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ブラフマンの埋葬
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ブラフマンの埋葬の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.95pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全57件 21~40 2/3ページ
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読み終わった後、人としての切なさを感じた作品です。 飼い主の「僕…以下僕」は、一番愛するカワウソの『ブラフマン』と、いつも一緒にいる。 その日は、ブラフマンがいつも遊んでいる泉で、ブラフマンを初めて1匹にしてしまった。いつも遊んでいる泉だから大丈夫だろう。 「僕」はそう思い、「僕」が少し気になっている他人の恋人(若い健康的な女性)との束の間を過ごすための時間を選んでしまった。 人間の生活の中ではよくあることで、誰しもが同じ行動を起こすと思う。 但し、この度は『ブラフマン』を泉で一人り遊びさせることの状況が、下に示す様にいつもと違っていた。 ●台風の後で、枯葉が沢山浮いている。 ●危険なので泉に網を掛けた。 ●家の外では、一人遊びをさせたことがない。 ●「ブラフマン」は家の外では、いつも「僕」の居場所を確認しながら行動する。 人間はいやしいもので、自分のものにならないとわかっていても、欲望を満たすための行動を起こしてしまう危険性がある動物です。 その点、『ブラフマン』や飼われる側の動物は純粋に飼い主のことを思っています。 そんな身勝手な、人間の心の隙間をさらけ出した作品だと思います。 ペットの飼い方においてモラルなき飼い主が沢山いる日本人に向けたメッセージと受け取りました。 | ||||
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読み終わった後、人としての切なさを感じた作品です。 飼い主が一番愛する『ブラフマン』とはいつも一緒にいるので、泉で1匹で遊んでいても大丈夫だろう。 飼い主の「僕」はそう思い、飼い主が少し気になっている他人の恋人(若い健康的な女性)との束の間を過ごすための時間を選んでしまった。 人間の生活の中ではよくあることで、誰しもが同じ行動を起こすと思う。 但し、この度は『ブラフマン』を泉で一人り遊びさせることの状況が、下に示す様にいつもと違っていた。 ●台風の後で、枯葉が沢山浮いている。 ●危険なので泉に網を掛けた。 ●家の外では、一人遊びをさせたことがない。 ●「ブラフマン」は家の外では、いつも飼い主の居場所を確認しながら行動する。 人はいやしいモノで、自分のものにならないとわかっていても、欲望を満たすための行動を起こしてしまう危険性がある動物です。 その点、『ブラフマン』や飼われる側の動物は純粋に飼い主のことを思っています。 そんな身勝手な、人間の心の隙間をさらけ出した作品だと思います。 ペットの飼い方においてモラルなき飼い主が沢山いる日本人に向けたメッセージと受け取りました。 | ||||
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さまざまな創作の世界に携わる人々の為の保養所。 そこで住み込みの管理人として働く主人公の青年は、恐らく天涯孤独である。 天災か事故で大切な人・モノのいっさいを喪ったのか、家族のいない環境で最初から育ったのか、深い喪失感を抱えているだろう青年は、もしかしたら喪失の対象を具体的には記憶していないのかもしれない。 青年は骨董屋で見知らぬ家族の古い家族写真を買い求める。その写真に写る人々は、ひとりひとりこの世を去り、今はもういない。そんな無常観は、この青年には生きていく心の安らぎになっている。 主人公は、ある日傷を負った森の生き物(まだ子供)を偶然救い、ブラフマンと名づけ飼い始める。 (フェレット+プレーリードッグ+かわうそ)÷3×0.35 のようなこの動物に対する描写、主人公がこまめに世話をする様子、ふたり(ひとりと一匹)の日常の交流は、犬猫等を飼って家族同然に愛し育てた経験のある人なら、心を暖かくして読み進むことだろう。小さな動物の愛らしさを描いて余すところが無い。 小説のタイトルから想像がつくとおり、ブラフマンはひと夏を青年と過ごした後、事故であっけなく死んでしまう。 (美容院で読み終えて、パーマのカラーを髪に巻いたまま泣きました) 描写されていはいないが、青年は恐らく、死の直後はともかくとして激しく慟哭はしない。 家族同然、いや、それ以上だった小さな生き物を、心穏やかに見送るのだ。 喪の仕事(モーニングワーク)は、青年がもともと抱える無常観・喪失感に支えられ、しめやかに執り行われる。 小説の中で唯一、生な色彩を帯びているのは、青年の、恋人のいる雑貨屋の娘に対する横恋慕(欲望)である。その欲望が、小さな生き物を間接的に殺すことにもなるのだが。 小説に出てくるおびただしい石棺。主である死者は跡形もなく、みな小さな水溜りをのこすのみである。ブラフマンも最後は、小さな石棺に収められる。いつかその蓋はあき、中には小さな水溜りが残るのだろう。そのときはもう、青年もこの世にはいない。 本作はもしかしたら、傑作といっていいのではないか。 | ||||
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ブラフマンは、ある日怪我を負って主人公のところにやってきた。 多分、助けを求めて。 長い尻尾を持って、4本足の肉球の間に水かきをもち、水が大好き。 おそらく、哺乳類。小さなブラフマンと、主人公の 暖かい暮らしが始まる。 どこまでも続くといいなと思う、二人(?)の暮らしが描かれるが、 儚い幸せがいつ壊れるのだろうと考えずにはいられない、 なぜなら「ブラフマンの埋葬」というタイトルだから。 期待を裏切らない、静かな、愛情のこもった、 美しい小川洋子の日本語の文章と、 いつまでも心にしまっておきたくなるような 暖かい小説。 | ||||
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坦々とした物語。 タイトルにもなっているブラフマンは生物なのですが、具体的になんの生物かは書かれていない。謎の生物。 そしてこの人の特徴なのかもしれないが、名前が出てこない。 主人公の目線で話は進むが、主人公は『僕』。『僕』は創作者の家という芸術家が滞在する施設の管理人。そしてそこに滞在する人々も『碑文彫刻師』や『レース編み作家』など名前がない。 そして、舞台が日本なのか、海外なのかもわからない。 登場人物達の人物背景もわからない。 謎の多い話。 顔が無いからこそ坦々さが際立つのかも。 埋葬ってタイトルがついてるのでブラフマンは最後死んでしまうが、生命の生と死って静かで坦々としてるものなのかなって思う。 最後に奥泉光さんていう方が解説書いてて凄くわかり易いです。 あと静かにエロティックですこの話。 | ||||
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小川さんの作品は大好きでたくさん読んでいますが、なぜかこれが一番泣けました。 ブラフマンが「僕」を無心に慕う描写の秀逸な美しさに感嘆しながらも、同時に彼がどのようにして、又誰によって命を落とすのかという複線も早くからしかれていて、ブラフマンへの愛情が増していくのと平行して、すぐに来る別れへの哀しみが抑えようもなく胸に迫りました。 「僕」が哀しいとかショックだとかいう言葉をまったく使わないことが、よけいににブラフマンの喪失を深く感じさせます。「僕」の部屋のあちこちに残ったブラフマンの歯や爪の後、毎晩一緒に眠った記憶などとともに、これから僕」がどうやって暮らしていくのかと思うと、涙が止まりませんでした。周囲の人物の余計な感情も省かれていて、彼らの行動から、その想いがときに残酷なまでに露呈しているだけ、そしてそれでちょうどいい分量なのです。 すぐに読み返す勇気はないですが、大事にしたい本です。ちなみに、ブラフマンがなんであるかは、私はまったく気になりませんでした。描写が増えるたび、水かきやひげをしぐさを勝手に想像して、きっと読者の数だけある、いとしい想像の産物になるのではないでしょうか? | ||||
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「みなまでいわない」 そんなタッチが想像力を書き立てる。 この後味の悪さはいったいなんなのか 読後すぐというよりも 読後数年たっても強く印象に残っている作品です。 極めて長く、味わえる究極の作品かもしれません。 読み終わった直後は★3つとしていましたが 2年半が経過した今、5つへと変更します。 | ||||
