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苦役列車
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苦役列車の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.84pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全184件 121~140 7/10ページ
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第144回芥川賞受賞作。読んだ感じは私小説を思わせるような感じですね。 苦役列車:貫多19歳。港湾人足作業の日雇い仕事で生計を立てる。バカの癖にプライドが高いがゆえに、人とうまくいかず、何度もろくでもないやつだなと感じる。日下部というやつが入ってきて、友達づきあいができるかなと思ったが、自分との境遇の違いに、自分でそのチャンスを逃がしてしまった。結局、港湾人足作業の日雇い仕事しかないだろうし、そこでいいように利用されるしかない。 落ちぶれて袖に涙のふりかかる:貫多40歳代ぐらいかな。川端康成賞にノミネートされている作品があったが、それに落選してしまう顛末を書いたもの。ぎっくり腰になって苦痛に耐えながらも、川端康成賞がほしいと思っていて、編集者に常識外れな行動を取る。 感想なんですけど、「苦役列車」のほうに興味を持って読ませていただいた。自分の体験をベースにしているということで、引き込まれるような感じはあった。 | ||||
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この作品は、日本文学への叛逆の作品だと思う。そして、西村氏はその旗手だろうか。 例えば、泉鏡花や三島由紀夫は「美」を求めた。無論それ以外の作家もそうだろう。それと、よく太宰と比べる馬鹿者がいるが、ベクトルが違うので論外だ。それは何故か? 彼は本当の意味で敗北者でなく、意識と価値観は表現者なのだ! つまり、多くの文豪は「美」を求め、そこから自らの醜さに「酔う」ことがある。だが、本当の意味で「醜」を追求した者は日本文学史上でいただろうか? そう、西村賢太こそ「醜」への求道者なのだ。 いまどき珍しい文体と私小説と云う手法を武器に、閉塞感と平均感が漂うこの世へ泥臭く生きる下級人の様を生々しく剥き出しに晒すのだ! それが何故か読後の爽快感へと変わる……。 今までの価値観は打破されるべきである。醜いことは「悪」でない。本質だ! ばかりでない。怠惰と倦怠を妙技にて描く! どうしようもなく美化しない。ごまかさない。なんと清々しいことだろうか。 なんども言うが、今まで日本文学に足りなかった「醜」を、この作品で得られた。 こんな奇才が出てきたのだ。まだまだ、文学も捨てたものではないのかもしれない。 | ||||
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読み終えて、ただただ圧倒され、出版社宛てに、初めてファンレターのようなものを書きました。「ようなもの」というのは、まだファンになったのかどうか自分でも定かでなく、ただ闇雲に何かこの作者に向けて発信せざるをえないという感情だけだったから。 漫画家でいうと、つげ義春作品の読後感、あるいは林真理子氏の「ルンルンを買っておうちに帰ろう」以来の新鮮な衝撃を受けました。 勝ち組、負け組と選別したがる風潮が蔓延する社会の中で、他の作品からも窺える、これほどまで藤澤清造を軸とした生き方にはキングオブオタクという賛辞を送る他ありません。 また独特の文章に今時の草食系とは対極の非常なる男性性(あまりにも男性性が強すぎて自分でももてあましてる)と諧謔味を帯びた芸術性を感じます。 私小説を書き飽いたら、海外へ旅などして今までに無い旅行記を書いていただきたい。 | ||||
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西村賢太の文体はユニークだ。 主人公が置かれている状況というのは、非常に悲観的状況で、本書の中にも表現として出てくるのだが、「落伍者」としての主人公が登場していて、すなわちそれは作者のかつての西村賢太自身のことでもあるということなのだろう。 そうしたタイトルの『苦役列車』ということからも分かるように、『蟹工船』的な悲惨さが漂う作品かと思いきや、読み始めから何やら文体にユーモアがあり、「悲劇的状況」がそうは感じられないという効果がある。 この「ユニークな文体」を、未読の人に説明するにはどうしたものかと考え込んだのだが、「講談風文体」とでも表現するのが相応しいのではないかと思えてきた。 本当に講談師が、講談をしているような感じなのである。 この「講談風文体」によって、西村賢太はある種の「寓話性」のような「救い」を小説の中に取り込むことに成功している。 決して劇的な結末が用意されているわけではないが、読後感は「さらり」として印象を残す。 作者の西村氏は、愛すべき人間というような人では決してないのだが、そもそも作家業というものは変人のような人がしてきた仕事でもある。 だから、作者自身に人間性なるものを求めるのは、本来的な作家の性質とは真逆なことのようにも思える。 であるから、どうか作者自身に嫌悪感を抱かないで、西村賢太の作品を読んで欲しいものだと願う。 作品とは、それ自体自立して離れていくものなのだから・・・。 | ||||
