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忘れられた巨人
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忘れられた巨人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.88pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全95件 1~20 1/5ページ
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物語の導入は限りなく地味である。 4~5世紀のイギリスを舞台に、ドラゴンや悪鬼の存在する世界を老夫婦が旅をする。 単行本を買った当初、そのファンタジー的な設定になじめず、未読状態であった。 最近になって、ふとしたきっかけで読み進めてみると、確かに設定はファンタジーではあるが、現代に生きる私たちが抱える問題に深くコミットした、まさに純文学の大傑作であった。 そのテーマは「共同体(もしくは国家)は、何を忘れ、何を記憶すべきか」という問いである。 また、導入は地味でも、物語が進むにつれて戦士やわけありの少年も旅に加わり、手に汗を握る戦闘シーンもある。三人称や一人称、伝聞等の様々な視点を取り入れながら、見事な文体ですらすらと読ませる力は、さすがノーベル文学賞作家。 深いテーマに取り組みながら、読み終わっても登場人物たちと別れがたい印象が残る、心の深くに届く大傑作だと思う。 | ||||
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「国民投票でイギリスのEU離脱(いわゆるブレグジット)が決まったとき、カズオ・イシグロはたいへん怒っていた」と訳者あとがきにあるとおり、本作はそのことをかなり意識したうえで書かれた、民族の融和、受容、対立、排斥といったことがモチーフの中世ファンタジーである。 「殺戮の循環は途切れることがなく、復讐への欲望は途絶えることがありません」、「憎しみの連鎖は途切れるどころか、今日の出来事によって鍛えられ、強化されるでしょう」(どちらもP321)というようなセリフからは、パレスチナ情勢など昨今の紛争にも思いをはせずにはいられない。 サクソン人の戦士ウィスタンが言う。「もしまた会うことがあれば、平和のうちにお進みなさいと言うでしょう。ま、もはや平和などありえませんが」(P441)。それに対してブリトン人のアクセルが問う。「平和のうちに進めと言いながら、もはや平和などありえないとも言われました。(中略)ここで説明したいただけませんか」(P445) 話としては全体的にスローな感じで、いささか眠気を誘うのだが、印象的なシーンや登場人物のやりとりも多く、結果的には満足度の高い読書だった。主人公の老夫婦が家出した息子を「取り繕いの言葉に騙されるほど幼くなく、心の複雑な綾(あや)を知るには若すぎ、もう戻らないと言って去りました」(P469)と表現するのも心に残った。 何もよりも、「忘れる」というのは素晴らしいことではないか、と本書を読みながら思っていた。日本には「水に流す」という良い言葉があるけれど、「忘れたふりをする」のもみんなと仲良くやっていく知恵である。何もかも覚えているなんて、つらいことだと思う。 | ||||
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大作だと思います。大人のためのファンタジーですね。ただ、もう一つ、のめり込めなかったのは、中世イギリス、ブリテン島という特殊な舞台設定。日本人には、あまりにもその情景が浮かびにくかったこと。私自身がイギリスの歴史に詳しくないため、民族間の争いがどのようなものだったのか、知識が不足していたためだと思います。 | ||||
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2017年にノーベル文学賞を受賞したことで、日本でも一躍その名が日本でも広く知られるようになったカズオ イシグロの長編小説。発売されたときは厚くて重くて、これ以上本を増やせないと買うのをあきらめたが、文庫本になって手にとりやすくなった。アーサー王を主題としているので、そのあたりの情報がないと難解かもしれないが、固定概念なくひとつの読み物としても愉しめる。これをきっかけに、過去のイシグロ作品も読んでみるのも。映画化された『日の名残り』や日本でドラマ化された『わたしを離さないで』も必読。 | ||||
