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パワー
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パワーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.88pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全32件 21~32 2/2ページ
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身体から電気を出せるようになった女性たちが覇権を握っていくようになるが、男の自分は普段女性が受けている感覚はこういったものがあるのかというのを考えさせられる一冊でした。 真の意味での男女平等というのは難しいのかもしれないが、逆の立場の思いを理解して行動することができれば、世界はもっと変わるんだろうなと思う。 | ||||
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女性が男性以上の物理的な力を持ったらどうなるのか、という設定のディストピア小説。ディストピアというと大体、陰惨な話になりがちだが、本書はディストピア・エンタテインメントという謳い文句の通り、エンタテインメントとしても非常に楽しめる一冊だった。 物語は、世界中で手から強力な電流を発する力を得た女性が出現するところから始まる。その力は瞬く間に他の女性にも伝播していく。主人公はロクシー、アリーなどの女性3名と、その様子を世界各地で取材するトゥンデという男性1名で、各々の視点から、そのような力を得た女性が誕生してからわずか10年で、世界がどのように変貌していくかが描かれる。 自分は男性の立場から読んでしまうので、女性から男性に対する性的暴力のシーンや、意味もない殺人のシーンを読むと、ひどいことをするなと思ったが、現実の世界ではこのような暴力が男性から女性に振るわれていることを考えると、世界各地のそのような現状を痛烈な風刺した作品ともいえる。 | ||||
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歴史上、女性は男性よりも劣った存在だとされてきた。男尊女卑は世界中にあるのにその逆は聞いたことがない。この物語は、男女の力関係が逆転し、女性が男性を虐げるディストピア小説である。これは、全て歴史上、今なお現実に起こっている女性虐待の悲惨さを独自の視点で訴えた物語である。フィクションではあるが、現実を克明に物語っている。女性はもちろん、男性にも読んでもらいたい一冊である。 | ||||
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一気に読んだ。 本書は歴史小説「パワー」を書き上げた男流(!)作家ニールと著名な女性作家ナオミとのやり取りから始まる。本編は、その作中小説の話である。 鎖骨にある「スケイン」という特殊な器官が女性に突然生まれ、電撃を操れるようになり、次第に女性が男性を圧倒していく物語。 純粋にSF小説としてもよくできている。ジャーナリストの男性「トゥンデ」、不遇な幼少期を経て教祖に上り詰める少女「アリー」、スラム街で暴力の世界にさらされながら、武闘派として生き抜く少女「ロクシー」、娘を守ると言う大義をもとに政治的に力をつけて上り詰めていく女性「マーゴット」。それぞれの群像劇の展開と、スケインを発達させいく女性がどのように社会を形成し逆転していくか、構成が良い。最強のスケインを持つロクシーからスケインを奪い移植した男性「ダレル」が力を誇示した結果、女性の仲間に入れてもらえると思いきや総スカンを食い殺害されてしまうシーンは、ぞっとしつつもリアルさを感じてしまう。 本書はフェミニストに関する文脈として語られることがある。普段このような恐怖を女性が味わっており、それが逆転した世界と解説されると、男性の1人として憂鬱になってしまう。結局の所、「パワー」を手に入れた人間は、「パワー」を持たない人間を虐げることから逃れられないのだろうか。 なお、ニールとナオミのやり取りしている世界は、すでに女性が男性を圧倒している世界である。ナオミの 「男性の支配する世界の物語は、きっと面白いだろうと期待しています。きっといまの世界よりずっと穏やかで、思いやりがあって、-こんなことを書くのはどうかと思いますが-ずっとセクシーな世界だろうな。」(P.8) という記述は、皮肉が効いている。ただ力を手に入れるだけでは、社会構造に起因する問題は何も解決しない。 ところでこの本の作者は「ナオミ・オルダーマン」という女性である。 ラストでナオミがニールに「女性名で出してはいかがですかと」勧めるが、もしかしたら本書もナオミ・オルダーマンではなく実は別の男性が書いたというオチなのではないか、とちょっと想像してしまった。 | ||||
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「パワー」を持った人間は、争いをしたがるものなのか。 そこには、性差はないということなのか。 こんな事を考える自分はすでに、今の社会、男性優位の社会を肯定しているということか。 ディストピア小説にくくられるので怖い話なのだが、男性にとっての恐怖は、「狩る側が狩られる側に落ちていく恐怖」だ。 抑圧された者が、「パワー」を持つということはこういうことなのだという、思考実験。 秀逸なのは、挿絵の「発掘された遺物」の解説文。 今度、博物館に行ったら、その解説は正しいのか疑いの目で見てみようと思う。当時のではなく、現在の社会を反映した解説しか書けないのだろうから。 | ||||
