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すべて真夜中の恋人たち
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すべて真夜中の恋人たちの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.37pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全74件 41~60 3/4ページ
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読了後、そういえばこの本の評価はどれほどなのだろうと思って見てみたら、あまりに評価が低いものが多いのと、どうやってこの本を読んだのだろうか? と思い、いつもは書かないレビューを書くことに。 まずこの本は、恋愛小説ではないと思います。確かに恋愛の描写は出ますし、それが一つの転機やきっかけになっていることも事実ではありますが、この作品が描いているのは、それがメインではないと思います。 主人公の女性の持っている静謐さ、誠実さ、弱さ、長所短所、そのどちらも彼女であり彼女を成立させている要素です。 主人公や登場人物に共感できないという感想を抱いた人は、ある意味この本の良い読者なのかもしれません。 だって、それほどまでに私や自分という存在と、この本に出てくる人物がきちんと違う人物だからです。 また、切実さを感じないという感想を抱いた人もそうです。きっとそれが、あなたとこの主人公の違い、なんです。 彼女は彼女の生き方があって、彼女だけが持っている独特な空気や感じ方を持っている。 世の中に生きる誰しもがある意味そうであるのと同じように。 作者は、それほどまでに誠実に冬子という一人の人物を描いたのです。 こうであるべきという前提でこのお話を読んだら、きっと面白くないかもしれません。 寄り添い読み進めることで、誠実に描かれた冬子という人物をどれだけ「彼女という人物」として読んでいくことを楽しめるかでこの本の読後感は変わるかもしれません。 *以降ネタバレ注意 校閲の仕事をしていることもあり本をまともに(楽しんで)読めない、そして担当の聖(や過去の彼氏)からも自分がない(選択してない)・イライラするといわれた彼女ですが、彼女は、三束さんと出会い、別れ、一つの『言葉』を自分の中から生み、見つけます。 彼女という人物に寄り添い読み進め、そんな彼女が自らの『言葉』を最後に一つ生み出す/見つける。 その言葉は、彼女自身なんだと思います。誰にも何にも代えがたい、彼女という言葉なのです。 | ||||
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主人公はごく大人しい真面目な女性で、他人が苦手だし集団の中では自己主張どころかほとんど話もしない。一人称だから書いてはいないけれど、他人から見たら彼女の顔は能面のような無表情に見えるのではないか。生き生きとした感情の浮かばない顔、何を考えているかわからない。だから他人は彼女を見ているとイライラする。彼女にもなんとなくそれは解っているけれど、自分ではどうする事もできず、せいぜい酒でも呑むしかない。 だけど彼女も恋をする。おずおずと、ためらいながら、やはり心はときめく。しかしそれでも、他人には彼女の顔はやはり無表情に見えるのかもしれない。けれどせつなくてたまらなくなると、そんな彼女の瞳からいきなり涙がポロポロとあふれるのだ。そのとき大方の他人は、ただ面喰らうだけではないだろうか。そして何か妙に真面目な顔で彼女を眺める、ああこの人だってやっぱり人間だったんだ、と。 そんな彼女を面倒な女と思うか、可愛いと思うかで、この小説の評価は分かれる気がする。私は後者だったので、面白かった。 | ||||
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適当に買った本でしたが、今のところ人生トップ3に入ると思います。これからも折に触れて何度も読み返すだろうと思います。それくらい共感したし最後の部分で救われました。 | ||||
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紙のうえに文字がのっているだけなのに、 どうして床のつめたさや日本酒の香りがじぶんの体に つぶさに感じられるのか。 三束さんの嘘はあれだけじゃないと思うし、 冬子はあの漢字を「さんたばさん」なんて素で読む人じゃないと思う。 三束さんには家庭があるような気がするし、 冬子は初めて名前を知るシーンで酔いとともに、自身も気づいていない媚びを発揮している気がする。 小説って、すべてのことをわかりやすく丁寧に説明してあればよいわけではないんだなあ。 いろいろなシーンが丹念につくられていてページをめくるのが楽しかった。 ありがとうございました。 そしてわたしは聖に惹かれました。聖の冬子への不器用な友情の示し方が特に好きです。 | ||||
