■スポンサードリンク
個人的な体験
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
個人的な体験の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.38pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全5件 1~5 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大江健三郎は初でした。 文学部出でも何でもないので、 大した感想は書けませんが、、。 まず、表現が詩的で、 緻密に情景を描写するよりも、 脳に感情として入り込んできます! ここがすごい 「眠りのイソギンチャクの触手の波状攻撃 = 睡魔」 「それはのんびり眠っている二十日ねずみだ = 萎縮したいちもつ」 など笑いのペーソスもあり! あと小説が若いと感じました。 稚拙というのではなく。 性的な文章の割合が多いのと、 文章の勢い、 感情的な表現などが、 20代の若者の若々しいエネルギーを 感じました。 最後で主人公のバードが、 それまで固執していた考えから唐突に考えを改め、 会心したように走りだすところの唐突具合が、 ストーリー的に違和感に感じる人もいるのではないでしょうか⁇ 世間では覚醒とか気づきとか言われるのかもしれませんが、 自分が、単純に今まで固執していた自分の考えに飽きて、 別の考えの方がしっくりきたらその考えに取って変えるタイプなので、 全然不自然じゃなかったです。 大体が、こうやって軌道修正してくもんじゃないでしょうか。 ひょっとすると、この唐突さは大江にもある性質だったので、 ストーリーに織り込んだのかもしれないですね。 ストーリー的には、 改心の手前で、赤ちゃんに直接触れるシーンが盛り込まれているので、 ここら辺でうまく感情の動線を導こうと思っていたのかもしれません。 注意しないといけないと思ったのは、 大江が後書きで書いてますが、 ストーリーを埋め尽くす欺瞞の思考回路は、 大江自身の障害を持った子供に対する考えを書いたのではなく、 あくまでマイナス面からそれを捉えた場合を 表現してるにすぎないそうです。 陽側のくさびとして 肝臓の無い子供の父親の登場と、 デルチェフさんが登場しますが、 僕にはデルチェフさんの道徳的中途半端さが気になって、 いまいち登場させた意味がつかめませんでしたが、、。 何を意味してたんだろう。 読んだ人に考察を促す爪痕を残す小説と言うより、 個人的には感情に直接訴えかける、 芸術的な油彩画を見たような感じでした。 読んでよかったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「難解」 という意味合いではなく、読んでいて楽しくない。書いてあることはわかるが、そこに共感があるわけでもない。同調もできないし、否定したいとも思わない。 どこまでいってもそれは「個人的な体験」なのであり、読者が追体験するようなことでもないし、思い馳せることでもないのだというふうに咀嚼した。 もしもそういった意味でタイトルがつけられ、そのように物語があるのなら、とてもよくできた作品だと思う。 ストーリーはさておき、修辞はどれも小気味いいし、表現の幅が広いので、文章には飽きない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
やはり難解でした。 でも、わかりにくい文学があってもいいと思う。 読み手の慣れも必要なのだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
のっけから、新生児よりアフリカ旅行!という主人公が、妻の出産に際し、勤務中でもないのに街を徘徊しゲーセンで暇つぶしという、現代人からすると異様な光景が展開されている。 子供の誕生後もまるで他人事、それどころか双頭の怪物呼ばわりしてこの障碍児の早世すら希求しちゃう始末。 とここまでは、当初の無責任ぶりからすれば決して不自然ではないし、障碍児を持つ親が決して持ちえない考えとまでは言い切れまい。 その後憂える産後の奥さんまでほったらかして女友達宅で淫蕩の限りを尽くし、もう彼が犯罪でも犯さなければ辻褄が合わないだろうという段階にまでエスカレートするのだが、結末は皆様ご存じの通り。 この結末自体に異論はない、というかあのまま坦々と物語が進行していたら、何とも後味の悪い悲惨な結末ということで、別の意味で文学史に残ってしまったかも知れない。 問題は、あの真逆の結末への変換プロセスが、ほんのわずかな、それも 訳もなく急に気が変わった という程度の描写だけで済まされていること。 本来であれば、もう少し紙面を費やして、あの結末に至るまでの話を盛る必要があっただろうし、またそうしなければそれまでの内容との矛盾は解消されないだろう。 どうもこの著者の作中人物って、何の前触れもなく、それも今までと全く相反する重大決断を平然とやらかす傾向があり、今回も唐突な変節ぶりに開いた口が塞がらなかった。 主人公が長年、バード(鳥)とあだ名されているくらいなので、身勝手で刹那的なのはある程度理解できるが、しかし同じ人間がこんなに簡単かつ瞬時に変節できるものなのか・・・少なくとも私には無理です。 うろ覚えだが、著者は、結末を決めてから筆を進めるという手法に懐疑的だったようなので、こういう内容になるのはむしろ自然な流れとも言えなくもないが、一方で矛盾や伏線未回収といった傷が残るのは如何ともしがたい。 例によって、微に入り細をうがった描写と豊饒な修辞が冴えわたり、こういう作風が好みの方にはたまらない作品なのでしょう。 しかし個人的には、映像だったら超絶スローモーション確定の詳細描写と、一つの情景に複数の修辞を重ねる手法には食傷してしまったし、また赤ん坊に対する「茹でたエビ(カニ?)のように赤い」といった形容には、首をかしげてしまった。 エログロ描写は本書にもふんだんに詰め込まれ、お取り込み中に女友達の肩を噛みしめて流血させるなど、読者が怖気立つような描写が当たり前のように披露されている。 もっと唖然とするのは嘔吐シーン。 女友達の家で1回、予備校の講義中にもう1回!・・・しかも予備校生の面前で大々的にやらかしたうえ、その結果物を、憧れのアフリカ大陸になぞって事細かに描写するに至っては、もうアッパレという他ない。 これが当時最先端の描写ということならば、それはそれで芸術的と見做されたのでしょうが、嘔吐の精密描写、しかもそれが複数回に渡ってお披露目されるなど前代未聞なため、面食らってしまった。 以前本書と類似した代表作の一つを読んだが、何でもカンでもごった煮の鍋料理みたいな、味も方向性も定まらぬ作風でしっくりこなかったこともあり、今回は仕切り直しの意味も込めて挑戦しました。 本書の方がテーマも釈然としているし、心理描写も秀逸で好感が持てました。 まあ最終的に、私の拙い感性ではこの偉大な作家の本質は理解不能、と判明しましたが、奇抜な描写や修辞を含め、他の作家なら批判を恐れて忌避するような深刻なテーマに取り組んだ意気込みは、素直に評価したい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大江健三郎の小説はいつも読み辛い。 しんどい、辛い、思考がぐるぐるとぐろを巻いているようで、 こっちも呑み込まれて行ってしまいそうで、大変。 障害児の問題は、このご時世、この時代、安易に口にすることができない。 それとも、当事者だから言えること、感じることなのか。 大江健三郎だから、作品にできることなのか。 読みながら、とにかく複雑な気持ちになり、重苦しい気分になる。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!