘆するということは、無い。 作中人物のケガれネジれた根性を目の当たりにし、 ぐっと息を呑む。 そういう「娯楽作品」。 ゾンビ映画と同じかなと思う。 | ||||
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芥川賞受賞を心よりお祝い申し上げます。 とは言え、この作者が書いた、過去の候補作やその他の作品と比べて、今作がとりたてて優れた作品とは思えない。 むしろ、やや冗長で、プロットも内的緊張に欠けるのではないかというのが、私的な印象だ。 今作より精緻に構成された作品はいくつも公刊されていると、私には感じられた。 併せて収められた作品は、作家生活に入ってからの文学賞落選を巡るエピソード。 これを読んで、驚愕させられたことがある。作家生活を送る、今の「私」或いは「貫太」なる人物に、十代後半と比較して、人間的成長が全く感じられないのだ。 つまり、年齢を重ね、過去の経験を対象化し、作品に結晶化するという体験を積み上げても、人間的には成長できないということなのか。 或いは、作品のネタを拾うために、敢えて自ら成長を止め、だめな人間として自己劇化しているということか。 作品に追い越されたあとの人生はどうなるのか。 時間軸を遡ったり下ったりしながら、パズルのピースを埋めるが如く書き連ねられていく西村作品に、私は、私小説と実生活の連関に関わるある問題が存在するように思えた。 | ||||
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最近忘れかけていた、人間のどす黒い部分を感じた。登場人物に共感も反感も感じないが、自分はまだ大丈夫、まだやれる、という気がしてきた。 | ||||
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西村氏の私小説は内容が凄過ぎる。 犯罪者となった父親、それに絶望し半ば投げやりな人生を送る自分の駄目さを客観視し巧く描いている。 怠惰な日常生活を送り、やりがいのない低賃金の仕事に甘んじている一方で、素敵な女性を欲し、その夢叶わず自慰にふける。 友人は極めて少なく、変にプライドは高い。 真に嫌になるような人生・人物であるがなぜか共感してしまう部分が少なくない。 芥川賞受賞の際に「私小説しか書く気がしない」とインタビューに答えていたが、作品の幅を拡げ今後も益々活躍して欲しい。 歴史に残る作家となる予感がする。 | ||||
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西村賢太氏の作品を全て十分に読み込んだ。その上での感想だが、これぞ文学、である。文学というものはどうしたって、作者の経験から描き出すもの。西村文学は、力強い独白で、傷だらけの数奇な生き方を文学として見事に昇華している。人間の弱さ、狡さ、したたかさから目を背けない作品群。こんなに夢中になれる作家と久々に出逢った。 | ||||
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受賞後だったか夕方のあるラジオ番組で紹介され私小説だと知った。 青春時代を日雇い労働に費やした日々が綴られ、過去の作品では「暗渠の宿」も読み応えがあった。 著者にとっては受賞までの道のり(作品)がすべて労役(苦役)だったのかもしれない。この作品が転轍機となることを期待したい。 | ||||
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「苦役列車」というタイトルで、装丁もいかにも暗い印象をかもし出していますが、 意外にも重苦しさは感じませんでした。 苦役といいながらも、ある意味では自堕落的に、困窮しながらもマイペースに 生きている主人公が描かれています。 それから、性犯罪者を父にもつ人間が書いた私小説というので、 フツウの人たちの次元を超えた内面が描かれているかと思いきや、 そうではなかったこともギャップの一つ。 自堕落的な生活の中に存在する孤独感、嫉妬、劣等感といった負の感情が 素直に表現されていて、そういった感情は特殊な生い立ちである主人公だけでなく、 誰もが持ち合わせてからこその共感があるのではないでしょうか。 個人的に、つげ義春を読んでいるような気になりました。 つげ義春の絵がつけば、そのままつげ漫画になってしまいそうな印象です。 | ||||
