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ヘヴン
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ヘヴンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全87件 1~20 1/5ページ
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文体に特徴があるので読みづらい人はとことんまで読みづらいだろうと思います。いじめの描写が長く続き鬱々とした展開が続きますが、結末はかなり美しく印象に残りました。 | ||||
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個人的に、コジマが言う「自分たちに理解できないものがあることがこわいのよ」と、百瀬が言う「君が置かれている状況っていうのは、そういうたまたまが一致した単なるけっかなんだと思うよ」というセリフがいじめのきっかけをとてもよく言い表していると感じた。 また、主人公と話す百瀬のセリフからいじめる側の世界観を伺うことができた。動物的で倫理観がない世界。他人の立場になって考える想像力がないと人間は平気で残酷なことができてしまう。恐ろしく悲しいこと。 コジマがいじめに対処しないことを"受け入れること"として正当化してしまっているがために、イジメの世界から抜け出せずに環境を変えられないのではないかと思い、終始もどかしい気持ちがふつふつしていた。ただ、自分がいざ同じような状況に開かれた場合、何かアクションを取れるだろうかと想像するとわからない。 | ||||
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読書とは種蒔き、読んでる時は理解出来ない事があっても時間が経ちその本の理解出来なかった所がフと思い出してその事を考えたり。 そうこうしていく中でその種から芽がでて成長して(あー、、、もしかしたらこういう事なのかもしれない、、、)と思ったりの繰り返しだったり。 彼女の作る世界はその種が沢山あってどれも私の中で面白い花を咲かせてくれてる。 | ||||
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黄色い家を読んでからのヘヴン。 中盤くらいまで徐行していた車が突然加速をはじめ、 最後の最後あり得ないスピードで飛ばしたかと思うと突然消えた。 そんなイメージ。 エピローグの部分がなかったので一瞬戸惑いましたが、 こんな終わり方もアリですね。 本でも映画でも伏線回収にこだわる人が必ず一定数いるんだけど、 自分はそんなの別にいいだろって思う。 話がより主人公目線だってことだよ。リアリティを出したのだと思う。 自分が生活してても回りの人間の動きなんて知らないことのほうが多い。 黄色い家と違って250ページしかないので、内容こそ重いですが短時間で読めます。 もう一度読み直して味わいたいです。 | ||||
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いったい存在とは何かを問いている。劇的展開をみせる。プチサルトルとプチ・ボーボワールの大変な物語ですぞ。 久々の”実存主義”小説でした。 | ||||
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重かった。 途中、残酷な虐めのシーンは読めなかった。 コジマと百瀬の言っている事は逆説のように取れた。 コジマは感情でなんとかできると信じて進んでいるように見受けられた。 対して百瀬の言っていることは至極真っ当なことであると感じた。人はこの事(百瀬の話す内容)に気付いた時点で強くなれるのかもしれない。 そして、この事に気付いたということは、百瀬も実は過去に悩み苦しんだ経験があったのかもしれない。 んー深かった。 頭から離れない。 時系列でコジマのストーリーも知りたくなった。 著者の他の小説も読んでみたいと思った。 | ||||
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読み進めるごとに絶えず正しさとコジマと僕が変化していった。読了後、作者の不在を感じた。作者の技量がすごい。ドストエフスキーとの関連からこれを読んだのもあって、性格なんてものはなく誰も誰にでもなりうるのだなと強く感じた。 | ||||