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ノーベル賞受賞作家とかなると敷居が高すぎて読む気も失せるのだけど、映画監督のギレルモデルトロが映画化するとかいうニュースがあって、それで興味を持って読んだ。 以下、あらすじでは無いけれどネタバレ的要素のある感想となります。 アーサー王伝説を下敷きに忘れるという事の是非を個人と国家という極端な物差で量ろうとした労作と感じた。苦しみや恨みを忘れることは楽しさや幸せをも忘れることだ。それでも社会というあるいは人生という歯車が回っていれば許容出来る、のだろうか?そのきしみは社会を蝕み人間から心を奪っていく。だが思い出した時その感情の大部分を占めるのは恨みか、幸せか。彼らは国家を揺るがす戦争に手を染めるのか。老夫婦はかつての過ちからのこだわりを捨て2人で島に行けるのだろうか? その答えは読者のそれぞれの胸のうちにあるのだろう。そうした意味ではっきりとした結末を用意した作品に慣れ親しんだものには中途半端な物語ととられるのかも知れないが、そのダイナミックな文章とアーサー王伝説の味付けが効いて物足りなさは無い。物語として満足させながらさりげなく深く考察をさせるような作り方は流石な作家なのだなと思った。以上ネタバレにはなったけれどそれを凌駕する面白さがあると思う。一読の価値は十分にあると思います。 企画が進み、もしギレルモデルトロが映画化するとすればどこに力点を置くのだろうか。ワクワクが止まらないけれど、忙しい監督さんだからね。期待半分で。 | ||||
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支離滅裂な欠陥小説。小説を読むというのは一応書かれた記述を信じて読まねばならない。書き手もそれを信じて書いているはずだ。記述に矛盾があれば先行き解消されると信じて読む。それが放棄された小説なのだ。だいたい、主人公の老夫婦の旅立ちの目的が、失踪した息子を訪ねてというのだが、どこか上の空で具体的な記述がない。老夫婦の関係も怪しげで、夫が妻を頻繁に「お姫様(princess)」と呼ぶのだが、日本語として違和感があって不自然である。説明不足や矛盾に満ちた小説なのだ、それを前提と読まないと読めない。どなたかの感想に最後の数頁の記述だけで足りる小説とあったが、確かにそんな感もしないではない。そのシーンは冒頭も似たような記述があって、膨大な記述は読むに値しないと思われてくる。要するに、死を意味する島への渡航が、例えどんなに愛し合っている夫婦でも、船頭の小舟は一人ずつしか乗せられないという。死の象徴なのだろうが、ありふれた陳腐なフィクションである。しかし、考えて見れば、人生とは、小説とは違って、支離滅裂なものでストーリーの整合性がない、それを表現して、記憶喪失の社会を、古代の竜の吐く息として描いて、竜退治が設定されている。戦士によって退治されたが、その後もストーリーの進展はほとんどない。妻が訪ねていた息子はすでに死んでいて、自分たちが向う死の浄土の島に墓があるのを思い出す。以上、ネタバレ的に描いたが、ネタがばれたとしても、人生矛盾に満ちたものとすれば、ストーリーを知っていて、思わせぶりに、退屈しながら読む「純粋小説」なのかも知れない。もし、バルカン半島の戦争が下地にあるとしたら、DVD「ロープ、戦場の生命線」の方がずっとリアリティーに満ちた切実な労作である。アーサー王伝説題材では、アガサ・クリスティー作の名探偵ミス・マーブルものがある。彼女に登場願って、イシグロの心の秘密を暴いてもらいたいものだ。 | ||||
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イメージ通りの作品で、購入してよかったと思います。 | ||||
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忘れられた巨人 というタイトルを見て 「巨人の肩に立つ……」というニュートンの手紙の言葉を思い出した。 本を読み進めると、 登場人物はどうやらいろいろ「忘れている」ようで 身近な環境の「今」しか見えていない。 多くの人が、非科学的な よくわからない動機で行動しているように思え、 もどかしい。 ただ、現代の日本人もそうなんじゃないかと思える。 自分の親や祖父母の生きた歴史を よく知らないし、 特別知ろうとも思わない。 合理的、効率的に行動しているようで、 何のための合理性なのか効率なのか。 先人は何を積み上げてきたのか、 金を集めることか? 何か大切なことを忘れているのではないか。 大きな話をしているのではなくて もっと小さな範囲で、 そして、周囲の人が持つ……「巨人性」とでも言うのだろうか、 知識や、技術、生きる力に関心を寄せることが 相手に対する本当の愛情なんだろうと、そう考えさせられた。 過疎の町を尋ねると、もうすぐ、 ここに人が暮らしていた痕跡が消えてなくなるのだろうと 思うことがある。 ただ、思い出せばいいというものでは無い、 巨人の肩の上に乗ることを忘れた人たちが迎える末路を、 この物語は暗示しているように思えた。 | ||||