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本作で唯一の固有名詞「ブラフマン」を付された動物(犬とリスの中間のような動物だが、その種名は最後まで明らかにされず、その特徴が詳細に記述されるだけ)と「僕」との交流を縦糸に、「創作者の家」の管理人である「僕」と「創作者の家」滞在者や雑貨屋の「娘」等との一時的または長期的なつながりを横糸にして編み上げたタペストリーのような小説。 小川洋子の作品に頻出する死のイメージ、死者を記憶すること、そしてやがてその記憶もこの世からなくなるというテーマが背後に控えており、それは作品の途中でも、古代墓地、石棺、そして誰からもかえりみられなくなったある一家の古い家族写真に象徴される。 とはいえ、決して重い作品ではなく、「僕」とブラフマンを中心に、多少の秘め事を交えつつ、日常の淡々とした生活が描かれる。どこの国の話か、「僕」の来歴といったことは一切省かれており、作品の抽象性は極めて高い。 心の中を風が吹き抜け、自分の周りの世界が静けさに包まれる読後感は著者の小説ならではのもの。1日で読める本なので、読書の秋に小川ワールドを探訪してみてはいかがでしょうか。 | ||||
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プロの作家がこういう挑戦をしてくれる、ってのは素晴らしいことだな。 ものすごく特徴的な作品。 これはまさしく、「小説だけのもの」。 いくらなんでもこれを漫画化しようとか映画化しようとかいう人は居ないだろう。(おそらく) もしかすると、何でもかんでも映像化され、あらすじ化されてしまう今の風潮への、著者なりの抵抗なのかもしれない、などど感じてしまう。 僕が書きたいものにすごく近い作品。 もともと小川洋子さんは、あらすじよりも文章の美しさ、描写の繊細さを大切にする人だから、すごく僕の趣味に合うんだけど、この作品は大胆にもあらすじをばっさりと切り落としている。 ある日突然、僕のもとにブラフマンが現れ、日常をともに過ごし、ある日死んでしまう。 ただそれだけの物語。うっすらと起承転結のようなものはあるけれど、決して波乱に富んだものじゃない。 タイトルからして、「ブラフマンの埋葬」とあるとおり、はじめから最後まで、かすかな死を予感させる。 劇的な死ではなくて、穏やかな、緩やかな死の匂い。 幕切れは突然訪れるけれど、それでさえ予定調和。 号泣も狂乱もない、純粋なかなしみ。 ケータイ小説で号泣しました!という人にはおすすめできないかもしれない。 | ||||
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『博士の愛した数式』で、妙にメジャになった感のある著者だが、そもそもこのひとはもっとマイナな、冷ややかな語り口が特徴の書き手だったはず。そしてこの作品は、そんな私の期待を裏切らない。ブラフマンは確かに愛らしい動物かも知れない。ブラフマンに対する描写にしても、愛情に溢れているようにも思う。だけどやっぱり、このひとの語り口はどこまでも淡々としている。これを凡百の作家の手で描かせたらどうか? 意図的にせよ、意図せずにせよ、まず間違いなく甘さに流されるだろう。それを考えると、この作家の凄さが判るはずだ。自然体で冷淡になる事の出来る書き手だ。私にとって、この作品が著者のベストである。 | ||||
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なんて圧倒的な孤独なのだろう。 作品の随所から感じる切なさ、哀しさ。頁を進めると共に深まっていく「僕」のブラフマンへの依存。そしてタイトル。 ブラフマンは木の虚が好きだった。覗きこんだその中で何を見たのだろう。 ラストシーンで、「僕」の中には小さな孤独の決勝の様な物ができたように思います。秋の乾いた空気に濃密な悲哀が包み込まれているのに、それでも穏やかさが存在しているのは人間が思い出に縋る生き物だから? なんて、自分勝手に感傷に浸りすぎでしょうか。でも小説を読む者はそれを勝手に解釈することが許されていますよね。 | ||||