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美しいんだけど、切なすぎて胸が痛かった。 生きていくって、ホント、起きて食べて仕事して寝て、だけじゃなくて、ホントしんどいもんだ。 誰かの人生の登場人物になるって、必要なことなんだ。 | ||||
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284ページの主人公の心情描写が美しく、何度も読み返しました。私は読むのが速いので2時間もあれば読めてしまいますが、この本は言葉の美しさを楽しみながらじっくり読むのがおすすめです。 | ||||
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もちろん起承転結はありますが、ドキドキハラハラするようなストーリーがあるわけではないので、ストーリー展開をスリル感やドキドキ感と共に楽しみたい、みたいな人にはあまり向かないかもしれません。 話の世界観に浸りながら読む、という感じの話なので、好き嫌いが別れる小説だと思います。面白かった。買ってよかったです。 ただ、「全て真夜中の恋人たち」というフレーズが出てきたくだりは、ちょっとありきたりで残念な気もしましたが(^^;) | ||||
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女性の恋心が経験や年齢で違うのか変わらないのかも知らないで言うのもおかしいのですが、描かれた30歳半ばの女性のそれはとても頼りなくて切なく、わたしには、もっとずっと若い方のもののように思えました。もちろん、人によるのでしょうけれど。 しかも、この方は、それが本人にとって心地がいい一面があるとはいえ孤独なので、淋しさが恋心をさらに切ないものにしています。まことに気の毒に思いました。 多用するひらがな記述が、物語の雰囲気に合っていてとても良かったのですが、最後の方の心情描写はさすがに冗長で、せっかくの盛り上がりが逆に削がれてしまいました。 | ||||
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川上未映子さんの本に出て来る台詞はエグいけど、一方で爽やかだったりします。 生き方には色々あって、どれが良いとか悪いとかは無くて、偶に傷つけるし支えあうのが人なんだって思いました。 ラブストーリーの部分より、それを軸にして描かれる女性たちの生と性が面白かったです。 | ||||
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と打ち込みたくなる、声に出したくなる題名に惹かれました。 私も喋るというよりは聞く方が多いので その中で独特な考え方を持ちそれを何時間も話す主人公の周りの話の人たちは個性的で、その 話に耳を傾けるというのはとても面白い時間でした、そして主人公冬子も自分の事を話始めるようになり 自分の考えを伝えて行く話、今の自分と重なるような気がして、がんばれがんばれと読みながら思っていました。 上辺ではなく、ちゃんとお話をしているな、ちゃんと生きてるなと思う一冊です。出会えてよかったと思います。 | ||||
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低評価が多いことに驚きます。 この本は物語の展開の早さとか、スリルとかミステリーとか、そういうものではありません。そういう、物語の筋道や展開を楽しむものでは無いんです。 ひとりの女性の静かな独白であり、美しく不器用で、純粋な彼女の心理描写を、読む人が自分の孤独だとか人を想う気持ちとか傷つきやすさとかを重ねながら、じっくり味わうことを楽しみとする物語です。 人付き合いが下手で大人しくて浮いてしまうような人っていると思います。活発に動くことによって自分はがんばってる、努力してる、っていうような人は、そんな静的な生き方にイライラするでしょう。 でも、人はそれぞれ大切にしていることは違います。彼女の静かな打算のないピュアな想いに、わたしは心惹かれました。この作品に覆われたなにか高貴な美しさや静謐を楽しめる人には、本書の価値が分かるでしょう。 | ||||
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先日図書館から借りた本を読んでいたら、一文字の誤植に気づいた。「パラダイム」の「ダ」が「タ」になっていた。そしてその「タ」の右上には鉛筆書きで「゛」が書き添えられていた。几帳面で丁寧な筆跡で書き込まれたその濁点を見て、これは常に自分の文章を校正される立場の文筆家か、あるいは逆に常に人の文章を校正する立場の職業的な校正者の手による書き込みだなと直感した。 図書館の蔵書に書き込みをするのはマナー違反だ。だがこの書き込みの裏にある、誤りを見つけたらそうしないでは気が済まないという職業的な生真面目さに、少し嬉しいような共感を覚えた。