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まず、この本には、 “エピソード”が2つ収録されてます。 どちらも、文体は、思ったより繊細でしたが、 女性への思い込みから来る、言葉選びはとても乱暴で、 初見では、確かに陰気なものに感じるかもしれません。 しかし、その言葉の先にある、威風堂々な主人公の偏屈さは、 開き直って見てしまえば、何だか清々しいから不思議です。 もちろん、主人公の置かれた特殊な境遇もありますが、 突き詰めると、本人が父と同じDNAに嫌悪感を抱くなど、 なんとも「マトモ」な主人公である事に驚きます。 確かに、無駄なプライドばかりで歯止めのブレーキがかかり、 優柔不断のまま、出来事は通り過ぎますが、 その度に、根底にある生命力が、表裏一体となって湧き上がっており、 厚かましくも生きようとするその姿勢は、 人間らしく共感に値するのかもしれません。 きっと読み手は「線路は続くよ〜」の歌のように、 この終わりなきルートを追体験し、どんな間抜けな結果でも、 あたかも自分の荷物のように、心の席に運んでしまうのだと思います。 山手線のように、生活も同じところの繰り返しに不安をいだきながらも、 『生きたい!!』という想いが、日常のプラットホームとしてあるからこそ、 つまらぬ叱咤の戯言も、懐に落ちるものがあるのかもしれません。 それにこの主人公は、いつも悪循環のチケットを握り締め、 「出来るヤツ専用車両」に乗れなかったけれども、 いや、待てよ。本当は、これを読んでいる自分の方こそ、 もっとナーバスで、この列車に乗るべき該当者なのでは無いのか? と、そんなことまで、考えてしまいそうなのです。 もちろん、読み手側の温度や不健康さも少なからずキーにはなっていて、 そうでなければ、読んだところで、 単なる愚痴と感じるのも同じく納得します。 例えるならば、彼女の居ない寂しいバレンタインの日、 知らぬカップルが、これ見よがしに目の前でキスをしても、 「良いねぇ」などと、余裕の笑みを浮かべる人なら、 たぶん、この本は、オススメ出来ないと思います。 要するに、 苦い薬だが、 役には立つ。 それゆえ、錆びた体には凄く効きそうな潤滑油でもあり、 心のエンジンにゆっくり浸透するには絶好の“闇”である。 少々ポジティブではありますが、 自分はそのように受け止めました。 | ||||
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芥川賞作品を文藝春秋が出る前に買い求めて読んだのはこれが初めてである。正直、待ちきれなかった。あと二週間かそこらが、である。 アカの他人であるにもかかわらず、受賞の報せを知ったときは、我が事のように嬉しかった。車谷長吉の直木賞以来の不思議な感情である。正直「もう、メはない」と思っていたから余計と嬉しい。ただし「これで彼は自分の手の届かぬ遠い所へ行ってしまう」。娘を嫁にやるような寂しさも半分ある。 だいたい彼の作品は基本的にはどれも同じと考えていい。悪く言えばワンパターンだが、よく言えば「ぶれていない」。敢えて分類するなら、大きく二つに分けられる。ひとつは藤澤清造が登場する「私」を主人公にした中年同棲もの。もうひとつは藤澤の出てこない「北町貫多」を主人公とするヤング西村もの。(多少の例外あり)。表題作は後者に当たる。私はどちらかというと後者の方を好む。まあ、これは好みの問題だから、たいした意味はない。実際はどっちも好きである。 で、問題の受賞作である表題作の出来だが、「これまで読んだ中では相当素晴らしい部類に属する」。ひょっとしたら、最高傑作かもしれない。だが、本当にどうかといわれると、よくわからない。彼には「今後も」あるからである。自分を徹底的に客観視できる、おそるべき冷徹な目を備えているからである。 もっとたくさん言いたいが、ヘンなことを口走りそうなのでこのへんでやめておく。 と言いながら追記。 腰痛の描写ではじまる併収作『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』は中島敦の『山月記』ばりの凄みを放つ生粋の「純文学」。「彼は文名を上げたかった」といって最後にこけるルーザー小説である。本著により図らずも(?)ルーザーからウイナーと化した作者の今後の行方や如何に? | ||||
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本書は、『暗渠の宿』で野間文芸新人賞を受賞した著者による、中編小説です。 生来のひねくれ根性が、 父親が性犯罪で捕まったことで一層強まった青年を主人公とし、 絶えない周囲とのトラブルや、 それによりさらに屈折を重ねる内面を、味わい深い文体で描きます。 定職も、友人も、恋人もない自身への限りない卑下と その裏返しともいえる、他者を見下した態度 見下していた友人に恋人がいると知ったことへの反応など どの場面も、主人公の救いようのない性格が赤裸々に描かれ とても印象的なのですが、とりわけ心に残ったのは、 そのような主人公がときおり見せる、本への愛着です。 陰気な小人物の鬱々とした日々を描きつつ、 決して重苦しさを感じさせることのない本書。 著者の作品や純文学が好きな方に限らず、 多くの方にオススメしたい著作です。 | ||||
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魂が揺さぶられる作品。味わいがあり自然と心に響いてくる。 表面的でマトモに内容すら覚えてない小説が多い中、久しぶりにどっぷり小説の世界に入りこみ満喫できた。 過激というよりは、礼儀正しく主人公の暗い部分を見つめているような、 傷ついた人間への深く優しい視線が感じられ、癒されました。 殺伐としたいまの時代にこの作品が発表されことに感謝したいです。 | ||||
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