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(短編集)
こちらあみ子
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こちらあみ子の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全90件 21~40 2/5ページ
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今村夏子の作品を読むのは、本作が初めてだったのですが、本作読了後、さっそくAmazonで彼女の本を注文しました。 今村夏子は、彼女の作り上げた文体に魅了され、別の作品も読んでみたい、と思わせる、そんな作家の一人となりました。 本作に収録された三作品はいずれも、誰もが書いてこなかった今村夏子にしか書けないオリジナルな視点と文体だと感じます。 このオリジナル感を味わえる文体で読ませる作家を見つけると、とても嬉しくなり、その作家の他作品を次から次へと読んでみたくなります。 文体に魅力があれば、ストーリーが何であれ作品を楽しめるのですが、そこに更に物語性が付加されると、それはもう傑作というしかない凄みをもった作品になります。 たとえば、本文庫で解説を書いている町田康も、初めて読んだ彼の第一作目『くっすん大黒』の文体に超衝撃を受け、それからすっかり彼の作品にどっぷりハマることになった作家の一人ですが、そんなオリジナルな印象を今村夏子からも感じます。 | ||||
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ただただ純粋な人故に気づいてしまいう。 弟が妹が欲しかったんよね。 | ||||
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象徴的な誰にも繋がらないトランシーバーはあみ子そのもの。見えないものをみたり聞こえない音をきくようにあみ子はあみ子の世界に住む、思いのままに行動する、ゆえに完全に自由。人は1人で生きる事はできない。そんなたいそうな事を言いたいのではなく、日々相手の言葉に頷いたり小さく意見を言ったり相手に合わせたり合わせて貰ったり。人は距離感で生きてる。あみ子のその自由さが、関わる人を加害者にもするし被害者にもする。誰かを大切にしたい想いは皆一緒なのだが。 だから切なく悲しい。 題名と表紙の麒麟が逸品。この作品を見事に表す装丁。 | ||||
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映画『花束みたいな恋をした』を見たあとに帰りのバスで思わず検索、購入しましたが、1年近く経ってやっと読めました! 昔はよく本を読んでいたのに最近はスマホ、動画ばかりで全然読めておらず、考える力も思い出す力も衰えて来た中で久しぶりの読書でした。文章力もないし、人と感想を言い合ったりするのも得意ではないですが、思ったことを書き記しておかないとという気持ちになりレビューを書いてます。 こちらあみ子は、なんとなく読みながら千と千尋のカオナシがちらついてくる作品。 悪意なくしたいこと、してあげたいことをしただけなのに。環境次第で、十分に過ごしやすくなること。今いる環境が全てじゃないよと。ただ噛み合わなかっただけで、否定された、それがあなたの本質ではないよとあみ子に言ってあげたい。けど、実際あみ子が身近にいたら関わりたくないだろうなと。 自分がこの中の誰かであったときに、どう行動するだろうかと非常に考えさせられた作品でした。 ピクニックは女の悪いところ怖いところがぎゅっと詰め込まれた作品でした。序盤から違和感は伝わってきていて、七瀬さんがそうではないことはわかりきっていました。けど、ルミたちのことはそうではない(と、思いたかっただけなのかはわかりませんが)、そうであって欲しくないと願いながら読んでました。今でもちょっとだけ、そうではないのではないかと思っているところもあります。ですが、新人が最後、仲間という表現になっているのがもう…。読了後はスッキリしていたのに、時間が経つに連れてモヤモヤが広がってくる作品。 チズさんは、比喩的ながらも1番わかりやすい作品だったかなと思います。 わたしはまだ若いけど、まっすぐ立てているかなと思ったし、作中の“私”のように一時でも人をまっすぐ立たせることができるだろうかとも思った。また、作中の家族のようなことは絶対にしないよう気を付けたいと思ったけど、実際普遍的に行われている会話なんだろうなと思った。 これは3作品通して言えることですが、他者を敬い万人にきちんと丁寧に接していきたいと感じました。読むだけではここまで思えなかったと思います。読んだあと、考えて整理することで気付けました。そんな作品です。 | ||||
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いやはや、心がざわつく作品集だった。 あみ子は発達障碍を持っているのであろう。言動が一途でストレート、周りの人たちの気持ちを理解できない。周りの人たちは、あみ子の言動にイラついたり、悲しんだり、傷ついたり、怒りを爆発させたりするのであるが、あみ子は意に介さない。というより、悲しませようとか怒らせようなどと意図は全くなく、逆に相手を思いやっての言動がほとんどなのだ。しかし、結果的に周りを混乱に陥れてしまう。 ある障碍を持っている人が、例えば「アスペルガー症候群」と診断されたとして、周りが何もしなければ、その症状は更に進行するかもしれない。要は、その人ではなく、周りの人たちがその人を丸ごと認め、支えていくことなのだと思う。 確かに心がざわついた作品であったが、読後はなんだか清々しい気持ちになっていた。あみ子のことがちょっぴり理解できて、嬉しかったのかもしれない。 | ||||