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自分のことが書かれていて恥ずかしさを感じながら読みました。 こんな無様な自分になってしまい死んだ親父に申し訳なく思います。 | ||||
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父親が性犯罪者、中卒、家出、人足で日銭を稼ぐ、常に空腹で孤独で、夢も希望もない。その日暮らしだった作者自身の陰鬱な青春時代に材を取った表題作のほか「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を収録。 退屈で悲惨な毎日を反復するだけだった北町貫太の生活は、日雇い先で出会った日下部正二という専門学生との交流によって好転していく。だが卑屈さの裏返しとしての攻撃性と、愛されてこなかったがゆえの甘えによって、せっかくの友情を自らぶち壊してしまう。殻を破って他者と親しくなったことで、相手を傷つけ自分をも傷つけ、かえって一層、寂しくなってしまうという展開は、自業自得とはいえ痛々しい。 劣等感、怠惰、嫉妬、憎悪・・・自身の醜さをさらけ出すのは私小説の基本であるが、芥川賞受賞の表題作はそれだけの作品ではない。日本の私小説はどこか露悪趣味なところがあって、そこが鼻につくのだが、作者は貫太の愚行と自滅をユーモラスに描くことで、この問題を巧みに回避している。要するに貫太を戯画化することで自己を相対化している。貫太は周囲の人間全てに迷惑をかける問題児であるが、彼には少しも悪意がない。単に身勝手なだけであり、その幼稚さが読者から見ると一種の愛嬌となっている。いわば「憎めないダメ人間」であり、作者は若き日の自分をそのまま描いたのではなく、人物造形に工夫を凝らしているものと思われる(そして世渡り上手の日下部との対照によって、貫太の性向が殊更に際立つ仕掛けになっている)。この辺りの匙加減が絶妙である。この辺りの匙加減が絶妙である。 また、実体験を基にしている有利を差し引いても、「下流」な生活描写が非常にリアルで唸らされる。特に性欲と食欲に関する記述が異様に詳細で、何とも下品な文章なのだが、卑俗に徹しているからこそ笑えるのである。この作家の文章力は侮れない。 無教養な少年が主人公の作品なのに、妙に小難しい言葉が多用されているのもポイントだろう。そこに語り手である西村賢太と作中人物である貫太との分裂が明確に示されているわけだが、教養をひけらかすことじたいが中卒である作者のコンプレックスの表明に他ならない。もちろん作者は意識的にそうしているはずで、なかなか食えない作家だと思う。 | ||||
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こういう作家は嫌いではないですし、「根津権現裏」の解説を読むと、芥川賞を取ったことが藤澤清造という作家に世間の注目を集めることに寄与しているので、すべてを肯定的にとらえるべきなのかもしれませんが、それでもやはり芥川賞には違和感が拭えません。ただ、同時受賞の「きことわ」と「ニコイチ」と考えれば、どこか相互補完的といいますか、足して二で割ると、すごく中庸の凡作になってしまうのではないかとか、つい由無し事を考えてしまったりもします。繰り返しになりますが、個人的にはこういう作品は嫌いではないのですが、三十数年前に太宰をはじめとする、いわゆる「私小説」の一群の作品を読んだ時や、十数年前に車谷長吉をはじめて読んだ時のこちらにぐっと迫ってきた衝撃に比べると、本作がそれらの作品のパロディに思えて仕方ありませんでした。「文藝春秋」か「文学界」のどちらかのインタビューで、「面白く読んでもらわなければ、」という趣旨のことを述べられていたので、作者にそういった意図があったのかもしれませんし、あるいは、読むこちら側が歳を重ねたことが大きいのかもしれません。太宰は言うまでもないですが、ほかの誰よりも自分と歳が近いのがこの作者であるので、逆に近すぎてうまくいかないとも考えられますが。もしかすると「田舎教師」として二十数年を過ごした自分と作者との距離が、自分がこの作品に手放しで乗っかることのできないなにかしらの遠因になっているのかもしれません。あれこれ書きましたが、結論としては十分「面白く」読むことはできました。 | ||||