以来、職業的な校正者あるいは校閲者というのは、いったいどんな人たちなのだろうかと気になりつづけていた。 通勤途中の車内でしか本を読めない私は、滅多に文庫か新書サイズより大きい新刊本は買わないことにしている。それでも、この川上未映子の新作をつい買ってしまったのは、主人公の職業がフリーの校閲者だったこともひとつの理由だった。 こんなシーンがある。主人公の「わたし」は三十四歳の一人暮らしの校閲者。家のポストに投げ込まれる地域の情報誌みたいなものを暇つぶしに目を通す。 「十分間ほど読んでみるだけで七カ所の間違いがあり、わたしは爪でそこにあとをつけていった」 とある。ふむフム、校閲者の習性とはやはりそういうものなのか。わが意を得たりである。そんなきっかけがあって物語の中に入り込んでいくことができた。よい読書とはどれだけ感情移入ができたかで決まる。そういう尺度がある。その観点からいうとこれは私にとって最高にいい読書であった。 読み進むうちにどんどん入り込んだ。三十四歳の孤独な女の気持ちになりきった。物語の終盤、主人公が切々と初老といってもいいさえない片思い相手の中年男への想いを声に出さず語る。 「(三束さんは、)毎日、何を食べ、どんなふうに過ごし、誰と過ごし、何を大切に思い、どんなことを考えて暮らしているのか、わたしは何も知らなかった。どんな所で眠り、どんなところで本を読み、どんな人と、どんな話をして笑うのか。どんなことに腹をたて、どんなことが憂鬱で、眠るまえにはいったいどんなことを考えているのか。三束さんは、どんな女の人がすきなのだろう。これまでどんな女の人をすきになったのですか。どんなふうにすきになったのですか。もしわたしがきれいだったら、三束さんは夢でしてくれたようなことを、ほんとうのわたしにしてくれましたか。三束さんはどんな夢をみるのですか。わたしとしゃべることをすきだと言ってくれたけど、それはただ、しゃべるだけですか・・・・」 この切ないモノローグを、読んでいる私は自分の声で語ってしまっていた。読みながら主人公になりきっていた。自分が冴えないオッサンであることは頭から完全に消えていた。 これ位入り込めたのは、角田光代の『八日目の蝉』を読んでいて、若い女の乳児誘拐犯になりきってしまって以来のことだ。川上未映子の作品は幾つか読んでいるが、その中でも「入り込めた」加減は本作がダントツである。 ほとんど引き籠りに近い「わたし」は年一回、自分の誕生日でもあるクリスマスイブの晩にだけは夜の街を散歩する。そうして自分の誕生日を静かに祝う。そんな一年を十何回か過ごしてきたのが大人になってからの彼女の人生だった。 「わたしの誕生日を、一緒に過ごしてくれませんか」 その台詞を、私は泣きながら主人公の「わたし」と一緒に言っていた。 今どきこんな時代遅れで清らかな三十女がいるだろうか。こんな物語があるだろうか。呆れるほどに、「よかったなあ」と思う。 日本の文学なんてとか、芥川賞作家なんて所詮とか、いつもは思っているような人にも、たまにはどうとお薦めしたくなる一冊です。 | ||||
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この本は嫌いな人は、本当に嫌いみたいですが、私はけっこう 楽しめました。 | ||||
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爆笑問題の太田光のおすすめとあって、読んだ本。 読者の想像に任せる、といった余白部分が多いのが好印象。 聖のことについては特に。 | ||||
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一見、同じ川上姓の弘美の「先生の鞄」を思わせる恋愛小説。 二人の会話が「光」をめぐった美しい言葉に溢れていて 「先生の鞄」のほのぼのとはちがったキラキラした 感じが少しある。こうした言葉の使い方は見事。 特に出だしの真夜中をめぐる言葉が良い。だけどなあ、 あの物理の先生がニセモノだったという小説の終リ方 はあまりにも安易でがっかりした。もっと工夫が あるだろうに。宇宙と世界にはまだ終わりが ないけれど、個人の人生と小説には必ず終わりが ある。主人公が死ぬ、あるいはこれまで話は全部 嘘というのが一番安易な終わらせ方だよ。 | ||||
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30代の独身女性たちの愛情問題や仕事に対する姿勢、生き方のことなどを書いた小説。読後すぐ小説として盛り上がりきれていないんじゃないかな、と思ってふと考えたのだけど、中学生の激しいいじめを扱った前作『ヘブン』もこの本も、30代の独身女性や、いま、中学でいじめられている子、いじめている子、といった当事者たちが読むと参照できるテキストになっているのではないかな。その分、作品は説明的になってしまっているかもしれないけれど、当事者が読むと、考えや気分を整理して、自分なりに登場人物たちと自分を比べて考える、そんなテキストとしては有効だと思える。 読んで面白かった面白くなかった、ではなくて、読者が本当に苦しいときに手をさしのべてくれる小説、そんな風に考えると、見方が変わってくる。 【以下ネタばれ】それにしても、はじめて「した」直後に、彼(高校生同士)に、「君をみてるとね、ほんとうにいらいらするんだよ」なんて言わせられるのは、川上さんだけかもしれません。 | ||||