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電気を操る能力を獲得した女性の台頭により、男女の力関係が逆転した未来の世界。 そこに至る物語を考古学的に振り返るという体裁で、作者と査読者との手紙のやり取りを初めと終わりで解説的に挟み込み、現在の男性中心社会の歪みを痛烈に告発します。 物語は、現在まさに世界で起こっているような事象を取り入れつつ、SFあるいはサスペンス要素を織り込んだ展開で一気に読ませます。 そして、そのエンタメ性で引き込んでおいて、アイロニカルな解説でグサリと刺しにくるという周到なプロットに感心するとともに、“ここまで描かれないと分からないのよ男たちは” と言われているようで愕然とします。 MeToo運動の後押しをしたとも言われる本書。著名人女性による痛ましい過去の出来事の告発はもとより、もっと日常目線においても、想像力の欠如がもたらす女性差別が空気のごとく行われているのでは、と改めて考えさせられます。 人類の半分を占める女性からの告発。現世界が直面する課題感を、空気感を、見事に捉えた傑作でした。 | ||||
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歴史小説の体裁で、記されたディストピア小説。 女性が静電気を発生させることができるようになり、男性を支配できるようになった世界。 ホラー小説のような、暴行場や殺りくの場面。 権力を手にして増長していく女性たち。 女性と男性を置き換えてみれば、現代社会にも起こっているかもしれない。 力による支配の関係はいつの世も無くすことはできないのかも。 世界の行き着く先はいかばかりかと、不安になってくる。 トランプ大統領の出現により、より脚光を浴びた一冊だということだ。 できれば、世界中の、政治をする人々は一読すべきなのではと思った。 | ||||
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”ある日を境に、女たちが、手から強力な電流を発する力を得る。 最年少かつ、最強の力を持つ14歳の少女ロクシーは母を殺された復讐を誓い、 市長マーゴットは政界進出を狙い、里親に虐待されていたアリーは「声」に導かれ、修道院に潜伏する。 そして、世界中で女性たちの反逆がはじまった---。” HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGEで入口付近に平積みされていたので手に取って、 上記内容と「男女の力が逆転した究極の復讐世界」のアオリに惹かれて購入 (Amazonで購入してなくてすいません)。 本書は未来の世界に住む2人の作家のやり取りから始まる。 男性作家が書いた「歴史小説(本書のメインとなる物語)」を女性作家が評価するという形なのだが、 その未来の世界では完全に女性>男性の力関係であり、 『男性の兵士や警察官や「男ギャング」の出てくる場面があるのですね。やってくれるなあ!』 『「男性の支配する世界」の物語はきっと面白いだろうと期待しています。 きっといまの世界よりずっと穏やかで、思いやりがあって、ずっとセクシーな世界だろうな』 という女性作家による違和感バリバリのコメントで始まり、期待が膨らむ。 そこから冒頭に書いたストーリーが「歴史小説」として始まるのだが、 訳書特有の読みにくさは特に感じず、 最初は登場人物の名前がなかなか覚えられないという洋書特有の問題に直面しながらも、 最後まで飽きずに一気に読めた。 登場人物はもちろん女性が中心だが、それに負けないぐらいトゥンデという男性ジャーナリストの視点がアツく描かれており、 男性の僕は途中からはずっとトゥンデの無事を願いながらハラハラして読んだ。 人の気持ちはその立場に立たないと分からないとよく言われるが、 僕たち男性はトゥンデを通して暴力で従わされる側が感じる恐怖や怒りを体験することができる。 「レイプはされる方にも原因がある」「本当に嫌ならもっと抵抗するはず」とか言ってる奴はいきなり襲われるかわいそうなトゥンデを見てから言ってほしい。 ところどころ挿入される壁画や出土品のイラストといった芸が細かく、この不思議な世界観をより楽しませてくれる。 読み終えてこれが現実でなくてよかったと思うとともに、我々の世界での男女の関係を改めて考えさせられる。 別に説教くさいわけではなく上質なエンタメです。男性にこそ読んでほしい1冊。 | ||||
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男性読者には辛い読後感となるだろう。男と女の力関係が入れ替わったときに、どのようなディストピアが生まれるのか、知らしめられる。ただし、考えなければならないのは、本書で描かれる世界が本当にディストピアなのかだ。本書は現代も描かれている世界と同様なディストピアではないかと語っているようだ。特に現実に女性は弱い立場であり、それを当然のように考える世間は、狂っているのかもしれない。 | ||||
