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個人的な体験



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個人的な体験の評価: 4.38/5点 レビュー 39件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.38pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(2pt)

個人的な「純文学」体験

10月5日付けの毎日新聞を読んでいると、講談社が『大江健三郎賞』を創設するという記事が目にとまった。受賞作は英語に翻訳されて刊行されるとのことで、大江の嬉しそうな顔写真とともに、コメントが紹介されている。「明治の近代化以来、純文学は社会の中心としてずっとありました。戦後すぐの社会でもそう。いつのまにか隅っこに追いやられた純文学を、少しでも中心に持ってきたいのです」
 大江の言う「戦後すぐ」というのは、彼が小説を発表しはじめる昭和30年前後頃のことでしょう。実際、「文芸」や「文学」は現在のように娯楽が多様化し、情報化社会が発達していなかった時代には、そこに描写される地域的時代的な文化や風俗、または思想等を伝える重要な情報源の役割も担っていたことでしょう。そんな時代に登場した大江が、「純文学」で大成すれば、同時に一般的な名声(英雄のような)も獲得できるという考えを、野心的に持っていたのではと私は推測するのです。私が言いたいのは、彼は人間的には過大評価されていて、本当はとても俗物的な面を持つ人物であるということです。先のコメントでは「ノーベル賞を受賞した名前を記号として使うことで作品を世に押し出したいのです」とも言っていますが、どこか成功者の自惚れにも聞こえてきます。
 この『個人的な体験』は、それまでの粘っこく甘美な文体の特徴を残しながら、より平易な表現で読みやすいものでしたので一気に読み通すことができましたが、その内容は実に後味の悪いものでした。脳に先天的な障害を持って生れた我が子から、ただ逃げ出すことばかり考える主人公。その当然のような無責任さに感情移入ができない。しかも肝心の改心の場面では、曖昧で気分的な盛り上がりだけで、具体的な心理の移行がはっきりと描かれることがなく説得力が希薄でした。いや、むしろ、この小説は自分本位な人間が、「仕方なく」自分を犠牲にして他人に尽くさざる負えないとき、その不誠実さを美化する(誤魔化す)ための心理的な逆解毒作品とも感じられました。
 このときから(20数年前だが)私は、この小説家に魅力を感じなくなり、また「純文学」という分野にも関心が薄くなったこともあり、以後の大江の著作は全く読んでいません。
個人的な体験 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:個人的な体験 (新潮文庫)より
4101126100

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