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主人公は 北町 貫太。 中学を出て、家を出て、安アパートの一室にこもり、日々を過ごす。 19歳になった今、とりわけやりたい事もなく、やるべき事もない。 ただ ただ、生活のために日当5500円の、日雇い港湾人足仕事で日銭をまかなう… 青年の成長実態、人間の本性、港湾の現実を生々しく描いた私小説。 肉体労働者の心と気持ちの移り変わり… そこに、痛々しいけれど認めざるを得ない現実が横たわっていました。 本書は、『苦役列車』と『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』の順に2編が収められていますが、初出はそれが逆です。 単行本への編集時点で順番を入れ換えたのでしょうが、それが見事に功を奏しています。 | ||||
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「愛し合ってるかーーーーーーーーーーーーーい」 (回り)「yeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeah」 (おれとその他何人か)(愛し合ってなんかねーよ、クソが) でも清志郎は好きです。 自分の西村体験。 芥川賞のテレビインタビューがネットで話題で(未見)興味が沸いて、文芸春秋201103を買ったまま積んでおいた。 昨日、夜やっと読みはじめて、22時頃「苦役列車」及びインタビュー、選評を読んだところで、近所のブックオフに他の作品を探しにいくもまったくなく、新刊書店で「暗渠の宿」を買って、菊正宗ピンを飲みながら「けがれなき酒のへど」を読んだ。 寝て起きた今も酔っぱらってて、ピンをちょこちょこ飲みつつこれを打ってるところ。 具体的なことを。 自分の少ない読書体験から引き合いを出すと、初期町田康(初期じゃなくても好きですが)、中島らも、ちょっと変化球だと吉村萬壱を集中的に読んだ人はすぐ読むべき。読むべし。 自分の多少多めなマンガ体験から引き合いを出すと、狩撫麻礼関係、いましろたかし、初期福満しげゆき(初期じゃなくても好きですが)、安達哲、古泉智浩なんか。 自分の多くもない映画体験から引き合いに出すと、ジョン・カサヴェテス、ショーン・ペン関係、山下敦弘、「全然大丈夫」の人、なんか。 これらにピクっときたら読むべき、読むべし。 自分は坪内祐三経由で川崎長太郎も読めるものは読みましたがあまりついていけず部分的にしか揺さぶられませんでした。 吉村萬壱も、この方も川崎長太郎が作品内に固有名詞として出てきますが、今現在(38歳、無職、居候、独り好きの寂しがりや)、屑が読むのは、屑が心揺さぶられる、すいません、「自称」屑の自分の心を揺さぶるのはこの人の文章です。 ひさしぶりです。 普段だったらブログに書く程度ですが、ここで屑どもにこれを読んでほしいからアマゾン書くと思い立った。酔っぱらってますが。 ぐっときました。笑いました。涙ぐみました。切なくなりました。 新刊(お布施)で買うのはいましろたかし先生ぐらいですが、この方の本もそういう気持ちにさせます、wikiみると。 とにかく最高ってことです。 若い人はあんまり読むべきじゃないかもしれない。やられちゃったら本当にやられちゃうから、そして、このやられちゃう感は歳くってからわかるものだから安易に手を出さないほうがいい。 自分にとっては芥川賞がはじめて有益になりました。まず単行本でお布施して、文芸春秋201103を探してください。「反石原」ですけど選評は読む価値あり。この人本読んでるんだなあと思った。あと、よかった選評は山田詠美、川上弘美、よくないけどこの人ならこういうだろうなっていうのが村上龍。 なんだかよくわかんなくなってきちゃった。 共感というか共鳴。 泣き笑いの最終形態。 | ||||
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中卒、友達がいない、風俗好き、短気、金がない 話題作でもあり、またTVでのインタビューを見て興味を持ち購入。 もっとおぞましく、最低な作品かと予想していたが、結構笑いながら3時間くらいで読み終えた。 話は中卒で学歴がなく、家賃も払えず転々として、日雇いのバイトに明け暮れる毎日。 ひたすら自分のコンプレックス(中卒など)をぐだぐだ語る内容。 これだけだどウ○コみたいな小説だとみんな思うかもしれないけど、なぜか?面白い。 特に笑ってしまったのは .田舎者は世田谷、杉並に住もうとする(確かに、田舎ものはやたら住みたがるのは事実) .友達の彼女に「こいつはおまけしてやってもせいぜい15点の女」 で、腹いせにその彼女をオ○ニーのオカズにして、オナ世界で犯す。 (しかし自分の父親が性犯罪者なので、処理後に心の中に激しい恐怖がわきあがってくる) とんでもない最低の男だけど、まあ男ならオナ世界では自由だから良いと思うけどね。 スラスラ読めるし、オススメできるかも? | ||||
