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転生の魔 私立探偵飛鳥井の事件簿
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転生の魔 私立探偵飛鳥井の事件簿の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点2.60pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全3件 1~3 1/1ページ
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密室!墜死!フランス!活動家!本書も笠井節全開だ!…それが新規の読者に受け入れられるかはさておき! 本書のレヴューは否定的な見解が多いし、推理小説としては肩透かしを感じる点があったのは事実だ。それでも笠井作品の一ファンとしては、このシリーズの新作は嬉しかった。 もっとも、主人公も60代。この先現代劇のシリーズとして何作読めるだろうか… もう一つ嬉しかったのは批評家の杉田氏による、「解説にかえて」の一文。著者の代表的な作品群の的確な紹介と、矢吹シリーズの近況?が伝えられる。矢吹シリーズこそ、完結を見届けたいところだ。単行本の新刊を待ちたい。 本書は、一度きりしか出番のない人物がなかなか印象的な台詞を残してくれた。 「大切なのは悪を否定する意志ではなく、望んでも悪がなしえないような状況に身を置くことです」 なかなか深い。 | ||||
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笠井潔の名自体は『バイバイ、エンジェル』が発表された当時に目にしていて、「いつかそのうち」と思っているうちに40年近く過ぎてしまった。我ながら呆れたものだが、初読である。帯の惹句「43年前、二重密室から消えた幻の女が国会前のデモの現場に現れた。当時とまったく同じ容姿で――。」という魅力的な謎に抗しきれず、手に取ったのだ。古くからのファンには「今さら」とは思うが、なるほどこういう作風なのか。冷めたというか、乾いたというか、全編淡々とした筆致で物語が進行していく。登場人物の多くが60年代末の学生運動とテロの季節を潜り抜けてきた人たちで、正義とか善悪を相対化して観ているのがよい。修羅場を経験すると、人はこんな風にシニカルになるのだろうか。恐らく同時代を生きた著者自身の心象風景を反映しているのだろう。 本作はミステリの形を借りた社会批評の匂いが濃厚である。謎解きの興味で読んでいる向きには、その点物足りないかも知れない。実は私自身もそうなのだが、敢えて星5つである。いろいろと啓発される視点が登場人物の対話やモノローグで提示されていたからだ。「イスラムが過激化したのではない、過激派がイスラム化したのだ」、「1960年代なら社会主義的な左派ナショナリズムの過激派として活動したはずの若い現状否定派、急進主義的な若者たちが、90年代以降はイスラム過激派に吸引されるようになる」という辺りには、なるほどねと素直に腹に落ちる。 エピローグ近くでの主人公のモノローグ「その躰で戦場のシリアに行くのは無謀だが、他人が口を出す筋合いではない。死ぬために行くようなものだとしても、最終的には本人が決めることだ」。いやはや、徹底してハードボイルドだな。闘争に敗れて日本を脱出し、仏の片隅に安息な暮らしを求めても果たせず、老境の身で再び祖国に舞い戻り爆弾テロに向けて進まざるを得なかった男に同情も、ましてや共感も全く覚えないが、社会からドロップアウトした活動家の末路の一類型として、現実にこういう人もいるのだろうなと思う。末路と云えば、本作でもちょっと触れているが、よど号で北朝鮮に逃れた挙句にヨーロッパ各地での北朝鮮による日本人拉致に協力させられた愚か者たちも、そろそろ彼の地で朽ち果てていく頃だ。何の達成もない人生だったな。 ラストのオチも洒落ている。いや、久し振りに読み応えのある作品に出逢った気分だ。遅れ馳せながら、笠井潔の他作も探してみよう。諸兄にもご一読を乞う次第である。 | ||||
