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僕が死んだあの森
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僕が死んだあの森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.08pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全12件 1~12 1/1ページ
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クズ主人公は運や周囲に助けられ続け、被害者の少年とその家族はひたすら気の毒 この作者の本で一番後味が悪かった | ||||
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加害者も被害者も普通の子供。 それにより事件に怯える姿がリアルで恐怖 特殊な悪人も出てこない、登場人物全部普通 だけどストーリーの先が読めなく、おもしろい グイグイハマる | ||||
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道徳の教科書を思い出していた。 ラストは、いとこどうし、とか、死刑台のエレベーター、それらのラスト、ヌーヴェルヴァーグのクサいところみたいな終わり方だよね。 訳者あと書きにもあるが、パトリシアハイスミスの作品みたいだ。 黒いお話、大好きです。 | ||||
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訳された外国の本を読む時は、翻訳家はもうセカンド作家と呼んでいい程、重要な存在になります。アレックスはあっという間に読めましたし、辛いですがお気に入りです。この本も最初からそんな感じで始まっていくのかと思ってましたが、書き方も違うし、少し戸惑ってます。そうしてる内に、地震、コロナ、戦争が勃発、鬱が酷くなり、笑える本、何かわくわくできる物に触れたくて、20ページ?ほどで止まり読んでいません。 忍耐強ければ、いきなり展開が早くなっていくのかもしれません。飛ばし飛ばし読むのは嫌なので、あーそうだ、朝に読んでみよう、昼間とか。でも、やはり暗い鬱々してて、今の自分はよみたい気持ちになれないので、何かの瞬間にふと読みたいという時がくるでしょうから、その時まで置いておきます。アレックスに関しては、私自身、虐待の被害者でアレックスのような行動は取れませんが、理不尽な家族を選べない気持ちが痛いほど分かるので、二回読み、二回目は警部に関しては興味が前より沸きました。アレックスに対する見方も、より深く全体を把握できたきがします。アレックスはこの世にもういないから。アレックスの続編はあり得ないけど。。アレックスを映画で見たいとも思わない。それくらい、Alexが強烈でした。何故日本のタイトルはその女Alexとしたのでしょう?海外ではAlexです。海外のタイトルはそのまま訳さずつけて欲しいと映画とかにしても常々思います。またいつか、僕が死んだあの森は鬱が良くなれば?読んでみたいと思います。なので評価は2。 | ||||
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ちょっと日本語タイトルが、なんで?と思いますが、でもやっぱり読ませられるパワーがあり手離せない1冊です! | ||||
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話としては単純だが、とてもリアルで、主人公は好きになれないけれど、我がこととして考えると責められない、という感じかな。死んだ子供とその両親がかわいそうすぎて満点はつけられない。 | ||||
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加害者側の心理…。 人間誰しもその立場に “意図せず偶発的に” 置かれてしまう可能性があり、殺人まで至らなくても(そこまで起こしていたらたいへんだが)、誰しも子供の頃からちょっとしたことを隠したことがあるのではないだろうか。 本書はその恐怖におびえる心理を非常に巧みに描いている。すごい。鬼才だ。傑作! 自分の感想をもっと述べたいところだが、これ以上は何を記述してもネタバレになるので控える。 願わくば、この欄のカスタマーレビューも一切先に読まないことをお薦めする。 (幸い私は幾度も痛い目に遭っているので、今回も読まなかった。おかげで本書を存分に堪能できた!) | ||||