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すらすらと読めました。 ただし日本語の表現として分かりづらい文章(どうも間違っていない?)が 散見したのも気になりました。 (これは私の読み込みが足りないせいかな) 「こんな男が身近にいたら面倒だなあ」と思わせて時点で作者に軍配。 私小説作家ということで半自叙伝(?)なんですよね。 時代背景は昭和の終わりとのこと。 重たく暗い雰囲気が漂う中にもどこか陽気な明るさを感じさせるのは、 それはきっと作者の人柄なのではないでしょうか。 某インタビューで石田衣良さんは「純文学は自分の病気自慢」との節を 言っていましたが、まあ共感します。突き詰めればその通りの気がします。 でもこういう作品が嫌いじゃない自分もいるんですよ。 肌に合っている、そう感じながら読みふけりました。 これは恵まれた環境しか知らない人には共感しづらい感覚かもしれませんね。 | ||||
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ついぞ芥川賞なるものには興味が無かったが、会見での「これから風俗に行くところだった・・・」やTV番組での「編集者は皆、敵です」等発言する著者の人柄?に興味を持ち、早速手にとって読んでみた。なるほど冒頭から「朝立ち」描写ではじまり、期待を裏切られなかったが、何と言おうか、中卒者の社会的地位の低さ・・・日雇い労働でのその日暮らし、その中での人との交友、ひと時の友情、ひがみ根性、望み薄い将来への不安・・・どちらかと言えば社会の「影」の部分を巧妙に描いているのだが、何故か悲壮感のような暗さはあまり感じられない作品。成功物語がある一方で、確実にある「苦役」話。大感動とも言えないが、決してつまらない作品ではなく、何か心に引っかる・・・と言った印象だ。太宰治ほどではないにしろ、こういう「暗い」作品には何故か人を惹き付ける魅力があるのだなあ・・・と、ただ、女性にはあまりウケないだろうな・・・という余計な心配もしてしまう一冊。 | ||||
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悪く言ってしまえば延々と救いようのない話が続くだけ、なのですが にもかかわらず意外にも面白く読めてしまう話でした。 表現がいいからかもしれません。 ただ、内容が内容なので、万人向けの話とはいえないでしょうし、 あるとき面白く読めても別なときに読むとまったくだめ、ということもあると思います。 | ||||
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下卑た感情表現が多いし、あまり触れられたくもないけど、 きっと誰にでもあてはまる欲望の動きが描かれてるんじゃないかなって思う。 (認めない人もいるかもしれないが) こういう考えってよくないんだろうけど、労働階級をテーマにした小説を読むと生活のありがたみが増します。 小銭をもっていつでも立ち喰いそばに行ける喜びが再確認できます。 | ||||
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この小説は俺そのものだ。バブル期に同じような挫折感を味わいながら生きていた若者達も今や立派な中年オヤジになった。なにも成功だけが人生ではない…成功しない奴は生きてちゃいけないのかい?結婚しない中年オヤジはキモイのかい?冗談じゃない…俺も人間だ。 | ||||
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小説の内容からして、芥川賞を受賞していなければ、手に取ることのなかった本だと思います。 単純に言えば、父親が性犯罪者として逮捕されたところから、人生が大きく狂い、その遺伝子を継いでいるという引け目から、どんどん人生に消極的となり、孤独で怠惰な日常を送っている、そんな男の物語です。 これだけの内容であれば、途中でこの本を投げ出していたかも知れません。 でも、この本には、それだけではない魅力がありました。 この内容であれば、どうしようもない読後感を抱いても不思議はありません。 しかし、この本には、そんな悲惨な毎日を描いていながらどこか切迫感がありません。 それどころか、何か可笑しみと言うか、ちょっとした「余裕」の様なものを感じます。 それは、どうしようもない奴と言うイメージだけでない主人公の憎めなさに由来しているのかも知れません。 それでも、個人的には一緒に収録されている「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」の方が、説得力を持って受け止めることが出来ました。 逆に言えば、表題作は余りに自分の人生とかけ離れているため、共感しにくい面があるからかも知れません。 | ||||