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表題作「こちらあみ子」について。 物語の主要部は、あみ子が小学校から中学校卒業までの破天荒な出来事である。それと対比させる形で、冒頭部分と終わりに描かれている(再生した?)あみ子の様子が印象深い。家族と離れた土地で祖母と二人で暮らし、地元の小学生さきちゃんと友情を交換するあみ子の姿が、小津安二郎的な静謐な雰囲気で提示されているのだ。 あみ子とさきちゃんはまるで疑似母娘のようである。あみ子自身の母娘関係は壊れてしまったが、それから時を経て、さきちゃんへ分けてあげるすみれを土から掘り起こし、ビニル袋へ丁寧に滑り込ませる様は、少女時代のあみ子とは別人のようだ。 しかし、ここで私ははたと気づく。「弟の墓」をこさえた時のあみ子と今のあみ子はどこが違うのだろう?祖母に「あみちゃんな」とおそらくはその土地のアクセントで呼ばれ、あみ子は虚を突かれたように、すみれの入った袋を落とす。昔とかわらずそそっかしいとも思える。 しかし、今のあみ子には、坂の下を竹馬に乗ってゆっくり上って来ているさきちゃんを見やることができる。彼女が来るまでに祖母の用をすることができそう・・・と予測している。よかった、あみ子は大人になったようだ。 だけど、たぶん、あみ子には昔からこういう「聡い(さとい)」資質があったのじゃないか・・・とも思う。書き手の残酷な手腕で、読み手にも「あみ子、もっとコワレろ!」と思わせてしまうほどであったけれど・・・。それから、標準語で話している、小ぎれいそうなさきちゃんであるが、彼女にうっすらとかつてのあみ子が持っていたエキセントリックさのかけらを感じてしまう。あみ子、複製されてる?いや、書き手、うまかった。 | ||||
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映画にもなった作品。風変りな女の子の設定だがそうは思わなかった。 | ||||
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友達が読書会で取り上げた本です。さすがにすごかったです。自分で経験したことのない発達障害の人の心の世界を、こんなに書けるなんて、と思いました。きれいごとがなくて、リアルです。 | ||||
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個人の視点で見た日常を他者視点で見つめると、こうも印象が違うものなのかと物悲しい気持ちになった。 主人公の純粋な心と、理解を示そうとはするが受け入れることが出来ない周囲と、どちらの気持ちも見えて、読了後は切なくなりました。 | ||||
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読んでいてザワザワする作品は何度かあったけど、こんなに具合が悪くなるのは初めてです。 こんな子がクラスにいたら、家族にいたら、色々考えさせられました。 | ||||
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こういうのが普通。ということを共有できる人だけで、暮らしていければ、たぶん楽なんでしょう。けれども、学校であれ、職場であれ、地域社会であれ、(場合によっては家族ですら)なかなかそうはいかない。一人は楽。でも一人が楽じゃない人もいる。楽かどうかも考えない、意識しないという人もいる。自分があみ子だったら、どんな感じだろう?家族にあみ子がいたら?クラスメートだったら?接点の少ない知人だったら?じわじわ刺激を感じ。少し時間を開けて、もう一回読んでみよう。 | ||||
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プロローグを読んで最初はイマイチ理解不能でしたが、読み進めて行く内に、こ、これはスゴイ!とあっという間に読み終えてしまいました。いたずらにDSM5に照らし合わせるなどという無粋は控え、作者様がこういう人たちの心に成りきってしまっている点にただただ唸るというか生唾を呑み込むというか・・・緊張を強いられます。読み終えて一番思ったことは、あみ子が生きた時代背景はいつだろう?ってことでした。昔は児童心理学がまだ広く研究されておらず、あみ子のような子はこういう目に遭ってしまうことが普通だったと思います。現在なら精神科や教育学部の介入とケアによって、特別クラスや施設等、彼女に見合ったケアがなされると思うのですが。続く「ピクニック」は、(雑で鈍いようでとてもやさしい)周りの人たちの理解があって何とか生きていけてますが、やはり定期的なカウンセリングと認知行動療法的アプローチは必要でしょうか?延々どぶさらいする姿は逞しくて楽しくて、そして憐れでもあります。 | ||||
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誰しも私達世代なら義務教育の中で、クラスに1人は「あみ子さん」はずっといたから、良く知ってるはずです。私のあみ子さんは、読み始めてから終わるまで、私が思い出した男の子の顔になっていました。 その子は特別に先生に親切にされていて、時には酷いイジメにあったりしても、先生や私や少数の人が守ってあげたりしましたが、親切も悪意も、まるで自然なことの様な佇まいで、嫌なことからは全力で逃げて、好きなことは際限なくしている子でした。 自分は親切にされたら、やっぱりありがたく感じるし、酷いイジメにあったら、ケロッと次の日学校には来られないだろうし、相手の気持ちを察せないのは、それは残酷でもあり、強さでもあり、残念ながらこの社会では限られた生き方になってしまうんだろうと思っています。 地元にまだいるのか、あの子はどうしているのか…そんな気持ちになる作品でした。 | ||||