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著者の6年ぶりになる長編探偵小説は、飛鳥井シリーズとしてはじつに14年ぶりの新作となったが、『新編 テロルの現象学』以来の、2010年代の社会状況を見据えた批評活動をストレートに反映した作品となった。 冒頭、真夏の午後。飛鳥井が一人称で自ら拠点とする東京都心の巽探偵事務所を紹介していく、穏やかながら印象的なシーンは、飛鳥井シリーズの続編というよりは完全新作ともいっていい新鮮な描写で、これにじかに続く、依頼人・山科三奈子とその関係者たちを記述していく手つきは、戦後から2010年代までの〈東京〉のクロニクルともいえるものだ。 これまでの笠井潔が著した探偵小説といえば、どうしても矢吹駆/ナディア・モガールを軸とした物語群が想起されてしまうが、この『転生の魔』では、あえて言えば〈日常の謎〉タイプの物語構成と登場人物が選択されている点、意外に思われるかもしれない。しかし、中盤の密室トリックの暴露が過ぎた辺りから、このようなスタイルでしか生み出せなかったであろう〈物語〉が駆動してくる。 密室トリックの種明かしは一見すると驚きをもたらすものではなく、中盤でも〈日常の謎〉らしい散文的な、(くだけていえば「淡々とした」)物語展開が続いていくように見える。しかし、この記述方法じたいが、物語後半の急展開をもたらす必然的なプロセスそのものだったと思い知らされる辺り、さすがこの著者ならではの物語としか言いようがない。 いわば、〈日常の謎〉が、密室トリックがもたらした予期せぬ作動によって、〈非日常〉ではない、我々の日常と一体化した〈世界内戦〉の風景に変貌してしまうのだ。 笠井氏の探偵小説に顕著な、思想的対話と膨大な〈歴史〉への言及は、本作でも見られる。その中で焦点となるテーマはまたしても〈テロル〉なのだが、これまでの笠井作品とはいくぶん異なった登場人物たちによって物語が紡がれていくと、その印象が大きく変わる。 依頼人・山科を取り巻く登場人物たちの「43年前」と「現在」がこの物語の謎とリンクしていくのだが、その人物描写はこれまでの笠井作品には見られなかった、極度に類型化した(それでいて現実味のある)キャラクターとなっており、否応なしに現在の日本社会に生きるアウトサイダーの縮図を思い起こさせる。この新しい表現は、ゼロ年代アニメ批評も行ってきた笠井氏の現状認識がうまく生かされた結果であるだろう。 限りなく現在の日本社会に近い舞台設定で展開される謎解きの物語は、終盤に近づくにつれて日本という狭い枠組みを離れていき、加速度的に密度を増していく。詳しい解説は、探偵小説のレビューゆえ、避けたいが、次のことはいえるだろうと思う。 本作における「謎解き」は、犯人の探索といった次元とは別の拡がりをもった世界の話である。いわば、殆どつながりようもなかった事物/人間が出会う、というプロセスが物語を駆動していく話であり、物語の終局に向かうにつれて気が付くのは、解かれた「謎」によって、我々の暮らす〈現在の日本〉が異化されてしまうことなのだと思える。 『例外社会』以降、これまで笠井氏が探求してきた、〈社会〉そのものの枠組みが崩壊しつつある〈世界内戦〉の状況のただなかに日常的に置かれた人間のリアリティが、小説という形でもって具体化されることになった。 そのために、〈日常の謎〉的モチーフから出発したのは、正解だったのではないか。 この小説全体の鍵として、或る〈劇中劇〉が登場するのだが、それは43年前に、学生たちによって上演されたアンダーグラウンド演劇であった。この〈劇中劇〉のタイトルは一体何を指し示しているのか。それを探り出す謎解きの道程が、登場人物たちの過去と現在をつなげていく。はるか昔に起き、そのまま忘れ去られてしまったイヴェントが、43年後の現在を強く規定した。 終盤、すべての謎が解かれても、どこか「終わっていない」という不思議な余韻が残る。解かれた謎がもたらした現実はシリアスなものだが、それにもかかわらず、これまでの笠井作品には見えなかった、不思議な爽やかさが読後感として残る。それはおそらく、出会うはずのなかった事物/人間の出会い、ということがこの小説で中心的なテーマとなっていたからだろう。この点において、本作は、これまでの笠井氏の探偵小説に見られなかった全く新たな地平を見せた物語だといえよう。 | ||||
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