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個人的な体験



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個人的な体験の評価: 4.38/5点 レビュー 39件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.38pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全39件 21~39 2/2ページ
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No.19:
(5pt)

あの相模原の事件の犯人が読んでたらと考えずにはいられらない。

痺れました!
圧倒的な筆力で、障害もって生まれてきた子供に対する正直な感情が描かれていました。
個人的な体験 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:個人的な体験 (新潮文庫)より
4101126100
No.18:
(5pt)

飛べない鳥の物語

『個人的な体験』は、大江健三郎の代表作です。頭に障害のある息子を授かった主人公・鳥(バード)の絶望的な体験が、迫力ある文体で綴られています。文章が読みやすいので、ふだん純文学を読まない方でも面白く読めると思います。
アフリカ旅行を夢見る鳥は生まれた赤ん坊の存在を忌まわしく思い、息子が赤ん坊のうちに死ぬことを願います。障害児の出生に立ち会った夢見る男の本音が、きれいごとは抜きで告白されています。鳥が息子の誕生を歓迎せず、ひたすら息子を恐怖の対象としてとらえているのは衝撃的でした。

『個人的な体験』という題名のとおり、この小説では不幸な事態に遭遇した個人の体験に焦点が当てられています。あくまでも自分自身で折り合いを付けなければならない個人的な問題と格闘する大江氏の姿勢には圧倒されました。不幸な立場に陥った鳥に「忍耐」を強いた結末には賛否両論あるそうですが、現実の厳しさを耐え抜くことを教える形できれいに風呂敷が畳まれていると思いました。
大江氏の他の小説にも言えることですが、この小説は現実逃避のためのフィクションというよりは現実に立ち向かうためのフィクションだと私は思いました。読者を現実離れした気晴らしに誘うフィクションではなく、読者に過酷な現実を生き抜くよう導くフィクションの力を思い知らされました。
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No.17:
(5pt)

プレゼントに頂きました

さすが大江健三郎氏の小説と言った感じで一気に読みました。普段大江氏の小説は読まないのですがこれは良かったです。
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No.16:
(4pt)

大切なものを取り戻す物語。

27歳の青年に、突如訪れた重すぎる現実。
その現実に目をそむけ、性の快楽に耽り、夢の大地に逃げようとする。
最終的には現実と向き合い、自らに課せられた運命を背負う決心をする。

何故か?
愛人と共に夢の大地(アフリカ)に逃げることも選択できたはずだ。
何故、つらい現実と「ファイト」することを選んだのか?

よく見られる解釈では、逃げようとする主人公が現実に立ち向かい、それを乗り越えていく。
つまり、青年から大人へと成長する過程が描かれているというものだ。

私の解釈では、少し違う。
20歳のころ、まだ地方都市の不良少年だった彼は「あらゆる種類の恐怖心から自由な男だった」
すくなくとも当時、彼につき従っていた友人からはそう見えていた。
だが、7年ぶりに再会したその友人から「怖がって尻尾をまいている感じだ」
と指摘され「もう20歳じゃない」と愚痴をこぼす。
その時に気付いたのだ。
現実から逃げまわる恥知らずな自分に、
くさった大人になってしまっている自分に。
主人公バードは彼が、なくしていた大切なものを取り戻したのだ。
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No.15:
(5pt)

圧倒的な現実を見つめた本

目の前の現実と過去の事実、曖昧すぎて不安な未来が結びついた良本です。
現実という言葉を想起する時、人間は不条理だ、その果ては公平であらねばという理性本能をよく描いてます。
逃げたい気持ちはその衝動です。それから乗り越える過程が鮮明です。
大江作品の中では文体がそれほど意識化されていないところが良いです。
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No.14:
(5pt)

まさに大江文学の金字塔

大江先生が芥川賞から次つぎへと賞を受賞され、ついにはノーベル文学賞
までに至った経緯の中で、非常に重要な作品だと思います。
読書離れをして、携帯ばかりいじっているような世の中で、色んな意味で、
この本を読んでほしいと拙に願います。

ただ、本の好みはありますが、中には読書を中断してしまう人もいるでしょうが
それは、文学というものの世界観になじめていない人であろうし、また一方で
純粋に毛嫌いする人もいるかもしれません。

私的な感想を述べますと非常に大江文学の中で読みやすい本です。
是非ともチャレンジしてもらいたいものです。
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No.13:
(4pt)