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面白いです。 | ||||
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映画、『花束みたいな恋をした』でも印象深い、今村夏子の短篇『ピクニック』が 読める | ||||
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救いがないが、実際に世界に存在している出来事にはこういうものもある。主観的に経験していないことを主人公の視点で描き切っているのがすごいし嘘っぽくない。好きか嫌いかは置いておいても、傑作であるのは間違いない。 | ||||
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「こちらあみ子」 あみ子は相手の気持ちを慮ることができない。 親を傷つけ再起不能にし、読んでいるこちらは悲しいのだが、あみ子は悲しそうじゃない。 幼いからかと思っていたが、大人になっても成長があまりない。 人間のかっこうをしているが、人間として対峙すると急に穴に突き落とされるようなシーンがたくさんある。 どういう気持ちで読み終えればよいかわからなかったが、 あみ子の人生がどこかにあるのかもしれない、ということ、 あみ子自身はまったく悲しみや不幸とは無縁に生きていることに、なぜか安堵した。 筆者の書き始めた理由を読んで、こんな世界を急に描けるなんて普通じゃない(いい意味で)と絶句した。 「ピクニック」 映画”花束みたいな恋をした”劇中にピクニックがでてきたのがきっかけで手に取ったが、 尋常じゃなかった。 これに何も感じない人がいたら、”そっち側”の人間なのかもしれない。 こういう虐めもできる、人間という生き物の怖さと、 「許容する」という方向のイジメ。 心から楽しんでいるという描写が、どんどん恐ろしくなってくる。 「チズさん」 一番難解だった。ただ、人間の老いと、その周辺にいる人の、 静かな地獄みたいなものを感じた。 | ||||
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子供が大人になることへの葛藤を描いた内容。自分の子供の頃の感覚とは違うけど、昔の気持ちを思い起こしてくれました。読み終わったら、出会う人すべての人に優しくできそうな、したいと思える作品。 子供に読ませてみたいな。 | ||||
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むらさきのスカートの女から来ました 何の予備知識もなく読み進めていくうちに徐々に不安になっていきましたが 最期は驚くほど平穏で柔らかな多幸感に包まれていました 自分の読後感はもちろん今まで読んだものの中でも最高傑作に属する稀有な作品だという事 今村さんは、太宰の『燈籠』がお好きだという事が物凄く腑に落ちました 竹馬でやってくる女の子が下駄屋のさき子のメタファーだったり そして僕にとっての、あみ子は全てのしがらみから解放された憧れなのだと思います もちろん、この作品を嫌悪される方、不快感を覚える方もいらっしゃると思います 真の良書とは読み手にとって千差万別な読後感を与えるものだと自分は思いますので。 | ||||
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"人差し指に触れたボタンのくっきりした感触を、あみ子の全身が手を叩いて歓迎した。大きく息を吸いこんで、記念すべき第一声。『おーとーせよ。おーとーせよ』"2011年発刊の本書は著者デビュー作にして、太宰治賞、三島由紀夫賞をW受賞の表題作他『ピクニック』『チズさん』を含む本書は、読み手それぞれを揺さぶる珠玉の傑作集。 個人的には菅田将暉、有村架純主演の映画『花束みたいな恋をした』の作中にて『ピクニック』が触れられていた事をキッカケに『星の子』に次いで手にとりました。 さて、そんな本書は解説で町田康も評しているように『小説』自体のもつ魅力。【読み手それぞれが自由に読んで、感じる】が収録作全てに"ぎゅっと込められた"かの様に【絶妙な余白や余韻があって】それ自体が大きな特徴になっている気がするので正直、語りにくいのですが。 それでも、あらすじを紹介すると。表題作の『こちらあみ子』は少し風変わりな女の子、あみ子が周囲の人を【良くも悪くも変えていく過程】を三人称で描いた物語。そして『ピクニック』は有名お笑いタレントを彼氏に持つ七瀬さんとバイト仲間は良好な関係にあるとみせて。。?最後の『チズさん』は、まっすぐ立てないおばあさん、チズさんと"私"の不思議な共生関係は一体?といった内容になっているのですが。 著者自身の『こちらあみ子』太宰治賞受賞時の言葉によると“(バイトの合間に)なんの覚悟も決意も決意もなく、ただ思いつくままに"書いた。との事ですが。それにしては?構成はもちろん、言葉選びが驚くほどに洗練された印象で、まず最初に浮かんだのは『この人!巧いな!』というシンプルな感嘆でした。 また『こちらあみ子』のあみ子の様に、本人は特別な意図はなく"ありのままに"に過ごしているようで、ただ、それだけで【周囲との関係が不穏な形で、ぎしぎしと音を立てて軋んでいく】展開は既読の『星の子』にも通じる読後感で、デビュー作からのつながりが確かに感じ取れる様に思いました。 "小説"好きな全ての人に、また自分や周囲と照らし合わせたりして余韻を楽しむような読後感を楽しみたい人にもオススメ。 | ||||
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