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野火
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野火の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全88件 81~88 5/5ページ
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この薄い文庫本を読み終えるのに、二年かかった。一文節たりとも、おろそかにできない文章が続く。「戦争とは何か」を突きつけてくるだけではなく、「人間とは何か」を突きつけてくる。当たり前だろう。戦争とはそういうものだから。 戦争とはなんだったのか、それを考えることの出来る記録文学、評論、映画、ドキュメンタリーは幸いなことに多数ある。けれども、数の問題ではない。何かが足りない。それは「自分と関係のあることなのだ」という実感をもてるかどうかということなのだろう。例えば私の母の兄がどのような地獄を送ったのか。賢くて優しかった母の兄が、地獄の中でどのように変貌し、生きて死んでいったのか、その想像のよすががこの作品の中にはある。 「食料はとうに尽きていたが、私が飢えていたかどうかはわからなかった。いつも先に死がいた。肉体の中で、後頭部だけが、上ずったように目醒めていた。 死ぬまでの時間を、思うままにすごすことが出来るという、無意味な自由だけが私の所有物であった。携行した一個の手榴弾により、死もまた私の自由な選択の範囲に入っていたが、私はただそのときを延期していた。」 この作品の主人公は高学歴の人間だ。ベルグソンの言ったことがすらすらと頭の中から出てきたりする。また彼はクリスチャンか、あるいはその信仰を持っている人間でもある。聖書の詩句が彼の頭の中にある。しかし、信仰はどうやら彼の救いにはならなかったようだ。 「しかし死の前にどうかすると病人を訪れることのある、あの意識の鮮明な瞬間、彼は警官のような澄んだ目で、私を見凝めていた。「なんだ、お前まだいたのかい。可哀そうに。俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」彼はのろのろと痩せた左手を挙げ、右手でその上膊部を叩いた。」 | ||||
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「戦争」という私たち戦後の世代には未知の世界を実体験した筆者だからこそ書けた作品。 私はこの作品を読んで、戦争という限界状態に於ける「食」の重要さというものをひしひしと感じ、そして、人間が人間で無くなってしまうような戦時下に於いて、かろうじで人間としての倫理観を保つことが出来る術は、やはり宗教に対する信仰心でしかないのだと思いました。例えそれが幻想でしかなくとも、限界状態に於いて自分の人間としての尊厳を保持する為には、やはり見えざる絶対者を信仰する事で、少なくとも罪悪感の補償をするより他はありません。それにしても自分が実際にこの様な状況下に置かれたら、信仰が在ろうが在るまいが、もしかしたら人肉を食べて生き延びる方を選んでしまうような気がして、恐ろしくなりました。 そして終盤に、「戦争を知らない人間は、半分は子供である。」という何とも深い一文がありますが、戦争体験者の方からすれば、体験でなく理屈でしか「戦争」という魔の世界を認識できない私たち戦後生まれ戦後育ちの人間など、幾ら頑張っても、幾つになっても子供にしか見えないのが事実なのでしょう。しかし、折角「理性」を備えた「人間」という生き物を、それ以前の最も野蛮な一個の「動物」としての姿に引き戻してしまうこの様な悲惨な「戦争」は、二度と繰り返されるべきではないと思います。そう思わせてくれるほど、リアルな読み物でした。 | ||||
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今年も終戦記念日を前に、この小説について考えてみたいと思う。 物語の主人公である田村は、本体を追放され、フィリピンの島内を彷徨する。人道的価値観を持った主人公は、戦争だからと割り切り、時には不本意な行動を起こさざるを得ない状況に陥る。しかし生命の極限に立たされても人肉嗜食には、踏み切らなかった。彼の思想には一種、人間をも超越した神の価値観が存在するかのような不思議さを読者に与える。 この作品は、理路整然とした文体で情景描写に長けており、文学的、芸術的価値も多大だと思われる。本作品から我々が得るべき教訓は、戦争という市民的価値観に反した行為は、単に人命だけでなく生命の根源的尊厳の侵害に当たるのだということを認識することだと思う。戦争の真実を伝える作品として、今後も輝き続けてほしいと切に願う。 | ||||