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他のレビューを読ませていただいて、ドキドキしながら読み始めました。先品前半で既に止められなくなり、一晩で読み切ってしまいました。途中でタイトル『ヘヴン』の言葉が出てきますが、読み終わって、その意味を色々と考えさせられました。読書後の後味が良くない、何も解決していないなどレビューで読み、終わりは特に気になっていたのですが、私はこの終わりは好きでした。主人公側が輝くほど、対比でいじめっ子側のその後の落ちてく姿が想像できたからです。主人公にとって斜視であることの意味、コジマが清潔にしなかったことの意味、いじめの壮絶さよりも二人の世界の真実に嗚咽しながら読みました。百瀬のめちゃくちゃな論理も筋もない説明、小説の世界だけれども実の世界もこんな言い訳にもならないようなことがまかり通っているんだろうなと、北海道の旭川のイジメを思い出さずにはいられなかった。人間サッカーのシーンも最後の公園で雷と大雨を降らせた印象的なシーンもペンと紙だけで、ここまでの精神的身体的苦痛を描き切った作者に、改めて小説を読む意味を色々と考えさせられました。 | ||||
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というふうに感じられ、コジマの強烈な聖性にくらくらし、多分この小説で語られたことはおおよそ人が今まで苦しみの意味を考えてきたことの全てであるように思う。百瀬とコジマを超えてなお、僕らはこの世界をどう生きるのだろうか。これが小説というもののなしうることなのだろう、全てが小さな世界に凝縮されている。 | ||||
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レビューなので、どんな人が読めば面白いと感じられるか書きます。 タイトルにもある通り、僕のようなミーハーな哲学好きの人です。より詳しくいうと、先代の哲学者の思想や理論にはそこまで精通していないが、哲学的な思考を通じてさまざまな物事を考えるのが好きな人です。 哲学マスターな人からすると他のレビューにもあるように安直だったり、粗が目立つ作品のようです。僕にはそんなことよくわからないので、善悪や生の価値について、物語に沿って考えたり、作者が自分と同じ考えを描写してる!って思ったりして楽しみました。 逆に大衆的な勧善懲悪や、イジメに関して深く洞察する作品が読みたい方には全く向いていません。いじめっ子が成敗されるような描写はありませんし、イジメに関する問題提起や解決方法なんかも描写されていないからです。 最後に、星5ではなく、4にしたのは、思想を託すのが中学生なのはさすがに無理があるのではと思ったこと、伏線を全部回収し切る綺麗さがなかったこと(当方伏線回収大好きなので)などが減点だなと思ったからです。ただ、作品全体の面白さに影響はそんなにないと感じたので、4にしてます。 | ||||
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ブッカー賞候補に選出されたと聞いて手に取った。この著者の作品は「すべて真夜中の恋人たち」に続いて2冊目。 全編胸糞悪いイジメが描かれ、非常に読後感は悪い。 エンタメ小説ではなく純文学なので、勧善懲悪的な読者の溜飲を下げる結末は用意されない。(いわゆる「いやミス」の類いではないのでご注意を。) いじめる者といじめられる者のいる、この世界のありようを著者ならではの描き方で映しとろうとしてる。 僕と百瀬の直接対話がこの小説の肝だろう。「罪悪感を感じるから殴れない」僕と「感じないから殴る」百瀬(実際に手を下すのは二ノ宮だが)。「ただそれだけのこと、標的は誰でもいい」といういじめる側の論理を前に、噛み合わない対話の虚しさだけが残る。 いじめられる側にコジマという「仲間」の存在が描かれるが、僕が斜視を治す計画を語ることで2人の関係が崩れていく。コジマは斜視の僕をどこかで「可哀想」と思うことで僕とつながっていたかったのかもしれないと感じられる。 いしめる側の百瀬と二ノ宮の微妙な上下関係や、百瀬がなんらかの疾患を抱えていそうなこと、僕と母を中心とする家族関係などがさりげなく描き込まれ小説に奥行きを与えている。 一つ気になったのは、いじめる側の2人をイケてる存在として描き過ぎていること。 時代が違うとはいえ、あからさまにクラスメイトに残酷な嫌がらせをしている人間を怖れこそすれ、トキめいたりする女子ばかりではないはず。いじめる者はまた見えないところで必ず多くの者に嫌われるのだという現実は全く描かれない。 最後に、「すべて真夜中の」でも感じたのだが、美しくきらめく一文があちこちに散りばめられていて、読んでいてしばしばハッとしました。 | ||||
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好き嫌いはあると思いますが、まず、読みやすいです。日常的に考えられる、身近な問題がここにあると思います。読むかたによって、だいぶ感じかたがことなると思います。英訳されて、ブッカー賞にノミネートされた記事をみて買いました。 とてもいい小説です。 | ||||
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平易な文章で読みやすく、先が気になるプロットで、あっという間に読み終えました。 山場に向かって緊張感が高まり、同時に哲学的な構図が明瞭になっていくのが特徴的。 やや親切過ぎるくらいに説明的なところがあって、哲学に詳しい方は興ざめするのかも知れないなと思いましたが、私のような素人が哲学に興味を持つきっかけとしては丁度良かったです。 現実のいじめ問題に正面から対峙するようなタイプの小説ではないと思います。 | ||||