240ページと12ページ

バードは障害を持って生まれてきたわが子の衰弱死を願います。勤めていた予備校では失態を演じてクビになり、火見子のアパートに入り浸るようになります。最初から240ページまでの人間的に弱いバードの気持ちはなんとなく理解できたつもりでした。
 ところが240ページから252ページまでのたったの12ページで、バードはまるで別人のように人間的に成長してしまいます。章が変わっただけでいったいどうなってしまったのでしょう。きっかけすらない突発的な人格に変化に戸惑ってしまいました。
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No.12:
(5pt)

大江健三郎を読むのは初めてですが、

大江健三郎の長編小説を読むのはこれが初めてであり、
色々と新鮮な驚きを感じながら読んだ。
一般によく言われているように、技巧を凝らした文章で、やや読みにくいのは確か。
翻訳っぽい文体やストレートな性描写は、その後の村上春樹あたりに影響を与えているかも知れない。
障害を持って生れた子供から逃げ出すことばかり考える主人公に共感出来ないという意見もある様だが、
男というものは生まれたばかりの子供に対しては意外と実感が持てない物であり、
主人公のこの様な態度は非常に良く理解出来る。
主人公の渾名である「バード」とは、「チキン」つまり臆病者を暗示しているのではないかと私は思うのだが、どうだろうか?
最後の場面で、義父から「きみにはもう、バードという渾名は似合わない」
と言われる所は「きみはもう、逃げてばかりいる臆病者ではない」と解釈できる。
火見子が語る「多元的な宇宙」は、とても興味深い世界観であり、
また物語の中でも伏線としてうまく活かされている。
はじめて大江健三郎を読もうと考えている人にお薦めの一冊。
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No.11:
(5pt)

自己欺瞞から「忍耐」への、濃密な物語

主人公の鳥(バード。あだ名)が、障害を持って生まれた赤ん坊から、狡猾に、自己欺瞞を押し隠して、逃げようとし、最終的には、「欺瞞なしの方法は、自分の手で直接に縊り殺すか、あるいはかれをひきうけて育ててゆくか(p.247)」しかないことを認め、「ぼくが逃げまわりつづける男であることを止めるために」受け入れることを選択するに至る物語。

その間の鳥(バード)とその周りの人物のできごと、感情、行動が、ものすごく濃厚なんです。

障害を持つ赤ん坊、それを取り巻く人々、二日酔状態で予備校で講義して嘔吐、ア○ルセックス、外交官の出奔、過去の縊死、これから起こすかもしれない、人の手を借りた殺人。。。
それぞれが、季節が夏なこともあってか、非常に濃密な感じでかかれます。げっぷしそうな感じ。

人物、感情を表す比喩に動物を多用してたりするあたりも、なんだか得体の知れなさを加速してる気がしました。
たとえば、「病んだイタチのように狡猾」「恐怖のメガネザル」「個人的な不幸のサナギ」「こそこそと穴ぼこへ逃げたがっているドブ鼠」とか、「眠りのイソギンチャクの触手」、「棘だらけで赤黒い欲望と不安のウニ」だったり。

赤ん坊を育てていくことを決意した鳥(バード)に対して情人である火見子が言うはなむけのせりふ
「あなたはいろいろなことを忍耐しなければならなくなるわ」
が若い僕には重く印象的でした。
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No.10:
(5pt)

買いです。

初期の作品が持つ猥雑さが、障害を持った長男の誕生という出来事を経て、これ以降長くこだわっていく親子の在り方を通じてしか世間や世界と関わっていくことができなくなっていくという作者自身の在り方に収斂されていく様を記録した作品です。この作者の場合、他の作品から切り離して読んでこそ浮かび上がってくるものが多い(ある時期までは)ので、必要以上になにかと関連付けると読み誤りの原因になるような気がします。
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4101126100
No.9:
(5pt)

大江をさらに読んでみたいきっかけとなった作品

大江の小説は難解である。しかし、少しずつでも大江と格闘する中で、彼の作品の持つ意味が理解できてきたような気がする。大江に関心を持ち始めて、10年以上たってから、手にしたこの作品。読み終えた後

確実に、自分の中の魂が再び生きる方向のベクトルへと向かっていることに気がついた。個人的体験以降の小説の中で大江自身の想像力による2つの実験が試みられる。1つは障害を持った子を引き受ける事を放棄してしまった場合、怪物アグイーがその代表作といえよう。また、障害を持った子どもを引き受けて行くことを決意していく場合、洪水は我が魂に及びなどのその代表作であろう。大江を知るためには、この個人的体験は絶好の入門書なのである。私は10年かかってこの作品と出会ったが、大江に初めて入門する人はこの「個人的体験」から読むことをおすすめする。
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No.8:
(2pt)