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少しずつ少しずつ、読みました。時間をかけて読み進みながらも、いつでもその場に戻れる作品でした。 初めてのイシグロさんの作品でしたが、もっと先が読みたい、と思わせるものでした。 | ||||
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老夫婦の、些細なことを忘れているという疑問から始まる旅路の結果はとんでもなかった。 個人の記憶の忘却どころか、民族間の歴史まで忘れられていたというスケールのでかさに驚いた。ううむ、これは悩む。本当にこれでよかったのかと悩む。忘却の霧がはれたら、待っているのは血で血を洗う未来……。しかし忘れたままの歴史の積み重ねは不自然。ならば痛みを伴っても、人間はあるがままの記憶を受け入れなければいけないのだろう。 唯一の救いは、戦士との約束「すべてのブリトン人を憎む義務がある」を徹底しようとするサクソン人の少年が「でもこのやさしい夫婦も含めろとは言わないだろう」と思う部分。民族間の憎しみのなかにも、個と個とのつながりから生じる希望が感じられる。但し、その老夫婦は最期には離れてしまっている。それもまた人の罪と罰なのだとしたら、やるせない。 内容は文句なしの☆5ヶ。ただ基本は三人称なのに、時々一人称になったり。妻への語りかけが「お姫様」連発なのが少々気になりました。 | ||||
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血塗られた歴史、恨みと復讐の連鎖は、忘却によってしか断ち切ることはできないのか? 簡単には答えの出せない、難しい問いかけです。 しかし、イシグロは、結局は、魔法はいつかは解けるように、記憶や歴史の良い部分だけを引き継ぐことはできないことを描いているように思います。過去を引き受けた上で、それを乗り越えること、少なくとも乗り越えようとお互いに努力するしかない、と。作中の老夫婦が、何があっても現在のお互いの愛に変わりはないことを誓い合ったように。 また、長く敵の中で育ったがゆえに、非情になり切れない戦士や、世話になった老夫婦は、種族の恨みと復讐の対象外と考えるサクソン人の少年の姿に、イシグロの示唆と希望を見て取ることができるような気がします。 アーサー王だの鬼だの妖精だのと、これまで読んだイシグロ作品には見られなかったファンタジーっぽい道具立てや寓話的な雰囲気(もしかして村上春樹の影響?)は異色なのかもしれませんが、徐々に記憶の霧が晴れて真実が明らかになっていく様は、スリリングでもあり、登場人物たちの魅力的な造形と相俟って、エンターテインメントとしても一級品だと思います。 | ||||
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文学によるエレジーのように感じる。時間が石臼のように記憶を粉々に砕いてゆくさまを描いた小説は少なくない。イシグロが取り上げたのは、個の記憶が忘れられてゆくならば、その総体である「社会の記憶」はどうなるのかということだと思う。イシグロは、平和の盟約や戦争の記憶を取り上げて、社会の記憶さえも茫漠とした何者かの中で薄れる様子を描いている。しっかりと映像や文字情報が残る現代社会でも、歴史歪曲などの非難をし合う国々がある。イシグロは身近な者をレンズにして普遍的に起こり得る人間の持つ力の哀しさを描いている。 | ||||
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読んでからかなり日が経つけど、たびたび、忘却に関して思い出す。 なんかもやっとした忘却。 それは若い頃の忘れかけた感傷的な気持ち。(私はもういい歳) 最後の別れがとくに切なかった。 | ||||
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面白かったです。 しょっぱなの人々の記憶を消してしまう霧、からいきなり引き込まれます。 舞台は遥か昔のイギリスの森、城、海、島といったものですが、そこから現在進行形の世界の諸問題を炙り出すように書ききれる才能がすごいですね。 一言でいってこれだけの抽象度の高いフィクションなのに、リアリティを感じれる作品は少ないかもしれないと思いました。 お奨めです! | ||||