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芥川賞作品ということで、どうせつまらないだろうと偏見を持ってしまい、この作家の書いた全作品の最後に読むことになった。私も臨海副都心再開発時に、あの辺で働いていたので、殺伐とした工事現場の一日の終わりの広大な夕陽が思いだされた。最後に『苦役列車』を読むと若い男との友情が描かれていて新鮮な感じがした。まずあの巨大な工事現場を実際に見た者にしか書けない正確な風景描写に魅了された。いま女性だらけの東京臨海副都心は、かつては女性が存在しない場所だった。日雇労働者の拘束時間中の楽しみは、昼の弁当だけなのだ。いろいろ意見があると思うが、私にとっては結局『苦役列車』収録の二作品が、この作家の全作品の中でいちばん良かった。 「或いは貫多だけの感慨かも知れないが、鈍重なコンテナ車のみが行き交っている前途の展望には、まさに今、着々と地獄の一丁目に近づきつつある実感と云ったものを抱かされ、それが今更ながらにウンザリで、我知らず消極的な沈んだ気分になってきてしまう。 そしていよいよ目的地が見えはじめ、最早覚悟も決め直して一寸窓からその方を眺めやれば、すでに倉庫の横手を流れる京浜運河には艀が停泊し、沿岸にクレーン車もスタンバイされた上で、陸の上では倉庫の社員たちが駆る数台のフォークリフトによって、パレットの準備も手際よく進められているようであった。」(18ページ) この作品には、この作家の生い立ちの傷が、全作品の中で最も具体的に記されている。また日下部という精悍な男性に対して一方的に友情を求める喜劇的な描写が痛ましい。この作家の人間関係は、いつも相手に愛を求めすぎる結果、相手を逆恨みして破綻する。 『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』は、無名作家時代の名声へのあこがれが、あまりにも正直に描かれていて心を揺さぶる。 最後に、この作家の自費出版である田中英光私研究7、8に収録された二作品について紹介したい。30歳になる前に書かれたものだが、スタイルはすでに完成されており、いずれも強い印象を残す佳品である。『室戸岬へ』当時傾倒していた田中英光の不明部分を調査するために室戸岬に行く話。まるで刑事のように生存者の聞き込みをするのだが、その前に酒場で偶然に出会った現地のグループの中の女性に勘違いの恋をする。『野狐忌』田中英光のためのたったひとりの『野狐忌』。青山の立山墓地、三鷹の禅林寺の墓参、世話になっていた二人への暴行事件が詳しく描かれている。知人の懇意にしていたホステスに火のついたたばこを投げるシーンが印象的だ。この二作を見ると、現在の藤澤清造へのこの作家の墓参が、田中英光を見習っていることがわかる。 | ||||
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イヤー芥川賞受賞で初めて読みましたが、自分で書けない、触れられたくない部分をきれいな文体で書いてるさまは、素晴らしいですね ある意味、感動しましたよ 朝、出勤中、電車の中で読むと何故か素直な気持ちになります これを読むと、今回の大震災も乗り越えられるように思えます | ||||
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多くの人がこの小説を読んで主人公の貫多に自分自身と重ね合わせてある不思議な満足感と共感を得たのではないでしょうか。ひとの心の奥底にひそむ黒っぽいドロドロとした何かがこの作品には表現されています。最近の芥川賞がいかにも優等生的な作品や人気集めとも疑われかねない美人女流作家の受賞が続いた中でこのような作品が受賞作となったことは正直胸のすくような気持がしました。人生の中ですべての人が一度は乗車する苦役列車に一生乗り続ける貫多は黒々とした力強い光線を放っています。 | ||||
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芥川賞受賞作品として、掲載された文藝春秋誌上にて読む。 著者の半生に基づく私小説ということだが、私が想像する私小説のイメージよりも、もっとカラッとした印象が強い。むしろ、劇画を読んでいるイメージに近いと思う。 その日暮らしの日雇い労働に就く中卒の若者(『北町貫多』という命名自体が人を食っている)が、職場である港湾倉庫で知り合った同年代の専門学校生との友情に破れ、尚且つ暴行事件を起こし日雇いの職場をも追われる身と成り下がる顛末が綴られるのだが、かなり悲惨なその境遇を語る著者の筆致がとてもテンポがよくかつ客観的でもあり、主人公の犯す愚行の数々が、いじましいと言うよりもむしろ痛快であり、その無頼派ぶりには爽快感すら抱かされる。 著者が私淑したという藤澤清造らの文体の影響か、漢語を多用したり、古風な言い回しを用いたりしているが、それがむしろ潔くかつ新鮮に思われ、見事に文体として小説の枠組みを支えている(小説を書くとき、英語での表現を意識して文章を書くという村上春樹氏と、何億光年も遠い存在であることか)。 また、登場人物も適度に戯画化して描かれており、客観的で、しっかりとした足腰の強い小説世界の構築に寄与している。 何はともあれ、芥川賞小説がこんなに面白くて良いのだろうか?(実は、同時受賞の『きことは』は、著者の優れた才能を大いに認めるものの、正直読みながら何度も居眠りしてしまった)。 行く行くは性犯罪を犯したと言う実父を主人公にした作品も手がけるとのことであり、文学としての出来不出来なぞは兎も角、早くその作品を読みたいとものだと今から楽しみに思った次第である(H23.3.27). | ||||
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