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別荘管理人の主人公が、ある日行き倒れの動物を拾って「ブラフマン」と名づけ一緒に暮らし始める。主人公とブラフマンのやさしく、穏やかな日々と悲しい別れが小川洋子の静かな文章で美しく描かれている。実は最後まで「ブラフマン」が何の動物なのかは明かされない。読者は文章から想像するだけなのだ。ラグビーボール大で茶色の毛が全身にはえている。肉球があって、水かきがある。犬か?と思ったけど「しっぽが胴の1.5倍」で違うなと思う。誰かが「かわうそ」と書いていたけど、ブラフマンは主人公の部屋で暮らのだ。かわうそって水の中にいなくていいんだっけ??でもブラフマンは泳ぐのが大好き。なんだか小さいアポロ(家のワンコです)みたいだ。イタチとかそういうものかも。まあ、いろいろ予想しながら読むのも楽しい。ブラフマンは本当にかわいくて読んでいるといとおしくなる。そして題名でわかってしまう別れに向かって物語りが進んでいくのが悲しい。いろんな人の感想を読むと何しろ小川洋子は「博士の愛した数式」が、評価が高く「ブラフマン」はイマイチらしい。「博士」を読んでいないのでなんともいえないが、犬好き猫好きの人は結構これもキュンとくる。前の「偶然の祝福」にも犬が出てきたが、彼女の動物の表現はとてもリアルだ。鳴き声や泳ぎ方、表情の描き方に愛を感じる。犬を飼っているのかもしれない。 | ||||
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ブラフマンとは主人公の飼っている動物。その正体が最後まで不明。 それが犬なのかアザラシなのか、そのほかの爬虫類か何かなのかまったくわからないが、 それが問題にならないほどに、主題である『愛』がしっかり紡がれているとても暖かな本。 愛すること、愛されること、大事にすること、されること、守ることまもられる事。 そのシンプルな見本がブラフマンの生涯を通して書かれている。 難しいことでも面倒なことでもばかばかしいことでもない。 想い想われ、想い合う。 ただひたすらな当たり前の愛の偶像。 それこそがブラフマンという主人公なのだ。 読んでいるとささくれ立った気持ちがやんわりとほぐれはがれていく。 そんな棘のないそれでいてまっすぐなやさしさを存分に感じる一冊。 | ||||
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特別なイベントが起こるわけでもない。 それなのに面白い。 ありふれた日常生活の描写。 そこに描かれるありふれた物たちの息遣い。 世界をしっかりと描くように、アクセントを添えている。 | ||||
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著者の小説らしく、硬質な文章で安易な甘さに流されない。「解説」みたいに挿入されるブラフマンの特性の描写が、「僕」による一方的な感情移入に従って読むことを批評しているかのように。雑貨屋の娘やレース編み作家も、悪意を描くのではなく、物語が一方的になるのを防いでいる。それで読ませる力量がすばらしい。 特徴的なのは、言葉が伝わらないはずの生き物との会話を望む孤独な主人公の一途な思いが、ブラフマンの声を聞いてしまうほどであることと、いたるところに死があることでしょうか。墓地、幽霊、写真の家族、もちろんブラフマンも。死に囲まれて死までの時間をともに過ごすはずの友の死。静かな、しかし力強い印象の残るお話でした。 | ||||
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どこでもない場所の光景と、そこに生活する誰でもない人々のたたずまいを静かに確かに浮かび上がらせる小説。 「謎」を意味する名を授けられた生き物、「ブラフマン」。彼(オスである)と「僕」との短いけれどもいとおしい日々が綴られている。「ブラフマン」という響きそれ自体に求心力があり、彼の描写、「僕」との触れ合いの様子はなんとも言えないあたたかさに満ちている。思わず頭を垂れたくなるような気持ちにさせられる。「慈愛」という言葉が浮かんだ。 著者の小説は、ますます穏やかに、ますます残酷に、独自の世界を極めつつあると感じる。 | ||||
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どのページを開いても、描写が素晴らしく美しい! 小川洋子独特の透明感があり、キラキラと光る郊外の風景が鮮やかに広がります。 謎の小動物ブラフマンのしぐさ、表情が細かくイキイキと描写されています。 主人公の純粋な愛おしい気持ちが感じられて、深く心に染みます。 同時に、そこかしこに死の香りが漂います。 しかしそれは忌み嫌うべき死ではなく、気が付けば隣にあるような、静かな死です。 そこが、ただのメルヘンでなく、この作品が文学作品に仕上がってる所以だと思います。 ブラフマンの死も、静かに淡々と描かれています。 (しかし、なぜこんなに悲しいのでしょうか。悲しいとは一言も書かれてないのに。) ゆっくりと少しづつ味わって楽しむデザートのように、じっくりと読める作品です。 古本屋に売る事無くずっと手元に置いて何度も読み返したい一冊です。 | ||||