個人的な「純文学」体験

10月5日付けの毎日新聞を読んでいると、講談社が『大江健三郎賞』を創設するという記事が目にとまった。受賞作は英語に翻訳されて刊行されるとのことで、大江の嬉しそうな顔写真とともに、コメントが紹介されている。「明治の近代化以来、純文学は社会の中心としてずっとありました。戦後すぐの社会でもそう。いつのまにか隅っこに追いやられた純文学を、少しでも中心に持ってきたいのです」
 大江の言う「戦後すぐ」というのは、彼が小説を発表しはじめる昭和30年前後頃のことでしょう。実際、「文芸」や「文学」は現在のように娯楽が多様化し、情報化社会が発達していなかった時代には、そこに描写される地域的時代的な文化や風俗、または思想等を伝える重要な情報源の役割も担っていたことでしょう。そんな時代に登場した大江が、「純文学」で大成すれば、同時に一般的な名声(英雄のような)も獲得できるという考えを、野心的に持っていたのではと私は推測するのです。私が言いたいのは、彼は人間的には過大評価されていて、本当はとても俗物的な面を持つ人物であるということです。先のコメントでは「ノーベル賞を受賞した名前を記号として使うことで作品を世に押し出したいのです」とも言っていますが、どこか成功者の自惚れにも聞こえてきます。
 この『個人的な体験』は、それまでの粘っこく甘美な文体の特徴を残しながら、より平易な表現で読みやすいものでしたので一気に読み通すことができましたが、その内容は実に後味の悪いものでした。脳に先天的な障害を持って生れた我が子から、ただ逃げ出すことばかり考える主人公。その当然のような無責任さに感情移入ができない。しかも肝心の改心の場面では、曖昧で気分的な盛り上がりだけで、具体的な心理の移行がはっきりと描かれることがなく説得力が希薄でした。いや、むしろ、この小説は自分本位な人間が、「仕方なく」自分を犠牲にして他人に尽くさざる負えないとき、その不誠実さを美化する(誤魔化す)ための心理的な逆解毒作品とも感じられました。
 このときから(20数年前だが)私は、この小説家に魅力を感じなくなり、また「純文学」という分野にも関心が薄くなったこともあり、以後の大江の著作は全く読んでいません。
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No.7:
(4pt)

題名が示唆するとおり

これは主人公の個人的な体験である。たとえば、外国で核開発が行われていても、何の興味も持てないことに愕然とする。
 異常を背負ってきた子供から逃げるため、友達である火見子とのセックスに励み、酒におぼれる。だが、それでも主人公は子供に対する恐怖から他のことは目に入らない。塾を首になり、希望の象徴であったアフリカは単なる逃亡先に変貌する。
 そんな後ろ向きの主人公が恐怖と向き合い、すべてを受けとめていく。すなわち、子供から大人に成長する過程を描いた青春小説ともなっている。それは、バードと子供の頃のあだ名のまま呼ばれていることからもわかる。
 最後の部分。確かにいくらなんでもご都合主義となってしまうだろう。前を向いただけですべてが上手くいくほど、世界は優しくはない。だけど、それでも著者は書きたかったと語る。そんな魂のこもったラストだ。
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No.6:
(5pt)

生まれてくる子の為に父親が出来る事

昔、或るポーランド人の女性に、この本の英語訳を贈った事が有る。彼女の祖国が、激動の中に在った時代の事である。彼女に、私は、多くの日本文学の英訳本を与えたが、彼女にこの本(「個人的な体験」)の英訳本を与えた時、私は、その裏表紙に、ポーランド語で「希望」を意味する単語を書いた。--この物語の終わり近くで、祖国を捨てようとする東欧の外交官が、主人公(バード)に辞書を贈る時、彼の国の言葉で「希望」と書くのをまねて--この本は、私にとって、衝撃であった。我が子が、重度の障害を持って生まれると言ふ運命の悪戯(いたずら)の中で、主人公(バード)は、過去の恋人を再び訪れ、そして、遠い東アフリカへの旅立ちをも夢想する。しかし、最後に、彼は、突然、自分の運命を受け入れ、その子供を育てる事を決意する。この物語に、若い私は、打ちのめされた。その驚くべき結末を予告するかの様に、物語の終わり近くで、主人公(バード)に辞書を贈る東欧(バルカン)の外交官は、彼にカフカの言葉を教える。--「生まれてくる子の為に、父親が出来る事は、ただ待つ事だけなのだ」--私が、彼女に、この本を与えて20年以上が経った。彼女の祖国を含めて、世界は、激変した。その9・11後の世界で、私が、「希望」を意味する単語と共に、この本を贈った彼女は、今、何処で、どう生きて居るだろうか?