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原題は『三日間、そして一つの人生』という意味である。このスリリングで圧倒的な物語を読み終わった時点で、敢えて意訳すると『三日間が決めてしまった人生』あるいは『あの三日間から逃げられないでいる人生』『人生のすべてはあの三日間だった』などなど。 少年の物語は夢多くあれ、と思うのだが、本書は少年の物語でありながら作者がピエール・ルメートルだから、スリリングでミステリアスで皮肉に満ちた物語にしかなり得ないだろう。そんな想像力で、淡々と書き綴られるこの少年の物語を読んでゆくと、まさにスリリングでミステリアスで皮肉に満ちた物語として本書を楽しんでしまったのである。やっぱり、だ。 第一部、1999年、ボーヴァル村。少年アントワーヌ、12歳。隣家の少年レミ 6歳。前者は後者を殺し、死体を森の中にぽっかりあいた穴に投げ入れてしまう。一瞬の憎しみの原因になったのは、前日に起こった隣家の犬の死。レミの父が轢かれてしまった犬を銃で撃ち殺してしまったのだ。レミの父への怒りをその息子への責めと暴力で果たしてしまったことにより、少年はこの時から殺人者となった。 レミは失踪事件として捜索されるが、村は大洪水の災害に襲われる。 第二部、2011年、アントワーヌ、24歳。帰郷。 第三部、2015年、アントワーヌ、28歳。罪と罰の結末。思わぬ結末。 第一部が、三日間の出来事で作品の流さで言えば三分の一を占める。三日間が濃縮され煮詰まったスープのようにアントワーヌの人生を決定づけているかに見える。 ルメートルと言えば、奇をてらった意想外のミステリーの書き手という印象が強いが、本書はフレンチ・ノワールを少年小説のオブラートで包んだことで、より人生の深みや皮肉への到達度が深い味わいをもたらしているように見える。 ミステリーとしては地味ながら、人間の罪と罰、自然災害のスケールを物語のクライマックスのように持ち出して、人間生活のちっぽけさを浮き出させて見せる。隣人や家族の人間関係と、男女の恋愛や青春を、不安定な秘密生活の上に乗せて見せる。 上っ面と真実。笑顔と恐怖。それらの二律背反を配置して、人間心理の暗黒を垣間見せる描写に長けるこの作家の面目躍如といったところか。 さらにこのフレンチ・ノワールならではの心理サスペンスの果てには、驚くべき結末が待っている。最後のどんでん返し。仕掛けと物語力に満ちた、実に上手い小説が一丁上がりというわけだ。 気になることに本年の新作がルメートル自身最後のミステリーとなると宣言しているそうである。この作家のミステリー・エンタメ作品。一字一句を胸に刻むように読んでゆかねばならないのかもしれない。 | ||||
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なかなか面白い小説で、例によって、仏文翻訳家がどのように、小説を訳しているのか、知りたくて、また、原書を注文してしまった。 悪い癖? さて、どうにも分からない部分があるので、これを明らかにしたい。 まず、標題のフランス語の longtemps の件。 ほかの邦訳書のレビューでも書いたが、 longtemps あるいは longuement は、「しばらく」ではなくて、「長いあいだ」であろう。 邦訳の136頁。「一人で家に帰ったアントワーヌは、自分の部屋の窓辺に肘をついてしばらく遠くを眺めていた。」 原文:Rentré à la maison, Antoine resta longtemps accoudé à la fenêitre de sa chambre à regarder au loin. →「家に戻ったアントワーヌは、自分の部屋の窓辺に肘をついて長いあいだ遠くを眺めていた。」 「しばらく」のフランス語は、un moment であろう。 それから、9頁。レミの年齢は、原文には、6歳とは書いていない。単に petit Rémi Desmedt とあるのみ。 90頁。7章の冒頭部分〔誤訳ではない〕。「コワルスキー氏逮捕の話に動揺したのは、クルタン夫人もアントワーヌも同じだった。ただしアントワーヌの場合は話そのものではなく、話を聞いて自分が考えたことに動揺した。彼は自分を責めながらも、こう考えずにはいられなかったのだ。自分以外の誰かが犯人にされるなら――そんなことがありうるかどうかは別にして――ほかの人よりコワルスキー氏のほうがまだしも気が咎めずに済むと。」 原文:Cette arrestation avait remué Mme Courtin et son fils. Antoine se reprochait de le penser, mais c'était plus fort que lui: si M. Kowaruski était déclaré coupable - il ne se posait pas la question de savoir comment ce serait possible -, ça le gênait moins que si ç'avait été quelqu'un d'autre. →「コワルスキー氏の逮捕は、クルタン夫人とその息子のアントワーヌを動揺させた。