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こころを失ったブリキの人形の百瀬がスタブローギン、お調子者の殺人鬼のピョートルが二ノ宮というように。 もちろん川上未映子はそんなことを思いもしなかっただろうが。 | ||||
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14歳の僕はイジメを受けている。斜視がきっかけだ。叩かれ蹴られチョークを食べさせられる。そんな時に手紙が届くようになる。差出人のコジマも女生徒からイジメを受けている。 コジマがヘブンと名付けた絵を見せたいという。恋人たちが部屋でケーキを食べてるのだが、とても辛いことや悲しいことを乗り越えてたどり着いたとこだと言う。自分たちが今イジメられてるのも耐えたその先に、越えた人しかたどり着けない世界があると言う。 後半でイジメグループのひとり、百瀬にどうしてイジメるのか。僕が斜視だからかと詰め寄る。百瀬は「関係ない、偶然だ。」と言い罪悪感はこれっぽっちも持っていなかった。 たぶん世の中のイジメって斜視で気持ち悪いとか汚い、臭いとか最初のきっかけはあるけど、継続してイジメるのは相手を下に見て従わせる快感に酔ってるだけで罪悪感は感じて無いんだろうと思う。 最後の場面は12月、僕が斜視の手術を受け並木道の真ん中で眼帯をはずすとこだ。「はじめて世界は像をむすび、世界にははじめて奥行きがあった。世界には向こう側があった。…そこに映るものは何もかも美しかった。」 ずーっとイジメられてきた僕が到達できたヘブンなのだろう。コジマが見せたかったヘブンなんだろう。 しかし…と思う。イジメる側は斜視はキッカケであり理由じゃない。解決した訳ではない。そしてもう一人のコジマはどうなる?ハッピーエンドかと感動していたが急に不安になった。 | ||||
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コジマのキャラクターを本当に魅力的で、主人公である僕を違う次元へとぐいぐい引き込んでいく力を感じた。コジマも僕も、お互いを思いやりながら変化して行くのだけれど、その変化の方向やスピードの違いがだんだんと大きくなっていくのが描写の中に感じられて、読み進めるのが切なかった。読後感が悪いという人もいるかもしれないが、私は余韻と受け取った。作者によって簡単に万人受けする解釈を押し付けられるのではなく、読者の解釈に任せる余韻の部分を作ることは、読者を信用して任せるということでもあるし、あえて批判も受け入れる覚悟でもあると思う。登場人物が年齢の割には少し理論を述べ過ぎる感じが不自然な気もしたが、読み応えのある、考えさせられる物語だった。 | ||||
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中学生のイジメの壮絶さに、途中何度も息が詰まりました。フィクションとは分かっていても、おそらく、これと同じようなことが現実としてどこかで行われている気がしました。 P.48 美術の時間に、線路をつくりますと言って二ノ宮が取り巻きに僕を押さえつけさせ、 手のひらをひろげさせ、ひらいたホッチキスで針をばちんばちんと打っていった。 P.153 放課後の誰も居ない体育館に呼び出された「僕」は、6人に囲まれ、破れたバレーボールを無理やり頭から被せられ、「人間サッカー」として頭部や顔面を蹴られ、「床にどろりとひろがった血」「シャツの胸のあたりについた血も真っ赤」になった。 これらはイジメを通り越して、間違いなく犯罪です。 私は子供を持つ親として、主犯である二ノ宮(学年でスポーツが一番で、成績が優秀。教師でさえ二ノ宮には一目置いているような感じがある。)に殺意を覚えたくらいです。 そして「僕」は、病院で偶然に会った副主犯格の百瀬に、「なんで、・・・君たちはこんなことができるんだ」と声を振り絞って問いかける。その後、百瀬との問答は長々と続くが、百瀬の論理は自分勝手で完全に破綻している。やはり、こいつも冷酷な人間であった。 百瀬は「僕たちの年齢じゃ、なんであれ犯罪にはならないからね。そういうのって、すぐになかったことになるし。苛めっていうのはあいまいだよね。」と言っている。 中学二年生は13~14歳であり、14歳に達していれば刑法が適用される。もし、二ノ宮たちが14歳に達しているのであれば逮捕され、家庭裁判所で審判され、送検されなければならない。 「僕はしだいに自殺を考えるようになっていった。」 でも、幸い「僕」は自殺をしなかった。同じ苛められ役の「仲間」であるコジマの存在も大きかった。まず、最悪の事態にまで至らなかったのは救いである。 私は読んでいて何度も、主人公の「僕」を救いたくなりました。 少なくとも「人間サッカー」をさせられ、血まみれになった時に、救急車を呼んでいれば、消防から警察に通報され、間違いなく日頃の犯罪が明るみになったのに・・。 主人公の「僕」は斜視の手術を受けた後、果たして苛めの対象から外されたのであろうか? 