(西岡昌紀・内科医)
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No.5:
(5pt)

文章表現が巧み

大江作品はこれが最初になりますが、読みやすいのに、表現がカッコ良く、感銘を受ける一作です。
また、キャラクターの性格も、印象に残る人間ばかり。
必ずしも綺麗な人間ばかりではないけれど、それ故にリアリティがあります。
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No.4:
(5pt)

小説の面白さ

主人公が自己の責任を引き受けるに至るまでのあらゆる瞬間において、
痛いほど冷徹な自己洞察に貫かれています。
それが自己と他者を導くという希望と、その面白さに気付くことができました。
どちらかというとノンフィクション好みでしたが、
小説で他者を経験する醍醐味を教えてくれた作品です。
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No.3:
(4pt)

エネルギーに溢れた作品

大昔、初めて読んだときの印象は忘れてしまったが、今回読み直してみてエネルギーに溢れた作品だと思った。
絶望的な状況で逃避してしまい、自分の立場を悪くしてしまう主人公。しかも読んでいる自分でも解決策が浮かばない。ますます悪化していく状況に主人公はどう立ち向かうのか、そもそも立ち向かうことができるのか否か・・・。
新潮文庫版の作者によるあとがきでは作品の終わり方を巡る意見に対して反論が書かれている。自己弁護する内容なのだが、これがまた読み応えがある。たしかに両者の言い分はそれぞれ一理ある。本編読後の大きな楽しみだ。
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4101126100
No.2:
(5pt)

友人の奨めにしたがって読んだ本

大江健三郎がノーベル文学賞を受賞したときに、何か一冊読もうと思ったのだけれど、どうも彼の小説はおそろしくむずかしいものばかりだというのが世間一般の通り相場でした。そこで文学に造詣が深く、大江の大ファンだという友人に、何か私みたいな<文学素人>でも読める大江作品を紹介してほしいと頼んだのです。そして「読んでいる途中で投げ出す心配が少ない作品」として紹介されたのがこの「個人的な体験」でした。
 確かにこの本はとても読みやすい小説です。そして「障害をもって生まれてきたこの子を、私は引き受けて生きていくことができるか?」という設問に対して私自身、主人公とともに激しく苦悶し、現実逃避の心を抱き、そして最後にはひとつの決意のようなものが胸の中にかすかに生まれるのを感じたのです。
 物語によって与えられる悦びというのは、まさにこのように登場人物という他者の人生を生きるという経験でしょう。この小説にはそういう経験と悦びを与えてくれる力があると思います。主人公の人生そのものがたとえ苦いものではあっても。
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No.1:
(4pt)

ひでえ医者・・・

大江健三郎はデビュー作「死者の奢り」で全国の医学部解剖学教室を敵に回した。私の医学生時代の解剖学教授は憤激に耐えぬという調子で大江の名を挙げていたものだった。この作品では産科・小児科を敵に回している。この作品にでてくる医者はみんなろくでもない医者ばかりだ。大江光氏が生まれたころの医者はこんな奴らばかりだったのか? 世紀も変わったというのに現代の医者もこの小説にでてくる産科医小児科医と同じ様なものだと言われたら、我々小児科医は怒るだろう。しかし、実状はどうだろう。怒る権利があるだろうか。
今の解剖学教室での献体の保存法は「死者の奢り」に描写されるような原始的な方法ではない(あれでは献体してくださった方に失礼なばかりか、時間をかけてじっくり解剖を進めることもままならず教育の役に立たない)。しかし、今の小児科医や産科医は大江の小説にでてくる酷い状況からすこしは進歩しているだろうか。進歩していると思いたいが。
大江は障害児の父親の心境を実に的確に描写している。自身が障害者の父なのだからさもありなんと思うが、自らの内面をここまで掘り下げることができるのはさすが大江健三郎だと思う。
障害があっても大江光氏ほど立派に成人されたら父としては良いだろうと言っては僻みに過ぎるか? それと、最後の「アスタリスク以降」の節はやはり余計だと思う。井伏鱒二氏が「山椒魚」の末尾を切り落としたような決断はないものだろうか。
個人的な体験 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:個人的な体験 (新潮文庫)より
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