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男女の力関係が逆転した世界から始まるのではなく、今の社会と地続きにして変化が始まっていく。だからこそ、一方の性別が暴力(物理的な意味でも、社会学でいうところの「意に沿わないことを強制すること」の意味でも)を独占するということがどういうことなのか、わかりやすく表現されてるな…!と感動した。 力関係が逆転した世界で男性が晒されることになる問題は、全て現実世界の問題の性別反転版になっているので、こうして突きつけられると改めてその酷さがよくわかる。 男vs女が良い世界への道、みたいな一面的な書き方はしてないのでその点でも良心的。 | ||||
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おもしろい構成(書簡体)の小説です。 「この作品はフィクションである」という、言い訳がましい言葉でこの本は始まります。 最高権力者の実在の人物を想定して書かれている本だからのようです。 それが誰のことか、冒頭のエピグラムだけからでもピンとくる読者は多いでしょう。 この本に書かれていることは全部「フェイク」だ、読むに値しないXX本だ、とツイートされる可能性が予想されるから、分かり切ったことだけど、わざわざフィクションですよ、と巻頭で念を押しているように感じました。 この本は、過去の有名な事件や現実の場所を借用しています。 この本の巻末の渡辺由佳里さんの「解説」によると、 「『パワー』は、何千年にもわたって女性がためこんできた男性社会の残酷さや男性の女性嫌悪に対する怒りを直接伝える小説ともいえる」(431頁) 「この本は、SFであり、ディストピア小説であり、フェミニスト小説であり、そして多くの男性にとっては『ホラー小説』でもあるだろう」(433頁) さらに、スタイルからは「歴史小説」(429頁)であると渡辺さんは書いています。 確かに、9頁の中扉になった小説の原稿の上には、「歴史小説」とはっきり書かれています。 過去の事件や現実の場所を借用しているから、そうしたのでしょう。 見出しが、これまたおもしろいです。 「その時」(367頁)から過去にさかのぼった見出しになっています。 「あと十年」(12頁)から始まり、「あと九年」(48頁)、「あと八年」(97頁)、「あと六年」(168頁)、「あと五年」(208頁)、「あとせいぜい七か月」(315頁)、「ついにその時」(367頁)と過去から現在へと逆方向にカウントダウンしていく見出しです。 一方、「性別の枠」(423頁)という観点からは、「女流文学」ということになるでしょう。 ところが、この物語は、「男性」考古学者が書いた歴史小説の原稿に対するアドバイスを、「女性」作家に求める手紙(6頁)から始まるんです。一種の書簡体小説です。小説の中では、男性が書いた男流文学です。 そして、この本の真ん中には、9頁から413頁まで、歴史小説「パワー」の分厚い原稿が挟み込まれています。 歴史小説らしく、古文書の断片や図も含まれていて、具体的で説得力のあるリアルな歴史物語となっています。 なお、160頁から167頁までの頁は、灰色の紙の上に「保管文書」として印刷されています。芸の細かい装幀の本です。 歴史小説の最後の図は、「パワーの形」。右手の掌の上に見開いた目玉が一つある図です。 アメリカ合衆国の一ドル札の裏面にある、ピラミッドの頂上の見開いた目玉を連想してゾッとしました。 最後は、再び、その原稿を読んだ「女性」作家のコメントの手紙と、原稿を書いた「男性」考古学者の返事のやりとりで、この本は終わります。 特に、最終行の一文は、ガツンと効きました。女の権力社会で受け入れられる出版の裏ワザ。 「ニール、これはあなたにとって腹にすえかねることかもしれませんが、この本を女性の名前で出すことも検討してはいかがでしょうか。 心からの愛をこめて、ナオミ」(423頁) ニールというのは、男性考古学者。 ナオミは、女性作家。「ナオミ」は、この本の著者ナオミ・オルダーマン本人とダブって重なります。 おそらく、著者ナオミ・オルダーマンも最初、この本の著者を架空の男性名で出すことを検討したのでしょう。しかし結局、皮肉とパロディーを込めたストレートな構成ということで、「男性」学者の小説原稿を、「女性」作家がコメントする形に落ち着いたのではないでしょうか。想像ですが。 《備考》 著者ナオミ・オルダーマンの見解(手紙の記述より抜粋) <女性が権力を得たら、もっと平和な世界になるか? について> 「わたしは直感的に(これはあなたもそうだろうと思いますが)、男性の支配する世界のほうがやさしく、穏やかで、愛情に満ち、本質的に慈しみ深い世界だろうと感じます」(415頁) 「男性が生まれつき女性より平和的で破壊を好まないかどうかについては……読者に判断を任せたいと思っております」(416頁) <歴史の本は古い記録に基づいているというのに、この「歴史小説」の記述は、それらの歴史本とは完全に矛盾している理由について> 「写字生にはみなそれぞれの思惑があったでしょう。二千年以上ものあいだ、写字を手がけていたのはみな修道院の修道女でした」(419頁) 女の見方は、男の見方と完全に矛盾するみたいですね。残念です。 | ||||
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一気に読みました。 「21世紀のガリバー旅行記」を思わせる壮大で風刺の効いた物語です。 訳文もこなれて読みやすいです。 のちの文学史では20世紀後半に『侍女の物語』があり、21世紀には『パワー』があったと記されるかも。 『侍女の物語』の作者であり著者を助けたアトウッドと 著者ナオミ・オルダーマンに敬意を表します。 | ||||
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