7人の不良グループから公園で裸にされることを強要されたコジマは、「僕」が石を持って二ノ宮へ反撃するのを止めさせるためか、脅迫を受けるカタチで自ら裸になり、そして、加害者らの頬をひとりづつ撫でていった。 公園のそばを通りかがった中年女性が「なにしてるの」と声を掛けたことで、二人は危機を脱したが、コジマの心には一生キズが残るのではないか? この後、教師たちには苛めの顛末がすべて伝わったのだろうが、果たして、二ノ宮は警察に逮捕されたのか、児童相談所に送致されたのかは分からない。 いずれにしても、最初から最後まで壮絶な苛め(犯罪)であった。私は息苦しくなって、何度も読書を中断してしまった。著者の描写はそれほどリアリティに富んでおり、読者を震えあがらせた技巧は見事である。 川上未映子さんはこの作品で我々や世間に何かを問うているのであろうか? 非常に重苦しく、考えさせられた作品である。 | ||||
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読み始めたらノンストップで最後まで読んじゃいました。 イジメのリアルがないなどと批判を受けてる印象ですが、別にイジメ小説が読みたかった訳じゃないのでいいです。 百瀬や二ノ宮のキャラクターへのバックグラウンドの浅さはある意味、主人公がその人たちを実の所は何も知らないっていう状況と重なって良かったです。 多分だけどコジマも間違えてて、どこかおかしいんだと思いました。でも消去法で主人公と友人になって、かけがえが無くなっちゃったんです。主人公の斜視が主人公の性格形成に影響なんか無いはずだからです。多分2人は虐められてなければ友人にもなってないはずなんだろうなってのがわかってその距離感でかけがえのない友人になっていく違和感を薄々2人とも気づいてたんじゃないかな。 最後の文も最高でした。主人公の彼が大人になった時にでも、美しさを思い出せる人と居るといいな | ||||
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「父と卵」を読んで「ヘブン」を読む。なめらかな大阪弁の渦の中に飲み込まれて、終わり近くに泣き叫ぶような魂の叫びに圧倒されました。エロスというより生存在の悲しさとどうしようもないからだと心の言葉と文体を持った人だと思いました。ヘブンは、ずっと胸がつかえ言葉が空回りしてただ熱いものが体の中からむせかえるようにでてくる感じで最後まで息を止めるように読んでしまいました。素晴らしい作品ですね。あーまたすべての作品を読んでみたい作家に出会った気がしました。情感のある言葉の中に引き込まれながら物語が夢のように展開していき、はっと目がさめるように次の場面が流れていき苦しかったです。村上春樹さんとの対談集「ミミズクは、黄昏に飛び立つ」も面白かった。鋭い質問に愛を感じた。飄々と答える村上さんの作品制作の心髄に触れそうで触れさせない対談も面白かった。わからないことが大事なんだと思った。 | ||||
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学校の同じクラスでいじめを受けている男子生徒と女子生徒がいて、そこから2人の距離が縮まる話である。 読んでいて、気分悪くなる人もいるだろうし、結末でも、うーむと唸る人もいるだろう。 正直、自分自身もまた再読したいという気持ちになるには、内容を完全に忘れるまではないと思う。 虐める側の言い分が本書に書いてある。 簡単に言えば、他人事だからいじめるのである。 傷つくのは僕らじゃない。 そう、彼らは相手の立場になって考える事が出来ない、視野が狭い人間なのだ。 その視野の狭さを、主人公の斜視という病気に重ねてあると思う。 主人公はいじめられている自分を直視せずに、ただ受け入れている。 そりゃ虐める方が100%悪いのだが、主人公の僕は何か具体的な手段を取る訳でもなく、黙って事態が過ぎ去るのを待っている。 その判断も所謂、視野の狭さなのかもしれない。 話は斜視というファクターありきの話でもあり、最後に斜視を治す手術を受けた描写もある。だが、治したからと言え、現実がガラッと変わるのだろうか?という気持ちもする。 それと、もう1人の主人公である、女子生徒のコジマ。 彼女は主人公の僕に、情けから来ている共感で、僕に近づいてくる。 友達がいない彼女は、仲間が欲しいようだ。 それに彼女は美術館にある、ヘヴンという、 コジマ自身が勝手に名付けた絵が好きである。 タイトルのヘヴンが持つ意味はなんだろう? 本書で、壮絶な虐めを受けた彼女の最後はどうなったのかはわからない。 最後の公演での悲惨な虐めの発端は、彼女が欲しがっていた、仲間への裏切りだったからだ。 それ故、ヘヴンに行ったかもしれない。 風呂敷を回収していない話もありますが、 それも人の視野、見える範囲には限界があるかもしれないという暗喩?なのかもしれない。 小説を読み終えて、上手い小説だなと思いましたが、面白くない小説でした(話のテーマ的に)。 | ||||
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