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フィリピンの戦地の自然描写が克明ならば、日本兵田村の心理描写は圧倒的の一言に尽きる。戦争文学と分類されるが、極限状態における人間の本質に迫った文学として、映像芸術等も含めた全芸術の頂点にある作品であろう。あとがきの著名な作家までが本作の奥深さにピント外れなことを書いている(私のもっているのは角川文庫、平成元年改版)ように思うが、敗走し死に彩られた崖っぷちにあって、人間性の怒り、国家とはなにか、共同体(軍隊も含めて)とは、激しく、しかし恐ろしいほどの冷徹さをもって、描き出される。評者もややズレルかもしれないが、ベトナム戦争でカーツ大佐の首をとった地獄の黙示録等を想起した。ただ、映画ではどこかダルなところがある。一切の虚飾を排した本作は、素直に読めば、グイグイ引き込まれて一気に読めてしまう。大岡文学が世界の頂点だ。 この偉大な作品を評することはそもそもできず、各人が己の観念や経験を基に実際に読むしか無いのだが、評者はこの作品をいつも外国に居るときに読むようにしている。本作がどの程度、大岡昇平氏の実経験に基づくのだか不勉強で知らないのだが、不思議と田村がレイテ島で放り出された心理状態をトレースするのに、自らも外国に居るときの方が作品に入って行きやすい。座っていれば飛行機の中で食事が出てくる現代の旅行と較べたりすれば、大岡氏に失礼ではあるのだが・・・ | ||||
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戦地の極限状態を描いた作品…と聞くと、なんだか政治的、扇情的な作品を連想してしまいますが、 本作はそうではありません。作者の圧倒的な語彙、表現力、文章構成力により、 凄惨な世界がただ生々しく、今まさに目の前に繰り広げられている現実かと錯覚するほどにリアルに描かれています。 戦地から戻った主人公の人間性を喪失した姿も、淡々と描かれていることで逆に強烈な印象を残します。 国家のために戦をし、人と人が殺め合う愚かさをどれほど理屈で説くよりも、 本作を一読すれば、誰も戦争をする気にはならないのではないでしょうか。 それともそもそも本作を読み進めるだけの知力を持たない人々が、 本能に駆り立てられるまま、人に人を殺めさせるのでしょうか。 | ||||
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「お国のため」と、応召した貴重な命をかくも扱う軍隊とは・・・ それは、敗色著しい極限状況ゆえの“特別な”様相であったのかもしれないが・・当該小説を通し、当時の日本(軍)について知りえたように思う。そして、「国家」とは・・?また、「国民(個人)」とは・・?と、考えさせられた。 自分と(普段あまり意識することの無い)「国家」というものとの関係を改めて考える好機となる小説であるように思う。 また、小説中に出てくる「デ・プロフンディス」「野のゆり」「死者の書」などの章の名、主人公を引き寄せる「十字架」、出来事の生起する「会堂」、引用されるベルグソンの思想などを丹念に読み解いていくならば、著者の考える「国家」を超えたより大きなモノにぶち当たる予感を感じさせられる小説でもある。 | ||||
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生の極限に達した時、人は何を思い、どう行動するのか。 異国の地で敗残兵となった「私」は、与えられた一個の手榴弾によって死の自由を手にしながら、常に生を選択する・・・。 緻密な描写は、今まで飢餓というものに無縁だった身にも、ほとんどそれを体感させる。安易な感傷を峻拒する内容は研ぎ澄まされた文体と完全に一致している。必然的に「私」の行為も「私」によって容赦なく分析されていく。 深遠な思想を浅薄な読み方で汚(けが)すべきでないと思うと、身が引き締まり、意識的に速度を落とした。 泣けばストレスが緩和されると聞くが、涙で洗い流すことなく、歯を食いしばって読んで頂きたい。 | ||||
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飢餓の極限状態に陥ると、人間誰でも自分の本質に出会う。これは生きのびることを選択した段階で、今まで持ち得えてきた己の理性や倫理観を根本から除外すること。戦場という尋常でない殺伐としたフィールドの中で、たった一人の田村一等兵を間近で観照しているような感覚になりました。かなり読み応えのある秀作です。 遠藤周作の「深い河」“木口の場合”が印象に残った方、この本も読んでみて下さい。 | ||||
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