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船頭が象徴するのは、離別である。日本人的には三途の川を渡るということである。つまり、死別。最初に出てきた船頭が示したのがこれじゃないかと思っていた。そうして最後に出てきた船頭のシーンで確信した。アクセルはそれ(死別)を悟って歩き出していた。クエリグはマインドコントロールのメタファーですね。戦士が少年に引き継いだ憎悪の連鎖は、きっと永遠に消えないということなのですね。自分の世界ではここまでの激情は感じないですが、それはやられた側でないとわからないことか。妻の不貞にも耐えた、アクセルの最後がかわいそうでした。しかし、お姫様は息子が待つ死の世界へと旅立つのでした。一刻も早く息子に会いたいのです。 | ||||
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オーディオブックで聞きました。 自分では読みきれないほどの本も 聞くことができてよかったです。朗読者は一人なのに 人物の声を見事に使い分けていて感心しました。 | ||||
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読後に余韻の残る秀作だと感じるが、その解釈は難しい。所々矛盾した場面もあるし、象徴的で、どうとでも捉えることのできる表現もある。霧に包まれたような作品である。クライマックスの終盤は、どのような結末を迎えるのか、最期の最期まで分からず、結局、読者の想像に委ねる終わり方であった。 | ||||
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英語版を先に読んでから、図書館で日本語版を読んで、やはり原書とは物語のニュアンスが僅かに違いますね。ただ、作者のインタビューも見ましたが、結局過去の世界的悲劇を投影している、そして、見える巨人(列強国アメリカなど)とそれを生み出した根源(忘れられた巨人)は終わらない憎悪を本書で描いていると思います。つまり、各々のキャラクターを深く考えず、KAZUO ISHIGUROの投影したい全体像を意識して読めば、霧は晴れていくと思います。良作でした! | ||||
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カズオ・イシグロの本にはそれぞれ大きなテーマが設定されている。今回は、記憶と忘却。 亡くなった人の思い出や、悲しい事件や戦争など。その記憶をいつまでも心にとどめることが、 反省や救いにつながるが、一方で、忘れることによって平和や調和がもたらされ、前に進めることもある。 この作品のモチーフは旧ユーゴスラビア紛争のようだが、読み進めるうちに、ナチスドイツによるホロコースト、日中関係、日韓関係、原爆、そして身の回りで起きた些細な事柄、恨む気持ち、許す気持ちなど、記憶にまつわるさまざまなテーマに思いを巡らせた。ファンタジックな物語に引き込みながら、深く重いテーマを読者に考えさせる技法はやはり秀逸だと感じた。 | ||||
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寡作で知られ、一作ごとに新たな作風に果敢に挑戦することを自分に課しているカズオ・イシグロという作家は、文学界の修行僧を思わせる。『忘れられた巨人』(カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫)では、ファンタジー的要素を存分に取り込んでいる。 5~6世紀に、ブリテン島(グレイト・ブリテン島)に住むケルト系のブリトン人を率いて、侵略してきたゲルマン系のサクソン人を撃退したとされる伝説上の人物・アーサー王の死後間もなくという時代に舞台が設定されている。 ブリトン人のアクセルとベアトリスという老夫婦は、記憶がもう一つ定かではないのだが、自分たちの下を去った息子に会うため、長年暮らした村を後にする。ブリトン人が後ろ盾としている雌竜・クエリグを殺すことを自分たちの王から命じられているサクソン人の勇敢な若い戦士・ウェスタン、悪鬼に噛まれた者はいずれ悪鬼になるという迷信から、ブリトン人たちに迫害され、ウェスタンに助け出されたサクソン人の少年・エドウィン、雌竜を守ることを自らの使命と考えている、アーサー王の甥の老騎士・ガウェイン卿、サクソン人と戦うため修道院に集う大勢のブリトン人修道僧たち、不思議な船頭、悪鬼、薄気味わるい妖精、人々の記憶を奪う息を吐き続ける雌竜などとの――その旅の途上における、さまざまな出会いが描かれていく。 繰り返される民族間の対立・抗争を終わらせるにはどうすればいいのか、自分の過去を知ることが幸せなのか、知らないままのほうが幸せなのか、相手の不倫も寛容に許すのが愛なのか――民族間の対立、記憶、愛について、君は真剣に考えたことがあるのかと、イシグロは問い掛けているのだろう。 | ||||
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