アントワーヌは自分が考えたことについて何やら疚しさを感じた。だが彼には、この考えに抗うすべなどなかったのだ。つまり、コワルスキー氏が犯人だと言われたなら、――そんなことがありうるかどうか、そもそも分かるはずもないのだが――ほかの誰かが犯人とされた場合よりも、自分の気がさほど咎めないと。」 難所は、c'était plus fort que lui のところであろう。これは、とても役に立つ表現だ。 さて、まったく理解不能なのは、原書の日付の奇妙さである。 どうやら、訳者は、翻訳の際に修正していると思われるが……。 214頁の、六月は、原著では、六月半ばになっている。 215頁の「そして九月末になった」は、原文では、「十一月末になった」とある。 226頁の「十一月に入ると」は、原文では、「十月に入ると」となっている。 どうも、原文のほうが間違っているような気がするが、そんなことってあるのかなぁ? この項、続く〔よね〕? | ||||
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なんとも恐ろしい題名だが、「その女アレックス」以来ずっと読み続けているフランスのピエール・ルメートルの新作。 原題直訳は「三日と、一つの人生」。 隣家の6歳の子供を “はずみ” で殺してしまった12歳の主人公が、混乱のなか死体隠蔽、そこから彼が住む村中が騒然となる三日間。 それをなんとか切り抜けるも、その後も罪と罰と恐怖に苛まれ16年、最後は予想外のクライマックス。 いや〜、これは予測できなかった。 アメリカのスティーヴン・キング作と比べて、人間味を排除した幾分冷たい作風だが、これもまた病みつきになる。 | ||||
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とても面白かった・・・だけではない。 忘れがたい印象を残す傑作。 ただ後から気が付いたのだが、本のカバーに書いてある粗筋は絶対読んではいけません。 「12歳の少年アントワースは、隣家の6歳の男の子を殺してしまった」・・・以上です。 これ以上はネタバレです。 私は極力本の内容を知らずに読むのを常としていますのでとても楽しめましたが、気軽に紹介文を読んでしまうと面白さは半減します。 この本はそういう本です。 ご注意ください。 | ||||
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ピエール・ルメートルのTrois jours et une vie(2016年)の本邦初訳。ノン・シリーズの、近過去(1999年)と現在を舞台にしたミステリーである。 主人公は母と2人で村に住む12歳の少年アントワーヌ。隣の家の犬が交通事故にあって、主人に安楽死させられてしまったことに絶望しているところに、隣の家の6歳の息子レミに出会ってしまい、怒りの余り木の枝で殴りつけたら、打ち所悪く、レミは死んでしまう。 アントワーヌはうろたえながらも、どうにかレミの死体を運び、巨木の下の洞窟に放り込む。 事件はこれだけ。あとはこの死体がいつ、どうやって発覚するかのミステリーであり、この犯罪の重荷を背負ったアントワーヌがどうやって生きていくかのミステリー(または人生小説)である。 読みやすく、面白い小説と思う。私は満足した。 しかし、ピエール・ルメートルの過去の名作ミステリー群の衝撃をもう一度という期待で読まれる方の中には、なあんだ、とがっかりされる方もいらっしゃるかもしれない。 本書では、犯罪があまりにも少ないからだ。犯罪発覚に怯える少年心理の描写や、村を襲う嵐のサスペンスはなかなかの迫力だが、ピエール・ルメートルブランドとしては・・?? むしろ、本書はラブストーリーとして面白いというのが私の感想。ラブストーリー自体は犯罪とは関わっていないので、ちょっとネタを話してもよいだろう。 本書の後半では、医学生になったアントワーヌと、ローラ、エミリーという2人の女性との三角関係が大いにストーリーを盛り上げる。 ローラはアントワーヌと同じ大学の医学生。二人は大学の近くで同棲し、激しい愛の生活に溺れていた。 しかし、アントワーヌは村に一時帰郷したときに、初恋(というより満たされなかった初欲の)の相手エミリーと会ってしまう。エミリーにも婚約者がいたが、二人は夜の公園を散歩中に、ベンチの上で情事に至ってしまう。 アントワーヌはこれで終わりと思っていた。しかし、一度きりの情事の結果は・・おなじみの・・。 というわけで、メロドラマティックなちょっと古風なラブストーリーの好きな私は、この本に十分満足したのです。 | ||||
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