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紡ぎ出される言葉全てが美しい。 どこか切なく、温かいラブストーリー。 この世の中で、こんなにも幸せな関係があるのか?純粋で、透明な世界観。 間違いなく、1番美しく綺麗な言葉、世界観。 読まないのはもったいない! | ||||
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この物語は、何度も何度も読み返すような、じっくりと読むためのものだと思います。 ただ、登場人物達の会話や話の流れを辿るだけだと、 この物語はびっくりするほど何も起こらないというか、 単調で陳腐なものだという感想だけが残ってしまうだけだと思います。 ですが、「わたし」が一人称で語る世界を(この小説を読む人が)時間を掛けて読み解こうとしてみると、 少しずつ、じわじわと登場人物の“思い”が滲み出てくるような、「わたし」が語っていない部分の見えないものが浮かび上がってくるように思います。 この本を読みながら、見えないもの・語られないものをかみしめて、 「これは自分も感じたことのあるものだ。これは誰かの物語だけども確かに自分の物語だ」と、 ささやかながらの優しい力をもらえました。 | ||||
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『すべて真夜中の恋人たち』(川上未映子著、講談社)を読みながら、自分が恋をしていた当時の、彼女が私のことをどう思っているのか分からない時の落ち着かなさ、彼女になかなか思いが伝わらないもどかしさ、彼女のことで頭の中がいっぱいになって、他のことは何も考えられなかったこと、どうしても彼女に会いたくて他のことが手に付かなかったこと、彼女の言葉や仕草を思い浮かべるだけで、苦しいぐらい胸がときめいてしまったこと――をありありと思い出して、切なくなってしまった。恋愛小説でこんな気持ちになったのは、本当に久しぶりのことだ。 34歳の「わたし」がカルチャーセンターで出会った58歳の「三束さん」に寄せる思いは、例えば、こんなふうに表現されている。「毎日、何を食べ、どんなふうに過ごし、誰と過ごし、何を大切に思い、どんなことを考えて暮らしているのか、わたしは何も知らなかった。どんなところで眠り、どんなところで本を読み、どんな人と、どんな話をして笑うのか。どんなことに腹をたて、どんなことが憂鬱で、眠るまえにはいったいどんなことを考えているのか。三束さんは、どんな女の人がすきなのだろう。これまでどんな女の人をすきになったのですか。どんなふうにすきになったのですか。もしわたしがきれいだったら、三束さんは夢でしてくれたようなことを、ほんとうのわたしにしてくれましたか」。 今、幸せな恋をしている人も、失恋してしまった人も、恋することを忘れてしまった人も、この本によって「特別な時間」を堪能することができると思う。 | ||||
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『すべて真夜中の恋人たち』(川上未映子著、講談社)を読みながら、自分が恋をしていた当時の、彼女が私のことをどう思っているのか分からない時の落ち着かなさ、彼女になかなか思いが伝わらないもどかしさ、彼女のことで頭の中がいっぱいになって、他のことは何も考えられなかったこと、どうしても彼女に会いたくて他のことが手に付かなかったこと、彼女の言葉や仕草を思い浮かべるだけで、苦しいぐらい胸がときめいてしまったこと――をありありと思い出して、切なくなってしまった。恋愛小説でこんな気持ちになったのは、本当に久しぶりのことだ。 34歳の「わたし」がカルチャーセンターで出会った58歳の「三束さん」に寄せる思いは、例えば、こんなふうに表現されている。「毎日、何を食べ、どんなふうに過ごし、誰と過ごし、何を大切に思い、どんなことを考えて暮らしているのか、わたしは何も知らなかった。どんなところで眠り、どんなところで本を読み、どんな人と、どんな話をして笑うのか。どんなことに腹をたて、どんなことが憂鬱で、眠るまえにはいったいどんなことを考えているのか。三束さんは、どんな女の人がすきなのだろう。これまでどんな女の人をすきになったのですか。どんなふうにすきになったのですか。もしわたしがきれいだったら、三束さんは夢でしてくれたようなことを、ほんとうのわたしにしてくれましたか」。 今、幸せな恋をしている人も、失恋してしまった人も、恋することを忘れてしまった人も、この本によって「特別な時間」を堪能することができると思う。 | ||||
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