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ブラフマンとは最初犬だと思って読み進みました。すると水かきがついているという表現があり、「犬に水かきはあったけ?」と思います。さらにやたらと長い尻尾があることがわかります。この時点で私はもしかしてリスかもしれない、と思います。半ばまでくると、誰もこの動物の種類について言及しないことがわかり、「なんだ意図的に隠しているのか、最後には明かされるのだろうか」とそれが楽しみになりますが、結局は最後まで明かされずじまい。森の動物で人懐こく毛がふさふさしていて水泳が得意な動物、、うーむ、あまりいなさそうなので、架空の動物なのかもしれません。舞台もオリーブ畑がひろがっており、古代墓場が近くにあり、不思議な埋葬の習慣があり、これって日本じゃないなーとだんだん思うようになります。 主人公の青年は、雑貨屋の娘に恋心を抱いていますが、彼女はいまどきの割と自分勝手な娘として描かれてます。青年と彫刻家が自制心のある俗っぽくない人間であるのに対し、この彼女とレース編作家は「いる、いるこういう人」といったある意味人間らしい性格で主人公らと対照的です。結局彼女と一緒にいたいがために注意散漫になり、ブラフマンが死にいたってしまうのですが、(主人公にとって)かわいいブラフマンが自分をおいかけて足元にとびだしてきたというシーンは、私にもなついていた手乗りインコがそのようにして死んでしまった経験があるので、それを思い出して心が痛みました。 架空の場所の架空の動物、登場人物にも名前はないし、森・泉・草原が背景となった乾いた明るい情景の中、淡々と物語は進んでゆきます。夏の苦い思い出としてページをめくり終わる感じです。 | ||||
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在米中、ある獣医が、ペットは“unconditional friend”と表現していた。無条件の、無制限の、無償の、絶対的な友達。人は人と関わって生きていくとき、常に見返りのようなものを期待していないか?駆け引きのようなものを無意識に行っていないか?親友との関係に無条件の友愛をどのようなときも実践できるか?母親の子供に対する愛は神の愛に匹敵するほどの“unconditional love”であるとは度々いわれるが、果たしてそうか?様々な義務、見栄、自己防衛本能などから本当に解放された関係とは“僕”とブラフマンのような関係ではないか。様々な人間関係の狭間でストレスを受け疲れ、孤独を感じたときに、本当に魂を救ってくれるのは、こういう柔らかな存在である。そばにいるだけの自分の存在を100%信じて必要としてくれている、柔らかな存在だけだ。この“僕”のやわらかい記憶はブラフマンを失っても色あせることは無い。“僕”の内側から永遠に“僕”を包み励ましてくれる。作品を読み終え、自分は誰か大切な人、大切にしていると思っている人に対して、“unconditional love”を与えているのか“unconditional friend”になりうるのかを考えさせられた。 | ||||
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~ こちら(俗世間)とあちら(人間の力の及ばない世界)の中間点に『創作者の家』があり、『僕』そして『碑文彫刻師』がいます。雑貨屋の『娘』は完全にこちら側の人間で、土曜日に恋人が街からやってくるのを心待ちにし、街へ繰り出すための車の免許取得に余念がありません。そんな場所へ、あちら側から『ブラフマン』が不意にやってきます。『僕』は『ブラ~~フマン』を可愛がりつつ、『娘』のことも気になったり。 こちら=あちらの他に、深さ、というベクトルもあります。それは墓碑や石棺であったり、庭の泉であったりします。それらの描写には多くが費やされています。 こちら側の人間があちら側の深みにはまっていく、という作品が小川洋子作品には多いのですが(『薬指の標本』など)、この『ブラフマン~~の埋葬』では趣向を変えて、あちら側を眺めつつもこちら側に踏みとどまり、深みを静かに想う、ということをしています。 そういった微妙な位置取りを、あたかも自然に起きたかのように淡々と綴っていく本書は、一見地味ですが、実は非常によく計算された美しいフィクションだな、と感心しました。~ | ||||
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